三年経っても違わぬ愛情の形
目元から伝わって来る心地良い涼しい感触を感じ取り、閉ざされていた瞼をそっと開く。
目の前は何も見えない真っ暗闇。ただ、それは本当に闇の中にいるというわけではなく、俺の目元を隠すように誰かが優しく手を置いていた。
俺の記憶が正しくて、あんな目に遭った後にも関わらず俺がまだ生きているというのであれば、熊風によって斬り裂かれた左腕は動かないはず。故に動くとしたら利き腕の方だけだ。
俺はゆっくりと右腕を動かし、冷たい感触がするその手に触れて目元から外れるように少しだけ持ち上げた。
「……良かった。今度もちゃんと目を覚ましてくれたね」
手を退けた視界の先には、すっかり大人びた姿に成長した雪羅がふんわりと微笑んでいた。どうやら俺はまた悪運に恵まれて命を繋ぐことができていたらしい。
運が良いのか悪いのか分からない……けど、こうしてまた彼女に会えたんだから運が良いと考えよう。じゃないと俺を助けてくれた雪羅や皆に失礼だろうし。
自分の身体を確認すると、左腕が包帯の塊になっていた。何時ぞやの雪崩の後の自分の姿とほぼ瓜二つだ。もしかして俺の左腕って呪われてたりするのかな……。
「ははっ……まさかねぇ」
「どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。ただ過去の光景がフラッシュバックして思わず笑っちゃったってだけ」
「そういえばあの時も左腕を折ってたよね。左腕に何か取り憑いてるんじゃない?」
俺が思ってたことと同じようなことを言われてしまった。信憑性が濃くなるからそんなこと冗談でも言わないで欲しい。
「……おぉ」
辺りをきょろきょろ見回したところで、俺はようやく自分の置かれている状況を知った。なんで俺の真上に雪羅の顔が見えるんだろうと思いきや、ナチュラルに俺は雪羅に膝枕されていた。
着物越しではあるものの、やっぱり膝枕は良いものだ。通常の枕よりもずっと心地良いし、何より女の子の体温を感じられる。男にとって至福の一時とはまさにこのことよ。
「今度は急に唸ってどうしたの?」
「……今年一番の癒しを感じてるような気がしてねぇ」
「ふふっ、またそんな大袈裟なこと言うんだから」
雪羅はくすりと笑うと、今度は優しい手付きで俺の頭を撫で出した。やっぱり手は冷ややかだけど、逆にその感触がまた心地良く感じられた。
「そういえば俺ってどのくらい寝てたの? それに今って何時頃?」
「数時間は意識を失ってたかな。だから外はもう真っ暗だよ」
通りで部屋の中が暗いと思った。でも一日二日経つ前に目覚められたのは良かった。三日や一週間もずっと眠っていたら皆にどれだけ心配掛けることになるか分かったものじゃないから。
「あの後熊風はどうなったの?」
「熊風のことはもう大丈夫。もう二度と目覚めることのないように砕いたから」
氷麗さん曰く、つらら女が司る氷は本人の意思で解かない限り決して溶けることはない。つまり、凍った状態のまま粉々に砕かれた生き物は、例え物理的に死なない妖怪であったとしても永遠に再生することはない。それは過去に氷麗さん達が俺の前で立証してくれている。
それにしても驚いたのが、雪羅があの熊風をたった一人で打倒してしまったことだ。この三年で氷麗さんと同じような芸当ができるようになっていたとは思わなかった。
修行でもしていたんだろうか? それとも身体が成長するにつれて出来るようになるとか? どちらにしても生粋のつらら女は逞しいなぁ。
「温羅兄と桜華さんは? 二人とも俺より酷い怪我してたから、俺より二人を優先して看病して欲しいんだけど……」
「鬼の二人ならリビングの方で皆とお酒飲んでるよ。怪我ももう完治してるみたいだったし」
何それズルい。温羅兄なんて全身ボロボロだったはずなのにもう治ってるとか、鬼の血筋頑丈過ぎるでしょ。俺なんて左腕引き裂かれて死に掛けてたのに。
なんか一人だけ衰弱してるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。俺も起きて皆と合流しよう。
雪羅の膝枕から身体を起こす。幸い左腕以外は何ともないようで安心した。
「あふっ」
直後、雪羅に肩を掴まれて引き戻された。
「こら、まだ動いちゃ駄目よ。下手に動いて傷がまた開いたらどうするの?」
「大丈夫大丈夫、要は激しい動きをしなければ良いんでしょ?」
「そういう問題じゃないの。とにかく今日はもう動いちゃ駄目よ。大人しく安静にね?」
「嫌です」
雪羅が笑顔のまま手から冷気を発生させる。なるほど、動いたら氷像美術館デビューですか。容赦ないやこの氷属性さん。
「雪羅知ってる? 束縛の強い女の子って男から評判悪いんだよ?」
「つまり弥白は私のことが嫌いだって言いたいの?」
「……その言い方ズルくない?」
「ふふんっ、女は時にずる賢くもなるの。相手が貴方のような人だったら尚更ね」
くっ、トークバトルも劣勢か。しかしここで潔く押し負けるような人じゃありませんよ俺は。
「貴方のような人って具体的にどんな人なのかねぇ~? 詳しく、事細かく、そして分かりやすく教えて頂きたいねぇ~?」
ニヤニヤしながら反撃に転じてみた。俺が知っている雪羅ならここで赤面して、恥じらいながらも本音を明かすはず。その綺麗になった顔を可愛く崩して見せるがよいわ!
