5.魔法使い差別をめぐる策謀
ランカ・ライカが寝るのは早い。彼女は早寝早起きが基本だ。だから、他のほとんどの団員達がまだ起きている時間に、彼女は既に寝室で横になっていた。
寝付も良いので、布団に入ってすぐに瞼が閉じかけたのだが、そこで怪しい気配に気が付いた。
部屋の中を何かが駆けている。とても小さな何か。
彼女は半身を起こすとじっと部屋を見る。彼女は夜目が利くから、暗い中でもそれが何か分かった。ネズミだ。害はない。しかし、それで彼女が安心をしかけたその時だった。
『久しぶりだね、ランカ・ライカ』
そうそのネズミが話しかけて来たのだ。しかもその声には聞き覚えがあった。
「お前、シロアキかい?」
そのネズミから発せられた声は、間違いなくシロアキのものだったのだ。彼女は彼の事をずっと心配していたから直ぐに分かった。そして、恐らくは魔法で彼がネズミを操っているのだろうと判断する。よくアンナ・アンリが小鳥でやっているのと同じ魔法だ。
「取り敢えず無事だと知って、少しは安心したよ。お前は、どこにいるんだい? なんだか追い込まれているらしいじゃないか。もしも危険な目に遭っているのなら、遠慮せずにうちにおいで」
それにネズミは肩を竦める。
『そうしたいのは、山々だけどね。あんた以外の他のメンバーはボクの事を受け入れたりはしないだろうよ。
ただ、それでも甘えさせてくれるというのなら、少し頼みたい事があるんだ。前の“お礼”もしていないし。だから、一度会いたいのだけどね』
ランカはそのシロアキの言葉を聞くと身を乗り出した。
「何か困った事があるんだね? 分かったよ。わたしにできる事なら、できる限り力になろうじゃないか。だから、どうすれば良いのか教えておくれ」
すると、シロアキはこう言った。
『なら、谷川の登山道の方に来てくれないか? ちょうど川が大きくカーブになって平らになっている辺りだよ。ボクはそこで待っているから』
それを聞くと、ランカはシロアキは他の団員達から嫌われているから、自分一人とだけ会いたいのだろうとそう考えた。こっそりと、自分に助けを求めたいのだと。
「分かったよ。他のみんなには見つからないように、気を付けてそこへ行く。少し待ってな」
ランカがそう言うとネズミは消えた。それから彼女は、アジトをこっそりと抜け出すと、シロアキが言った場所に急いで向かったのだった。
約束の場所の谷川の近くにまで来ても、シロアキの姿は見えなかった。その代わり、大岩の上に包みが置かれてある。シロアキからだろうと判断して中を見てみると、そこには何故か首輪とビスケットのようなお菓子が入っていた。そのタイミングで、先のネズミが現れる。
『約束通り直ぐに来てくれたんだね、ランカ・ライカ。嬉しいよ』
「ああ、わたしゃ、お前が心配だからね。ところで、これは何だい?」
『言ったろう? “お礼”もしたいんだよ。首飾りと美味しいお菓子さ。有名な店のお菓子なんだぜ』
「はは、かわいいところがあるじゃないか。でも、わたしは、それよりもお前の頼み事の方が気になっているんだがね。さっさと姿を見せて話しておくれよ」
『いや、その前に、是非、ボクからのお礼のお菓子を食べてくれよ。首飾りもつけて欲しい。頼み事を聞かせると、それどころじゃなくなるかもしれないからさ』
それを聞いてランカは少し迷ったが「まぁ、いい。分かったよ」とそう言うと、まずはお菓子を食べ、その後でその首輪としか思えないシロアキが“首飾り”と言ったそれを首につけた。
その瞬間だった。
ランカは力が抜けるような感覚を味わったのだ。しかも、同時に急速に眠気がやって来る。その異変にランカは戸惑った。
“……おかしいね。なんだい、これは?”
