反省会と罪の意識
「邪魔するぜ坊!」
「…………」
「なぁ坊、ちょっと俺の深刻な悩みを――聞いて欲しいと言いたいところだったが先に言わせてもらうぞ。何がどうしてそうなってんだ?」
仮初めの自室にて身体からキノコを生やしたまま横になっていたところ、ノックもせずにゲス野郎が入室してきた。無礼極まりないクソ野郎だ。
「失せろゲス野郎……俺のことは捨て置け……」
「まーた面倒事に巻き込まれやがったな? ったく、今度は何があったってんだ? 女々しく拗ねやがって男らしくねぇぞ」
「うるせぇぇぇ!!」
身体から生えていたキノコを全て引き千切り、全身全霊の力を込めた拳を解き放つ。
「うぉ!?」
だが踏み込みが甘かったのか、ゲス野郎の反射神経によって咄嗟に回避されてしまった。
放たれた俺の拳は身体ごと襖を貫き、前のめりにバランスを崩して向かい側の壁に頭から衝突した。
焼いた餅のようにぷっくりとたんこぶが膨らむ。しかしその痛みで転がり回るようなことはなく、ただうつ伏せに倒れて地にひれ伏した。
「相当荒れてやがんな……余程のことでもあったのか?」
「何も無かったらこんな荒れ狂ってねぇんだよクソがぁ!!」
「分かった分かった。取り敢えず部屋入れって。他の奴らの目に止まるだろうが」
そう言われて辺りを見渡すと、何人かの妖狐達から注目を浴びていた。
鬱陶しい狐共だ。一思いにこの手で蹴散らしてやりたい。いっそ本気で蹴散らしてやろうか?
「あだっ!?」
意味有りげな視線を向けてくる妖狐達に対して睨みを効かせていると、ゲス野郎にゲンコツされた。膨れ上がっていたたんこぶの上に更にたんこぶが膨らみ、人体式鏡餅が完成していた。
「痛ぇなこの野郎! 何すんだゲス野郎!」
「落ち着けっつってんだろ。まずテメェはいつものテメェに戻れ。じゃなきゃ話もクソも進まねぇぞ」
「喧しいわ! これが本当の俺なんだよ! 誰に対しても口悪く接し、自分のことだけのために行動し、どれだけ他人に迷惑掛けようが気にも止めない。それがこの俺の内なる姿だったんだよボケがぁ!」
ガツンとまたゲンコツされた。三段式の鏡餅の完成だ。
「落ち着けっつってんのが聞こえねぇのか。次騒いだら頭の上から冷水ぶっかけんぞ」
「……いっそ殺せ」
「情緒不安定たぁこのことかよ……面倒臭ぇなおい」
無気力になって全身から力が抜けて行く。ゲス野郎は生きる屍と化した俺の首根っこを掴み、俺の部屋に放り投げてからまた中に入って来て襖を閉めた。
「で、何でテメェがそんなに暴走してるのか説明してもらおうか」
「……殺せ」
「すっかり負の感情に支配されてやがって……おら、兄貴が聞いてやっから正直に言え」
「……殺せ」
「頑なかっ! 言えっつってんだろ! テメェのその様子からして、女の連中と揉め事でも起こしたのか?」
「揉めてない……ただ俺が一方的に嫌われただけの話だし……」
「嫌われただぁ? 誰にだよ?」
「…………女の子全員」
「いやマジで何したんだよ。むしろテメェがあいつらから嫌われることなんてあんのか?」
「…………うん」
ゲス野郎――もとい、温羅兄と話している内に少しだけ落ち着きを取り戻した。未だに情緒不安定という自覚はあるけれど。
「あのさ温羅兄……温羅兄って、女の子から何回軽蔑されたことある?」
「軽蔑って……要は引かれた回数ってことか?」
「うん」
「んなのいちいち数えてねぇっつの。基本的に妖狐の下っ端共からは敵視されてるしな」
「敵視……ね」
俺的にはまだそっちの方が気が楽だ。有耶無耶にではなく、はっきりと嫌いだと区別されているのだから。
「まさかあいつらの誰かに敵視されてるってのか?」
「敵視っていうか……目も合わせてくれなくなって話すら聞いてもらえなくなってる……」
「ちなみにその相手は?」
「……猫さん、雪羅、桜華の三人」
「おぉ……思ったより多かったな……」
