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鬼の兄妹は姦しい

 それは熟睡し掛けていた深夜の時だった。


「ぬぉっ!?」


 風の音一つ聞こえない静寂の中、突如馬鹿でかい地鳴り音が鳴り響き、物音に敏感な俺は思わず飛び起きた。


「何だ何だ!? 雷でも落ちた!?」


 慌てて外に飛び出してみると、空は満面の星空に綺麗な満月が見えた。雷雲どころか雨雲一つ見当たらなかった。


 更に周囲を見回してみても、特にこれといった異変は見つけられなかった。ついに夢と現実の区別も付けられなくなってしまったんだろうか俺は?


「何じゃシロ、まだ起きとったのか」


 注意深く林の方を目視していると、屋敷の方から寝間着の帽子を被ったキサナが顔を出して来た。今から寝るところだったのか、眠たそうに目をしょぼしょぼさせていた。


「キサナも聞いた今の? なんかすっげ~爆音鳴ってたけど」


「ん、恐らく空木倒しの仕業じゃの」


「空木倒し?」


 妖怪のことは結構詳しい方だと思ってたけど、まだまだ俺の知らない妖怪は未知数らしい。少なくとも、空木倒しという妖怪は聞いたことがなかった。


「それはどんな妖怪なのでしょうか先生」


「うむ。空木倒しは別名、古杣(ふるそま)とも言っての。これはとある一説なのじゃが、その昔、とある木こりが木を伐採していての。その最中に何処からか大木が倒れた音が鳴り響き、木こりは慌ててその音の元へと駆けた。そして音が聞こえた現場に到着したが、木が切られた形跡も倒れた痕跡も無かったという話じゃ」


 なるほど。要はその馬鹿でかい音で人間を脅かす妖怪ってことか。不眠症患者が聞いたらブチ切れそうな妖怪だなぁ。現に不眠症患者でもない俺ですら少し気が立ってるし。


「こっちは良い夢見心地で寝てたのに、探し出して庭に吊るし上げて干物にしてやろうか……」


「まぁそう急くでない。あれは一回限りで終わりなのじゃ。今日はもう大丈夫だからゆっくり休むと良い」


「むぅ……。いと仕方無し」


 キサナに宥められて部屋へと戻り、キサナも部屋に引き返して行った。次また起こしたら承知しないからな空木倒しめ……。


 ぬくぬくの布団の中に潜り込み、目を瞑って睡魔が訪れるのを静かに待つ。


 次第に意識が薄れてうとうととしてくる。時間が掛かると思ったけど、これならすぐに眠れそうだ。今日は珍しく来てくれなかったけど、明日は遊びに来てくれるといいなぁ猫さん。