やがて彼女は立ってはいられなくなって、その場に倒れ込んでしまう。そして、薄れていく意識の中、彼女はそこに近付いて来る何かの気配に気が付いたのだった。
「シロア……」
彼女はそう言いかけて、意識が完全になくなった。
それから、その場に現れたのは二人。一人は子供の姿ではあるが妙に大人びた顔をしている。シロアキだ。もう一人はデンプタリンという名の、花瓶のような特徴的な体型の妙に手足が太い男だった。デンプタリンが言った。
「まさか、本当にこんな方法で上手くいくとはね。オレはびっくりしたよ」
お菓子には強力な睡眠薬が入れられていて、ランカが自ら嵌めた首輪は、魔力を抑制する効果のある首輪だったのだ。もちろん、罠である。
シロアキは言う。
「言ったろう? この女は特殊なんだよ、デンプタリン。子供…… だと、自分が思っている相手には警戒心がゼロになるんだ。だから、こんな見え見えの罠にも引っ掛かる」
シロアキはランカの身体能力の高さの秘密は魔力にあると予想し、だから首輪でなら彼女の力を抑えられるとそう考えたのだ。それから、シロアキはこう続けた。
「とにかく、二人でこいつを運ぶぞ。お前は背は低いが、力持ちだから大丈夫だろう? 背負ってくれよ」
デンプタリンはそれを聞いて呆れる。
「シロアキ、さてはほとんどオレに運ばせるつもりだな?」
デンプタリンの身長は低いが、確かにシロアキの言った通りに力があるらしかった。軽々とランカを抱えてしまう。彼の身長では足を引きずってしまうのでシロアキが持ったが、シロアキが力添えをしたのはそれだけだった。歩き出すとデンプタリンが訊いた。
「ところで、シロアキ」
「なんだよ?」
「どうして、今までランカ・ライカを捕まえなかったんだい? これならいつだって捕まえられただろうに」
「逆だよ、デンプタリン。いつでも捕まえられるからこそ、今まで遊ばせておいたのさ。あのアンナ・アンリって魔女を先に捕まえておかないと、オリバー・セルフリッジに警戒されるからな」
「オリバー・セルフリッジに?」
「ああ、あいつは油断ならない」
しかし、そう言った後で「フフッ!」と笑うとシロアキはこう続けた。
「……もっとも、こうなっては、流石のあいつにも、どうしようもないだろうけどな」
――本当に大丈夫なんですか?
その数か月前の事。
アンナ・アンリはオリバー・セルフリッジに対して不安げな様子でそう尋ねた。それはグローという大臣による王子暗殺未遂事件が起こった後のことで、どうして彼女がそんな事を尋ねたのかというと、メイロナというグロー元大臣の側近が、アンナの魔力が抑制されていない事実を世間にばらしてしまったからだった。
「アンナ・アンリに嵌められている首輪は、ダミーで魔力を抑制する効果はない! 皆は騙されているのだ」
アンナ・アンリの魔力が抑制されていない事が知られれば、もうセルフリッジはそれを利用しての策を使う事はできない。しかも皆から警戒をされる上に、魔法使い差別主義者達からも敵意を向けられるはずだ。
メイロナにしてみれば、恐らくは復讐のつもりだったのだろう。グロー元大臣は王子暗殺を企てた罪で、今は犯罪者として捕まっている。メイロナに関しては、証拠不十分でなんとか罪には問われなかったものの、彼の出世の道は完全に閉ざされ、社会的には半分は終わったも同然だった。
アンナからの問いかけを受けると、セルフリッジは澄ました顔でこう言った。
「確かに、アンナさんがフルに魔力が使えると知られると悪い事もありますね。でも、逆に良い事もあるんですよ」
「良い事ですか?」
「はい。まず、アンナさんは外に出る時に、もうあのダミーの首輪をつける必要がなくなります」
「ちょっと待ってください。良い事って、そんな事ですか?」
「でも、あの首輪、アンナさんは嫌だったのじゃありませんか? デザインもそんなに良くありませんし……」
「そう思っているのなら、もっとマシなデザインのものを用意しておいてください」
「それが、考えているうちになんだかよく分からなくなってしまいましてね。注文して出来上がった物を見て後悔したのですが、もう手遅れで…… すいません」
「それは別に良いです。そんな事よりも、本当に大丈夫なのかを、わたしは心配しているんです」
そう言った後でアンナはじっと彼の事を見つめた。一呼吸の間の後で続ける。