二度と忘れることのできないあの悪夢の日。俺は当初の計画通り、変態妖怪コンテストにて優勝という実績を残した。後はこの馬鹿みたいな話をネタ扱いにして桜華に話すだけ。俺の計画では元々そういう手筈になっていた。
しかし、俺は最後の最後で決定的なミスを犯した。パンツ一枚姿で桜華を襲うところを桜華自身に目撃されてしまい、思い切り頰をぶっ叩かれて制裁された。
後日、桜華に迷惑を掛けたことをお詫びするべく、様々な献上品を用意して会いに行った。
しかしその結果、俺が話し掛けようとしても桜華は逃げるように去って行ってしまい、一切話を聞いてくれることはなかった。
これは洒落になっていないと思い、俺は雪羅に助言を求めるべく、今度は雪羅の元へと会いに行った。
しかし雪羅は俺と顔を合わせると否や、俺が何かを言う前に「ごめん、私行くところがあるから……」と言い残し、これまた目も合わせてくれずに立ち去られてしまった。
いよいよ本格的に危機感を抱き始め、一度部屋に戻って頭を抱えていた時だった。ふと猫さんが俺の部屋に訪れてきて、こう吐き捨てた。
「……女を弄ぶ輩は去ね」と。
俺を見る猫さんの目は今までで一番冷め切っていて、勿論俺の弁解を聞いてくれないまま去って行ってしまった。
それから数日。俺は未だにあの三人とは会話の一つすらできていない状態であり、心が折れた俺は学校に行く以外に外出することが無くなり、こうして部屋の隅っこでキノコを生やすという日常を送っている、というわけだ。
男の温羅兄には隠す必要もないので、事のあらましを一字一句ボカすことなく伝えた。全てを聞き終えた温羅兄は、呆れた顔で頭を掻きながらため息を吐いていた。
「これだから女って奴は面倒臭ぇんだ。俺達の身内にゃロクな奴がいねぇからな」
「ちゃんと俺の話聞いてた? 明らかに十割俺が悪い話だったんだけど……」
「あのなぁ坊。男ってのは、誰しもが常に変態で馬鹿やってるような生き物なんだよ。テメェがしてたその……変態コンテストだったか? そんなのはまだ可愛いレベルだ。俺達なんて一度ガチで妖狐達の寝込みを襲ったことがあっからな。無論、玉さんとチビ狐に八つ裂きにされたけどよ」
「上には上がいるものなんだね……。でもそれとこれとは話が別でしょ」
「別じゃねぇよ、一緒だ一緒。それにテメェは本気で脳筋を襲うつもりはなかったんだろ?」
「そりゃ当たり前でしょ。そういうルールだったんだもの。でも普通に捕まるレベルなことはしていたわけで……」
「だーから何度も言ってんだろうが。テメェのはまだ可愛いレベルだっつの。言ってしまえばドッキリみたいなもんじゃねぇか。それを許容範囲に収めず、一方的に突き放して話を聞かねぇたぁ……女としての器が知れてんぜあいつら」
「皆をディスるでない! 悪いのは俺なんだから!」
「まぁ確かにテメェにも非があるんだろうが、十割ってのは大袈裟だ。それにだな坊。あいつらがテメェの話を聞いてくれねぇってことは、テメェのことを信用してねぇっつー証だ」
「うぐっ……」
珍しく理に適ったことを言いおるこの兄貴。確かに温羅兄の言う通りかもしれない。仮に話を聞いてくれていたとしたら、それは少しでも俺を信用してくれているということになるわけなのだから。
でも三人は俺の言い分を聞いてくれようとはしなかった。つまりはそういうことだ。
「そんな……嫌だぁ! こんな現実絶対嘘だぁ!」
「酷な話だが、目を逸らしたところで何も変わりゃしねぇぜ坊。つまり、テメェも俺と同じ穴の狢の仲間入りってわけだ。ゲス同士仲良くしようぜ坊!」
「嫌だぁぁぁ!! 俺までゲス認定されるなんて嫌だぁぁぁ!!」
「往生際が悪いぞ坊! テメェは既に俺と同類の男に成り下がってんだ! 言ってしまえば最底辺だ! もうこれ以上下に落ちることはねぇ! ここから成り上がっていくしかねぇんだよ!」
冗談じゃない! 人間の女の子から嫌われるのは結構だけど、妖怪の女の子達から軽蔑の目で見られるなんて御免被る! そんなことになるならまだ死んだ方がマシだ!
