色んな上戸と安いダンディ
「うぅ……どうせ私なんて……その辺に転がっている石ころと同じような存在なんです……誰の目にも止まることのない素朴な石ころ……それが私なんですよぉ……」
数十分後。烏龍茶を片手に寛いでいたところ、伸びていた桜華さんが目を覚まして復活した。
しかしその様子はさっきまでのポジティブのんべぇの面影を残さず、今度はすっかりネガティヴな酔い方をしていた。笑ったり落ち込んだり忙しい人ですこと。
「そんなことないってば桜華さ……桜華。むしろ桜華は良い部分の方が多いと思うよ?」
「フンッ……そんな上っ面だけの安い同情なんて求めてないですよ……どうせ主しゃまも私のことなんてミジンコ程度にしか思ってないんです……絶対そうです……ミジンコは巣に帰れとか思ってるに違いありません……帰る巣すら私にはありませんけどね……」
「同情なんかじゃないってば。本当に桜華は良いところが沢山あるんだって」
「ダァァァ!! もうくどいってんですよぉ!? 何なんですか貴方ぁ!? ホント一体何なんですかぁ〜!? そんなに私ぃ怒らせたいでらぁ〜!? 激おこぷんぷん桜華ちゃんだらぁ〜!!」
ネガティヴ上戸の次は怒り上戸ときたもんだ。感性も言動も情緒不安定過ぎるでしょ。
「これは駄目ね。完全に潰れるまで放っておくしかないわ」
「お姉さん。桜華ってここに何回くらい通ってるんですか?」
「そうねぇ……かれこれ数十……いや数百……う〜ん、もう数え切れない回数は来てるわね。主に愚痴を零しに、だけど」
ストレス溜め過ぎでしょうよ。でも毎日のように鬼の連中から悪口言われてるって話だし、鬱憤が溜まるのも無理ないのかも。
「でも最近はめっきり愚痴話は無くなってて、内容が惚気話みたいなものに変わっていたのよ。だからこんな茨城ちゃんは久し振りだわ」
「惚気話……?」
つまり、桜華さんには好きな人がいて、その人とベタベタしているってことだろうか? そんな話一度も聞いたことなかったけど……。
誰だよ、我らが若女房をたらし込んだ野郎は? 俺もそうだけど、そんなの玉さんが黙ってないぞ。ほぼ百パーセントミンチにされるぞあの人に。
「その惚気話の内容ってどんな内容か覚えてます?」
「内容……というか、ただその人のことをベタ褒めしてたわね。殿方なのに女神のような人だとか、可愛い見た目で実は腕っ節が立つだとか、色んな方向性でとにかく誉め殺していたわ」
「ふーん……」
うわぁ、気に食わないなぁそいつ。完全にその人に心奪われてるじゃないか桜華さん。ほの字だよほの字。ほぼ俺達と日常を共に過ごしていたメンバーの一人なのに、一体いつから桜華さんに魔の手を?
