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豆腐リベンジャーズとお惚け顔の裏側

 奴らを見た者は、誰もいないとされていたはずだった。


 元々奴らは脅威だった。何でもない日に颯爽と現れ、この俺を後一歩のところまで追い詰めようとしていた。親愛なる兄が助けに入ってくれなければ、俺は奴らの手の平で踊らされていたことだろう。


 しかし、彼女は違った。その親愛なる兄に陥れられ、奴らの手中に収まり、全身を闇に染め上げられてしまった。


 しかし幸いその時には、エロの化身と萌えの化身の二人がいた。二人の化身は手間を掛けてまで彼女の闇を取り除き、見事彼女は生還を果たした。


 そのすぐ後、彼女は奴らを葬るために自ら戦いを挑んだ。


 普段は天使のような微笑みを浮かべている彼女が悪鬼羅刹となり、奴らを葬るために心を鬼にした。その時の顔や言動を俺は忘れたことがない。


 しかし脅威である奴らもまた、ただただやられるわけがなかった。第二の魔の手を自在に扱い、今度は彼女を腐臭がする白き闇に染め上げた。


 彼女は再び地に膝を付くかのように見えた。だが屈強なる精神を持って踏み止まり、白き闇に染め上げられながらも立ち尽くしてみせた。


 その有志に当てられたのか、奴らは今のままでは勝てぬと判断し、更なる力を求めて欲望の焔に身を捧げた。


 だが、欲は身を滅ぼすもの。それは奴らも例外ではなく、焔の熱に耐え兼ねて力無く地にひれ伏した。


 最後の最後まで足掻き続けるも、修羅となった彼女によってとどめを刺され、骨も残らず消滅した。ほうして、奴らの脅威は……去ったかのようにみえた。


 しかし、しかしだ。奴らは何事もなかったかのように、突如として再び姿を現したのだ。恨んでいるはずの彼女に対し、慈愛に満ちた瞳を向けて。


「こんにちは。お久し振りです、鬼の娘様」


「えーと……取り敢えず」


 彼女は一度困った顔を浮かべるも、奴らに白い目を向けながら親しき部下達に告げた。


「すいません皆さん。今すぐ追い出してくださいこの人達」


「分かりました。今すぐ摘み出します」


 冷静に冷徹なる判断を下し、彼女は奴らに背を向けて立ち去ろうとする。


「まぁお待ちください鬼の娘様。まずは落ち着いて僕の話を聞いてください」


「申し訳ないですが、桜華様が追い出せと言ったので」


「正直鬱陶しいので早く出て行ってください。そもそもここは男禁制の場なので」


 奴らは帰ろうとせずに彼女に手を伸ばすも、部下達によってその手は阻まれた。


「避けてください妖狐の皆様。僕はあの鬼の娘様に用があるのです」


「うるっさいわね。くどいっつってんでしょ」


「失せなさいって言ってんのよ。失せろ言われたら早く失せなさいよ。邪魔なのよ」


 部下達は憤怒した様子で奴らを追い返そうとする。彼女が修羅と言うのならば、彼女達はさながら修羅の子、といったところだろうか。物腰柔らかい雰囲気が一変し、辛辣な言葉しか発さない外道と化した。


「そんな冷たいこと言わずに。この冷やし豆腐だけに」


 そう呟き、奴らの一人が器に乗せた冷やし豆腐を差し出した。


 そして、べちゃりと手の甲で払われ、無下に扱われた。


「上手くないのよ。出てけっつってんのよ」


 まずい。奴らの逆鱗に触れるものが、また一人現れてしまった。ここもまた奴らの暴走により、魔の手が及んでしまうのだろうか? そうなったならば最後、ここも住まう者全てが闇に染め上げられてしまうやもしれない。