……あぁそうだ、なら死ねばいいのか。そうだ、そうしよう。
「グッバイ今生……願わくば、もっと良き余生を送りたかった……」
「うぉい!? その鉈どっから取り出した!? つーかそれ何時ぞやのヤンデレ女の物じゃねぇか!? 止めろ馬鹿! 命を投げ捨てるにゃまだ早ぇぞ!」
「止めるなぁ! こんな現実認めるくらいなら俺は迷わず死を選ぶ!」
「格好良いこと言ってるつもりなんだろうが、今テメェが言ってんのは『女の子に嫌われたから死ぬ』ってのと同義語だぞ!? んなことでいちいち命断ってたらキリねぇよ! 俺なら何百回死んでんだって話だっつの!」
「俺は温羅兄と違って心が脆いんだよ! か弱いんだよ! 触れれば散ってしまいそうな雪結晶と同じなんだよ!」
「知ったことか! とにかくその鉈を寄越せ! マジで大怪我すんぞ! ようやく左腕治ったってのに、また怪我されてたら世話ねぇよ!」
「離せ〜!」と言う俺に対し、「だから落ち着け!」と実力行使で諭してくる温羅兄。お互いに引かず譲らずの攻防が続き、だが後少しで鉈を奪い取られるという時だった。
「し、ししし失礼します弥白様!」
突如襖が開かれたと思いきや、下に俯いて目元を隠し、顔を真っ赤っかにさせた桜華が訪れて来た。
俺と温羅兄はピタリと動きを止めて、お互いに目を丸くして突然の来客に目をやった。
「あの……その……い、今まで引くような反応をしてしまってすみませんでした。で、でももう大丈夫です! わわ、私なりにちゃんと勉強してきましたので!」
すると桜華は、手に持っていた“それ”を俺達に見せ付けるように両手で持ち直した。
「と……床技……この“資料”で基本的なことは学……学びました……だ、だから……つ、次は夜這いされても大丈夫です! ちゃ、ちゃんと頑張れますから私! 弥白様を気持ち良くされられるようにちゃんと――」
鉈を奪い取って俺から離れた温羅兄が宙を舞い、桜華の顔面目掛けて飛び蹴りを解き放った。
受けの心構えを全くしていなかった桜華は穴が開いた襖を突き抜け、さっき俺が頭をぶつけた壁に背中から激突し、そのまま壁すら貫通して外に吹っ飛んでいった。
「な……何すんのよこのクソゲス!!」
だが何事も無かったかのように瞬く間に戻って、温羅兄の胸ぐらを掴み上げた。
「喧しいわ!! 前々から思ってたがテメェは本当に馬鹿か!?」
「馬鹿の代名詞のあんたに言われたくないわよ! ていうかなんであんたが弥白様の部屋にいるのよ!」
「んなこと今はどうでもいいわ! 何が床技をマスターしてきただ!? なんかもう色々とズレてんだよテメェは!」
「う、うるさいわね! だって弥白様に恥を掻かせるわけにはいかないでしょ!? 夜這いというのは女の子の方からもリードしてあげないと駄目だってこの“資料”に書いてあって……」
「何処で仕入れてきたんだ、んな資料! ガキ思考のテメェが持つにゃまだ数十年早ぇわボケが!」
桜華は“資料”と題した“アレな本”をひょいっと取り上げられて、温羅兄の手によってビリビリに引き裂かれた。
「あぁぁ!? キサナ様から折角貰った資料が!?」
「あいつの仕業かよ! あの野郎もあの野郎でロクなことしねぇな!? とにかく、テメェも一旦落ち着け脳筋!」
「お、落ち着いてるわよ! だからこうして平常心を保って覚悟してやって来たんだから!」
