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偽りの弟の仮面を剥がす告げ口傘 前編

「いや……あの……本当すいませんでした。悪気があったわけじゃないんですよ、えぇ本当に」


 豆腐小僧の襲撃より小一時間後。俺は怪我が悪化した左腕に包帯を巻いてもらいながら、猫さんに対して頭を下げていた。


 久し振りにブチ切れたものだから、ついカッとなったノリでやってしまった。ノリというか勢いだったけど、まさか本気で怒ると痛みが緩和するなんて思いもしなかった。よく自在に動かしてたなぁ俺。


「で、言い訳はそれだけ?」


 冷たい視線を向けてきても尚、俺の怪我の治療を施してくれる。なんて心優しい猫又さんだろうか。


「まぁ聞いてよ猫さん。俺もね、一人の人間なんだよ。いつも能天気でいるけれども、時と場合によっては本気でブチ切れることもあるんだよ。分かるでしょこの理論?」


「それはそれ、これはこれよ。私言ったわよね? 無茶したら駄目だって」


「言ったけど、俺はそれに了承してなばばばっ!? ごめんなさいごめんなさい! 俺が悪ぅございました!」


 巻いている包帯に力を入れて結んでくるとは手厳しい。まったく、不便な左腕だ。この世の何処かに良薬みたいなものは存在しないんだろうか?


 何度目か分からない再治療を終えられてホッとするも、ギロリと猫さんに睨まれた。余程俺が無理して包帯を外したことに怒っているらしい。


「そ、そんな怖い顔は駄目よ〜猫さん? ほ〜ら、いつもみたいに笑って笑って? ニッコリニャ〜ン、的な?」


 右頰に人差し指を当ててお茶目に舌を出しながら笑ってみせる。


 直後、その右手をか弱い威力のビンタで弾かれた。


「……で?」


「怪我治るまで大人しくしてます……」


「次約束破ったら絶交するわよ」


「そ、そんな!? それだけは勘弁してよ! 猫さん無しじゃ俺はもう生きていけないんだ! 一生お菓子抜きにされた子供のような処遇を突き付けないで!」


「にゃるほど分かったわ。今からもう絶交ね。包帯取り替える時以外に(はにゃし)掛けてこにゃいでね」


「ま、待ってぇぇぇ……」


 今の猫さんに冗談が通じることはなく、冷徹なる態度で俺に背を向けたまま襖の向こうへ消えてしまった。


 最悪の悪循環だ。桜華さんを二重の意味でコケにされ、ブチ切れたせいで左腕の怪我が悪化し、猫さんに俺という人間を見限られてしまった。


 良いことは連続で起きないくせに、どうして不幸はこうも連続で叩き込んでくるのか。世の理不尽の一つだよこれは。


 あぁ駄目だ、考えれば考えるほど気分がどんよりしていく。今日は桜華さんを見守らなきゃいけないのに、動く気力も湧き上がって来ない。誰か俺に萌えの活力剤を……。


 一人うつ伏せになって腐っていると、猫さんが消えていった襖が再び開かれた。もしかして帰って来てくれ――


「よう坊。暇だから一緒に川釣り行かねぇか?」


 ……更に俺の気力は奈落の底へ。


「及びじゃねぇ、出直せやゲス野郎が」


「いつになく口悪いなおい!? 何があったんだよ!?」


「うっさい……今はゲス野郎のクズ野郎と遊ぶ気分じゃないんだよ……」


 そこは九ちゃんとか、コン子ちゃん辺りが登場するところだ。何故にこのタイミングで温羅兄(ゲス)を投入してくる? 嫌がらせか畜生。


「珍しく腐りやがってよぉ。そういう時は気分転換すんのが一番だってな。おら、さっさと釣り行くぞ坊」


「今の私は畳と一体、温羅兄誰かと選手を交代、その隙私は何処ぞに撤退、Yo〜♪」


「実は元気だろテメェ……? いいから行くぞ。最近行ってなかったから、久し振りに焼き魚食いてぇんだよ」


「ハァ……仕方無いなぁ。貸し三ね、温羅兄」


「でかすぎだろ代償!? そういう御託は求めてねぇよ!」


 散々文句を散らかされ、いい加減うるさいので大人しく付いて行くことにした。


 ここでまた温羅兄と喧嘩しても余計に面倒なことになりそうだし、これ以上負の連鎖が続くよりは幾分マシだ。


「荷物は殆ど俺が持ってやっから、坊はバケツだけ持ってくれ」


 部屋を出てすぐのところに予め持って来ていた釣り具が置いてあり、一番軽い荷物のバケツを持たされた。こういう気遣いを女の子相手に出来たらまだモテるだろうに、残念な兄貴分だ。優しさの使いどころも知らぬ無知な鬼め。