最近話し始めたということは、俺が桜華さんに出会う前の頃でなければ、出会ったばかりの頃でもない。恐らくここ一ヶ月二ヶ月くらいの話だろう。
となると、俺がここに居候しに来る前辺りの頃になるわけだが……。そう言えば何時だったか、温羅兄と桜華さんが屋敷にあんまり遊びに来なかった時期があったっけ。もしかしたらその時に心を奪われてしまったのかもしれない。
ということは、だ。桜華さんに言い寄る人なんて限定できるわけがない。何せ、誰にでも言い寄るチャンスがあったということなのだから。
でもなんでその男は今この場にいない? 桜華さんがこんなに情緒不安定なのに、どうして支えに来ようとしない? 優しくするだけ優しくして、惚れさせたらポイだとでも? ひでぇ奴だなこんにゃろう。
まぁいい。正体が突き止められないのはムカムカするけど、ここにいない奴のことなんてどうだっていい。そもそもここにいたところで、桜華さんを任せられるはずもない。ここは俺が責任を持って保護しなくては。
「オラァ! 聞いてんですかぁテケちゃぁん!? 私は怒ってるんですよぉ! 怒り過ぎて鬼のように角が生えて来そうなんですよぉ! 皮膚の中からバリバリっと血飛沫撒き散らして生えてきそうなんですよぉ!」
少し目を離した隙に、桜華さんの小脇にテケちゃんが挟まっていた。がっしり力を込められて腹を挟まれて、バタバタと苦しそうにもがいている。
「は、離してくださいッス茨木童子さん……それに元々角は生えてるじゃないッスかぁ……」
「あるぇ? ホントだぁ? もう二本の角生えちゃってますねぇ? 生えちゃってるじゃないですかぁ! 何晒してくれてんですかテケちゃんオラァ!」
「いだだだ!? ウチのせいじゃないッスよぉ!? 生まれつき付いてるものじゃないッスかぁ!」
「口答えするんじゃぁありませんよぉ!! 口と手でしか殿方にご奉仕できない◯◯◯嬢がぁ!! 両腕もぎ取ってアイデンティティ無くしてやりましょうかぁ!? テケテケからちょこちょこ歩くチョコチョコに改名してやりましょうかぁ!? 甘ったるい名前ですねぇおい!? ざけんなぁ!!」
「人間さんヘルプッス! 腕が! 腕が本当に捥がれてしまいまッス! 痛い痛い痛い!?」
……うん。やっぱ俺にも無理っぽい。今の桜華さんは誰にも止められそうにない。余程刺激のある“突発的な何か”をしてやらない限りは。
「ねぇお姉さん。桜華の他に常連のお客さんとかっているんですか? そもそも他にどんなお客が?」
「無視ッスか!? 瀬戸際のウチなんて知ったことかってことッスか!? チョコチョコになっても良いと言ギャァァァ……」
カウンターに赤い飛沫が飛び散った。目に入れたら吐きかねないので、お姉さん一人に視野を向けることにする。
「ん〜、そうねぇ。最近だと、もう一人妙な常連客が来るようになったかしら」
「へぇ〜、ちなみにどんな人ですか?」
「一言で言い表すなら……ウザい、かしら」
「……あんまり良い印象はないと?」
「言動の意味がよく分からないのよ。適当なことを言っているのに、そんな自分が格好良いみたいに思ってる感じね」
なるほど、厨二病を拗らせた痛い人ってことか。身内にもいるなぁそういう奴。見た目はかなりお茶目だけど。
ふと頭の中で眼帯をした親友の一人を思い浮かべる。今頃何してるだろうタヌっち。サトリ辺りと遊んでる最中かな?
そう言えば、実家メンバーの皆とは熊風事件以来会ってないっけ。そんなに経ってないはずだけど、久し振りに顔を見せにでも行こうかなぁ。
……と、古参メンバーのことを思い出していた時だった。
「あら、今日は盛況な方みたいね。いらっしゃい」
桜華さんや俺に続いて、新たなお客が訪れて来た。
「……って」
その人物を見た俺は、思わず目を丸くさせた。
「……どうもです女将さん」
見るからに意気消沈していて、さっきの桜華さんのようなネガティヴオーラを纏った豪華絢爛な着物のお姉さん。それは紛れもなく、厠姉さん本人だった。
「あっ……シロちゃん……」
いち早く俺の存在に気付くと、力無い足取りで俺のすぐ右隣のカウンター席に腰を下ろした。
「久し振りだね厠姉さん。というかどうしたの? 凄い落ち込んでるみたいだけど」
「……うぅ……シロちゃん……私……私もう耐えられないんですよぉ……!!」
すると、突然目元に涙を溜め込んで泣き始め、縋り付くように抱き付いてきた。まだお酒入ってないのにこのテンションかい。
「女将さぁん……焼酎一杯貰えますかぁ……?」
「えぇ勿論。ご希望は?」
「……蒼天の煌で」
何だその焼酎、聞いたことないんですけど。ないでしょそんな格好良い名前の焼酎。
「鹿児島のやつね。コツさーん! 蒼天の煌一本お願いできるー?」
あるんだ。実在するんだ蒼天の煌。しかもこの地の真逆の県にあるやつだし。お客少ないのにレパートリー豊富過ぎないここ?