 そうして、俺は完全に意識を――


「ぬぉぉっ!?」


 手放せると思った瞬間、再び外で地鳴り音が鳴り響いた。


 布団から飛び出すと同時に、部屋の隅に立て掛けてある血みどろデザインの木刀を持って外に出た。


 すると、キサナも今の地鳴り音で叩き起こされたようで、眠そうな目になったまま不機嫌顔になっていた。


「先生、あれは一回限りで終わりだったのでは?」


「そのはずなんじゃが……。どうやらこれは空木倒しの仕業ではなかったようじゃの」


「そっか……。どちらにせよ、この苛立ちはその犯人にぶつけて良いんだよね?」


「構わぬ。むしろ(わら)も同行して直に引っ叩いてくれるわ。折角激エロな夢を見て興奮していたというのに、この仕打ちは万死に値する」


「……ちなみにどんな夢だったか聞いても?」


「うむ。着物をはだけさせて大胆になった猫が、(わら)を上から襲って来ていた。顔にこう、おっぱいを押し付けてくる体勢での」


 なるほど、そりゃ万死どころか億死に値しても仕方無い。俺なら軽く殺意を湧かせてるところだ。


「ちょいと待っとれシロ。(わら)も蔵の方に閉まってある天叢雲剣あまのむらくもを取って来る」


「え? ホントに? 実物あるの?」


「無論じゃ。他にも妖刀村正ようとうむらまさ青龍偃月刀せいりゅうえんげつとうなども保管しとる」


「それは激パネェラインナップですな。是非同行させて欲しい」


 キサナが言う伝説の武器を取りに物置と化した蔵の方へと向かう。靴が置いてある玄関の方から外に出て、小走り気味にボロ屋敷の裏の方に移動した。


「ぐぉぁぁあああ!?」


 が、その途中、隕石の如く謎の物体がボロ屋敷を貫通した。


「わ、(わら)の屋敷がぁ!?」


 謎の物体のお陰でボロ屋敷にぽっかりと風穴が空いてしまい、霊力でカモフラージュしたボロい見た目よりも酷い有様になってしまった。厄日だなぁこりゃ。


「誰じゃぁ!? 誰が(わら)のベストプレイスをディストラクションしたのじゃぁ!?」


「縁側の方に飛んで行ったよね。確認しに行ってみよう」


 冷静さを欠いたキサナを引き連れて、俺の部屋とは反対方向にある縁側の方へとやって来た。


 すると、そこに謎の物体の正体が倒れ込んでいた。


「畜生があの脳筋女……。少しは加減ってもんができねぇのか」


 トゲトゲしい雰囲気を漂わせる長い黒髪。一睨みするだけで相手を萎縮させてしまいそうな鋭い赤眼に、一度噛まれれば食い千切られてもおかしくさなそうな二本の八重歯。動き易そうに黒い着物を改良して着流し、極め付けとして頭から二本の角を生やしている。


 間違いない。あれは十中八九、“鬼”だ。


「ぬっ!? 久しく見ぬと思えば、お主か温羅(うら)! 何してくれとんのじゃわたけ!」


「あん? 何だキサ坊じゃねぇか。何してんだこんなとこで」


「それはこっちの台詞じゃ厄災鬼が! お主のせいで(わら)の屋敷が傷物になってしまったではないか! 童貞消失してしまったではないか!」


「どうどうキサナ。気持ちは分かるけど一旦冷静になろうって。ね?」


「ぐぅ、(わら)の屋敷ぃ……」


 余程大切にこのボロ屋敷を想っているようで、こんな風にキサナが怒るところは初めて見た。でも俺も一応住民の一人だし、お構い無しに破壊されるのは流石に見過ごせないとは思う。


「マジかよ、気付けばこんなとこまで来てたのかよ。悪ぃなキサ坊、今度来た時にでも修理しに来るぜ」


 それだけ言い残してそそくさと去ろうとする鬼。全く反省の色無しって、そんなことしたらキサナが……。


「なるほど……。どうやら成仏したいようじゃのお主」


 キサナがぷるぷると身体を震わせて怒りの感情を高めていく。


 すると、その怒りのボルテージが上がっていくにつれて、ボロ屋敷が軋む音を鳴らして崩れ始めた。


 そういやこの屋敷ってキサナの機嫌で存在が左右されてるんだったっけ。このままだと完全に屋敷が崩壊してしまうじゃないか。


 しかし俺も抜かりない平成ボーイ。こんな時のために事前に対応できるお品を用意済みなんだなぁこれが。


「キサナ」


「何じゃシロ、危ないから下がっておれ。今から(わら)は真の姿である第三形態に変身して――おほっ!?」


 爆発寸前の怒りを静めるため、俺が密かに秘蔵にしていた妖怪エロ本『一日密着! 猫又のにゃんにゃんな部分!』を一冊差し出した。


 キサナは餌に釣られた魚の如くエロ本に飛び付いて来て、鬼など知ったことではないと寝っ転がって読み耽り出した。同時に屋敷の崩壊もピタリと止まり、何とか窮地を脱することができた。