「セルフリッジさんは、いつも“目立たない”という戦略を基本姿勢としてきました。裏で策をめぐらせはしますが、表には出ないし決して必要以上には力を持とうともしない。つまり敢えて軽視される事で、周囲から警戒をされないようにし、それで身の安全を守るという、とてもせこい手段を執っています。
だから、厄介な一人とは思われているのに、攻撃される事はあまりなかった」
そのアンナの言葉に、彼は困ったように笑いながら言った。
「ずいぶんな言い方ですね。まぁ、その通りですが」
それを聞くとアンナは眉をひん曲げてこう問い質した。
「ですが、今回、わたしがフルで魔力を使えると世間に知られてしまいました。はっきり言ってセルフリッジさんは目立っています。警戒だってされてしまいますよ? 危険な立場に立たされたのじゃありませんか?」
アンナは必死に訴えたのだが、ところがそれを聞いても、彼は飄々とした様子でこう返すのだった。
「まぁ、確かに以前に比べればそうかもしれませんねぇ……。ただ、それは一時だけの問題ですよ。いずれ、僕は特別な存在ではなくなります」
「どういう事ですか?」
「魔力をフルに使える魔法使いの協力を得る事が、いかに有用かを世間に知らしめていけば、自ずから真似をする人達が現れてきます。そうすれば、僕は特別な存在ではなくなるという事ですよ。魔法使いに首輪を嵌めるのは慣習に過ぎず、法律で決まっている訳ではありませんからね。
もっとも、その為にはこれからもう少し忙しくアンナさんに働いてもらわなくてはいけませんが」
アンナはその彼からの説明を受けると、直ぐに彼の本当の目的を察した。そうして魔法使いを個人的に開放する人間が増えていけば、当然それは魔法使いの差別撤廃に繋がっていくはずだ。
「セルフリッジさん……。もしかして、それを狙って、あのメイロナって人にわざとわたしの魔力が解放されている事を宣伝させたのですか?
第三者からの報告の方が、魔力解放がいかに役に立つのか自然に伝えらるし、信頼性も高くなりますよね?」
セルフリッジはそれに何も答えない。
「わたしはあの人を罪に問わないようにしたのは、無駄な抵抗をしないよう促す為だと思っていたのですが、それだけではなかったのですね? 初めから、あの人を、利用するつもりだったんだ……」
それにセルフリッジは「さぁ、どうでしょう?」と惚けた。ただし、それが嘘であるのは明らかだった。彼は嘘が下手なので表情や態度から直ぐに分かる。もっとも、今回の嘘は隠す気はないようだったが。
“本当に油断できない人……”
それから、アンナは改めてそう思ったのだった。
その後、アンナはダミーの首輪をつけないで外出するようになった。セルフリッジが自覚しているように、あまりデザイン的によろしくない首輪だったので、捨ててしまうのかとセルフリッジは思っていたのだが、意外にも彼女はそれを大事に仕舞っているようだった。
「数ヶ月間もつけ続けましたから、それなりに愛着を持っているんです」
というのが彼女が言ったその理由だったが、“セルフリッジから初めてプレゼントされたものだから”というのが、どうやらその本当の理由のようだった。
それからアンナはセルフリッジが言ったように少しばかり忙しくなった。魔力をフルに使えるという事で、頼りにされる場面が多くなっていったのだ。それまでも実はこっそりと行っていたのだが、人命救助にもよく駆り出されたし、それ以外のくだらない仕事の依頼をされる場合も多かった。アンナの立場は一応は国に仕える公務員で、だから市民の要望に応える理屈もある事はあるのだが、それにしても断ってしまいたくなるようなものも中にはあった。例えば、落し物探しとか、白アリ駆除とか。しかし、それでもアンナとセルフリッジはできる限り多くの依頼に応えるようにした。もちろん、それは魔法使い差別撤廃の為だった。
そうしてアンナが活躍していくことで、更に彼女は有名になり、その過程でセルフリッジが予想した通り、他の魔法使い達も解放しようという動きが出始めたのだが、すんなりとは事は運ばなかった。
魔法使い差別主義者達が、その傾向に異を唱えたのだ。
「魔法使いに首輪を嵌める事が、法律上で義務付けられていないとしても、このまま彼らを解放してしまうのは危険過ぎる」
魔法使い差別主義者達はそう主張し、彼らの息のかかった政治家や官僚達も積極的に解放に反対していた。魔法使い差別主義者達のバックには、シャイロー銀行という大きな金融機関があり、その影響力はそれなりに強かったのだ。結果として、国は法律でこそ規定はしなかったが、役人達に魔法使い解放の自粛を求めたのだった(この国で魔法使いを奴隷として利用できるのは、例外もあるが、基本的には国の人間だけなのだ)。
