茨木童子は親と人を愛す
「桜華ぁぁぁ!! ここを開けろ桜華ぁぁぁ!!」
「早く出てこい! いや出てきてください! いや出てきてくれませんか!?」
「面談を! 俺達に面談する機会を与えてくれぇ!」
鬼の皆が桜華さんの元へと一目散に向かった中、少ししてから俺と雪羅も後を追った。
温羅兄も誘ったのだけれど、「なんで俺があの脳筋のために貴重な睡眠時間を割かなきゃならねぇんだ」と吐き捨てて、自分の部屋に戻って行った。もしかして温羅兄も桜華さんに対して他の皆と同じような感情を……? と思ったけど、決してそういうわけではなかったらしい。
実は俺も皆の後を追うつもりはなかったのだけれど、雪羅が桜華さんのことをどうしても心配するので、こうして影に隠れてこっそり後を追って来たわけなのだが……。
「早速荒ぶってるんだけどあの人達……」
桜華さんの自室の前にて、皆がどうにか襖を開けようと叫びに叫び続けている。中には無理矢理襖を開けようとしている人もいるけど、どれだけ力を込めても一向に開く気配がない。恐らく桜華さんが向こう側から押さえているんだろう。
自分の気持ちに素直になる。そこまでは良かったんだけど、これまた桜華さんの気持ちを考えずに暴走しているように見える。今のあの人はかなり繊細になっているというのに。
「なんで開けてくれねぇんだ桜華! 頼む! 俺達の話を聞いてくれ!」
「ちょっとで良いから! 先っちょ! 先っちょだけで良いから話させてくれよ!」
「先っちょってのはアレだぞ? おっぱいの先端部分のアレじゃなくて、頭の角的な意味での先っちょな? 疚しさはないパターンな?」
「お前は馬鹿か!?そういうこと言ったら余計に怪しまれんだろーが! 不信感抱かれんだろーが!」
「じゃあ言わない方が良いってか!? 桜華はああ見えて馬鹿な部分があんだぞ!? 今のやり取りで本当に乳首だけ襖越しに出して来たらどうすんだ! 俺興奮して眠れる気がしねぇよ!」
「知ったことか! 俺は想像だけで既にビンビンしとるわ!」
「それこそ知ったことか!」
「…………ハァ」
暴走するあまりに方向性のおかしい醜い喧嘩が始まった。お蔭で雪羅は呆れ切って言葉も出ないご様子だ。
桜華さんからは返事の一つすら帰って来ない。そもそも本当に部屋の中に引き籠もってるのかすら疑わしい程だ。何にせよ、このままじゃいつまで経っても埒が明かない。
「……弥白」
「あははっ……うん、分かったよ」
「やっぱり弥白が何とかするべきだと思う」と目で訴えられてしまった以上、このまま何もせず皆を見守るわけにもいくまい。結局最後の最後まで一肌脱ぐことになってしまうけど、せめて肝心の“あの問題”だけは皆に協力してもらうようにしないと。桜華さんのためにも、鬼の皆のためにも。
さて……今皆が集まっている襖から入ろうとすれば、皆も俺に続いて桜華さんの部屋に入ってくることは目に見えてる。となると、別ルートから部屋に侵入する必要性がある。
やっぱりここは無難に外からよじ登って窓から入るべきか……と判断したいのは山々だが、例の如く俺の左腕は負傷中。そういったアクロバティックな行動はあんまりできない。せいぜい天井に張り付くことくらいが限度だ。
う~ん……どうしたものか。
「…………あっ」
首を傾げてあれでもないこれでもないと考え込んでいると、不意に桜華さんの隣の部屋の襖が少しだけ開かれた。そこから姿を現したのは、寝間着姿のコン子ちゃんだった。
「……(ちょいちょい)」
こっちの方を見て手招きしてきた。もしや桜華さんはそっちの部屋に?