 ……しかし。その不安は杞憂に終わった。


「こらこら。食べ物を粗末にしてはいけませんよ、娘さん方」


 奴らは鬼の形相を浮かべるどころか、あの非暴力ガンディーも舌を巻くほどの慈愛の笑みを浮かべながら、薙ぎ払われた豆腐の屑をすくい取った。


「食べ物を粗末にする者には必然的にバチか当たります。娘さん方はそれでも良いのですか?」


「うっ……」


 今頃になって罪悪感を感じてしまったのか、部下達は気を悪くさせて下に俯いた。


「落ち着いて下さい皆さん! それもこの人達の策略です! 流れに呑まれたら終わりですよ!」


「お、桜華様……ですが、食べ物を粗末にしてはいけないことは事実では?」


「良いんです! この人達の豆腐は一見普通の豆腐に見えますが、食べたら最後、全身が苔だらけになってしまうんです! 私にした仕打ちを忘れたとは言わせませんよ、この藻豆腐共!」


 奴らに指を差して直接的に怒りの感情をぶつける彼女。やはり過去の因果は容易く拭えるはずもなく、呪いのように憎しみの感情が彼女の中に根付いているらしい。


 しかしそれも無理はない。奴らに二度も闇に染め上げられた彼女にとって、奴らは天敵以外の何者でもないのだから。


 ただ、そんな相手に対し、彼女は「首を狩れ」とは言わず、「追い払え」と言っていた。本当ならば自分の手で殺めるに値する憎き天敵のはずなのに、無傷のまま奴らを追い返そうとしたのだ。


「ねぇシロ君」


 ああして時折物騒な表情を浮かべる彼女も、聖母マリアやマザーテレサと肩を並べる程の優しさを持ち合わせている。人一人信じることすら難しい現代にとって、彼女はとても貴重であり、魅力的な存在なのだろう。


「ねぇシロ君ってば」


 彼女との付き合いは未だ数ヶ月。しかし、その短期間でも重々理解できるほどに、彼女はとても可憐だということを熟知している。周りの有象無象の阿呆共は彼女の魅力を見ようとしないが、俺だけは本当の彼女を見て知っている。


「ねぇちょっと。聞いてるのシロ君? ねぇ?」


 艶やかな長髪の黒髪、長い睫毛、麗しい瞳、丸い鼻、柔そうな唇、隠されし豊満なる胸、引き締まった腰部。そして、その身体を包み込む林檎色の着物に、純白なる割烹着。それは彼女の普段着なれど、その当たり前の容姿から見て取れる隠れた女の艶かしさが俺の性欲を刺激し――


「にゃあっ!!」


「あいたっ!?」


 興が乗ってきたところ、突如背中に一矢の打撃が一球入魂。痛みはあまりなかったけど突然の攻撃に驚いて、俺は思わず天井から落下した。


「あぁびっくりした……やれやれ、何をするんだ子猫ちゃん。せっかく筆が進んでたのに」


「誰が子猫ちゃんよお馬鹿。怪我人のくせに蜘蛛みたいに天井に張り付いて(にゃに)を書いてるかと思いきや……すること(にゃ)すこと全て奇怪過ぎるわよ」


「失礼だなぁ。俺はただ桜華さんの魅力を原稿用紙に残そうと、こうして筆を取ってただけなのに」


「その内容(にゃいよう)が問題にゃのよ! 最後の辺り明らかにおかしくにゃってたでしょ!」


 なぬ? 天井で書いていたというのに、内容を全て見られていたと? なんて良い目をしてるんだ猫さん。猫って目が良いのかな?


「いやいや、俺は悪くないよ猫さん。悪いのは桜華さんの方だよ。桜華さんが魅力的過ぎるから、俺も男として必然的に欲情しちゃって……ね?」


「にゃるほど。つまりシロ君は、後で雪羅ちゃんに説教されたいってことね?」


「……殺生な」


 俺は涙ぐみながら後悔の念に縛られつつ、立ち上がって手に持つ原稿用紙を真っ二つに破り捨てた。


 仕方無い、今度桜華さんと二人きりになった時にでもゆっくり書き上げるとしよう。彼女が近くにいた方がより明確に書き残せるだろうし、桜華さんもその行いを許してくれるはずだ。だって凄く優しい人だもの桜華さん。