「どうするんですか?」
アンナはそのあまり芳しくない流れを受けて、セルフリッジにそう問いかけた。ところが、それでも彼は余裕の態度を崩さないのだった。
「まぁ、後少しでまた状況は変わるはずですから」
どうやら彼にはまだ策があるらしかった。
そして。
その男、シャロム・シャイローが、アンナの前に現れたのは、そんな時期の事だった。
アンナ・アンリはその日、カフェテラスでお茶を飲みながらセルフリッジを待っていた。仕事の都合で別々の場所に行かねばならず、一緒に夕飯の買い物をする為に彼女達はそこで待ち合わせをしていたのだ。
その男は突然現れ、そんな彼女の前の席に、無遠慮に何の断りも入れずいきなり腰を下ろした。その男は綺麗なさらさらとした金髪をオールバックにしていて、顔は美形だった。背は標準よりも高い程度で、これで後少し身長があれば、評価は分かれるかもしれないが、少なくとも一部の女性にとっては外見は申し分ないだろう。それを本人も分かっているのか、涼やかな表情を浮かべてはいるが、その内心の暑苦しそうな自信を隠せてはいなかった。どことなく傲慢さがにじみ出ている。
鈍感な女性ならばその外見にあっさりと騙されるかもしれないが、観察眼に優れた敏感な女性なら慎重に相手をする。その男はそんなタイプに思えた。
頭が良く慎重なアンナ・アンリは、その彼の傲慢さを敏感に感じ取った。が、しかしそれはどちらでも同じだったのかもしれない。何故なら彼女は、その男にほとんど興味を引かれてはいなかったからだ。彼女はセルフリッジしか、異性として目に入っていない。だから、そもそも自分に気を持つ男の存在が想像できない。それは、彼女が魔女として育ってきたことも少なからず影響していたのかもしれない。
その時も、それで彼女はその男は単に席を間違えただけだと思っていた。だから、いずれ間違いに気付けば、自分から席を離れるだろうとそう考えていたのだ。しかし、それから男がこう話しかけて来て、自分を誘っているのだと初めて気が付いた。
「失礼。あなたのような美しい女性がお一人でいるなんてと、つい前の席に腰を下ろしてしまいました」
男はどうやらアンナから拒絶の言葉がなかったものだから、脈ありだと勘違いをしたようだった。こう続ける。
「僕はシャロム・シャイローといいます。どうかお暇なら、少しの間だけで良いので、話し相手になってもらいたい」
アンナはその言葉に困った。セルフリッジが来るまでの間、確かに暇と言えば暇だが、このシャロムという男からの誘いを受けるつもりはなかったからだ。
「はぁ、暇なことは暇ですが、待ち合わせをしているところなので……」
それでそう言うと、シャロムは強引にこう頼んで来た。
「では、その待ち合わせの相手が来るまでの間で良いので、話し相手になってください」
アンナはそれに「はぁ」と返す。この程度で意識し過ぎかと思うと、どうにも断り難い。アンナが曖昧に返事をしたのを良い事に、シャロムは勝手に喋り始めた。“なんだかな”と思いながらも、一応は彼女はそれなりに相槌を打っていた。
シャロムというこの男はどうやら金融機関に勤めていて、しかもまだ若いのに、それなりの地位にいるらしかった。話のほとんどは、その仕事での成功譚ばかりだった。つまりは自慢話だ。嘘か事実かは分からないが、金融業界を知らないアンナにとって、それは少しは面白い話ではあったのだが、彼が専門用語の意味を少しも説明しないで話すので、その内容をいまいち理解できなかった。
“もっと噛み砕いて話してくれれば良いのに”
と彼女は思う。彼が単に不親切なのか、それとも専門用語を使った方がカッコいいと思って意図的にそんな言葉を選んでいるのかは分からなかったが、どちらにしろそれは軽蔑の材料になった。そして、そのうちに彼女がその自慢話に辟易し始めたところで、オリバー・セルフリッジが姿を見せたのだった。
「アンナさん。お待たせしました」
彼の登場に、アンナは内心で“助かった”とそう呟いた。
「それでは、待ち合わせの相手が来ましたので」
アンナがそう言うと、シャロムは不敵な表情でセルフリッジを一瞥してから「それは名残惜しい」とそう言った。どうもその視線はセルフリッジに対する宣戦布告のようだった。