皆の様子を伺いながらこっそりと移動し、雪羅と共にコン子ちゃんがいる部屋に侵入する。そしてコン子ちゃんが襖を閉めたことで、ほんの幾分か静かになった。
チラリと部屋の中を見通す。いると思った桜華さんの姿はなかった。やっぱり隣の部屋にいるらしい。
「神出鬼没だねコン子ちゃん。俺に何か用?」
「……(こくり)」
頷くと否や、壁際に置かれている本棚の横に移動すると、突然その本棚を横に押し始めた。
その本棚一個分だけ横にズラしたところで押すのを止めて、本棚の後ろにある壁に向かって指を差した。なるほどそういうことか。
「壁? どういうことなの?」
「……(フッ)」
いち早くコン子ちゃんの意図に気付いた俺に対し、雪羅は分かっていないご様子。これにはコン子ちゃんも無表情のまま鼻で笑っていた。
「雪羅さ……忍者に興味無いでしょ?」
「に、忍者? 何でそこで忍者の話が出てくるの?」
「……ごめんよコン子ちゃん。どうにも雪羅にはロマンがなかったみたい」
やれやれ、と両手を上げて首を横に振るコン子ちゃん。
「それじゃ行ってくるよ。二人はここで待ってて」
「え? 行ってくるって……でも入口の前にはあの人達が……」
「雪羅。今度で良いから忍者屋敷というものを調べて来なさい。俺からの課題です」
「えっと……はい……」
釈然としてないようだけど、素直なのは宜しい。もっと世を知れ、つらら女よ。
コン子ちゃんが指差す壁の前に移動して、壁に背中を付けるようにしてセッティングする。
そして右側を手で強く押すと、くるんと壁の一部分が回転した。初めて利用した隠し扉に些か歓喜してしまう。
「……あれ?」
無事桜華さんの部屋に侵入できた……が、肝心の桜華さんの姿が何処にも見当たらない。おかしいな? 絶対ここにいると思ってたんだけど……。
襖の方は何本もの鉄パイプが置かれていて、押し倒されないように大きな箪笥が置かれていた。本人が押さえていると思ってたけど、普通に重い物を使って塞いでいたらしい。
「……ふむ」
一通り周囲を見渡したところで、桜華さんがいるであろう場所に目を付けた。引き籠もりには定番の隠れ場所だ。
桜華さんがいるであろう隠れ場所――押入れの前で立ち膝になり、トントンと二回ほどノックした。
「桜華、いる?」
声も掛けてみたところ、ドゴッ、という妙な物音が聞こえた。驚いて頭ぶつけちゃったのかな?
「……開けるよ?」
押入れの襖に手を掛けて、ゆっくりと横に開く。
予想通り、桜華さんはいた。押入れの下の方で体育座りになって蹲っていた。
「……何の用ですか」
か弱くて小さな声。これが以前の桜華さんの姿だったのかと思うと驚きだ。ここまで落ち込んだ姿を見たことがなかったから。
「ごめんね、勝手に部屋に入っちゃって。でもどうしても桜華と話したいことがあってさ」
「……聞きたいこと、の間違いじゃないですか」
「うん……そうだね」
……下手な気遣いはやめた方が良さそうだ。
「なら単刀直入に聞くけど……どうして桜華は泣いてたの?」
「……本当にど直球ですね」
「はははっ、そのことで頭がいっぱいになっちゃってるからね。どうしても教えて欲しくてさ」
「……簡単な理由です。今までにないくらい、自分という存在をクズだと思ったからです……」
クズ……ね。面白くない冗談だ。
「何を根拠にそんなこと言ってるのさ。桜華のどの辺がクズなのか分からないよ。身近にいる温羅兄なら話が分かるけど」
「……主様は本当に優しいですね……いつも、いつも、いつも……価値の無い私をそうやって励ましてくれる。それが無駄な時間だと分かっていても。意味のない行為だとしても」
「はははっ、さっきからどうしたの桜華? 全然面白くないよその冗談」
「……あぁもうイライラするなぁ」
桜華さんの右手が握り拳になり、強く握って骨を軋ませた。
「今回の件でもう分かったはずじゃないですか。私がどれだけ愚かで、醜くて、性悪な鬼なのか。身を以て知ったはずじゃないですか」
「ん〜、確かに酔った桜華っていうのは斬新だったよね。色々あったにせよ、酔った女の子にも可愛い一面があることを知れて良い体験になったよ」
「だから……そうじゃなくて……」
「良いキャラしてたと思うよ桜華? 普段の桜華はしっかり者ってイメージが強いけど、酔ったら素が出て大胆になるんだもん。ギャップ萌えを備えているのは女の子として点数高いよね」