数十秒後、厨房の方からコツさんが酒瓶を一本持って来た。本当に蒼天の煌と達筆な字で書いてあった。
「んぐっ!」
うわっ、直でいったよこの人……。水割りしないで飲むものなのそれ? お酒に強い人は平気なのかもしれないけど、厠姉さんの場合だと……。
「んっく! ひっく……聞いてくださいよぉシロちゃぁん……ぁぁぁぁん……」
予想通り、厠姉さんも一発でアルコールの餌食に。子供のようにわんわんと泣き出したところ、どうやらこの人は泣き上戸らしい。
「サトリちゃんが……最近サトリちゃんがめっきり口を聞いてくれなくなって……ひっく……話し掛けてもそこに私がいないかのように扱ぁぁぁぁん……」
あぁそういうことね……。そういや厠姉さんの性癖が判明した時から見る目を変えられてたっけ。
当時は厠姉さんを女の鏡として尊敬していた俺の義妹のサトリ。しかし、厠姉さんが取り憑いたトイレで用を足すと、厠姉さんが性行為しているかのように乱れまくるという姿を見てしまった。結果、厠姉さんに対するサトリの好感度は大暴落していた。
尊敬していた人が極度の痴女(トイレ限定)だったんだ。仕方無いっちゃ仕方無いよね。軽蔑はしないものの、俺でさえ見る目変わってたし。
性癖はどうであれ、厠姉さんが良き姉だということは変わらないというのに。やっぱりサトリはまだまだ子供思考だなぁ。人のこと言えた義理じゃないけど。
「だって仕方無いじゃぁないですかぁ……私だって好きで厠神として生まれたわけじゃないんですよぉ……好きであの性癖に目覚めたわけじゃないんですよぉ……」
最初からじゃなくて目覚めたものだったんだ……。早くに気付いてあげられたらどうにかなったものの、何も相談されずに隠し通されてたからどうしようもなかった。
「サトリはまだ子供だからね。衝撃の事実を受け入れる器がまだ備わってないんだよ。時間が経てば今まで通りの関係に戻れるよ……多分」
「多分なんですかぁ……やっぱり私は痴女なんですかぁ……ぁぁぁぁん……」
「クククッ……今日は随分と賑やかな日だこと。有象無象が騒ぎ立てて実に滑稽な光景ね」
さりげなく毒を吐くお姉さん。もしかして飲み屋を経営してる理由ってそういう感じなのかも。だとしたら良い性格してるなぁこの人も。伊達に歳食ってないね。
「……クククッ」
背中から生えた蜘蛛の足の一本を喉元に突き付けられた。口に出してないのに勘が鋭過ぎでしょ。
「勘弁してくださいお姉さん。お姉さんまで錯乱したら収集付きませんよ」
「酒の匂いに当てられたのかしらね。なんだか無性に誰かを虐めたい気分なのよ。舐めてもいいのよその脚」
「苦い飴は苦手なので遠慮します」
「クククッ……それは私が歳食った苦々しい身体してそうだから、という意図として捉えても?」
蜘蛛足が更に喉元に食い込む。それ以上はいけない。流石の俺も喉潰されたら死ぬって。まさか本当に匂いだけで酔ったのかこの人? いくらなんでも弱過ぎでしょ。
「久し振りに私も飲もうかしら。コツさーん! ハイボール一杯頼めるー?」