“なんだかな”と再び思いながら、アンナはセルフリッジに早く買い物に行こうと促した。さっさとこのシャロムという男から離れたかったのだ。ところが、その後、二人切りになったところで、セルフリッジは妙に澄ました顔で「さっきの方は誰ですか?」とそう訊いて来たのだった。
アンナはその彼の表情と言葉から不自然さを敏感に感じ取った。そして、そこで意外に彼の独占欲が強い事を思い出したのだ。
“あっ さてはジェラシーだな”
それで、彼女はそう判断する。彼女はそれを喜んでいた。
「よく分かりませんが、なんだか、自慢話がしたかったみたいです。相手をして欲しいと頼まれまして」
喜んでいる事を隠したままでそう答える。その言葉にセルフリッジは納得したようで後には引きずらなかったが、それでもその日、アンナは少しばかり機嫌が良かったのだった。
彼には、自分自身に対しては不器用という欠点があった。だからこそ彼女に近付こうとする男に嫉妬を感じ、それを隠せもしない。が、この時のアンナにとっては、そんな彼の自身に対しては不器用という欠点がむしろプラスになっていた。
――オリバー・セルフリッジは、非常に人に働きかけるのが巧い人間だ。だが、巧過ぎる為にそれがマイナスにもなっていた。頭の良い人間は、彼にいいように操られているのではないかと不審に思ってしまうのだ。もちろん、アンナ・アンリもそんな一人だ(ただし、彼自身は皮肉にも、そういった頭の良い人間の方が好きなのだが)。
だから彼女は、セルフリッジに依存すると同時にいつも“利用されているだけではないか”と何処かでは不安に思っている。その不安が彼の欠点…… 不器用さに触れる事で和らいでいたのだ。それもあって彼女は、彼の嫉妬を喜んでいたのである。
それからもシャロム・シャイローという名の男は、度々アンナの前に現れては話しかけて来た。明らかに彼は彼女を恋人にしようと狙っている。そして、それを隠す気もないようだった。しかも、それをアンナが拒絶しないでいるので、彼女にそれに応える気があると勘違いをしてもいた。彼が話す内容は、相変わらずに自慢話が中心だった。仕事の成功自慢のネタが尽きると、家の資産自慢や自分がどんな贅沢な暮らしをしているのかといった点を彼女に話して聞かせ続けた。
シャロムはどうやら自分の優秀さを示す事が、女を惹きつけるには一番だと考えているようだった。話す女性を選べば、或いはそれは効果的かもしれないが、少なくともアンナにはまったく効果がなかった。彼女はそんな事で男に魅力を感じるタイプではない。
では、どうして彼女が一時とはいえ、シャロムの相手をしていたのかと言えば、それはセルフリッジの嫉妬が嬉しかったからだった。だが、シャロムが彼女へのプレゼントを用意してくる段になって、彼女はそれを後悔した。もっと早くに、拒絶すれば良かったと。シャロムは高価そうな宝石を用意していたのだ。流石にそんな物を受け取る訳にはいかない。彼女にはセルフリッジと別れるつもりはほんの少しもなかったし、だからセルフリッジを本気で怒らせたくはなかったのだ。
「ごめんなさい」
それは町中の路地で、彼女が一人で歩いている時の事だった。その場に突然に現れて、そのプレゼントを差し出してきた彼に、彼女はそう謝ったのだ。唖然としている彼に向けて彼女は言う。
「それを受け取る訳にはいきません。あなたの気持ちに気付いていながら、今まで引きずってしまいました。わたしはセルフリッジさんと別れるつもりはないんです。あなたの話を聞き続けたのは、彼が嫉妬して来るのが嬉しかったからで、今から考えれば、それはあなたにとって残酷でした」
ここで彼女は、正直に本心を話すべきではなかったのかもしれない。もっとも、どちらにしろ、あまり結果は変わらなかったかもしれないが。とにかく、それは彼への侮辱の言葉になってしまったのだ。
シャロムはそれを聞いて、宝石を差し出したままで固まってしまった。どう言えば良いのか分からず、もう一度アンナは彼に頭を下げると、固まったままでいる彼を一人残して、その場から逃げるようにして去って行った。
シャロム・シャイローは去っていくアンナの後ろ姿を見つめながら、その顔を怒りの形相に変えていた。黙ったままで激怒している。彼は絶対にオリバー・セルフリッジからアンナ・アンリを奪えると自信を持っていたのだ。
“あのクソ女…… 女の分際で、魔女の分際で…… この僕にここまでさせておいて…… 馬鹿にしやがってぇ! 覚えていろよ!”