「だからもう……いい加減にしてください!!」
声を張り上げて怒声を浴びせてきたが、俺に掴み掛かって来る様子はない。
……まだ足りないか。
「主様の方こそ全く面白くない冗談を言わないでください! 気に入らないんですよ!」
「気に入らない? 何をかな?」
「何もかもですよ! いい加減しつこいんですよ! 私に価値はないって言ってるじゃないですか! 関わるだけ無駄な時間を取らせる鬼だって本当は思ってるんでしょう!? 取り繕わないで本音を言ってくださいよ!」
「なら俺も言わせてもらうけどさ。桜華こそいい加減気を遣うの止めてくれない? こういう時くらい素の自分でぶつかって来てよ」
「な、何を言って……私は素ですよ!」
嘘だ。だって今の桜華はまだ、俺に気を遣ってるのだから。
「俺が気に入らないんでしょ? 気に食わないんでしょ? だったら実力行使でここから追い出したらいいじゃん。いつもの温羅兄とのやり取りみたいにさ」
「そ、それは……」
「するつもりがないなら、俺はいつまでもここにいるよ? 桜華が何度自虐しようと、俺がそれを全部否定してあげるよ。君は愚かでもなく、醜くもなく、性悪でもない。むしろその真逆の鬼だってね」
「っ!!」
ようやくといったところか。桜華が蹲るのを止めて、押入れの中から飛び出してきた。
その勢いのまま俺に向かって飛び掛かってきて、俺は背中から仰向けに倒された。
お腹の上に乗っかってきて馬乗りになり、右腕を振り上げた。
パチンッ、と、俺は初めて桜華さんに暴力を振るわれた。自制し、手加減されたビンタを一発だけ。
「ほら! 分かったでしょう!? 私は恩人に対して仇を返すような最低な鬼なんです! だからもう私のことは放っておいてください!」
「…………」
自然と俺の頰が、緩んでいく。
「っ……私だって変わろうとしたんですよ! 色々頑張ってみたんですよ! でも全然上手くいかないんですよ! 家事だってそう! 熊風の件もそう! 中途半端でまったく役に立たなくて、そんな自分が嫌で嫌で仕方ないんですよ!」
「…………」
目を瞑り、笑いながら、言葉の一つ一つを受け取っていく。
「もう全てが嫌になって、お酒を飲んで全部忘れようとしたんですよ! そしたら何故か主様がやって来て、酔った勢いで無礼な真似をしてしまって……また主様に迷惑を掛けてしまったんですよ! なのにどうしてそれでも尚、貴方は私に期待を持たせようとするんですか!? 嫌がらせのつもりなんですか!? だとしたら貴方こそ最低な人ですよ!」
自分が何を言っているのか分からない様子のまま、思いの丈を全てぶちまけるように俺の胸を叩いて来る。何度も何度も、力が込められていない腕を振って。
「もうこれ以上私に付き纏わないでくださいよ! 期待を持たせないでくださいよ! いい加減諦めさせてくださいよ! もう……どうしようもないのに……どうして今も貴方はそうやって……」
ぽたぽたと涙粒が胸の上に落ちる。まるで幼子のように泣き出す桜華。
「微笑み掛けて……くれるんですか……」
俺は笑顔を浮かべた。桜華さんに対して失礼だと分かっているけど、どうにも堪えられなくなってしまったようだ。
「……嬉しいなぁ」
思わず口に出てしまうくらい、俺は歓喜に満ち溢れていた。
「ようやく俺にも素をぶつけてきてくれたね。ありがとう、桜華」
俺はまだ、完全に桜華さんに信頼されてはいなかった。
桜華さん本人は信用も信頼もしていると言ってくれている。でもそれは自意識的に口で言っているだけのことで、桜華さんは『主様に失礼を働いてはいけない』という認識のブレーキを掛けて、俺との間に少しだけの距離を取っていた。
どんな時でも気を遣い、心配させないように笑顔を振りまく。それも桜華さんの一部なんだろうけど、それが全てではない。その裏は、不安の心でいっぱいになっているのだから。
そして今、桜華さんはその裏をぶつけてきてくれた。素を、本音を、俺に見せてくれた。本当の自分を曝け出しても良い相手なんだと、無意識なんだろうけど信じてくれた。
それが嬉しくて、俺は堪らなかった。
「以前に俺は言ったよね。本当に駄目なのは失敗ばかりする人じゃなくて、失敗を恐れて何もしない人だって」
手で拭わずに涙を流しながらこくりと頷く桜華さん。