 ……さて。


「ちょっと待てぃそこの鬼さんよ」


「あん?」


 キサナの代わりに天誅を下してやろうと思い至り、去って行こうとする鬼の前に先回りして仁王立ちした。


「何だテメェ、なんでこんな場所に人間がいんだ? 心霊スポット巡りか? 暇人なこったなおい」


「ちゃうわい阿呆。俺はこのボロ屋敷の主でぃ。ついでに名は弥白と言うよ」


「屋敷の主だぁ? ここの主はキサ坊なんじゃねぇのか?」


「今まではそうだったけど、最近俺がここに引っ越して来たから、俺が主になったんだよ。世代交代ってやつだね要は」


「そうかよ、そりゃご苦労なこった」


 無理矢理話を終わらせて俺の横を通り過ぎようとする鬼。


 そうは問屋が卸さないと、その肩を掴んで引き止めた。


「コラ待て鬼。帰る前にボロ屋敷直していきなさい」


「あん? だから今度来た時に直すって言っただろうが」


「なら一つ質問するけどさ。君はパチンコに行く男に『絶対金返すから一万だけ貸してくれ』と頼まれたら、素直に一万円を差し出すかな?」


「馬鹿か、んなもん踏み倒すに決まって――あ゛っ」


「ほほぅ……? やっぱりそのつもりだったんだね?」


 人の家を壊した上に嘘を付いて逃げようとした。判決、有罪(ギルティ)


 込み上げてくる怒りと共に、指の骨をパキポキと鳴らす。


「お、おいおい待てって。俺に喧嘩売ろうとしてんなら止めとけ。こう見えて俺は伝説の鬼の一人の温羅様なんだぜ? 人間のお前じゃ太刀打ちできねぇって」


 温羅……誰もが一度は聞いたことがある有名な鬼だ。確か、桃太郎に出てくる鬼のモチーフとしても描かれていて、その昔に悪逆非道を尽くした最強の鬼の一人だったはず。


 まぁ、だとしても関係ないけどね。見逃す理由にゃならんでしょ。


「知らんがな。ボロ屋敷直さないなら主ちゃん怒っちゃいますよ」


「へっ、仕方ねぇな。多少手荒になっちまうが、少し痛い目に合わせた後にとんずらさせてもらうぜ」


 理不尽にもやる気になった温羅が構える。悪いのは全面的にそっちなのに、あくまで都合良く逃げ切るつもりか。だったらこっちも本気出しちゃいますよってね。


「さぁて、まずは何処をへし折ってやろうか? やっぱ無難に足の骨か? それとも……」


 突如、あれこれ喋る温羅の元に大きな影ができた。


「あん? なんだ一体――」


 そこで温羅の言葉が途切れ、予想だにしていない巨大な落石が温羅を襲った。


 聞き覚えのある馬鹿でかい地鳴り音が鳴り響き、その中でプチッと人体が潰れる音がした。その後、落石の隙間からどくどくと血が溢れて血溜まりができた。


 ……神様による因果応報かな? それにしては手厳しい。


「ようやく命中したわね……。全く、ゴキブリのようにしぶといクソ鬼ね。仕留められたから良かったけど」


 不意に屋敷の屋根の上の方から聞き慣れない声が聞こえてきて、咄嗟にボロ屋敷の方に振り向いた。


 するとそこには、温羅と同じく二本の角を生やした女の子の鬼がいた。


 温羅と違って可愛らしい目付きに、腰まで伸びた綺麗な黒髪。薄い赤色の着物の上から白い割烹着を着ていて、しかしその白色が所々血で真っ赤に染まっていた。まるでペイントファッションのような奇抜さだ。


 俺が戦おうとしていたのは、伝説と言われた最上級の実力を持つ鬼。しかしその鬼を小虫の如く捻じ伏せる鬼が現れた。これはもしや、俺もあの鬼に殺されてしまう流れなんだろうか。