「……テメェ今心の中で俺を馬鹿にしなかったか?」


「言い掛かりは止めてよ温羅兄。この人って一生独り身なんだろうな〜って、哀れみながら思ってただけだよ」


「それを馬鹿にしてるっつうんだよ! いつか結婚してやっから見とけよテメェ!?」


「ていうか温羅兄さっきからうるさいよ。もう少し静かに喋ってくれない?」


「んだよぉ、刺々しいぞ坊。俺の顔見て機嫌直してくれよ」


 生憎私にそっちの趣味はないので悪しからず。冗談も甚だしいわ。寝言は寝て言えゲス野郎。


 全く乗り気しないまま、鈍い動きで温羅兄の後に続いて行く。


「むむっ? 温羅に白君(びゃっくん)?」


 廊下の曲がり角を差し掛かったところで、今朝に少しだけ一緒に行動していた妖狐シスターズと鉢合わせた。


「ふむふむ。その格好からして、お二人さんはこれから釣りにでも行くつもりだね〜? お姉ちゃんも付いてく付いてく〜」


「駄目に決まってんだろデカパイ狐。こいつぁ男だけで行くのが粋ってやつなんだよ。女が介入する隙間なんざねぇ」


「まぁまぁそんな冷たいこと言わずにさぁ〜。そんなんだから女の子にモテないんだよ温羅〜」


 まったくだ。なんだ粋って? 釣りに粋も何もあったものじゃないだろうに。


「胸のデカさしか価値観を見られてねぇ痴女に言われたかねぇよ」


「ぶぅ〜、失礼だなぁ〜。そうやって私のことをよく痴女呼ばわりするけど、本当のお姉ちゃんは純粋無垢なんだよ〜?」


「だったら少しはその胸元を隠す努力をしろや」


「それができたらこうして苦労してないもん。他にサイズの大きな巫女服ないんだよね〜」


 そう言いながら自分の胸元の部分をさすさすと触る九ちゃん。


 確かにエロいと言えばエロい身体なんだけど、不思議と九ちゃんからは艶かしさというものが感じられなかったりする。


 そりゃ最初はこの巨乳を見て「おぉ……」とは思ったけど、お色気で相手を惑わすような性格とは無縁だから、こっちも欲情しないってことなのかね?