「全然平常心保ててねぇし、その覚悟もいらん覚悟だ! まず一旦話を整理させろ! テメェのせいで色々とあやふやになってきてんだよ!」
嵐の如く参上した桜華……だったが、いつになく真面目ポジションになっている温羅兄に諭され、部屋の卓袱台近くに置いてある座布団に座らされていた。
「坊も座れ」とこちらにもお呼びの声が掛けられ、桜華と対面する気不味さを感じながらも、渋々と桜華の正面側に座った。
温羅兄も俺達の間の位置に座り込み、卓袱台に肘を立てて頭を抱えた。
「……でだ。一体何のつもりだ脳筋。なんで今になって坊の元に来やがった?」
「なんでって……な、なんでそんな邪険な目で私を見てくるのよ」
「いつものことだろうが……と言いたいところだが、今回は事情が違ぇ。つまり俺が言いたいのは、今まで坊を避けていたテメェがなんで今になってここに来たんだっつー話だ」
「そ、それは……だから床技を学んだことを伝えに――」
「それはもういいっつってんだろ! んな知識をなんで身に付けてきた!? 俺はそれが一番理解できねぇ!」
同感だ。今桜華が何を考えているのかがさっぱり分からない。もしかして前の件のせいで乱心してしまったのか?
「だ、だからそれは……その……弥白様が……」
「坊が? なんだよ?」
「…………」
すると、赤らめた顔でちらちらと俺を見つめて来た。しかし目を合わせようとすると慌てて逸らされてしまい、自分の指と指を絡め合ってモジモジした様子を見せる。
「あ〜……うぜぇ!」
「あだっ!?」
その一連の動作を見ていた温羅兄は、イライラを募らせて桜華の頭を引っ叩いた。
「痛いわね!? 何するのよ!」
「モジモジうじうじと鬱陶しいんだよ! 言いたいことがあるならはっきり言えや! 女々しいテメェを見てるとストレス溜まんだよこっちは!」
「だ、だって恥ずかしいんだもん!」
「だもん、じゃねぇよ! 可愛くねぇんだよ! いいからさっさと口割れや!」
「言おうとしたらあんたがぶっ叩いてきたんでしょうが! あんたこそ邪魔しないでよ! そもそもこの話はあんたには全く関係ないわよ!」
「んだゴラァ!?」「あぁん!?」とメンチを切り合う犬猿のお二人。このままじゃ埒が明かない。
「……あのさ温羅兄。一旦席を外してくれない? 温羅兄の悩みは後でちゃんと聞くからさ」
「お、おぉ。そういやそんな話だったな。でも大丈夫なのか坊? また自殺なんて図ろうとしやがったら……」
「だ、大丈夫大丈夫。もう大分落ち着いたから。少なくとも死ぬようなことはないよ」
「ならいいけどよ。出来るだけ早いとこ済ませろよ」
それだけ言うと、温羅兄は俺の部屋から出て行った。
温羅兄がいなくなったことにより、一気に部屋の中が静かになった。桜華はまたモジモジとした様子で下に俯いてしまい、俺もまた気不味くなってしまう。
でも俺から話をしない限りは事が一向に進まない。気不味いとか言ってる場合じゃない。
「えっと……なんか久し振りだね。こうして桜華と面と向かって話すのって」
「そ……そうです……ね……」
やはり目を合わせようとしてくれない桜華。挫けるな俺、弁解するチャンスはもうこの瞬間しかないんだ。
とにかく、まず俺がすることはただ一つだ。
「桜華……その……ごめ――」
「申し訳ありませんでした!」
「えぇ!?」