女らしさの欠片もない注文なれど、コツさんは顔色一つ変えずにジョッキを一杯持って来た。骨だから顔色も表情もないんだけど。
「どうも」と軽くお礼を言ってから受け取ると、まるで排水溝のようにゴクゴクと酒を飲み干した。
酔う気満々じゃないですか。匂いで既に酔い始めてたのに、そんなお方がハイボールなんて飲んだら……。
「クククッ……アッハッハッハッハッ!! あぁ無性に誰かを陵辱したいわ……ねぇ坊や、ちょっとお姉さんと遊ばない……?」
完全に陶酔してしまったお姉さん。胸元まではだけさせて、後少しズレたら見えちゃいけないものまで見えてしまいそうだ。表情もうっとりとした様子で赤みを帯びていて、ペロリと何度も舌舐めずりしている。キサナが見たら余裕で鼻血モノのエロさだ。
でも俺の本能が囁いている。その遊びに乗ったが最後、目覚めちゃいけないものに目覚め兼ねないと。踏み込んではいけない世界に一歩踏み込み兼ねないと。
「遠慮します。それより厨房で一人寂しくしてるコツさんと絡んだ方が良いと思いますよ」
「それもそうね……。コツさぁ〜ん? ちょっと今いいかしらぁ〜?」
俺に言われるがままにお姉さんは厨房へと消えた。その後すぐにドタドタと騒がしい物音が聞こえて来たけど、間もない内にシーンと静まり返っていた。コツさんがどうなったのかは知る由も無い。
さて、店主のお姉さんがいなくなってしまったが……まぁ仕方無い。ここは一つ、俺が代理の店主を務めてあげるとしましょうかね。飲み屋のマスターとか一回やってみたかったんだよね。
カウンターの方へ移動してあれやこれやと周りのものを物色する。特に妙なものは置いてないし、ある程度お酒の種類も分かるから何とかなるだろう。
「主しゃまおしゃけ! なんでも良いから私もおしゃけ飲みたい!」
テケちゃんと絡むのを止めていた桜華さんが手を挙げて申し出て来た。
幸いこの位置からはテケちゃんの亡骸が見えなくてホッとしたけど、すっかり桜華さんの着物が血塗れになってしまっていた。元々赤い着物を着ているから目立たないと言えば目立たない方だけど、今は着ていない純白の割烹着を着たままだったら大分見た目の印象が変わっていたかも。今の姿も十分グロテスクなんだけどさ。
「だから桜華は駄目だってば。今以上に泥酔したら明日に響く可能性高くなるし。頭痛くなっても知らないよ? もう手遅れかもしれないけど」
「主しゃままでそういう意地悪するんでしゅかぁ~? ひっどいひっどい~! 桜華ちゃんまた激おこプンプ~ン! ざっけんなですよぉオラァ!!」
ガンガンとカウンターのテーブルを叩き、あまりもの力強さにテーブルの一部が粉々に粉砕された。
その怒りの勢いのままにテーブルを飛び越えてこっち側にやって来ると、壁際に追い込まれて右手首を拘束されてしまった。
なにこれ? 力が強いとか弱いとかいう次元じゃないんだけど。今の桜華さんなら余裕で熊風すらも圧倒できるんじゃないだろうか?