「俺は今もその言葉が偽りじゃないって思ってる。だから桜華……桜華さんは頑張ってくれたんだよね。俺の言葉と、失敗を繰り返す自分を信じてくれたんだよね」
こくりと頷く桜華さん。
「でもそれでも桜華さんは失敗を繰り返した。だからまた不安になって閉じ籠った。やっぱり自分は駄目なんだって、自分の可能性を諦め掛けてしまってる。でもそれは無理のないことだよね。誰でも失敗ばかりしてたら不安になるのは当然のことだもん」
こくりと頷く桜華さん。
「でもさ、桜華さん。君はまだ、俺が教えたことで試してないことが一つだけあるんだよ。正確に言えば、“試そうとした”ことだけど。それが何なのか分かる?」
ううんと首を横に振る桜華さん。
「自分一人じゃどうしようもなくなった時、そんな時は素直に周りに甘えたら良い。俺言ってたでしょ?『桜華さんが良かったら俺も力になるからさ』って」
「あっ……」
思い出したようだ。俺が初めて桜華さんと出会い、俺にそんな言葉を投げ掛けられた時の記憶を。
「でも桜華さんはそれを実行に移さなかった。周りに迷惑を掛けたくなかったから。でもそんな時に現れたのがあの馬鹿共なんだよねぇ」
「……見てたんですか?」
「あははっ……どうしても気になっちゃってさ。ごめんね勝手に」
馬鹿共とは即ち、桜華さんを上手いこと言いくるめて懐柔させていた豆腐小僧達のこと。あの時初めて桜華さんは、他人に頼ってみようと思うことができた。皮肉にも、あの豆腐小僧達のお陰で。
「頼る相手がどうであれ、桜華さんがまた前に進もうとしたことが嬉しくてさ。見てるこっちもドキドキしながら最後まで見てたんだけど……結果、アレでしょ? だから流石の俺も久し振りにブチ切れちゃってさ」
「ブチ切れ……? な、何かしたんですか?」
「うん。俺の手であいつら半殺しにしたんだよね。でもその時にまた無理に左腕動かしたせいで猫さんに怒られちゃってさ。危うく絶交され掛けてビビったビビった」
「……私のせ――」
「違うよ。これは俺が自分の意思でやったことだもん。桜華さんは何にも関係ない。抱かなくて良い罪悪感を抱いちゃいけないよ」
「…………」
「初めて桜華さんが他人に頼ろうとした。でもあいつらはそれを無下にした。俺はそれが本気で許せなかった。ただそれだけのことだよ」
「どうして……そこまでして……」
「決まってるじゃん。俺は努力を惜しまない女の子が好きだからさ。だから桜華さんの力になりたいって思ったんだよ。だからこうして俺は、また君を立ち上がらせるためにここに来たんだから」
そうして俺は、桜華さんに向かって手を差し伸ばした。
「最初は頼る相手を間違ってしまったけど、今度は絶対に間違わせない。俺が責任を持って保証するよ。だからもう一度だけ自分の可能性を信じて欲しいんだ」
「でも……やっぱり私は……」
「大丈夫。君は十分魅力的な人なんだって、俺が今すぐに証明してあげるから。だからさ、桜華さん」
今まで俺がこの人に何度も笑い掛けられていたように、俺も同じように笑い掛けた。
「俺も、自分も、両方信じて」
「…………主様」
いつの間にか涙が止まり、桜華さんに取り巻く負の感情が取り払われていくように暗い顔が晴れていく。
そして彼女は、もう一度だけ信じてみようと、ゆっくりと俺の手を取った。
「よし! それじゃ早速証明するよ!」
「きゃっ!?」
多少強引に桜華さんを引っ張り上げて立ち上がらせる。それから入口を塞ぐ箪笥の前に立たせて、俺は箪笥の横に移動した。
「部屋の中がむさ苦しくなることになるけど……それは我慢してね?」
「えっと……それはどういう――」
「よいしょっ!」
俺は右手を伸ばして思い切り箪笥を横にズラした。そして襖の前から完全に箪笥が取り除かれたところで、
「「「桜華ぁぁぁ!!」」」
と、鬼の皆が雪崩れ込むように部屋の中に入って来た。
「えっ!? えっ!? な、なんですか!? 一体何事ですか!?」
突然の事態に桜華さんがあたふたと慌てまくる。よしよし、いつもの桜華さんに戻って来たみたいだ。
「桜華!! すまねぇ!! 本っ当にすまねぇ!!」
鬼の一人が代表して土下座をすると、他の皆も一斉に土下座をした。見事に息のあった土下座っぷりだ。
「ど、どうしたんですか皆さん? 私に謝るだなんてらしくもないことを……」
「違ぇ! 違ぇんだ桜華! 俺達は別に、お前を嫌っていたわけじゃねぇんだ!」