「おい坊。テメェにも先に注意しておくが、こいつぁ気さくに見えて結構腹黒い奴だ。油断してっと何らかの手段でたらし込まれるぞ。特にテメェみてぇなお人好しはな」


「ちょっとちょっと~、さっきからお姉ちゃんの評価がだだ下がりするような発言止めてくれないかなぁ~? 白君びゃっくんやコンたんに嫌われるでしょ~?」


「事実だろうが。人が稼いだ金を勝手に取ってったり、人が釣り上げた魚を一匹残らず食い荒らしたり、俺は何から何まで覚えてんだかんな」


「確かにそれは事実だけどさぁ~、そんなことする相手温羅だけだし~? 他の子に対しては一度も邪道に走ったことないよ~?」


「なら余計にタチ悪いわ! 邪道っつー自覚あんなら尚更だっつの! 俺はテメェの噛ませ犬じゃねぇんだよ!」


「あ~やだやだ、過去のことをいつまでも引き摺る男って面倒臭いよねぇ~。ね、コンたん?」


「……(こくり)」


「こ、この野郎……」


 客観的に聞いたら明らかに十割九ちゃんが悪い過去。しかしぼったくる相手が温羅兄だった場合、その理不尽は残念ながら正当化されてしまう。


 何故か? 無論、温羅兄がゲスだからだ。それ以上の理由もなければ、それ以下の理由もない。単純明快な話だ。


「はははっ、温羅兄の不幸話聞いてたら調子出て来たよ」


「テメェも大概だな!? なんでどいつもこいつも俺に優しくねぇんだ! 俺だってたまには愛情の一欠片くらいの優しさを振り分けて欲しいわ!」


 周りに迷惑しか振り撒いていない人がよくもまぁ……。今まで何度も言ってきたけど、優しくされたいなら自分の日頃の行いを見直しなさい。


「で、話戻すんだけどさ~。ねぇねぇ白君びゃっくん、お姉ちゃんも付いてって良いよね~?」


「うん、むしろ断る理由ないよね。それに元々温羅兄の意見なんて聞く必要ないよ。だって温羅兄だもん」


「それもそうだね~。だって温羅だし~」


「……(フッ)」


「テメェらいつか見とけよ? 絶対日頃の復讐してやるからな? 夜眠る時は気を配るこったな……」


 また何か悪巧みしているのか、悪人顔で一人ニヤニヤと笑う温羅兄。気味が悪いというか気色悪い。


 ただ、この世にはこんな言葉がある。“因果応報”という、温羅兄のようなゲスに最も相応しい言葉が。




〜※〜




「「「「…………」」」」


 川まで歩いて数十分。早速釣りを始めようと意気揚々になったところ、(それ)はいきなり天より降り注ぎ出した。


「温羅兄……ないわぁ」


「ないねぇ、これはないねぇ。いやホントマジでないねぇ」


「……(ハァ)」


「なんで俺のせいなんだよ! 何もしてないだろ俺!」


 ついた途端に空が曇り空に変わり、温羅兄が釣り竿を振り被った瞬間にこれだ。しかも雷まで鳴り始めたし、泣きっ面に蜂を投入されたような気分だ。


 勿論だけど、俺達の中に傘を持った人は誰一人としていない。お蔭で全員びしょ濡れだ。今は木の下で雨宿りできているけど、これじゃ一向に屋敷の方に帰れない。今日も今日とて厄日だなぁ。


「あ~も~、これ昨日洗濯したばっかりなのにさ~。温羅のせいでこんなんなっちゃったよ~」


 全身びしょ濡れになったことにより、九ちゃんの巫女服が大胆に透けてしまっていた。もしここにキサナがいたのならば、致死量の鼻血を吹き出していたに違いない。


「…………ほぅ」


 ブスッ


「ぎゃぁぁぁ!?」


 ムッツリゲス野郎が九ちゃんの巨乳をこっそりチラ見した瞬間、コン子ちゃんの目潰しが鮮やかに炸裂。地面をのたうち回って目を押さえる姿が実に愚かしい。


「うぅ~、しかも肌寒くなってきたぁ~。こういう時は一肌で温め合うのが一番……だよねぇ~?」


 九ちゃんがチラチラと俺の方を見つめてくる。


 流石の俺と言えども、今の状態の九ちゃんの胸に挟まれたら鼻血を吹き出しかねない。さっきは欲情しないとか思ってたけど、雨に濡れた状態なら話は別だ。


 雨は色んな意味で危険だ。普段大人し気な女の子ですら、雨に濡れるだけでもエロさを滲み出すようになる。勿論、俺の親しい妖怪の女の子達も例外ではない。


 濡れたキサナ、濡れた猫さん、濡れた桜華さん……。ふむ、想像するだけで顔が火照って来た。今度水遊びにでも誘おうかな……。


 ペチッ


 妄想にしけ込んでいると、コン子ちゃんに頬を叩かれた。どうやら顔に出てしまっていたらしい。俺のポーカーフェイスを引き剥がすとは、やはり雨は危険だ。


「九ちゃんにはこのコン子ちゃん湯たんぽあげるから、今はそれで我慢してね」


「むぅ~、これはこれで可愛いから仕方無いなぁ~。でも今度は白君びゃっくん湯たんぽ貸して欲しいなぁ~?」


 血に染まることになるだろうから温かくはなるんだろうけど白君びゃっくん湯たんぽ。リスクもコスパも悪いことは否めない。


「そこに転がってるゲス湯たんぽはどう? お安く致しますよ?」


「不良品を売り付けようだなんて、狡い真似するなぁ~白君びゃっくん


「欠陥品のテメェに言われたかねぇよクソビッチ!」


 ブスッ


「ぎゃぁぁぁ!?」


 今のは温羅兄が悪い。いや、今のも温羅兄が悪い。教育に悪いんだから、コン子ちゃんの前でそういう発言は控えて欲しい。


「ぐぅっ……。くそっ、今日は散々だぜ……。どいつもこいつも俺をコケにしやがるし、気分転換の釣りはできねぇし……。一発逆転で美女の一人でも俺のところに巡り歩いて来ても良いんだぜ……?」


「そんなご都合展開があったら逆に見てみたいねぇ~」


 そんなことを言う九ちゃんの冗談に耳を傾けて笑っていた時だった。


「…………うっ!?」


 何があったのか、温羅兄が何かに背中を刺されたような反応を見せて起き上がった。それから目を凝らして、二時の方角をジッと見つめ出す。


 ふと気になって、俺もその視線の先を注視して霊感を探ってみた。


 ……“二つ”の霊感を察知。十中八九妖怪であろうその者達は、ゆっくりとこっちの方に歩いて来ていた。


 一方は初めて感じるものだけど……もう一方は以前に感じたことのある霊感だ。はて、いつ何処で感じ取ったものだっけ?