「それで……にゃんでまたあいつらが来てるのかしら……?」


 消えたはずの豆腐小僧達を見て顔をしかめる猫さん。それが分かれば桜華さん達もああして対処に困ってはいないだろう。


 というか、どうせまた復讐にでも来たんだろう。完全に逆恨みだけど、特に桜華さんには憎しみを抱いてるだろうからなぁ。やっぱりあの人は不幸体質だ。


「世の中には、この豆腐一つすら満足に食べられない貧しい子供達がいるんです。それなのに貴女方は、無慈悲にも貴重な食べ物を食べずに捨てた。つい先程の光景をその子供達が見たら、一体どんな顔をすると思いますか?」


「ぐっ……で、でも貴方達は貴方達で、私に悪戯したいという欲望に塗れているじゃないですか! 都合の良いことを言って私を懐柔しようとしても無駄ですよ! 同じ手は二度とくらいません!」


 少し目を離した隙に、豆腐小僧達と桜華さんの口論がヒートアップしていた。


 加勢に入りたいところだけど、今の俺は暗躍する忍びも同じ。今日一日だけはただ見守らせてもらおう。よっぽどのことがあったら流石に助けに入るけど。


「悪戯? 一体何の根拠があってそんな確証もない決め付けをするんですか。僕達にそんな気は一切ないというのに」


「前科持ちのくせによく言いますね!? 全身苔だらけにされた挙げ句、今度は豆乳を掛けられて臭いが取れなくなって……あの後の一週間、私が鬼の皆からなんて言われていたと思いますか!? 乳女ですよ乳女!? 私まだ母乳なんて出ないのに!」


 問題そこなの? 着痩せしてる胸を弄られてたことに気付いてないよあの人。


「セクハラをセクハラと理解できてにゃいところ、桜華ちゃんって実は凄く純粋よね……」


 ごもっともだ。間違いなくあの人は良い嫁になる。顔も知らぬ未来のその相手が羨ましいですこと。


 ……ぬぅ。でもそれはそれでなんか嫌だなぁ。勝手なことだという自覚はあるけど、桜華さんにはいつまでも皆の女房的な立場でいてもらいたい。あの人を誰かに独占させるなんて萌えコンの俺が許せんよ。キサナならこの気持ち分かってくれるはずだよね。


『うむ。分かる、分かるぞシロ。桜華は我達(わらたち)の貴重な萌えキャラの一角じゃ。何処ぞの(やから)にその身を引き渡すくらいなら、こっちでその身を保護し、永久に愛で尽くすことをここに誓おう。たまにおっぱい揉ませてもらうこと前提に……の』


 テレパシー的なもので返事が返って来た。流石は我がソウルフレンド。俺達の気持ちはいつだって一心同体だ。


「そのことに関しては申し開きもございません。その節は大変申し訳ありませんでした鬼の娘様」


 律儀にこうべを垂れてひざまずく豆腐小僧ブラザーズ。しかし殊勝な態度を目にしても、桜華さんの警戒心は解けなかった。


「……今回は妙に潔いですね。逆に疑う気持ちが大きくなるんですが」


「聞いてください鬼の娘様。僕達は貴女に打ちのめされたことで、豆腐の本当の有り方を知ることができたのです」


「有り方……? どういうことですか?」


「貴女が熟知している通り、今までの僕達は少々横暴でした。一方的に豆腐の価値観を押し付け、手段を選ばずに無理矢理豆腐を食べさせようとしていた。しかし、それは間違いだったのだと気付くことができたのです」


「豆腐を食すものは救われる。その考え方を改めるつもりはありません。ですが、それはあくまで僕達の価値観での話。人の価値観というのは人それぞれなのですから、ただ救われる救われると押し付けても理解してもらえない場合があるのは当然のことでした」


「だから僕達は考え方を改めたのです。豆腐をただ食べてもらうのではなく、まず先に豆腐の素晴らしさを伝えていこうと。豆腐がこの世の元にとってどれだけの価値があるのかということを」


「それで今日、こうして貴女の元を訪れたのです。謝罪の意味も込めて、いの一番に豆腐の価値を知ってもらうために」


「は、はぁ……」


 本当に改心したのか、違和感を感じながらもまともなことを立て並べている。それこそ、いの一番に知っておくべきことだっただろうに。考えるよりもまず身体を動かせとはよく言うけど、時と場合のことを考えて欲しかったよ。