「おしゃけおしゃけおしゃけ!! ギブミーおしゃけ!! ギブミー主しゃま!!」
耳元で何度も叫ばれる。このままじゃ俺の鼓膜が近いうちにイカれてしまい兼ねない。
……仕方ない。こういうことは俺の流儀に反するが、この際手段なんて選んでられるか。
「先に謝っておくね。ごめん桜華」
「あァ!? いっからはっやくおっしゃけ――」
蛇の動きの如く桜華さんの顔の横に顔を寄せ、
「はむっ」
ぷるんとした柔らかい耳たぶを甘噛みした。
「っ~~~!!?」
甘噛みしたまま絶妙な匙加減で口を動かすと、桜華さんの身体がぶるりと痙攣を引き起こした。
そのまま続けていると次第に桜華さんから力が抜けて行き、耳たぶを解放したところで完全に脱力して腰を抜かし、その場に女の子座りしてへたり込んだ。
「…………」
あれだけ喋り散らして暴走していたのに、元々赤かった顔を更に真っ赤にさせて動かなくなった。
「シロちゃん……いつから貴方はそんなやり手になってしまって……ぁぁぁぁん……」
妙な勘違いをして泣き出してしまう厠姉さん。しかしその泣き声も次第に小さくなっていき、やがて「zzz……」と寝息が聞こえて来た。
あれだけ騒がしかった場がようやく静かになった。やっぱりお酒は程々にしておかないとね。
「……お?」
喉が渇いたので俺にも飲めるものはないかと何か探し始めようとしたところ、静かになることを今まで待ってたかのようなタイミングでまた一人のお客が暖簾をくぐってきた。
その人物は勿論妖怪だった。だけど、見た目が全く妖怪らしかぬ恰好をしていた。
ベージュ色のトレンチコートを身に包み、同じ色のハット帽を被り、シンプルなサングラスをかけ、口に葉巻を咥えた男。ハードボイルドを漂わせるダンディなその男は店に入ると否や、葉巻を咥えたまま喋り出した。
『相変わらず騒々しい店だ……。酒は静けさの中で味わうものだろう……。その若さ故、致し方ないものなのかもしれないがな……』
……いや、正確には言えば喋っていなかった。口を開いていないはずなのに、何故か俺には語り声が聞こえて来た。
一体何者か。しかしそれを直接聞く前に、その男を凝視して気付くことができた。
緑色の体色、黄色い嘴、指の間の水かき。それはどう見ても、俺は最近出会っていた妖怪と瓜二つ……というか、本人だった。
「君は確か……若頭、だっけ?」
初対面の際は極道の親玉として顔を出した妖怪、河童。俺の策略によって妖狐の皆に半殺――皆殺しにされていた河童達だったが、その中に何故かこの若頭の亡骸だけ見当たらなくなっていた。
何処で何をしていたのかは知らないけど……似非極道から足を洗ったのだけは分かった。その代わりにまた変なキャラにハマってるみたいだけど。
『若頭……。俺のケツがまだ青い頃に名乗っていた名だ……。今思えばあの頃の俺もまた、若気の至りに酔いしれていた若輩者の一人だったのかもしれない……。井の中の蛙とはよく言ったものだ……』
口に咥えたまま葉巻を吸って煙を吐くダンディ河童。
だからそれどうやってんの? なんで俺の頭の中に直接語り声が聞こえてくるの? ぶっちゃけ気持ち悪いんだけど。
「久し振りだなマスター。女将はどうした?」
ようやく普通に喋り出した。
「誰がマスターじゃい。お姉さんは厨房の方で……取り込み中かな」
『厨房で取り込み中とはな……。あの年長者もようやく自分の年齢に危機感を感じ始めたようだ……。今から花嫁修業をしたところで、その貰い手が見つかるとは思わないがな……。世知辛い世の中になったもんだ……』
また語り声。声をトーンをわざと下げて喋っているのが凄いイラっとくる。
「マスター、いつものを頼む」
「いや分からんよ。俺代理だし」
『フッ……俺も焼きが回ったもんだ……。これだけ通い詰めて尚、俺の馴染み酒を覚えられてないんだからな……。いつから俺の影は薄くなったのか……。歳は取りたくねぇもんだ……』
「ねぇ、止めてくれないその語り? すっげぇ癪に障るんだけど」
前の似非極道大分イラっとしてたけど、こっちの方が遥かにイラっとくる。やっすい演技力を自信満々で見せ付けられるとこうもイライラするものだとは思わなかった。
「注文する時はちゃんとお酒の名前言って」
「……ファジーネーブルを頼む」
女子か。甘い注文してんじゃねぇよ。ダンディ路線突っ走る気なら徹底しろよ。……素が出ちゃったでしょーが。
棚に置いてある酒瓶の中にそれを見つけて、ワイングラスに注いでから河童の前に置いた。
『……安物か。女将め、これで六百円とはどうかしている……。いつかこの薄汚い店が潰れないよう、祈りでも捧げておくとしよう……』
胸の前で手を動かして十字架を切り、目を瞑りながら不敵に笑う。一瞬ぶっ飛ばしたくなった。
『それにしても……注いだ物はワイングラス……か……』
ワイングラスの取っ手部分を摘んで揺らし、中身が揺れるのをこれまた不敵に笑いながら見つめている。
「マスター」
「……何でしょうか」
「………………ナイスダンディ」
溜めて、決め顔で、そう言った。
やばい、そろそろ本気でぶっ飛ばしたくなってきた。
それとようやく気付くことができた。お姉さんが言っていた意味不明の常連客の正体は、この上っ面ハードボイルド野郎だったんだと。
「あのさ、その酒タダで良いから帰ってくれない? これ以上君と顔合わせてたら頭おかしくなりそうなんだよね」
『フッ……俺も焼きが回ったな……。一目見てこうも嫌われるとは、やはり俺の魅力はケツの青い坊やにはまだ早――』
パリンッ!