 ふ〜む……それにしても妙だ。基本俺は霊感を感じ取ることに抵抗なんて感じないのに、この霊感からは怨念のようなモヤモヤしたものを感じる。まるで未練の塊のような禍々しい何かが……。


「……げっ」


 次第に俺も嫌な予感を察知し始めて――その妖怪の姿が目に映った瞬間、思わずそんな声が出てしまった。


 ボロボロになった古い着物。ぼさぼさに伸びた長い黒髪。恨み辛みが募ったような真っ黒な目。決して忘れることのないその姿は、前と何一つ変わってはいなかった。


「妬ましい……あぁ妬ましい……この雨の中、相合い傘をしているであろう恋人共が妬ましい……」


 過去に惚れた男に見限られたことで、完全体のヤンデレと化した妖怪。名を清姫というホラーチックな大人の女が、何故かこの場でエンカウントしてしまった。しかもいきなり妬ましモードになってるし。


「あぁ妬ま――む?」


 まずい、こっちに気が付いた。


「雨宿り……男と女……しかも二人の女と……?」


 俺の傍に九ちゃんとコン子ちゃんがいるせいか、ターゲットとして認識したのは温羅兄ではなく、どうやら俺のようだ。


「妬ましい……妬ましい妬ましい妬ましい!! 清を差し置いて女とイチャつく男が妬ましやぁぁぁ!!」


 鬼や悪魔のような迫力のある形相になり、両手に持つ二本の傘を構えながら一目散に駆け出して来た。やばい、逃げなきゃ殺される。


「コンたん!」


「……(こくり)」


 九ちゃんがコン子ちゃんの名を呼ぶと、頷いたコン子ちゃんが烈風の如く立ち向かっていった。


「相手が子供(ロリ)だろうと関係ない!! 男とイチャつく貴女もまた妬ましやぁぁぁ!!」


 宣言通りコン子ちゃんのような幼子が相手でも躊躇せず、大きく傘を振り被って右から左に薙ぎ払う。


 コン子ちゃんは走り際に屈み込み、柔らかい身体を駆使して一撃を躱す。そのまま清姫の懐に入り、顎に向けてアッパーカットを繰り出した。


「ふんっ!!」


「……っ!」


 だが清姫はその一撃を躱そうとはせず、即座に頭を振って頭突きを繰り出して来た。


 拳と頭が炸裂し、二人の周囲に水飛沫が舞う。バトル漫画みたいな絵面だ。


 二人の一撃が相殺され、互いに後退りして距離を取る。


 あのコン子ちゃんと互角って……女の執念って怖い。


 ともかく、これ以上の乱戦は不毛だ。このまま雨に濡れたまま動き回ってたら風邪を引きかねない。


「ストップストーップ! 落ち着いて清姫! 俺だよ俺!」


「……あら、主様」


 二人の間に入って仲裁役を買って出たところで、ようやく俺の存在を正確に認識してくれた。妬ましモードが解けて、底知れない殺気が薄れた。


「何故こんな場所に主様が? もしかして清に会いに――」


「釣りに来てただけだよ。ご覧の通り、雨のせいで釣りどころじゃなくなっちゃったんだけどね」


 早とちりな勘違いをされる前に即行で誤解を解く。俺まで妬み殺されるのは御免だ。皆と違ってこの命は一度きりなのだから。


「清姫の方こそ、余分な傘なんて持って何してたの?」


「急に土砂降りになったから、雨宿りしている殿方を探しに出ていたのよ」


 要は出会いを求めていた、と。清姫らしい煩悩丸出しの行動だこと。


 雨が降り始めたのはさっきのことだし、もしかして清姫の家はこの辺にあるのかな? だとしたら雨が止むまで雨宿りさせてもらいたいところだけど……。


「っ〜〜〜!!」


 清姫の見えないところに倒れている温羅兄をこっそり確認すると、目を見開いて大きく首を振っていた。


 温羅兄は一度清姫の告白をフッた過去を持つ無謀な男。その後、温羅兄に何があったのかは知らないけど、断末魔の叫びを聞いた記憶だけは残っている。きっと血肉でも引き裂かれたんだろう。