頭を下げて謝ろうとしたところ、逆に桜華が俺に頭を下げてきた。
「いやいやいや!? なんで桜華が謝ってるの!? むしろ謝るのは俺の方で……」
「そ、その……この数日間、私が弥白様と顔を合わせる度に逃げていたじゃないですか……。そのせいで弥白様が気分を害していたのではと思いまして……」
「それは……」
「や、やっぱりそうだったんですね!? すみません! 本当に申し訳ありません! でも違うんです弥白様! 私は決して弥白様を嫌っているというわけじゃなかったんです!」
「……え? そうなの?」
あの出来事のせいでてっきり疎遠関係にされたと思っていたけれど……本人曰く、どうやらそういうわけじゃなかったらしい。
「でも俺、実際に桜華にあんなことしちゃってたわけだし……」
「そ、それはその……あの時はびっくりして思わず叩いてしまいましたが、何があろうと私が弥白様を嫌いになるなどということは絶対にありません! それだけは信じてください!」
「そ、そっか……それは良かった……」
……のか? いや良くないよね? あんなことされていたのに、それでも尚俺のこと嫌いにならないって……。良心的過ぎる桜華に対して逆に不安になってきた。
「そ、それであの時の件の話なんですが……その……あの状況から察するに弥白様は……“そういうこと”をしに来てたんですよね……?」
「んんっ…………」
思わず喉を詰まらせた。
ですよね、そりゃ誤解しますよね。パンツ一丁で跨っていたんですから、逆にそういう意味で捉えない方がどうかしてますよね。
……やむを得ないか。今度こそ桜華に本気で嫌われるかもしれないけど、正直にコンテストのことを話すしかない。そもそも俺は桜華に嫌われるためにあのコンテストで花を咲かせていたのだから。
「えっと……苦しい言い訳に聞こえるかもしれないけど、実はあれは夜這いをしに来たわけじゃないんだよね……」
「……ファ?」
目を丸くさせて阿保みたいな顔になる桜華。
「え? え? どういうことですか?」
「うん……実はあれは――」
俺は腹を括って桜華に全てを説明した。桜華に嫌われるためにやったこと、ということだけは伏せるようにして。
「えっと……つまり、あれは全部ドッキリだったってわけですか?」
全てを聞き終えた桜華は、ポカーンとした表情になって目を丸くさせていた。
俺は自己嫌悪に陥りながらも締め付けられるように痛む胸を押さえ、「そういうことです……」と返事を返した。
そして――桜華の顔がまた、見る見るうちに真っ赤に染め上がっていった。
「て……てことは……私がしていたことは、全て勘違い? 床技を勉強したことも全部意味がなかったと? あぁ……あぁぁ〜!?」
両手で顔を覆って羞恥心に悶え苦しみ、横になってあっちこっちに転がり回る。全面的に俺のせいだけど見ていられない。
「本っ当に申し訳ありませんでしたぁ!! でも最低なことにどうやってお詫びしていいか分からないんです! やっぱり死ねばいい? 死ねばいいかな俺!?」
「早まらないでください弥白様! でも……あぁぁぁ……は、恥ずかし過ぎて顔から火が出そうですぅ……」
結局、あのコンテストはお互いに心の傷を負うこの状況を作ることにしかならなかったってわけだ。なんだったんだあの無意味な時間は? こちとら出来る限り変態に身を染めて戦っていたというのに!