「時に、鬼の娘様。貴女は料理をどのくらいたしなんでいるでしょうか?」


「りょ、料理……ですか?」


 気まずいように視線を横に逸らす桜華さん。


 温羅兄曰く、桜華さんの料理の腕前は壊滅的と聞いている。実物を一度も見たことはないけれど、本人がああいう反応をするってことは本当に酷いんだろう。


「正直に言いますと……あまり良い腕前とは言えません」


「そうですか。ならば丁度良い。もし宜しければ、僕達と豆腐料理を極めてみるのはどうですか?」


「豆腐料理……」


「えぇそうです。以前の僕達は冷やし豆腐しか提供していなかったのですが、それもシンプル過ぎて相手の心に響かないと思いまして。そこで現在は様々な豆腐料理に手を付けているのです」


「いかがですか鬼の娘様? 及ばずながら、僕達と共に極めてはみませんか? 一般家庭で振舞われているような、愛情が込められた豆腐料理を」


「…………」


 口元に手を当てて考え込む素振りを見せる桜華さん。


 さっきまでの桜華さんならば、変わらずつっけんどんな態度を取って耳を貸すことはなかった。けれど、自分の苦手科目を克服できるかもしれない突破口の片道切符をチラつかされて、大きく心が揺らいだように見える。


 あいつらは豆腐の宗教者だ。故に、どんな手を使ってでも相手に豆腐を食べさせようとしてくる。口では改心したような発言をしているけど、内側ではまた桜華さんを騙している可能性が無きにしも非ず。


 でもその考えとは対称的に、人を信じずに裏切られるよりも人を信じて裏切られた方が良い、という言葉がある。どちらかと言えば俺もその考え方寄りの性分だから、豆腐小僧達の良心を信じてあげたい気持ちもある。