 しかし妖怪は、決して物理的には死なない。死に目にあったはずの温羅兄がこうしてピンピンしているのがその証拠。そんなゲス野郎がもう一度清姫と顔を合わせたら、一体あの兄貴分はどうなるか。


 ……こんなところでポルノ映像を見るのは御免だ。やっぱりこの人とはあんまり関わり合いにならない方が賢明か。


 どうしようかと顎に手を当てながら思考を巡らせていると、横から九ちゃんが耳打ちして来た。


(ねぇねぇ白君(びゃっくん)。あのおっかない人と知り合いなの?)


(まぁ、うん、知り合いといえば知り合いなんだけど……あの通り、嫉妬の闇に染まった病んだ人でさ。俺も前に一度殺されかけたことがあって、正直言って苦手なんだよね)


(白君(びゃっくん)が苦手な妖怪ってよっぽどだねぇ〜。その分だと、あんまり関わり合いになりたくない感じかな?)


(流石九ちゃん、話が早くて助かるよ)


(顔に出てたからねぇ〜。なら適当に誤魔化してやり過ごそうよ)


(そだね。そうしよう)


 只でさえ気分が良くないのに、更に気分が悪くなるような面倒事に関わるのは御免被る。清姫には悪いけど、どうにか早々に立ち退いてもらおう。


 ……と、思い立った時、俺から話す前に清姫が先に口を開いて来た。


「時に主様。一つ気になることがあるんだけど」


「気になること? 何?」


「主様の少し後ろの方で倒れている人……過去に覚えがあるような気がするんだけど、誰?」


「…………」


 見えてない。見えてないはずなのに、なんでその存在に気付いた? 誰かまでは特定できてないようだけど、この流れはまずい。


 そう……だから俺は迷わずに――


「あぁ、後ろの人? 温羅兄だよ」


 彼女に生贄を差し出し、颯爽とこの場から去ろう。


「…………あれは」


 清姫は少し横に移動して、俺の少し後ろで倒れている温羅兄の姿を捉えた。


 瞬間、清姫の周囲に紫色の怨念が取り巻く。ついさっきの殺意が再び内から引き出され、袖の中から赤黒い血に染まった鉈を引き抜いた。


「温羅……清を……清をフッた男……清を(たぶら)かしたあの男が妬ましぃぃぃ!!」


 先程の俺がやられたように、今度は温羅兄に向かって飛び出す清姫。


 そして、何時ぞやのように一方的なリンチが始まる。この場にいる誰もがそんな予感を抱いた時、その男は立ち上がった。


「ま、待ってくださいお嬢さん!」


「っ!?」


 温羅兄を囮に三人で逃げ出そうとしたところ、聞き覚えのない声に俺達は思わず振り返った。


 第三者でも現れたか。そう思ったけど、そういうわけじゃなかった。他に何処にも人影などなく、温羅兄と清姫の姿しか見当たらない。


 ということは、だ。今の爽やかお兄さんみたいは声を発したのは……。


「落ち着いてくださいお嬢さん! 誰なのか存じませんが、もしかして人違いをしてはいませんか?」


「「「…………」」」


 周囲にキラキラしたオーラのようなものが見える爽やかな顔。優しいお兄さんを思わせる鮮やかなイケボ。それは紛れもなく、別人という偽りの仮面を被った温羅兄の姿。


「「ひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっ!!」」


 堪らずそんなだらしない声を上げて爆笑する俺と九ちゃん。コン子ちゃんは笑い声を上げないものの、ぷるぷる身体を震わせながら四つん這いになって地面を何度も叩いていた。


 なんて似合わないキャラだ。気色悪いを通り越して面白過ぎる。今年一番笑っているかもしれないこれ。


「ぷくっ……や、やばいやばい! お姉ちゃん胃の中からなんか出て来そ〜! アッハッハッハッハッ!」


「っ…………(ぷるぷるぷるぷる)」


 木にもたれかかりながら腹を抱えて笑い続ける九ちゃん。どうやらどツボにハマってしまったらしい。


 コン子ちゃんももう少しで声出して笑い上げそうになっているけど、手で口を塞いで必死に決壊するのを塞いでいる。声を出さないことに何かポリシーでもあるんだろうか?