「ギャァァァ!?」
ついにディスられたので実力行使。空の酒瓶を取って帽子の上から頭に叩き込んだ。
「何すんじゃ! 頭の皿が割れたらどーすんだ!」
「喧しいわ。さっきから何もかもがうざ過ぎるんだよ。そういうの腹立つから止めてって言ったよね?」
「んなの俺の勝手だろーが! 俺の最近の流行りなんだよ! イカしてんだよダンディ刑事!」
「確かにダンディな刑事はイカしてるかもしれないけど、君がやったら張り倒したくなるだけなんだよ。キャラ負けしてるんだよ全てにおいて。薄っぺらいダンディ着飾ってそう易々と通用すると思わないでくれない?」
「うるせぇ! 尻の青いガキには理解できねぇだけだ! 子供はお家に帰って小便して寝てろ!」
「子供扱いして話逸らそうとしないでくれない? 仮に俺が尻の青いガキだったとしても、お姉さんも君のダンディキャラを意味不呼ばわりしてたけどね」
「女将は例外だ! どうせ歳食い過ぎて感性狂ってきてんだろ! ああ見えて数百歳だからなあのババァ!」
その刹那、俺の頬を掠めて何かが通り過ぎた。
一瞬の気配に気を取られていたコンマ数秒の間。河童は店の奥まで吹っ飛んでいて、身体が尖った骨によって串刺しにされていた。
「クフッ……クフフッ……クフフフフッ……」
背後から気味の悪い笑い声が聞こえてきて、恐る恐る後ろに振り向く。
するとすぐ目の前には、背中から六本の蜘蛛足を生やし、その足から蜘蛛糸を出して数十本もの骨をぶら下げたお姉さんの姿があった。
頭の上には、コツさんの頭蓋骨が被られている。でも目の半分より下が無くなっていて、意識は既にぶっ飛んでいるようだった。
「どいつもこいつも歳食い歳食い……おまけにほぼ具体的な年齢も暴露されて……困ったものだわぁ……」
恍惚したお姉さんが自分の頬に手を当てて、右手に持つ骨の一本をペン回しするように弄ぶ。
俺は唖然とした様子で固まっていると、お姉さんに後ろを取られて首に腕を回された。わらわらと全ての蜘蛛足も近付けられて、今にも蜘蛛糸を出されて全身を拘束されそうだ。
「ねぇ、坊や。実は坊やも私が歳食ったババァに見えているんじゃない? 正直に答えてくれないと……私、滾っちゃいそう……」
既に滾っていると思うけど、悠長にそんなツッコミ入れてる余裕ない。
嘘は言ってない。この人は本当に若い見た目をしていると思う。俺の心に嘘偽りはない。
「はははっ……な、何言ってるんですかお姉さん。お姉さんは正真正銘の美少女じゃないですか~。そんじゃそこらの女優にも全然負けてないですよ~」
「クフフッ……坊やは良い子ね。お姉さん、虐めたくなっちゃう」
そう言いながら首筋に顔を近づけてきたと思いきや、首を下から上になぞるように舐められた。本来なら喜ぶべきところなのに、逆に背筋に悪寒が走って寒気がした。
「ねぇ、坊や。今度こそ貴方が私と遊んでくれない? 気持ちよーくしてあげるわよ……?」
エロい。はっきり言って滅茶苦茶エロい。何時ぞやに見たエッチな動画の人よりも、格段なエロスを漂わせている。