 まぁ、何だかんだ言ったとしても、最後に決めるのは桜華さん自身だ。桜華さん見守り隊の立場として、ここは桜華さんの自身の意見を尊重しよう。


 しばらく考え込んでいた桜華さんだったが、ついに自分の中で答えを導き出したのか、うんと頷いて顔を上げた。


「分かりました。貴方達が本当に改心したことを信じることにします。ちなみに料理の方は今からでも宜しいんですか?」


「えぇ、勿論。貴女のお心遣いに感謝致します。必ず貴女の力になれるよう、僕達五兄弟がご助力致しましょう」


 和解成立。桜華さんならやっぱりそうすると思った。


「う~ん……大丈夫かにゃ桜華ちゃん。正直不安にゃんだけど」


「まぁまぁ猫さん。ここは桜華さんの成長を願っておこうよ。その方が桜華さんのためにもなるんだろうしさ」


「……シロ君って妙に桜華ちゃんに優しいわよね」


「あれ? もしかして猫さん嫉妬? 大丈夫、安心して。俺の萌え一押しナンバーワンは猫さんだから!」


「いやそういうことを言ってるんじゃにゃくて……。しかも興味にゃいわよそんにゃの」


「でも最近はコン子ちゃんや九ちゃんという、猫さんにとっての強敵が現れたからねぇ。果たして、最終的に萌えの王者に輝くのは一体……!?」


「だから興味にゃいって言ってるでしょ! 馬鹿言ってにゃいで後を追うわよ!」


 豆腐小僧を連れて厨房の方へと向かっていく桜華さんに見つからないように、俺は猫さんに首根っこを掴まれて引き摺られながら後を追った。




〜※〜




 厨房の出入り口近くで一旦立ち止まり、猫さんと共にこっそり中を覗き込む。


 桜華さんは既にやる気満々で、着物の袖を捲り上げていた。同じく豆腐小僧達も、自前で用意してたっぽいエプロンに着替えを済ませていた。


「豆腐と言っても、料理の種類は様々です。どのように活かしたいのかは鬼の娘様次第ですが……何に着手致しますか?」


「味噌汁……は素朴過ぎてインパクトに欠けますよね。豆腐ハンバーグ……は初心者の私には難しそうです。湯豆腐……は料理の範疇とは言えません。う~ん……」


「料理は手間が掛かって当然ですよ、鬼の娘様。難易度問わず、『これだ!』と思ったものを選んでください」


 桜華さんは豆腐料理だけが載ったレシピ本に目を通しながら、あれでもないこれでもないと呟きながらページを捲る。うんうん、実に初々しい姿だ。


「あれが花嫁修業はにゃよめしゅぎょうというやつにゃのかしら……? 私も見習みにゃらおうかにゃ……」


「そんな!? 駄目だよ猫さん! 俺とキサナから離れて誰かの妻になるだなんて! 猫さんは俺達で一生養うって決めてるんだから!」


「本人の許可を取らずに勝手に決めるにゃ! というか気が早過ぎるわよ!」


 否定してくる猫さんだけど、それでも俺とキサナは猫さんを逃がすつもりはない。俺達の萌えスターは永久に不滅だ。本人がなんと言おうと、猫さんが花嫁になるだなんて認めない。絶対に認めませんとも。


「…………あっ、じゃあこれがいいです! これなら料理として十分ですよね?」


 ようやくピンと来た料理が見たかったようで、豆腐小僧達にそのページを見せ付けるように本を持ち替えた。その料理は――麻婆豆腐だった。


「なるほど、敢えて日本料理ではないものをチョイスしましたか」


「別に難しいことは考えていませんけど……昔に何度かお母さんに作ってもらったことがありまして。これを見て凄く美味しかったことを思い出したんです」


 思い出の一品、か。実に桜華さんらしい選び方だ。


「これでもし本当に上達することができたらなら、一番最初にお母さんに食べて貰いたいです。今は喧嘩中なので無理ですけど……あんな人でも一応私の親ですから」


 そう言いながら照れ臭そうに笑う桜華さん。


 すると、自然と俺の目から涙が溢れ出てきた。


「ちょ、ちょっとシロ君? にゃんで急ににゃき出してるのよ?」


「いや……だって健気なんですものあの人……」


 あれだけ冷たい態度を取って喧嘩している最中のはずなのに、純粋に親のことを想って料理の腕を上げようとしている。しかも一番最初に差し出そうとしているのは、思い出の品の一品ときた。今時あんな健気な娘さんが果たしているだろうか?


 もし……もしもの話だ。俺が雪羅を好きになっていなかったら、今の桜華さんを見て彼女のことを好きになっていたかもしれない。それだけ今の桜華さんは、魅力的な女性に見えた。


「うぅ……桜華っ!」


「にゃっ!?」


 突然すぐ近くから声がしたと思いきや、いつの間にか俺達と対象的の方向に玉さんがいて、同じくこっそりと厨房の中の様子を伺っていた。


「こんな私をまだ母親と思ってくれているだなんて……なんて良い子なのかしらっ!」


 親を想う娘を目の当たりにして、口元を隠しながら泣き崩れる玉さん。無理もない反応だ。俺が玉さんの立場だったとしても、まったく同じ反応をする自信がある。


「玉さんは幸せ者だね。あんな良い娘がいるだなんて、親冥利に尽きるでしょ?」


「勿論よ! 私の自慢の娘だもの! あぁ今すぐにでも貴女を抱き締めたいわぁ桜華……」


「……親馬鹿ね」


 確かに親馬鹿だけど、子を強く想ってることに変わりはない。良い娘に想われている玉さんと、良い親に想われている桜華さん。正直この二人が心底羨ましい。


「…………」


「……? シロ君?」


「ん? 何?」


「……ううん、やっぱりにゃんでもない」


「……そっか」


 今の俺はどんな顔をしていたんだろうか。……いや、なんとなく想像はつく。久し振りに顔に出しちゃったなぁ。


 寂しくはない。昔と違って、今の俺には親も同然の人がいるのだから。今は何処にいるのか分からないけど、近々雪羅の様子見にでも来ないかなぁ……。


「あっ、そろそろ料理を始めるみたいよ」


 猫さんに言われて、俺と玉さんも再び厨房の中に目を通す。


「えっと……まずは何に取り掛かったら良いんでしょうか?」


「そうですね……取り敢えず、まずは食材の確認をしましょう。必要な物を言っていくので、言われた食材

を予め準備してください」


「よ、よーし……分かりました!」


 両手で握り拳を作って気合を入れ、早速冷蔵庫の中身を開ける。


 ここは常に大所帯なので、冷蔵庫の大きさは異常だった。というか、あれは最早冷蔵庫と言える代物なんだろうか? どちらかと言えば倉庫なのでは?