「ふふっ、決まってるでしょ。誰よりもお人好しで格好良い人よ」
笑顔で答えられてしまった。羞恥心すら克服してしまったというのかこの娘。度し難い、度し難いよその成長ぶり。
「それに、ね。長い間ずっと会えてなかったんだもん。なら少しくらい一緒にいたいって思ってもバチは当たらないと思わない?」
「わ、分かったよ。もう俺の負けで良いよ」
柄にもなく顔が熱くなってきた。俺が照れるだなんてなんという失態。しかも相手が雪羅だからか余計に悔しい。
「……夜風に当たるなら別に良いよね?」
「あら? もしかして照れちゃった? お人好しで恰好良いって言われて恥ずかしくなっちゃったの? ふふっ、弥白も随分可愛くなったんだね~?」
「えぇい! 俺を弄るんじゃない! 俺はそういうポジションじゃないの! むしろ弄る側の人間なの! 理解できたなら雪羅も少しは恥じらった反応を見せなさい! 俺に反撃の隙を献上しなさい!」
「嫌です」
オウム返しときましたか。くそっ、腹立つけど可愛い。怒りたいけど許してしまう矛盾の塊な俺がいますよ畜生め。
結果逃げるような形になってしまったけど、プライドを捨て去って縁側の方に移動して座った。雪羅も俺のすぐ隣に並んで腰を下ろして、一緒に夜空を見上げた。
「ここも星がよく見えるんだね」
「そりゃ田舎だもん。大気汚染した都会と比べると、ここは住み易くて良い場所だよ。不都合も色々とあるけどね」
「不都合? ん~……電気が通ってないとか?」
「いや、電気は通ってる……というか知り合いに雷を司る化身の妖怪がいてさ。俺はおやっさんって呼んでるんだけど、ここで暮らし始めてから毎晩一日分以上の電気を蓄電してもらってるんだよね。つまりここはボロ屋敷だけど電気代は永遠無料というメリットがあるんだなぁこれが」
「都民にとってはベストプレイスってわけね。本当に弥白は妖怪との出会いに恵まれてるね」
「ははっ、そうだね。皆のお蔭で色々と助かってることもあるし、何より楽しいよ」
自分が霊感体質で良かったと改めて思った。この体質がなければ妖怪の皆との出会いは根本的に無かったのだから。
「今回のこともそうだけど、キサナや他の皆に……それ以前に雪羅と出会えてなかったら俺はとっくの昔に死んでた。今も感謝してもし切れないよ」
「……それは私も同じだよ弥白」
「雪羅?」
雪羅はふと目を瞑り、何かを強く想うように自分の胸に両手を重ねた。
「弥白と出会って救われたのはむしろ私の方。あの日貴方と出会えていなかったら、きっと今の私は存在しないはずだもの。あのままずっと罪の意識の中に捕われ続けていたかもしれないと思うと、今も身体の震えが止まらなくなりそう」
そう言う雪羅の肩は本当に震えていた。
見ていられずに雪羅の右手をそっと掴む。すると震えは一瞬にして消え去り、雪羅はふわりと微笑んだ。
「ほら、こうして貴方に触れてもらってるだけなのに、私の不安はすぐ何処かに消えてしまう。私にとって弥白はもう、誰よりも大切でかけがえのない存在なの」
「…………そっか」
また顔が熱くなって視線を下に逸らしてしまう。
三年経った今でも、俺は雪羅にとって一番求められている存在になっている。それがどれだけ誇らしくて、嬉しいことか。
あの時もそう。今日だってそう。皆のために命を賭けた甲斐があったと、心から思うことができた。
「それでね、弥白。また改めて貴方に聞きたいことがあるんだけど……」
「……約束のこと、だよね?」
「うん。私は片時も忘れたことがなかったけど……弥白はどうなのかなって」
三年前に交わした雪羅との約束。彼女は今でも昨日のことのように覚えてくれていた。
無論、俺も忘れるわけがない。でもそんなのは覚えていて当たり前のこと。
だってあの約束は、俺から契ったものなのだから。
〜※〜
一体どれくらい眠っていたんだろう。