「え? ど、どういうことですか?」
「どういうことってーと……く、詳しくは言えねぇ! でも本当にそうなんだ! 恥ずかしながらも俺達はただお前に構って欲しかっただけなんだよ!」
「構って欲しかった……?」
不器用な者と不器用な者達のやり取り。面白おかしくて思わず笑ってしまう。
「と、とにかくだな! 何か困ってることとかねぇか!? 今までの謝罪の意味も込めて力にならせてくれ!」
「頼む桜華! 俺達に償いの機会を与えてくれ! この通りだ!」
「……皆さん」
今まで散々悪口を言って来た奴らだ。悪意を持ってわざとしていたことではないけれど、桜華さんに恨みを買われていても何らおかしくはない。
ただ、俺は知っている。桜華さんがどれだけ良心的な優しい心を持っているのかということを。
「もう……急にどうしたんですか? 相変わらずおかしな人達ですね」
桜華さんは笑っていた。さっきまで落ち込んでいたのが無かったことかのように、無邪気な笑みを浮かべて。
「そう……ですね。それじゃ早速お願いがあるんですが、聞いてもらっても良いですか?」
「「「何だ!?」」」
やる気満々な鬼の皆様。そんな彼らに、桜華さんは言った。
「あのですね……お部屋が男臭くなるので、まずここから出てってもらえますか? 大変なんですよ脱臭するの」
「「「…………」」」
あれだけ活気強くなっていた皆が、たったそれだけのことで意気消沈。一気にお通夜のような雰囲気に。
「……というのは冗談でして」
「「「タチ悪ぃぞお前ぇ!?」」」
まさかのブラックジョークに思わず皆は涙目に。俺は口を押さえて笑い上げるのを堪えていた。
「今までのお返しです。文句は言わないでくださいね?」
お茶目にペロリと舌を出して笑う桜華さん。直後に「おぉう……」という声が一切に漏れた。俺も含めて。
「今日はもう真夜中なので、寝て明日になったら一つだけお願いさせてください」
「ち、ちなみにそのお願いってのは何なんだ? まさか詫びて死ねとか……」
「そんなことは言いませんよ! ただ……些細なお願いを聞いて欲しいだけなんです」
「は、はぁ……それは一体?」
皆が頭の上に疑問符を浮かべる。桜華さんはまたニッコリと笑い、胸の前で両手を合わせて言った。
「麻婆豆腐の作り方、教えてくれませんか?」
〜※〜
後日。午前中の厨房は、実に鬼々(おにおに)しいことになっていた。
全ては桜華さんのためにと鬼の皆が心を一つにして、数多の参考書を用いて調理を行う。わざわざ極上の材料まで何処からか用意して来て、その中にはいつもの割烹着姿の桜華さんも混じっていた。
というか、調理は桜華さんを中心に行われていた。上手くいかずに何度も失敗作を生み出していたけど、その度に皆が桜華さんをフォローして、桜華さんもまた落ち込む様子を一切見せずに真剣になって取り組んでいた。
一致団結して一つの物事に打ち込む姿。まるで学園祭のノリだ。こっちは見てるだけだというのに、心が踊るかのような気持ちになって密かに気分を高ぶらせていた。
そして気付けば時間は正午を過ぎ――夕方となった頃。桜華さんは玉さんの部屋の前に立っていた。
「ふぅ〜……」
緊張しているようで、長く深いため息を吹き出すように吐いていた。
ここからは桜華さん一人で解決しなくてはならないことなので、鬼の皆は物影に隠れて桜華さんを見守っていた。ちなみに俺は桜華さんから側近の申し出を受けたので、すぐ隣に立っていたりする。
まぁ……側近と言っても、もう何もするつもりはないのだけれど。その必要がないのだから。
「大丈夫。自信持って桜華さん」
「……はいっ」
最後に背中を叩いて上げると、桜華さんは力強く頷いた。
そして襖に手を掛けて……止まった。
「……主様。もし私がお母さんと仲直りすることができたら、聞いてもらいたいお話があるんです。その時になったら……聞いてもらえますか?」
柔らかく、優しい目で見つめられる。それは玉さんが子供達に向けているものと瓜二つの表情だった。
「勿論。俺が桜華さんの頼みを断るわけないでしょ」
「ふふっ……そうでした。ありがとうございます、主様」
すいませんでした、ではなく、ありがとうございます。うん、もうこの人は大丈夫。周りに皆がいる限り、二度と折れることはないだろう。
さぁ、後は努力の証を披露するだけだ。頑張れ、桜華さん!