 内心ドキドキしながら立ち尽くしていると、身軽な身のこなしで下に降りて近付いて来た。背丈は俺と同じくらいのはずなのに、距離が近付くにつれてその姿が巨人か何かに見えて来た。


 そして、ついに俺の目の前で立ち止まった。


「すぅ……」


 何をするつもりなのか、大きく息を吸い込み出した。どーしよ、まだ死にたくないんだけど身体が動かないや。


 ……だが、その不安は杞憂と化した。


「ごめんなさい!」


 何をされるかと思いきや、大きな声で謝ると同時に頭を下げて来た。どうやら殺されるというのは大きな勘違いだったみたいだ。


「本当にごめんなさい! まさかキサナ様のお屋敷に危害が加わっちゃうなんて! それもこれも私とそこの馬鹿鬼の仕業でして……。本っ当にごめんなさい!」


 涙目になりながら何度も頭を下げてくる鬼。想像以上に良い人だったらしい。俺も見た目で人を判断してしまうとは情けない。まだまだ尻が青い証拠ですな。


「いやいや、そこまで必死に謝らなくても……。取り敢えず事情を聞かせてもらってもいいかな?」


「も、勿論です!」


 それから女鬼じょおには、自己紹介も含めてこれまでの経緯を説明し始めた。


「私は茨木童子の桜華(おうか)と言います」


 茨木童子……これまた誰もが耳にしたことがある有名な鬼の妖怪だ。あの三大妖怪と言われる酒呑童子の実の子供であり、親子共々悪逆非道を尽くした外道妖怪――というのが一説として残っているが、実際はどうなんだろうか?


「あの……失礼なこと聞くけど、君ってこの世に生まれて何人くらい人間を殺したことがあるかな?」


「えぇ!? そんなの一度も無いに決まってるじゃないですか! あの馬鹿鬼なら進んで殺す気にはなれますけど、人間を殺すなんてとんでもないです!」


「ふむ……。つまり歴史として語られている悪逆非道っていうのは?」


「そんなの根も葉もない俗説です! 確かに世間で鬼は凶暴で鬼畜で危険な存在だと言われていますが、むしろ鬼は大人しい妖怪なんです! それに私達からしたら本当に恐ろしいのは、そういう誤解を招く嘘話を広めて信じる人間の方ですよ!」


 なるほど、どうやらこの人も俺と同じ思考を持った人だったらしい。


「人間の俺が言うのもなんだけど、確かに君の言う通りだよね。俺も妖怪より人間の方がずっと怖い生き物だと思ってるよ」


「そ、そうなんですか? それはまた変わってるというか、私達にとって良い人なんだなってことは凄く伝わって来ました!」


「そうかな? でもそう思ってくれるのは嬉しいなぁ」


 この短時間で信用を得られたようで、茨木童子こと桜華さんはニッコリと笑ってくれた。


 それにしても、まさか茨木童子が女性だったのは驚きだ。でも俗説では、本当は女の子だったっていう話もあるし、酒呑童子の恋人だっていう俗説もあったはず。強ち歴史も間違いばかりじゃないってことだね。