異常なくらいに腹が空いていて、身体の節々が若干痛む。自分の身体を見ると、ファラオの墓に突っ込まれているようなミイラ男のようになっていた。
生きてる……のか? 今度こそ絶対に死んだと思っていたのに、運良く一命を取り留めたのか。二度も死に掛けておいて我ながら悪運の強さに驚きを隠せないや。
「弥白!」
「……雪羅さん?」
ボヤける視界がはっきりとしたところで、すぐ側にいた雪羅さんの姿を確認できた。
「良かったぁ……良かったよぉ……三日も目が覚めないからもう駄目だと思ったよぉ……」
俺が目を覚ましたことにより、雪羅さんがまたぽろぽろと涙を零して泣いてしまう。三日も意識失ってたんだ俺……。
「ごめんね雪羅さん。心配掛けて本当にごめん」
ぷるぷると痙攣する右手を伸ばして、雪羅の頭に触れる。
雪羅さんは両手で俺の手を掴み取り、優しい力で握り締めてくれた。包帯の上からひんやりした感触が伝わって来て、少しだけ肩がぶるりと震えた。
「気分はどうですか弥白君? 何処か具合は悪くありませんか?」
少しだけ首を傾けると、ほっと胸を撫で下ろす氷麗さんが俺の側に寄って来て正座した。
「うん、身体が起き上がらないだけで意外と元気だよ。お腹は滅茶苦茶減ってるけど」
「そう……ですか」
氷麗さんはふと笑ったと思いきや、いつもの笑顔が消えて懺悔の念に駆られているかのように表情を暗くした。
「本当に申し訳ありませんでした弥白君。私のせいで貴方は――」
「氷麗さん、それ以上は言っちゃ駄目ね」
無粋なことを言わせないように氷麗さんに手のひらを突き付ける。折角無事助かったのに、どうして恩人に謝られなくちゃいけないのか理解に苦しむ。
「今回のことは誰にも責任なんてないよ。あれは間違いなく不慮の事故なんだし、命の恩人の氷麗さんに謝られる義理なんてないよ。むしろ助けてくれてありがとう」
「……貴方には救われてばかりですね。こちらこそ、私達の子を助けてくれてありがとうございます」
そう言いながら二人は、俺の正面に堂々たる面立ちで胡坐をかいている雪男を見た。
「こんな形になってしまい申し訳ないと思っているが、改めて自己紹介させてもらおう。私の名は大雪。“雪爺”と言う妖怪だ」
「俺は弥白……って、え? 雪爺?」
俺の妖怪図鑑にも載っている雪女やつらら女と同じ雪の妖怪で、主に山に立ち入った者を脅かせたりする悪戯妖怪の一種。しかし他の雪妖怪と違って、雪の神様と呼ばれている雪妖怪の王様的な妖怪らしい。
……解せない。雪爺はその名の通り、老人の姿をしているはず。なのに今俺の目の前にいる雪爺は、どう見ても三十後半のゴリラの先祖にしか見えない。
「あの~、俺はてっきり雪男だと思ってたんだけど……違うんですか?」
「雪男? あぁ、あのUMAとか呼ばれている未確認生命体のことか。そんな摩訶不思議な者が存在するはずないであろう。私は根っからの雪爺だよ」
「摩訶不思議って……それ妖怪の貴方が言――あっ、いえ、やっぱり何でもないです」
俺の夢を奪われたような気がした。未だかつて存在の確証を得られていない伝説の男に会えたと思ったのに、結局妖怪オチなんかい。いや普通に嬉しくはあるんだけども……今回ばかりは腑に落ちない。
「まぁそんなことは置いといてだ。私からも君には心から礼を言わせて欲しい。ありがとう勇敢なる少年よ。君の勇士が我が愛娘を救ってくれた」
「はははっ、皆して大袈裟ですよ。俺は別に勇敢じゃないし、勇士を見せたつもりは元々ありません」
善意や正義感なんかで雪羅さんを助けようとしたわけじゃない。それだけはハッキリと分かってる。
「ふむ……ならば君は、一体何を思って我が愛娘を助けてくれたのだ?」
「そうですね……強いて言うなら大雪さん。貴方が雪羅さんを助けようとした理由と同じですよ」
「……溺愛故の行動、か。久しく良い男に出会えたものだ。お主も思うだろう、我が愛妻よ?」