「も、もう嫌ぁ……私もうお嫁にいけません……」
「なら俺が責任を!」と言いたいところだったが、どうにか口に出そうになったのを堪えた。そんな無責任なことを言ったが最後、それこそ俺は正真正銘のクズに成り下がることになるのだから。
いや、違うな。既に俺はクズに成り下がってる。桜華にこんな迷惑掛けておいて、何の負傷も無しに済ませられるはずがない。仮に桜華が許してくれたとしても、俺自身が俺を絶対に許さない。
「あぅぅ……弥白様。一つだけお願いがあるんですが、聞いていただけますか?」
「一つと言わずにいくらでも。俺今日から桜華の奴隷になるよ」
「そ、それは駄目です! それとお願いは一つだけで良いです! そしてそのお願いなんですが……今回のことはお互いに無かったことにしていただけませんか? じゃないと私……もう立ち直れそうにありません……」
それはつまり、今回の件で俺が背負った罪すら無かったことにして欲しいということに繋がるわけだ。
絶対に無理だと言い張りたいところだけど……そうなると桜華が立ち直れなくなってトラウマを抱えることになってしまう。ここは桜華のために、桜華の意見を尊重しよう。
……と、思ったけど。
「分かったよ。でも一つだけ俺もこの件に関してお願いしていいかな?」
「は、はい。なんでしょうか?」
「俺は……俺だけはこの件を忘れちゃいけなくてさ。だから無かったことになるのは桜華だけにしてください!」
「えぇ!? だ、駄目ですよ! それじゃ意味が無いじゃないですか!」
「でもそれだと俺の罪が無かったことになってしまうんだよ! そんなの俺が許せないよ!」
「弥白様! この件はもう深く気にしちゃ駄目なんです! 忘れましょう! 綺麗さっぱりに忘れ去りましょう! 忘れた方が幸せになれることなんてこの世に山程あるんですから!」
「無理だよ! 罪の意識からは絶対に逃れられないんだ! 一度犯した罪は償わない限り、忘れることなんてできやしないんだ! 警視庁の方々ならそう言うはずだよ!」
「なら私が許しますから! 弥白様が自分自身に抱く罪も全部私が許しますから! それでもういいでしょう!? というかもうそうさせてください!」
「あぁもう良人的……だからこそ無理があるんだってぇ……」
桜華に優しくされれば優しくされるほど、俺の罪の意識は大きくなっていく。どう転んでも苦しむだけというこのジレンマをどう払拭すれば?
「話し終わったかテメェら? つか長ぇんだよ。こちとら待ちくたびれてるってんだよ」
「ほ、ほら、痺れを切らしたゲスが来ましたよ! この件はもう終わり! 次に切り替えましょう弥白様!」
「ぐぅ……分かったよ……」
忘れ去るには相当の時間を要するだろうけど、その時が来るまで根気強く生きるしか無い。後悔後に立たず、だ。
仕切り直しというわけで、温羅兄が席に座った後で人数分の粗茶を用意し、一飲みしたところで三人同時に息を吐いた。
「……で? 温羅兄の悩みって何?」
「あぁ……実は最近になって思ったんだがよ。まず、俺って顔だけは強面フェイスのイケメンだろ」
「自惚れも良いところね」
「うっせぇな、テメェにゃ聞いてねぇよ。で、テメェはどう思う坊?」
「まぁ……実際顔だけは良いとは思ってるけど……」
「だろ? そうだろ? 外見に関しちゃ周りに引けを取らねぇって自覚はあんだよ。んで、大抵の女は男を外見で選ぶ節があんだろ? だから近い日にゃ女ができると踏んでたんだよ俺は」
……何となくオチが読めた。
「だが……だがよ? 結果はご覧の有様だ。いつまで経っても女から寄ってくる気配はねぇし、むしろ引かれ続けてる日々が続いてやがる。このままじゃ俺は数百、数千という日々を独り身で過ごすことになるかもしれねぇ。だからよ、坊。テメェに一つ頼みがあるんだ」
「はぁ……何でしょうか」