 桜華さんは言われた通りに、豆腐小僧達が口にする食材を次々に運んで行く。まずは練習なので、運ぶ材料の量は一人分だった。


 少しして、全ての食材を運び終えた。必要な食材は揃っていたようだ。珍しく幸運だなぁ桜華さん。


「丁度全部ありました! それで、何から取り掛かれば良いでしょうか?」


「いえ、その前にですね……まずはメインの味を確かめるべきかと思います」


「メイン? と言いますと……」


「えぇ、つまりは“これ”のチェックです」


 そう言って豆腐小僧の一人が取り出したのは、一つだけ器に乗った木綿豆腐だった。


「麻婆豆腐はその名の通り、豆腐がメインの料理です。そのメインの質がいかがなものなのか、自分の舌で確かめた方が良いでしょう。早い段階ですが、要は味見です」


「なるほど……確かにその通りですね。なら一口だけ頂いても宜しいですか?」


「えぇ勿論。事前にスプーンを用意しておいたので、お好きなだけ味見をしてください」


 豆腐小僧が桜華さんに器ごと受け渡し、続いてスプーンを手渡した。


「それじゃ味見の方を……と」


 豆腐の端っこの方をスプーンで掬い取り、プリンを食べる感覚でパクリと一口。目を瞑りながら静かに味わい、少しだけ口を動かした後で飲み込んだ。


「……うん、良い味ですね。これなら良い麻婆豆腐が作れそうです!」


「そうですか。それは良かった」


 豆腐小僧達は揃ってニッコリと微笑み、釣られるように桜華さんも健気に笑う。


「…………貴女が単細胞で」


「……え?」


 豆腐小僧達の笑顔に、突如影が差し込んだ。


 さっきまでの和やかな雰囲気が嘘だったかのように暗くなり、豆腐小僧達の笑みが歪んだものへと変化する。それに気付いた時にはもう遅く、その事象は起こってしまった。


「ひゃぁぁ!?」


 一日経った後に起こるはずの超常現象。そのはずが、今食べたばかりの桜華さんの全身を刹那的に苔で覆った。


 苔鬼と化した桜華さんは重心を崩して転んでしまう。そんな彼女の姿を見た豆腐小僧達は、自分のお腹に手を当てて、


「「「「「フハハハハハ!! ば~か~め~!! まんまと騙されたなぁ~!?」」」」」


 桜華さんを指差しながら、笑い涙が出るまで笑い上げた。


「あれだけ疑っていたはずが、こうも容易く懐柔されようとは思わなかったですよ!」


「単細胞の脳筋はこれだから騙し甲斐がありますねぇ~!? あの嬉しそうな顔を思い出すだけでも、笑いが込み上げてきますよ~!」


「僕達が本当に改心したと思いましたか? 笑止、そんなわけがないでしょう! 僕達は豆腐をこよなく愛する豆腐の信者! 一度豆腐を無下に扱った者には天罰を!」


「それにしても、料理の一つすらできないなど、良い年頃の娘とは思えませんなぁ~? 脳筋だから? 所詮は脳筋だから何もできないんですかな~?」


「親への恩返し? 思い出の一品? 知りませんよそんなこと! 親孝行なら貴女一人で勝手にやってくださいな! 脳筋にできることなど限られていると思いま~すがね~!? フハハハハ!!」