氷麗さんは笑顔で頷いていた。ここまでべた褒めされると流石に照れる。
「……あの、お母さん」
すると、雪羅さんが何か言いたげな面立ちで氷麗さんを見つめた。
氷麗さんはその何かを察したのか、ふわりと微笑んで席を立った。
「大雪さん。久し振りに少し二人でお散歩しに行きませんか?」
「……うむ。熊風の件もある。丁度後で周囲一帯を見回ろうと思っていたところだ」
大雪さんも雪羅さんを見てふと笑うと、氷麗さん同様席を立って出入り口の戸を開けた。
「少しだけ席を外す。雪羅よ、私達のいない間だけ見てやっていてくれ」
「うん……ありがとうお父さん」
そうして親子の二人は急に外に出て行ってしまい、俺と雪羅さんの二人だけが残された。
二人がいなくなった後、しばしの沈黙が流れる。そしてその沈黙を打ち消すように、雪羅さんの方から口を開いた。
「背中は痛くない?」
「うん大丈夫。治療してくれたお蔭で幸い痛みはないよ」
「左腕は? 本当に痛くないの?」
「動かないだけで大事ないってば。それより雪羅さんの方こそ大丈夫? 確かあの男に左腕やられてたよね?」
「私は大丈夫。怪我しても数十分あれば傷が塞がるから。妖怪はそういう生き物なの」
「自然治癒能力かぁ……格好良いね!」
「そういう冗談は今言わなくていいの」
こつんと俺の額に握り拳を当てて、微かに笑みを浮かべる。
しかしまたすぐにその笑みが消えて、外の風音しか聞こえてこない沈黙が再び訪れる。
身体が動かないためにやりたいこともできず、無意識の内に目を瞑った。今まで散々眠っていたので、いくら目を瞑っても眠気がやってくることはなかった。
そして再び目を開けようとしたところ、雪羅さんが俺の目線を隠すようにそっと手を重ねてきた。
「……あのね弥白。今更だけど聞いてもらいたい話があるの」
「うん、いいよ。何でも話して」
雪羅さんは「ありがとう」と言うと、少し息を吸って間を置いてから話を始めた。
「あの日、雪崩に巻き込まれて死に掛けていた貴方を助けたのは、本当に気まぐれだったの」
「……うん」
「いつもの私だったらきっと見ないふりして見捨ててた。それなのにあの時の私は、邪念に駆られずに貴方を助けてた。なんでなんだろうってずっと思ってたけど……今なら分かる気がするの」
「どうして?」とは口に出さず、ただ雪羅さんの言葉に黙って耳を傾ける。
「貴方がここで住み始めてから、私の日常は一変した。只でさえ大嫌いな人間なのに、貴方は鬱陶しい程に私に構って来てた。あの時は冷たい態度を取っていたけど……あれは怒っていたわけじゃなくて、どう接すればいいのか分からなくて迷っていたの。仲良くして良いのか、それとも距離を置いた方がいいのか……。でも昔のこともあって、私は距離を置くことを選んだの」
雪羅さんは更に話を続ける。
「だけど貴方は懲りずに私に構って来た。聞こえないフリをして無視しても、何度も酷いこと言って突き放そうとしても、それでも貴方は何一つ文句も言わずに私に話し掛けてくれた。それが嬉しくて……でも怖かった」
そう言いながら自分の胸を両手で押さえて、顔を下に俯かせる。
「本当は私も貴方とお話がしたかった。でももしそのまま仲良くなって、また昔のように裏切られたらどうしようって思って……色んな想いがぐちゃぐちゃになってた。でも気が付けば私は、思ってもいない憎まれ口を叩きながらも貴方と話すようになってた。怖いはずなのに、まだ信用しちゃ駄目だって思ってるのに、いつしか私は貴方の優しさに甘えてた。そしてそんな日々が続く中、三日前にあの人がやって来た」
また肩を震わせると、今度は自分から俺の手を両手で握り締めて来た。実際に言葉にしたせいで、あの時に感じていた恐怖を思い出してしまったんだろう。
それでも俺は雪羅さんの意思を尊重して、話を止めずに握り締めて来た手を握り返した。すると少し気が和らいだのか、安心した様子で肩の震えが少しだけ収まった。