「でも俺も驚いたよ。茨木童子ってもっとこう、お腹がふっくらした中年のおっさんみたいなイメージがあったから」


「えぇ!? 全然違う上に、そもそも私は女の子ですよ!」


「うん、そうなんだよね。まさか茨木童子がこんなに綺麗な女の子だとは思ってなかったよ。いやはや目から鱗が落ちた気分だなぁ」


「……綺麗?」


 何を言われたのか分からないという素振りで首を傾げ、目を丸くする桜華さん。


「あの……綺麗ってもしかして私のことを言ったんですか?」


「え? そうだけど、もしかして不服だったかな?」


「そんなことないです!! むしろ物凄く嬉しいですよぉ!!」


 すると桜華さんは急にハイテンションになり、涙粒を流しながら大手を上げて喜んだ。


「随分と大袈裟な反応するね。そんなに嬉しいの?」


「はい! 見た目を褒められたのは生まれて初めてでしたから!」


 意外だ。桜華さん程の人なら誰かに一度はナンパされててもおかしくないと思ったけど、実はそうでもなかったらしい。


「周りの人達は皆私のことを『筋力のスペシャリスト』だとか、『一生独り身の鬼嫁』だとか、『我が家の暴力古代兵器』だとか、女の子である私に全く剃り合わない二つ名ばかり付けて来るんですよ。酷いと思いませんか?」


「はははっ、完全に弄られちゃってるねそれは。でもそれって冗談みたいなものなんだろうし、あんまり気にすることはないと思うよ?」


「それが全然冗談じゃないんですよ。現にそう言った二つ名のせいで、お父さんの配下の人達からは恐れられた目で見られるのが当たり前のようになってしまっていまして……」


 本当にそういう状況になっているらしく、しょんぼりと落ち込んで項垂れてしまう桜華さん。その人その人のイメージというのは、一度定着してしまうと中々拭えないものだ。この人も苦労してるんだろうなぁ。


「本当の私は違うんですよ! 皆に美味しいお料理を食べてもらうために日夜特訓していますし、家中も全部私がお掃除して、それからお洗濯とかお裁縫とか、とにかく女性として必死に自分を磨いているんです! なのに誰もその頑張りを褒めてくれなくて、私が凶暴になってるところしか見てくれなくて……うぅ……」


 いつの間にか愚痴話になってしまっているが、それだけ桜華さんにとっては納得できないことなんだろう。でも聞いてる分だと可哀想な話ではある。


 ここで冗談を言ってからかうのは無粋だ。ここは空気を読んで少しでも元気になってくれないと、聞き役の俺としては後味が悪い。


「そっか。桜華さんは周りに卑下されながらも一人で頑張ってたんだね。俺だったら多分挫折してるところだけど、桜華さんは精神的にも強い立派な人なんだね」


 鬼としてではなく、一人の人間として相手を見る。決して慰めているわけじゃない。この人は本当に今まで頑張っていたのだから、これはその行いに対する称賛だ。


 この人はもっと他人から評価されるべき人なんだという意味を込めて、俺は彼女の頭を撫でてあげた。


「うぅ……主様ぁ〜!」


 一度も褒められたことがなかった反動が出てしまったようで、ボロボロと涙を流して号泣しながら抱き付いて来た。


 ぐさりと片方の角が頬に突き刺さり、背中に回された腕の力で腕の骨が若干軋む。痛いと注意したいけど、今言うのは空気が読めていないだろうと思って堪えた。


「主様はなんてお優しいんでしょうか! 初めて褒めてくれた上に、頭も撫でてくださるなんて! きっと主様は神様の生まれ変わりか何かなんでしょうね!」


「いやいやそれこそ大袈裟だってば」


「そんなことはないです! 少なくとも私が今まで出会って来た人の中では、主様が圧倒的にぶっちぎりです! 陸上の長距離走で二位と圧倒的な差を開いて二位の人が可哀想になるくらいぶっちぎりです!」