緊張した様子が無くなったところで、桜華さんは二回ノックをした後に部屋の中に入って行った。
俺はまだ中には入らない。ここからは襖の向こう側から見させてもらうことにしよう。
「お母さん……少しだけ時間を取らせてもらっても良いですか?」
いつもの桜華さんに対し、肝心の玉さんは――
「お、おお、おう、おう、桜華……」
桜華さんの突然の訪問にきょどり過ぎて、実に妖怪らしい奇怪な表情を浮かべていた。桜華さんよりあっちの方が問題有りかもしれない……。
「だ、大丈夫ですかお母さん? 福笑いみたいな顔になってますよ?」
「だだ、だい、だい、大丈夫よ。にゃに、何も問題にゃ、なんてないわ」
「あはは……ならそういうことにしておきますね」
受け入れちゃったよ。やっぱ心広いなぁ桜華さん。あんな人が親だったら俺なら普通に引いてるところなのに。
「えっと……まずは謝らせてください。意地を張って無視したりして……ごめんなさい!」
「桜華……ううん、良いのよ桜華。貴女が謝る必要なんてないわ」
「お母さん……」
「……そう……何故なら……私が死ねば全てが解決されるのだからっ!!」
すると否や、玉さんは袖の中から包丁を一本取り出し、両手持ちで自分の胸に突きつけるように構えを取った。
「わああ!? 待って待ってお母さん! まずは落ち着いてください!」
「落ち着けるわけないでしょう!? 全面的に私が悪いのに、何も悪くない娘に謝らせてしまうだなんて……私は母親失格よ! だからもう切腹するしかないの! 死ぬ道しか選べないのよもう!」
「無理ですよお母さん! 包丁一本刺したところで妖怪の身体は滅びませんよ!」
「気分の問題よ! 刺せば死ぬの! 刺せば終わるの! そしたらもうお母さんは一切口を開かないわ! 身体も動かさないし、五感全てを断ち切るわ! だって死ぬんですもの!」
「そしたらお父さんや他の皆が困りますって! 勿論私も困りますから、自殺を図ろうとするのはやめて下さい! じゃないとこれも差し出せないじゃないですか!」
「差し出す? 毒薬的な? お母さんの自殺を手伝ってくれるだなんて、やっぱり桜華は私の自慢の娘ね……」
「そんなことで自慢されたくないですよ!世間的にはサイコパスとしか思われませんから!」
「そんなことを言う輩は私が直々に滅してやるわ。一匹残らず道連れにしてやるわよ……」
「さっきから言ってること滅茶苦茶ですよお母さん!? あぁもう! お願いだからまず私の話を聞いて!」
流石の桜華さんも思わず手が出てしまい、玉さんの頭を軽く叩いた。その痛みで玉さんはハッとなり、我に返ったようだった。
「はいこれ。差し出したいのはこれです」
そう言いながら桜華さんが手渡したのは、数時間掛けてようやく完成した努力の結晶である麻婆豆腐。ぷりぷりとした焦げ茶色の豆腐が実に美味しそうな出来だった。
「……これは?」
「見ての通り麻婆豆腐です」
「……毒薬入りの?」
「くどいですってば! 普通の麻婆豆腐ですから! 鬼の皆さんに協力してもらってようやく完成したんです!」
「鬼の連中が……? でもなんでまた麻婆豆腐を……」
「仲直りの印……と言いますか。ほら、昔お母さんが作ってくれたことがあるじゃないですか。あの時の味を思い出して作ってみたんです。食べてみてくれま――」
「頂くわ」
全てを察した玉さんは、桜華さんの話を最後まで聞く前に器を受け取り、同時にレンゲを手に取った。
一口分だけすくい取り、躊躇せずにパクリと頬張る。
「ど、どうですかお母さん」
「……えぇ……あの時私が作ったのと全く同じで――」
そうして、玉さんはにっこり笑い、
「ゲロまずおえぇぇぇ……!!」
昼食に食べた物を含めて盛大に嘔吐した。
うん……まぁ……食べさせてもらったとは言ってたし、それが美味しかったとは言ってなかったけどさ……思い出に残った料理ってそういう意味かいっ!