「あの一本松の前で立ち止まってたところに突然現れて、私が何かを言う前にあの人は私を殺そうと矢を放ってきた。もう放っておいてほしかったのに、あの人はそれを許してくれなかった。私は矢で身体が傷付くことよりも、あの人から怪我を負わされるということが本当に怖くて必死に逃げた。だけどその途中で、貴方が助けに来てくれた」
募る想いが感極まるように、俺の手を握る両手に力が入った。
「妖怪は悪い存在じゃないって訴えてくれた。私達のためにあの人に怒ってくれた。お母さんが優しい人だって信じ続けてくれた。私のことを愛情深いただの女の子だって言ってくれた。私はずっと貴方を拒絶していたのに、貴方は命懸けで私のことを守ってくれた。そして何より……好きだって言ってくれた」
ずっと握り締めていた俺の手を放して、自分の顔を隠すように両手で塞いだ。
「他のことが何も考えられなくなるくらいに嬉しかった。その言葉だけで何もかもが救われた気がした。だけど……私のせいで貴方は死に掛けた。今は目を覚ましてくれたけど、それでも貴方の身体が深く傷付いていることは変わらない」
思いの丈を繋ぎ合わせるように、更に言葉を紡いでいく。
「ねぇ、弥白。貴方は不慮の事故だって言ってくれたけど、本当は私の不運が貴方を傷付けちゃったんじゃないのかな? 今までは私のことを好きだって思ってくれてたかもしれないけど、今はもう私のことが嫌いなんじゃないのかな?」
「そんなことないよ。あれは雪羅さんの不運なんかじゃないし、雪羅さんが好きな気持ちは今だって変わってない」
「……もし本当にそう思ってくれてるのなら」と、雪羅さんは両手を解いて顔を上げた。
「卑屈で……弱虫で……逃げ腰で……臆病者だけど……そんな私でも……貴方のことを好きになってもいいのかな……?」
不安でいっぱいになりながら、今にも泣き崩れそうな顔になりながら、雪羅さんは俺を見つめてくる。
雪羅さんは変わろうとしている。大雪さんが言っていた俺の勇気に負けないような勇気を振り絞って。
やっと……やっとこの時が来た。氷麗さんと交わした約束を果たすことができる、この時が。
俺は死ぬ気で力を振り絞り、脆弱な身体に鞭を打って起き上がろうとした。
「っ! 駄目! 動いたら傷がまた――」
「雪羅さん」
止めようとしてきた雪羅さんに向けて手のひらを突き付けながら無理矢理身体を起こし、そっと彼女の頬に触れた。
「君はこれから色んな人達との出会いが必ずある。その出会いの中でどんな風に生きるのかは君次第。でも忘れないで欲しいのは、君は昔も今もこれからも自由に生きて良いってこと。好きなことを沢山して、色んな経験を重ねて、そして自分が好きだと思った人を好きになればいい。でももし、今君が俺のことを好きだと言ってくれるなら――」
雪羅さんの背中に手を回して、目を瞑りながら自分の額を彼女の額に重ねる。
そうして、俺はいつものように笑って見せた。
「俺は君以上に君が好きだと見栄を張るよ。俺の方が雪羅さんのこと好きだし~……ってさ」
「……なら……だったら!」
俺の腕の中で大声を上げて、
「私は……私の方が弥白のことが大好きって言う! 私の方が弥白のこと好きだもんって!」
雪羅さんは、俺に初めて笑顔を見せてくれた。
雪の結晶のような美しい笑顔に、俺はまた心惹かれていた。
「ははっ、それは嬉しいなぁ。でも俺の方が好きな気持ち上だけどね~」
「そんなことないもん! 私の方がずっとずっと弥白のこと大好きだよ!」
「いやいやそれこそそんなことないよ~。俺なんてほら、こんなに大きいくらい雪羅さんのこと好きだし」
右手を広げて好きな気持ちを表現して見せる。
「だったら私はこ~んなに大きいもん!」
すると雪羅さんは立ち上がり、少し俺から離れて思い切り両手を広げた。
「いやごめん嘘。俺はこの小屋の端から端まで大きかったよやっぱり」