 正直微妙な褒められ方だ。素直に喜べない俺がいる。


 というかそろそろ頬と腕が限界だ。このままでは俺の身体の一部に穴が開き、バッキバキに骨が砕かれ兼ねない。


「お、桜華さん。せめてもう少し力を弱めてくれないと……痛い」


「へ? あぁぁ〜!? すいませんすいません! 私感激のあまりにまた暴走してしまいまして!」


 ようやく俺の苦痛に気が付いて咄嗟に離れ、ペコペコと何度も頭を下げてきた。そこまで必死に謝らなくても良いのに、この人もまた人が良い人だ。


「大丈夫大丈夫、そこまでのことじゃないからさ。ね?」


「は、はいぃ……」


「はははっ、面白い人だなぁ桜華さんって」


 ……さて、談笑は一旦この辺にしておいて、そろそろ話を戻そう。まだ肝心なことが聞けてないんだし。


 少しだけ真面目な顔になると、俺の顔を見ている桜華さんも少しだけ表情を引き締めた。話を戻されることを察したんだろう。


「それで桜華さん。あの岩の下敷きになっている人と何があったのかな?」


「は、はい、それなんですけど……。簡単に説明してしまうと、実はあのクソ鬼は私の従兄妹でして。それで一緒に暮らしてるんですが、私が大事に取っておいたプリンを食べてしまったんですよあのクソ鬼」


「……プリン? え〜っと、桜華さん? まさかそんな小さなことであんな大事に――」


「九個入りのギフトボックスのやつなんですけど」


「聞き捨てなりませんなそれは」


 ギフトボックスのプリン。俺は知っているその価値を。パッケージでしか見たことはないけど、普通のプリンとは比べ物にならない美味しさを潜めし上級品だったはず。それを食べられたとは言語道断なり。


「自分のお小遣いで買って、ちゃんと名前も書いておいて、他の人の分も取っておいたんですよ。なのにあのクソ鬼と来たら、夜中になんか物音がすると思いきや、一人でこそこそ冷蔵庫の中身を食い漁っていて、大事な大事な高級プリン達は皆その汚れた胃袋の中に……。何のつもりだと聞いたら、あいつはこう言ってきたんですよ」


 そこで桜華さんは顔を両手でゴシゴシと擦り、温羅の顔真似&声真似をして言った。


「まぁ落ち着けよ桜華。てめぇのような甘味も酸味も区別できない音痴舌の持ち主が食うよりは、高級品と一般品を区別できる俺のような全知全能の舌の持ち主が食うべきなんだって。無理して高いやつ食わなくても、お前はこの安上がりプリン食ってりゃ全部同じに感じるっつの」


「……下衆だなぁ」


 どうやら温羅という伝説の鬼は、本当に名ばかりの糞鬼だったらしい。俺は少し幻滅してしまったよ。少なくとも俺の頭の中では、温羅=チンカスという方程式が出来上がってしまった。


「だから私ブチ切れてしまいまして、さっきまで何度か岩を使いながらあいつを殺そうとしてたんです。そしてつい先程、ようやく念願を達成できたわけなんです」


 なるほど、あの地鳴り音は桜華さんが鳴らしていたというわけか。事情を知らなかったら木刀で張り倒していたところだけど、本当に張り倒すべきはあのチンカスだったらしい。


「よくやったよ桜華さん。君の行いは正当化された殺鬼行為だよ。自分という鬼を誇っても良いくらいだと思う」


「ありがとうございます主様。勿体無いお言葉です」


 悪は去った。そしていつの間にか、破壊されていたボロ屋敷が元通りにもなっていた。エロ本によってキサナの機嫌が最高潮に達しているからだろう。何にせよ、これでめでたしめでたしだ。


「待て……。俺の話も聞け、坊」


 終わり良ければ全て良し……とはいかず、落石の方を見てみると、全身真っ赤っかで死に体となった温羅が這い出て来ていた。完全にR指定の絵図だ。幼子が見たら泣いて逃げること間違いなし。


「まだ虫の息があったのね。早く楽になればこの世の肥料として初めて役に立てるのに」


「黙れ脳筋……。聞け、坊。そいつはテメェに嘘を吐いてやがんだ」


「嘘?」


 ちらりと桜華さんの方を見ると、白けた目で温羅の様子を見続けている。特に止めるつもりもないようなので、一応俺も黙って耳を傾けてみることにする。


「プリンの件については全部そいつの言う通り、ありゃ十割俺が悪ぃ。俺は自分が下衆だと自覚してっからな。だからどう咎められようと否定するつもりはねぇ」


 下衆だけど潔い。まだ好感を持てる救いの部分はあったらしい。いやでもその方がより悪質かな?