「「「「「では、おさらば!!」」」」」


 言いたい放題言い散らして、奴らは開いている窓から飛び出して逃げて行った。


 ぽつんと取り残された桜華さんは、その場に座り込んで微動だにせずに固まっていた。


「…………やっぱり」


 しばらくそのままでいた桜華さんが、ぼそりと呟く。


「私は……無能な鬼なのかなぁ……」


 泣き入りそうなか細い声。下に俯く桜華さんの目から、一粒だけ涙粒が零れ落ちるのが見えた。


「あ、あのクソ豆腐共がぁ!! わ、わた、私の娘愛する娘になんてことを!! この私の手で即刻血祭りに……あげ……て……?」


「し……シロ……君?」


 二人の途切れる声を背に、俺は猪突猛進の勢いで一目散に駆け出した。




〜※〜




「本当に馬鹿な娘よ。僕達の甘い言葉にまんまと騙されるとは」


「豆腐を無下にする者は、他人に無下に扱われる。当然の報いよ!」


「……ね、ねぇ兄さん達。本当にこれで良かったのでしょうか? 流石に今回のあれはやり過ぎたのでは?」


「何を言っているんですか杏仁豆腐。僕達は豆腐の信者。豆腐の信じない者は全て敵です。悪いのは全部あの娘――」


 林道を駆ける五人を発見。俺は左腕の包帯を紐解き、道端に落ちている大きな石ころを両手でそれぞれ拾い上げた。


 温羅兄に投げていた時のような加減は一切せず、雑巾に染み付く水を絞り取るが如く、無理矢理力を絞り出す。そして、全身全霊を持って二つの石ころを投擲した。


 疾風の如く飛来する石ころ。命中精度は極めて高く、走って逃げている内の二人の豆腐小僧の後頭部を襲った。


「「「…………え?」」」


 石ころが直撃した豆腐小僧達の首から上が消し飛んだ。大丈夫、妖怪が物理的に死ぬことはない。たとえどんな状態になったにしても、だ。


「な、ななな何が起こったんですか!?」


「木綿豆腐! 絹豆腐! 返事を――」


 すぐに次のたまを装填し、躊躇も容赦もせずに投擲する。研ぎ澄まされた命中精度は一ミリも落ちることはなく、杏仁豆腐小僧以外の奴らの頭を消し飛ばした。


「ひぃぃぃ!?」


 ようやく俺の存在に気が付いた杏仁豆腐が尻餅をつき、すぐに取って返そうとしたところでうつ伏せに転んだ。


 俺はゆっくりと歩み寄り、その背中を踏みつけた。


「ぎゃぁぁぁ!? 死ぬぅ! 死ぬぅぅぅ!!」


「るっせぇなぁ、耳に響くだろうがテメェ」


「あ……あ、貴方はあの時の主様!? な、何故こんなところに!? というか前と顔付きが全ぜもごぉ!?」


 喧しい口に大きな石を無理矢理詰め込み、開いた口を塞いだ。本来は塞がらないと言われるものだけど、物理的にならばいくらでもこうして塞げる。単純な理屈だ。


「暴力は嫌いなんだけどさぁ……ああいうことされちゃうと、流石の俺も抑えが効かなくなっちゃうんだよね。自分があの人に何したか、君だけはちゃんと自覚があるんだよね?」


「~~~っ!!」


 涙ぐみながら何度も首を縦に振ってくる。


「俺も鬼じゃないからさ。これ以上のことをするつもりはないけど……今から戻って桜華さんに謝るつもりがないと言うのなら、話はまた大きく変わってくるんだけど……どうする?」


「~~~~~っ!!!」


 次の石ころを何度も軽く上に投げて見せびらかす。すると、杏仁豆腐は更に激しく首を縦に振った。


「そう? なら早く戻って謝りに行ってね。勿論、兄弟皆揃って……ね?」


「は、はぃぃ~!!」


 口に突っ込んだ石を取り除いてあげると、兄弟達を全員どうにか一人で抱え持った。そうして俺は生まれて初めて、光速で駆けることを可能とした者をこの目で目撃した。




 一時間後、杏仁豆腐が全身ボロボロの状態で鬼屋敷から出て行くところを見掛けた。誰にやられたのかは、言うまでもない話である。

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