「なら私も嘘! 私は雪原にあるあの一本松くらいおっきいよ!」
「ならって何さ~? それ完全に後付けしてるじゃんか~。まぁ俺は本当はこの森一帯くらい好きだけどね~」
「弥白こそ後付けしてるじゃない! そもそもまだ私のことをさん付けしてる時点で、全然弥白の方が負けてるもん!」
「なら今度から雪羅って呼び捨てするし。これで俺の勝ちでしょ」
「じゃあ私も弥白って呼び捨てするもん!」
「いや、もうしてるじゃん」
「……そうだった」
「「…………ぷっ」」
しばしの沈黙の後、俺達は大声上げて笑い出し合った。俺は傷が開いてしまうんじゃないかと思うくらい、雪羅に負けないくらいに笑い上げた。
笑い続けるに連れて、雪羅の目から涙が溢れて流れ出た。幾度となく、枯れることなく、涙が溢れ出ても尚、雪羅は声が枯れるまでずっと笑い続けた。
「ありがとう弥白……私を好きになってくれて……ありがとう……」
〜※〜
それからの日々はあっという間に過ぎていった。
俺の怪我は全治二カ月という長い期間を使った。でも怪我が治らずとも、雪羅と過ごした俺の日常は今までで一番幸せなものだった。
どんな時も、何をするのも、ずっと一緒だった。そんな俺達を氷麗さんと大雪さんは見守ってくれて、俺は三人の愛情の元で無事傷を癒すことができた。
そしてそんな中で、俺はこの幸せに満ちた家族を見て思った。
今頃皆は何をしてるんだろうか、と。
雪羅さんに帰るべきこの場所があるように、俺にも俺の家族が待ってる帰るべき場所がある。
厠姉さんやサトリは俺を探してくれてるんだろうか? タヌっちは厨二病を拗らせているんだろうか? 百目爺はまた数多のコンタクトレンズを落としているんだろうか? ウマちゃんは俺の部屋の隅っこで大人しくしてるんだろうか?
思い返せば思い返すほど蘇る皆との日常の思い出。俺は急に皆のことが恋しくなってしまった。
だから俺はずっと前に決めた。この怪我が治ったら、皆のところに帰ろうと。
そして今日。ここに来てから丁度三カ月が経過したこの日に、俺は三人に見送られながら小屋の外に立っていた。
「本当に行ってしまわれるのですか弥白君? ずっとここで暮らしていても構わないのですよ?」
「あははっ、流石にそういうわけにはいかないよ氷麗さん。俺もいずれ大人になるんだし、いつかは自立しなくちゃいけない日がやって来るんだしね」
「ならばせめてもの近くまで送らせて貰えないだろうか弥白少年。お主には感謝し切れない恩義が山のように残っているのだ」
「その気持ちだけ受け取らせてもらうね。帰り道は大雪さんに教えてもらったし、もう雪崩に巻き込まれたりもしないよ。大雪さんのハンティングのお蔭で獣と会うこともないし、一人でも大丈夫!」
「……そうか。ならばもう何も言うまい。お主と過ごした日々、私達は永遠に記憶に刻んでおこう」
「うん! それじゃ、短い間お世話になりました!」
最後に深く頭を下げてお礼を言う。そうして俺は三人に背中を向けて、沢山の思い出が詰まったこの場所から離れて歩き出した。
「雪羅ちゃん」
「……何、お母さん」
「弥白君、行ってしまいますよ」
「……うん」
「弥白君が言っていましたよね。貴女は好きなように生きて良いって」
「…………うん」
「だったらもう、我慢なんてしなくても良いのですよ」
「……っ! 弥白!」
できることならこのまま何も言わずに立ち去りたかった。だけど最後の最後で我慢ができなくなった雪羅は、俺の元に駆け寄って来た。
「行か――」
俺の前で立ち止まって何かを言い掛けたが、言葉を噛み殺して頭を振る。
「……今までありがとう雪羅。君のお蔭で本当に楽しかった」
「私も……私も楽しかった! 絶対に……忘れないから。弥白と妖怪図鑑を読んだことも、お母さんが作ったご飯を食べたことも、外で追いかけっこしたりかくれんぼしたりしたことも、全部全部忘れないから!」