「だがな! そいつはさっき家事を主体に女を磨いてると言ったが、ありゃぁ真っ赤な嘘だ! テメェはまずそいつの出来の悪さを理解しとけ!」


「うっ……」と少し狼狽える桜華さん。後ろめたいことがあるようだけど、最後まで黙って聞いておこう。


「まず料理! そいつが一人で作ると、材料は全て健全で新鮮な物のはずなのに、仲間の一人を死に至らせかけた化学物質を作り上げる害悪溢れる腕だ! 次に掃除! 部屋を綺麗にするどころか、類稀なるドジ体質のせいで逆に家具を破壊する始末! 更に洗濯! 俺らの家に洗濯機なんていう物はないから手動で洗うしか術がないため、そいつが洗った衣服は八割何処らかしら破けた状態で返される! 最後に裁縫! まず針穴に糸を通せないから、雑巾の一枚を作る作れないの話に留まらない次元の才能だ! どうだ! それがそいつの本性だ!」


 随分と長々と語ってくれたが、話を聞いている途中の段階で、桜華さんがしょぼんと落ち込んでしゃがみ込んでしまっていた。今のが全部本当のことだという証拠に他ならない。


「そいつは全部家事を一人で請け負っているようなことを言っていたが、それは違ぇ! そいつがまともにやれてんのは庭の雑草抜きくらいで、他は俺を筆頭にした仲間全員で手分けしてんだよ! 分かったか坊!?」


「うんうん、そっちの事情は一通り理解したよ温羅兄」


「う、温羅兄だぁ……?」


 大体の事情を理解して、すぐ隣で縮こまっている桜華さんと目線を合わせるために座り込んだ。


 桜華さんは出来損ないと言われる自分が恥ずかしくなってしまったのか、顔すら合わせてくれなくなってしまっていた。


「桜華さん」


「……見栄張ってすいませんでした主様。そうなんです。温羅の言う通り、私は何をしても失敗ばかりしてるんです。茨木童子なんていうのは名ばかりで、本当はまともな仕事一つすらできない駄目な鬼なんです……」


「そうかなぁ? 俺は全然駄目とは思わないけど?」


「気休めは止してください主様。気を遣って慰めてくれるよりは、正直なことを言ってくれた方が気持ち的に楽ですから」


「気遣いなんてしてないよ。ん〜、どうやら桜華さんは一つ勘違いしてるみたいだから言わせてもらうね?」


 さりげなく温羅兄の方も見て、そっちも聞いておきなさいと目で注意する。温羅兄はその意図を察し、気まずい顔になりながもその場から離れなかった。


「あのね、桜華さん。本当に駄目な人っていうのは、失敗ばかりしている人のことを言うんじゃなくて、まず何もやろうとしない人のことを言うんだよ。だから何もかも人任せにして後回しにしているあの下衆な鬼とは違って、桜華さんはちゃんとした立派な人なんだよ」


「立派……? 私がですか?」


「おいちょっと待て。今さりげなく俺のことディスってなかったか?」


 下衆は無視して話を進める。


「だって、実際凄いことだと思うよ? あんな下衆の愚図から出来損ない呼ばわりされるという超屈辱的な目に合っているのに、桜華さんは今まで何度も失敗し続けながらも挫折せずに頑張って来たんでしょ? その根気強さは簡単に真似できるようなことじゃないよ」


「そう……でしょうか」


「おい、悪口が増えてたのは気のせいか? おいコラ坊」


 下衆は無視して話を進める。


「それにさ。もし一人じゃ無理だって言うなら、その時は素直に誰かに助力を求めれば良いんだよ。人間だって鬼だって出来ないことは絶対にあるんだし、あの下衆で愚図で指名手配に載ってそうな顔の人以外の身近な人に甘えたら良いよ。それにもし桜華さんが良かったら俺も力になるからさ。だから落ち込まずにもう少しだけ頑張ってみよう? ね?」