「あれぇ!? お、おかしいですね? 皆は確かに美味しいって言ってたけど……もしかしてあの苦い笑みはそういう意味だったと……!?」
「おぇぇ……ご、ごめんなさい桜華……母親の意地でこれだけは残さずに……」
「いいですいいです無理してまで食べないでください! 次は頑張りますから! 次は美味しく作りますから!」
「いいえ、別に美味しくなくても良いのよ。可愛い娘が私のために作ってくれた料理ってだけで、私はもう十分に満たされてるんだから」
「お母さん……」
「ありがとう、桜華。私は優しい娘を持てて幸せ者ね」
口元にゲロがついてて台無しな部分はあれど、玉さんは優しい笑顔を浮かべて桜華さんの頭を撫でた。正直微妙な後味だけど、一応は一件落着……なのかな?
ま、いっか。親子の愛の形なんて人それぞれなんだし。どんな形であれ仲直りできたなら全て良し、か。
「主様!」
ここは親子水入らずにしておこうと思って立ち退こうとしたところ、部屋から抜け出して来た桜華さんに呼ばれて足を止めた。
「良かったね桜華さん。無事に仲直りできたみたいだね」
「はいっ。でもお母さんの部屋がゲロ臭くなってしまって……なのでお話はここで聞いてもらっても良いですか?」
「良いよ良いよ〜。な〜んでも話しちゃってくださいな〜」
俺が答えようとしたところ、すぐ背後から聞こえた別の声が勝手に回答した。ふと後ろを振り返ると、ニヤニヤと笑っている九ちゃんがすぐ目の前に立っていた。
「その様子から察するに、どうやらまた活躍したようじゃの」
よくよく見たら九ちゃんだけではなく、他の皆も勢揃いしていた。最初は隠密で行動していたつもりだったのに、結局最後にはこんな大事にまで発展してしまうとは……。忍者やスパイにはなれそうもないな俺。
「それで桜華ちゃん。話って何の話にゃの?」
「えっと……その……」
俺の代わりに猫さんが聞くと、桜華さんは何故か躊躇して戸惑いを見せた。
「どうしたの桜華? 何か弥白に話があるんじゃないの?」
「そう……ですね。うん、ここまで来たらもう引き下がるつもりはありません。皆さんの前でも……いや、皆さんの前だからこそ、私はちゃんと言いたいと思います」
「……?」
何を思ってか、何かを決心したような表情になる桜華さん。そして、俺の瞳の奥を見通すように見つめて来た。
「主様。まずは今までのことを含めてお礼を言わせてください。貴方に出会ったあの日から、私は少しずつ変わっていくことができました。後ろ向きだった私の背中を押してくれたり、お母さんとお父さんの溝を元に戻してくれたり、つい先日また私を助けてくれたり……何度お礼を言っても恩を返し切れる自信がありません」
「大袈裟だなぁ。何度も言ってるけど、別に俺は大したことしてないってば」
「それは主様自身だけの見解ですよ。それに主様に救われているのは私だけじゃありません。九姉さんやコン子ちゃん。それに他の皆さんも貴方という存在に救われているんです」
「なんかどんどんスケールでかくなってきてない? 救世主じゃあるまいし……」
「妖怪にとって、親しい人間という存在は光なんです。昔と違い、いつしか私達は現代の人間と相容れない存在になってしまいましたから。そのせいで人間に恨みを持つ妖怪もいますが……それでも人間は、私達の生みの親なんです。だからこそ、私は嬉しかったんです。こんな私にも真剣になって情を注いでくれる貴方に会えたことが……」
「……そっか。でも救われてるのは俺も同じだよ」
「同じ……ですか?」
「うん。何度か言ったかもしれないけど、俺って学校ではいつもぼっちだからさ。実は皆しか友達がいないんだよね。皆には皮肉に聞こえるかもしれないけど、こんな体質だからさ」
あの扱き使い魔のせいで友達と遊ぶ時間がなかったというのも大きく関係しているけど、俺がぼっちな理由の根本的なところはそこにある。
基本的に妖怪は他者に見えない存在だ。そのため、何もいない場所で一人話をしている俺の姿は、他の人達にとって奇怪な光景にしか見えていない。そうして俺は自然と周りに避けられるようになり、やがて一人となった。