やばい、産声以来大泣きしたことがない俺が大泣きしそうだ。
意地を張って涙が出るのを必死に堪えて、俺は何とか笑って見せる。
「あのね弥白。お父さん、これからまた色んな場所を旅して回るって言ってるの。それで今度は私とお母さんも付いて行くつもりだから……もう弥白とここでは会えないと思う」
「そ……っか」
つまり、俺が一度家に帰ってここにまた遊びに来たとしても、その頃には既にもぬけの殻になっているというわけだ。そしてそれは、好きな時に雪羅と会えなくなるということに繋がる。
「うん、分かった。それじゃ……元気でね、雪羅」
俺は雪羅に背を向けて、今度こそ立ち去ろうとする。
「弥白!」
しかし、雪羅はまた俺を呼び止めた。俺は振り向かずに立ち止まり、少しだけ首を横に傾けた。
「……何?」
「あの……ね。最後にこれだけは伝えたいの。聞いてくれる……かな?」
「……手短にね」
少し棘のある言い方になって、声質も普段より大分冷たい感じになってしまった。別れが辛いからこそ早く立ち去りたいと思ってるのに、何度も呼び止めて来る雪羅に無意識に怒ってしまっているんだろう。
しかし雪羅は、滅多に見せない俺の怒りに臆することなく話し出した。
「正直、私はまだ弥白以外の人間が怖い。だから今はまだ私から弥白の家がある場所には行けないと思う。でも……でもね? いつか必ずこの怖さを克服して強くなって、きっとまた貴方に会いに行くから。だから……」
消え入りそうな声で伝えてくる雪羅の想い。俺は一字一句忘れないようにジッと耳を傾ける。
「それまで私のこと……ずっと覚えて待っててくれますか……?」
「…………ふぅ~」
思い切り自分の顔を両手で叩く。痛みで悲しさを強引に吹き飛ばし、また雪羅と面を向かい合わせて彼女の目の前に歩み寄った。
俺は首に巻いている雪結晶模様入りの水色のマフラーを外して、雪羅の首元に手を回して優しく巻いてあげた。
「……暖かい」
マフラーにそっと触れて、雪羅は微かに呟いた。
「それ、俺のお気に入りのマフラーなんだ。思い出の証として雪羅にあげるね」
「……弥白」
「それと、そのマフラーは俺達の再会の印。俺は数年でも数十年でも君のことを待ち続けてるから。寿命が続いて生きていられる間、ずっと君のことは忘れない。いつだって君のことを想い続けるし、君が一番俺の好きな人だって何度でも証明するよ。絶対に約束する」
「うん……約束。必ずすぐに会いに行くから。それまで私もずっと弥白のことを忘れないよ。だから弥白も私のこと、ずっと覚えていてね……」
雪羅は涙を流さずに微笑んでくれると、俺の小指に自分の小指を重ねて来た。
そうして俺達は、再会の約束を交わした。絶対に忘れないように、雪羅とまた出会えることを心に願いながら。
――そして三年後。俺達に約束を果たす時が訪れる。
〜※〜
「さて、それじゃ証明の時間といこっか」
俺は立ち上がって一度部屋に戻り、“それ”を持って雪羅の元に戻って来た。
「それって……漬物石? そもそも証明って一体何の?」
「決まってるじゃん。三年経った今でも、俺の気持ちは変わってないってことだよ」
俺は漬物石……ではなく、“囀り石”を二三度擦る。
囀り石は振動し始めて、急にピタリと静止する。すると否や、キノコのようににょきりと手足が生えて石の生き物に変化した。
「おいッス。おいどん囀り石ッス。貴方の知りたいことに答えちゃいますよ、言っちゃいますよ、暴露しちゃいますよ」
「……何これ?」
雪羅は目を丸くさせて囀り石を見ていた。初めて見る人はやっぱりこういう反応するんだなぁ。
「これは囀り石って言って、世の中の知りたい真実を何でも教えてくれる妖怪だよ。その知りたいことが例え、人の無意識化にある気持ちであったとしても、ね」
「そんな妖怪がいただなんて……えっ? ということはもしかして……」