 俺も腹がよじれそうになったけど、何とか復活を遂げて二人のやり取りの様子を遠くから伺ってみる。


「弟……? あの鬼の?」


「はい! ゲスな兄さんが前にご迷惑をお掛けしたようで、本当に申し訳ありません。あっ、そういえば自己紹介をしていませんでしたね。僕は(ひょう)と言います」


 温羅だから表……ね。


「ひゃっひゃっひゃっひゃっ!!」


 駄目だやっぱり面白過ぎる。今後の良いネタになりそうな予感がビンビンしてる。


「そ……そうだったの。やだ、清ったら早とちりを……」


 一枚皮という薄っぺらな演技だというのに、清姫は温羅兄――表兄のイケメンフェイスにすっかり騙されていて、しかも頬を染めて一目惚れした様子だった。色々とチョロ過ぎるでしょあの人。


「いえいえ、良いんですよ。悪いのは全部兄さんなんですから。……時に清姫さん。つい先程、貴方は雨宿りしている人を探していると言っていたと思うんですが、もしよかったらその傘を僕に貸してはくれないでしょうか?」


「え……えとえと……その……ちょ、ちょっと待っててください……」


 完全にベタ惚れている清姫が挙動不審になり、何故なこっちの方に小走りで戻って来た。


 すると、一歩一歩進むにつれて、清姫の姿が変貌を遂げた。いつかに俺がコーディネートしてあげた時の同じ、女優顔負けの美貌に見る見るうちに様変わり。いつ身に付けたんだろうその変身能力……。


「主様……これ……」


 清姫が恥じらいながら傘の一本を俺に差し出して来た。なるほど、そういうことね。


 俺はそっと清姫の肩に手を置いた。


「ファイト、恋する乙女。今の君に落とせないぶくっ……落とせない男はいないよぶくっ……」


「え、えぇ! 清、頑張るわ!」


 何度も吹き出しそうになりながらもエールを送り、違う意味で注いではいけない油を火に注いだ。


 ……温羅兄がめっちゃこっち睨んでる。「テメェら後でマジで覚えとけよ……」みたいなこと呟いてる。敢えて知らん振りしておこう。


 踵を返して温羅兄の元へ戻っていく。慌てて温羅兄は再び表兄の仮面を被り、爽やかに笑った。


「あ、あの……あの人達に傘を貸してしまったから……私達はこれでも良いでしょうか……?」


 傘を一本俺達に貸すことで、残ったもう一本で相合傘をする。それが清姫の推し推し作戦だ。温羅兄ならいざ要らず、表兄はどんな態度に出る?


「えぇ、大丈夫です。ありがとうございます清姫さん」


「え、えへへ……」


 まぁそうなるよね。お陰で清姫の中の弟キャラの好感度が急上昇。そんな人物はこの世の何処にも存在していないというのに。


 表兄が清姫の横に並び、彼女の代わりに傘を持つ。そして相合傘をしながら、自然と屋敷の方向に歩き出した。


「俺達も行こ、二人共。そろそろ笑いも落ち着いた?」


「ふぅ〜……。いやぁ〜笑った笑った〜。こんなに笑ったのお姉ちゃんいつ以来だろ〜? 桜ちゃんが味噌とワサビを間違えて作ったワサビ汁を飲んだ時の反応を見た時以来かなぁ〜」


 どんな間違え方だ。そこは普通に色で区別付けられるでしょうに。ドジっ娘のレベル超えてるよ桜華さん。


「さ、さ〜て私達も帰ろっか。それに、あの二人が最後にどうなるか見届けたいし……」


「……(こくこく)」


 ニヤニヤと笑う九ちゃんに同感して頷くコン子ちゃん。確かにそれは俺も気になる。あんな安い演技で誤魔化してるけど、一体どうやって終止符を付けるつもりなんだろう?


 ……まぁ、そうなるキッカケを蒔いたのは俺なんだけどね。でもいいや、面白そうだし。それに相手温羅兄だし。誰にも恨まれるようなことはないよね。むしろもっとやれと周りは言うはず。


 ふと貸して貰った傘を見てみると、サイズが思っていたものよりもかなり大きかった。コン子ちゃんは小さいし、これなら三人で入っても濡れることはないね。


「さてさて……存在しない弟という偽りの仮面を被り、一度フッたらしい病み女に再び惚れられて、その末路は如何に……な〜んちゃってね〜」


 俺が二人に挟まれる形で傘を持ち、濡れ透けの美女という名の花も両手に持ちながら、こっそりと表兄の後を追った。

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