「あ……主様ぁ〜!!」


「主様ぁ〜、じゃねぇよ! 何そっちだけ良い雰囲気出してんだ!? つーか俺の悪口が更に具体的に悪化してんじゃねぇか!?」


 下衆は無視して、飛び付いてきた桜華さんを抱き止めて頭を撫でる。


「私これからも根強く頑張りたいと思います! 決して下衆で愚図で指名手配に載ってそうなチンカスには負けません!」


「うんうん、その意気だよ桜華さん。でもまた何かあったら屋敷に遊びに来なよ。また相談に乗ってあげるからさ」


「勿体無いお言葉です! ありがとうございます主様!」


「ケッ……猫演技もいいところだぜ。まるで飼い犬に尻尾振る駄犬かっつの」


 ふにゃりとした笑顔を浮かべる桜華さんに対し、温羅兄の表情は硬い。硬いというか下衆い。この二人って性格が真逆だから剃り合わないんだろうなぁ。


「俺は無理だと思うがな。そいつがどれだけ頑張ったところでドジるだけだろ」


「そう言うならちゃんと補佐してあげなよ。従兄妹同士なんでしょ?」


「ケッ、冗談じゃねぇ。なんでこの俺が脳筋のために一肌脱がなきゃならねぇんだ。調子に乗るなよ坊」


「あぁん!? アンタ主様に何軽口叩いてんの!? 頭が高いのよ頭が! そこに跪きなさい下衆めが」


「お、桜華さん?」


 人が変わったかのように桜華さんの表情が実に鬼らしくなり、物凄い迫力ある形相のまま温羅兄とメンチを切る。温羅兄は温羅兄で引く様子を見せず、額と額がぶつかり合うところまで近付いた。


「つーか何が主様だっつーんだよ。初対面の野郎に接し方があざといんだよ女狐が。んな尻を軽くしてっから、テメェはいつまで経っても独り身なんだよ脳筋」


「主様は唯一私という存在を認めてくれた神様に等しいお方。自分の身分を弁えて下手に出るのは当然なのよ。それに比べてアンタは何? 下衆の王様気取りのつもり? そんなの下衆の人への冒涜なんじゃないのかしら? 謝りなさいこの世に生まれたことを」


「ケッ、最早宗教だな。そして見事に垂らし込まれてるテメェはやっぱ脳筋だ。それにテメェみてぇな鈍間がどう足掻いたところで、あの坊の女になんてなれりゃしねぇよ。夢物語は夢だけで見やがれってんだ」


「私は主様に優しくしてもらえればそれで良いのよ。それにアンタに独り身が惨めだなんて言われたくないわよ。何人もの女を垂らし込んで、その度に殺されかけて来た経歴のあるチンカスのくせに」


「はっはぁ! それはもしや僻みですか〜? いとも容易く女を作れている俺への嫉妬ですか〜? テメェにゃ絶対無理な行為だもんなぁ〜?」


「……実に醜いわね。主様の魅力の足元にも及ばないゴミが」


「あァ!? うっせぇデカパイ脳筋! 搾乳して絞り殺してからっからにしてやろうかぁ!?」


「上等よ女の敵! 今度こそすり潰して野犬の餌にでもしてやるわ!」


「すいません、喧嘩は他所でしてくれませんでしょうか?」


 しかし俺の願いは叶うことなく、伝説の鬼達による激しい喧嘩は朝日が昇るまで続いた。そのせいで俺は眠ることもできず、寝坊して学校に遅刻することとなった。


 鬼の二人はセットでこのボロ屋敷にやって来ることを固く禁ずる。翌日、キサナがそんな張り紙を玄関の方に貼り付けていた。


 ……何も意味なかったけど。

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