「そういうこと。だから言ったでしょ? 証明するってね」
俺は聞きたいことを心の中で念じる。そしてその内容を覚った囀り石は、雪羅に向けて答えを出す。
「イッシッシッ! 弥白の好きな妖怪は………………つらら女!」
「「…………」」
妙に長い間を残し、囀り石はただの漬物石に戻った。
「……長くなかった?」
「き、気のせい気のせい。ほ~らね? 三年前に言った通りでしょ? 俺は今でも雪羅が一番好きなんだよ!」
「う~ん……な~んか怪しいなぁ~?」
少し拗ねた様子で俺に白い目を向けて来る雪羅。
「ほ、本当だって! 俺の目を見て雪羅! この曇りなき光り輝いてる眼を見て!」
「……ちょっと貸してもらうねそれ」
「あ゛っ……」
両手に抱えていた囀り石をひょいっと取り上げられて、今度は雪羅が囀り石を擦った。
「おいッス。おいどん囀り石ッス。貴方の知りたいことに答えちゃいますよ、言っちゃいますよ、暴露しちゃいますよ」
嫌な汗を流しながら一連の動作をただ黙って見つめる。
雪羅は何かを思うように目を瞑ると、間もなく囀り石が答えを出す。
「イッシッシッ! 弥白と雪羅の気持ちは……両想い! つーか爆ぜろよクソリア充」
余計な暴言を言い残し、囀り石は俺に唾を吐き飛ばして漬物石に戻った。
「……良かった。嘘は言ってなかったんだね」
と言いながら、雪羅は笑顔で囀り石を殴り砕いた。
「えーと……何してるのですか雪羅さんや?」
「何って……壊したんだよ?」
「だからそれが何故に!?」
「ふふっ、だってこいつ弥白に唾吐き飛ばしたんだよ? 有罪一択に決まってるじゃない」
そういう雪羅はやはり笑顔だ。さっきまで優しい雰囲気だったはずなのに、今の雪羅からは怒りのオーラが満ち溢れていた。
「俺を大切に想ってくれてるのは嬉しいんだけど、暴力は止めようね? ぶっちゃけ怖いから」
「むぅ、弥白がそう言うなら。でも……そっか」
不機嫌になっていた様子が消えて、また雪羅に柔らかい雰囲気が戻った。
「弥白は本当に今までずっと、私のことを想っていてくれたんだね……」
「勿論。片時も忘れたことはないよ」
「……ありがとう」
そうして雪羅は、何時ぞやの別れの時のように目を瞑って額を重ね合わせて来た。俺も目を瞑って額から伝わってくる懐かしい感触に、思わず泣いてしまいそうになるくらいの喜びを感じた。
――と思っていたのも束の間。
「おぉ! 目を覚ましたのじゃなシロよ! 一時はどうなるかと思ったがこれで安……心……?」
油断大敵とはまさにこのこと。しばらく目を瞑っている隙を突かれて、ふと目を開けた瞬間に頬にキスをされた。
そして間の悪いことに、廊下の奥から酒瓶を携えたキサナがやって来ていた。無論、キサナにはバッチリ見られてしまった。
「……ほほぅ、なるほどの。お主らはそういう関係だったわけじゃな?」
やらかした。ついにバレちゃったよ。まぁキサナ一人になら別に構わな――
「お〜い皆の者〜! ここに出来立てホヤホヤのカップルが◯◯◯◯の前準備を始めとるぞ〜!」
普段のキサナならいざ知らず、酔ったキサナはマジでタチが悪かった! 酒癖悪いとか聞いてないよ!
「うわぁぁぁ!? 俺こういうの駄目なんだよ〜!」
「何? もしかして恥ずかしいの弥白? 顔赤くさせちゃってるの? ふふっ、相変わらずそういうところは可愛いんだね〜」
「だから俺を弄って遊んじゃありませんよ! 慣れてないって言ってるでしょ!」
「嫌です」
「あぁもう可愛い……じゃなくて! 早まらないでキサナ~! 俺達のことはそっとしておいてぇぇぇ!!」
しかし俺の願いは聞き届けられることなく、この屋敷にいる全員に雪羅との関係を言い触らされた。
しばらくはこのネタで振り回されることになるんだろうか。そんな願ってもない未来を想像して涙目になりながら雪羅の膝の上で不貞腐れて、雪羅に頭を撫でてもらいながら目一杯甘えて笑い合っていた。