人から目立ちたいという思いから、過去に違う方向性のキチガイな行動をあれこれしていた時期もあったが……結局はそれも逆効果に終わっていた。と言っても俺にとっては笑い話として思い出に残っているので、後悔したことは一度足りともない。
それに、寂しいと思ったこともなかった。常に俺の周りには、妖怪の皆がいたのだから。そしてそれは今も同じ。皆がいるから、今の俺が存在している。
そう……一番皆の存在に感謝しているのは他の誰でもない。人間の身である、この俺だ。
「こういうことを言うのはちょっと照れ臭いけど……これからも俺と仲良くしてくれたら嬉しいな」
「はいっ、勿論です。でも……申し訳ありませんが主様。今の私はただ仲良くするだけじゃ満足できないみたいなんです」
「ん? どゆこと?」
その言葉の真意が分からず首を傾げて後ろを見ると、雪羅が落ち着かない様子になっていた。催してるならお花摘みに行けばいいのに。
――と、くだらない勘違いをしていたことを知るのは、今すぐの話。
「雪羅さん……いえ、雪羅には正直悪いと思っています。だとしても私は、自分の気持ちをハッキリと知ってしまった以上は、誰に何を言われようと引き下がりたくありません」
「……桜華さん?」
ほんのりと桜華さんの頰が赤くなり、雪羅とはまた違った落ち着かない様子を見せる。それはまるで、好きな人に告白する前の女の子のような……。
「主様……いえ、弥白様。私は――」
恥ずかしがりながらも桜華さんは俺の目を見据え、今まで見た中でも一際魅力的な微笑みを浮かべて――言った。
「貴方のことが好きです」
「…………好き?」
「はい、そうです」
「……誰を?」
「弥白様をです」
「……Like的な意味で?」
「いえ、Love的な意味でです」
「……………………」
俺の今までの人生において、女の子に告白したことのある回数は一回だけ。その時は特に緊張することもなく、そもそも恥じらって言うような場面じゃなかったので照れることはなかった。
そして、逆に女の子から告白された回数は皆無。間接的にキサナから告白のようなことはされていたけど、キサナの場合はまた別の話なので告白回数には含まれない。
告白されることなんてないだろう。そもそも俺には雪羅がいるし、他の女の子から惚れられるわけがない。そもそもこんな性格だし、馬が合う人なんて早々現れるわけがない。そのように俺は軽視していた。
だからこそ……だからこそ俺は――
「いや、あの、えっと、その……ちょ、ちょっと待ってくれますか? いやホント、少しだけでいいから時間をください。わ、割とマジで、うん、ホントに……」
きょどりにきょどりまくってしまった。
嘘でしょ? 桜華さんが? 俺を? 好きになったと? 俺にとっての日常系アイドルの一人である彼女に惚れられてしまったというのか?
やばい、どうしよう、なんて答えたらいいのか全然分かんない。いや待て落ち着け、俺には既に雪羅という彼女がいるんだ。ここは丁重にお断り……したら今度は桜華さんが悲しむことになるだろうし、いやでも受け入れたら受け入れたらで今度は雪羅が悲しむことになるだろうし、いやでもその逆もまた然りだし、いやでも……えぇ?
「あ、あの、大丈夫ですか弥白様? 物凄く挙動不審になっているように見えるんですが……」
「ど、どど、どどどっ、どどっ……」
「ありゃりゃ〜、予想外の展開に頭の中がショートしちゃったみたいだねぇ〜」
「む、無理も無いと言えばにゃいわよ……。部外者の私でさえこんにゃに驚いてるんだもの……」
「ふむ……修羅場の香りが漂ってきたようじゃの。シロには悪いが、我的にはお好みの展開になってきたようじゃの。ほほほっ」
「…………」
各々が色んな反応を示す中、ついに俺は居たたまれなくなり、
「うわぁああああ……」
「ありゃ、逃げちゃったよ白君」
今まで感じたことのない顔の熱量を感じながら、咄嗟に皆の元から逃げ出してしまった。
どうする……どうすれば良いの俺!? これから一体、あの二人とどう接していけばいいんだ!?
鬼屋敷&狐屋敷にて居候生活を始めてから数週間。この日から俺は、究極の板挟みにもがき苦しむことになるのだった。