「以前俺が言っていた理想の女のことに関しちゃこの際もうどうでもいい。とにかく俺に女ができるように、坊の力を貸してくれねぇか。色んな女からモテてるテメェならどうにかなんだろ?」
「これこそ無駄な時間でしたね。行きましょう弥白様」
「そうだね」
すっかりテンションが冷めて立ち上がる。耳を貸すような話じゃなかった。
「うぉい!? ちょっと待てって坊! 割と深刻に悩んでんだよ俺! 俺の弟分なら喜んで力貸してくれよ!」
「あのさぁ温羅兄……絶賛親しい女の子から嫌われ中の俺にそういう頼み事する普通? もし嫌味で言ってるつもりだったら張り倒すよ?」
「え? 待ってください弥白様。嫌われてるってどういうことですか?」
「あ〜……それは後で説明するとして、どうなの温羅兄? 嫌味? 嫌味なの? そんなに俺を怒らせたいの? 情緒不安定だから簡単に火が付くよ今の俺」
「嫌味でこんな頼み事するわけねぇだろ。こちとら地味に必死なんだよ」
「性格直せ。以上」
「それができねぇから相談してんだよ!」
「ならもう諦めい! ゲスな性格を直さない限り、温羅兄に彼女なんて夢のまた夢だから! それは俺だけじゃなくて、ここに住んでる全員が思ってるからね?」
「くっ……認めたくねぇ現実を突き付けやがって……」
そっちの方も自覚があったようで、リアルに落ち込む様子を見せた。何がどうであれ、ゲスが治らない限りは無理な話だ。
「でもどうしてもゲスを完治させたいっていうなら、小さなことからコツコツやるっていう方法があるけどね。身近なところで言うと、桜華に優しく接するようにしたりとか」
「やめて下さい弥白様。こんな奴に優しくされても鳥肌が立つだけですよ」
「同感だ。何で俺がこんな奴に優しくしなきゃならねぇんだ。道端に出没してるアリンコを気遣った方がまだマシだっつの」
懲りずにメンチを切り合うお二人。流石に犬猿を仲直りさせるのは無理があったか。特にこの二人はどうやっても釣り合わないからなぁ。磁石のS極とN極の方がまだくっ付き易いと思えるくらいに。
「フッフッフッ……どうやらお困りらしいねぇ、そこの若い鬼小僧君」
「あァ?」
またもや襖の向こう側からお客さんが乱入。というか、いつの間にかいた九ちゃんが襖に背を預けて佇んでいた。
「んだよ、クソビッチかよ。今はテメェのお遊びに付き合ってる暇はねぇんだよ。失せろ」
「も〜、だからお姉ちゃんは処女だって言ってるでしょ〜? ま、私の初めては白君に予約済みだけどねぇ〜?」
「ね?」と首を傾げてくる姉様狐。それを俺に聞かれても困る。
「何の用ですか姉さん。悪戯しに来たなら帰って下さい」
「桜ちゃんまで冷たいなぁ〜。折角お姉ちゃんが耳寄りな話を持って来てあげたのに〜」
「耳寄りな話?」
「そうそう」と頷く九ちゃん。どうやら本当に悪戯しに来たわけじゃないらしい。
「実は私の知り合いに、異性との出会いを与えてくれる『合わせ屋』ってのを営んでる妖怪がいてさ〜。温羅が良いならお姉ちゃんが紹介してあげようと思ったんだけど――」
「やっぱ頼れるのは年上の姉貴だよな! やりゃあできんじゃねぇか姉貴!」
「にゃっはは〜、相変わらず現金だねぇ〜温羅は」
合わせ屋ねぇ……どうにも胡散臭い感じがするけど、情報提供者があの九ちゃんだ。本当に出会いを巡り合わせるプロか、胡散臭さ通りのペテン師か。その極端な二択のどちらかが当たりと見た。
「その合わせ屋ってのは何処にいんだ? ここから行ける場所にちゃんといるんだろうな?」
「モチのロン。今から行きたいなら案内するけど〜?」
「願ってもねぇな。行くぞ坊!」
「あぁ、やっぱり俺は付き添いなのね……」
まだ雪羅と猫さんの問題が解決してないけど、今のところは何をしようともどうしようも無し。ここは様子見ついでに、温羅兄の余興に付き合ってあげることにしよう。
……貸し一で。