なのに、全く欲情できない。いやしたくない。今ここで欲情したら、俺は色んな意味で終わる気がすると思ったから。
「え、遠慮させていただきま~す……」
するりとお姉さんの腕から抜け出し、そろそろ頃合いだしお暇しようと出口に向かう。
「…………へぶっ!?」
途中、何かが足に絡んで思い切り転んだ。左腕から転んでたらまた怪我が悪化してたところだ。
何かと思い足元を見ると、左足首に蜘蛛糸が巻き付いていた。ちょっと勘弁してくださいよ。
「釣れないわねぇ……少しくらい良いじゃない。ちょっとだけ……ねぇ?」
すぐに起き上がろうとしたところ、仰向けの状態のまま蜘蛛糸に引っ張られて再びお姉さんの元へ。
なるほど、これが餌に釣られた魚の気分か……。決して良いものではないね。そう、決して!
「クフフッ……さて、何処からいただきましょうか……若いんだし、やっぱりここかしら?」
そう言うお姉さんの視線は、俺の股間に釘付けだった。アカン、マジで洒落になってない。
「よし、一旦落ち着こうかお姉さん。取り敢えず水飲もう? 一回酔い醒ましてから仕切り直そう?」
「よく回る口ね……。こういう時は口じゃなくて、その若い身体で語りなさい……」
「いやホント待ってお姉さん。俺こう見えて好きな女の子いるからさ。その子以外にそういうことをするつもりは断じて(ビリビリビリィ!)イヤァァァ!?」
そうこうしている内に服を破られた。いかん、いかんぞこの流れは。このままだと俺マジで大人の階段登っちゃう。登った後で雪羅に地獄に落とされちゃう。
「さぁ、見せてね。貴方のス・ベ・テ」
「イヤァァァ!?」
まるで囚われのお姫様になった気分で悲鳴を上げて、俺のズボンに手を掛けようとするお姉さんを涙混じりに見つめる。
――そしてその奥で、一人の人影がゆらりと立ち上がった。
「うっ!?」
その人影がお姉さんの首の後ろに手刀を放つ。そして何をされたのか分からないまま、お姉さんは俺の上でぐったりしたまま気絶した。
「た、助かったぁぁぁ……」
あと少しでというところで、思わぬ救世主に助けられてしまった。俺は起き上がってその救世主――桜華さんに向かって頭を下げた。
「いやぁ、ありがとね桜華。お蔭で無事貞操守り抜けたよ~」
「…………」
「……うん?」
なんだろう……様子がおかしい。顔を真っ赤にしたまま下に俯いて動かなくなっている。髪で目元が隠れてしまっているから、どんな表情しているのかも分からない。
「……桜華?」
下から表情を覗いてみた。
「……え゛?」
そして、見えた。酔いを醒ました桜華さんが、涙を流して泣いているところを。
泣き上戸ではない。羞恥心と罪悪感が入り混じったような、そんな複雑な泣き顔。一体なんでそんな顔をしているのか、俺には分からなかった。
「ごめん……なさい……っ!!」
微かにそう呟くと、桜華さんは俺の横を通り過ぎて店を出て行ってしまった。
……何これ? 何この空気? 一体俺はどんな反応をしたらいいの?
周りの散々な有象無象を見渡しながら色々と考える。取り敢えず、もうこの店には二度と訪れないことを心の中で固く誓った。