彼は心の中では、そんな言葉を連呼していた。
シャロム・シャイロー。
彼はシャイロー銀行の次男だ。そして、シャイロー家は伝統的に熱心な魔法使い差別主義者でもあった。環境の所為で、その考えに染まってしまった彼は、魔法使いを本質的に危険な存在と考え、支配しコントロールしなければいけないと本気で信じている。だから魔法使いを解放し差別を撤廃しようという世間の動きにも反対していた。
アンナ・アンリという魔女が魔力を解放された状態で何の問題もなく、オリバー・セルフリッジという男と一緒に仕事をし、優秀な働きをしている。
その事実を知った時、彼は、その歪んだ思想にそれを当て嵌め、こう考えた。
“魔女のアンナ・アンリが首輪を外されているのに、オリバー・セルフリッジの下で大人しくしているのは、そいつに惚れているからだろう。つまり、首輪を外されても、その女は本当は支配されているのだ”
彼の家は男性中心的で、“女は男に従うものだ”という願望をそのまま信念に変えてしまったような思想も持っていたのだ。それが自然で当たり前だと思っている彼は、だからアンナ・アンリをセルフリッジの代わりに自分が支配し、従わせる事を考えたのだった。自信過剰な彼は、自分ならアンナをセルフリッジから奪えるとそう考えていた。
オリバー・セルフリッジがアンナ・アンリを失えば、魔法使い解放運動の流れを弱められるだろう。更にシャロムはアンナを奪って利用すれば、魔法使い利用の新しい形を世間に示せると考えてもいた。
魔力抑制効果を遠隔操作できる新しいタイプの首輪。それを利用すれば、奴隷としたままでも最大限に魔法使いの魔力を活かせる。そんな構想を彼は抱いていたのだ。
ある日の事だった。その日は珍しくアンナもセルフリッジも仕事が忙しくはなく、午後の空いた時間を利用して、彼らはベルゼーブ・マジック・アイテム・カンパニーの研究施設、通称“ベルゼーブ工房”を訪ねていた。
ベルゼーブ・マジック・アイテム・カンパニーは、セルビア・クリムソンの勤めている会社だ。正確にはそのベルゼーブ工房は、子会社が所有しているのだが、実質的には大差はなかった。
そこでセルフリッジはアンナに頼みたい事があるらしかったのだ。しかも、それは魔法使いの差別を撤廃する為の策とも関係があるのだという。その策についての説明をアンナは未だに聞かされていなかったのだが、どうやらそこで話してくれるらしかった。
が、その場で、アンナは少しばかり憂鬱そうにしているのだった。
施設の待合室に待機している時、
「あの、どうしてそんなに元気がないのですか?」
セルフリッジがそれを不思議に思ってそう尋ねると、アンナはやはり憂鬱そうにこう答えた。
「いつもは策の内容を黙っているセルフリッジさんが、それを説明する時は、大体は嫌な事があるからですよ。また、何か危険な事をやろうとしているのじゃありませんか?」
それを聞くと彼は「ハハハ」と困り顔で笑った。
「いえ、今回は大丈夫だと思いますよ。ただ単にアンナさんからの協力を得る為に説明が必要ってだけですし。それに実は策ってほどのものでもないんです」
「そうなんですか? まぁ、それなら良いんですがね」
やがてそこに童顔で背が低い男が現れた。とても陽気そうで、セルフリッジを見るなり顔を明るくしてこう言う。
「おぉ! 旦那! 久しぶりだねぇ。来てくれて嬉しいよ。その後、変わりはないかい? おっ!? こっちの人は旦那が言っていた魔女のお嬢ちゃんだね。可愛いじゃないか。よろしく! 今日は協力してくれるそうでどうもありがとう」
それだけの事を、その男はやたら高い声でまくしたてるように言った。それから人懐っこそうな表情でアンナに握手を求めたのだが、セルフリッジを見るとそれを途中で遠慮してしまう。どうやら、彼に気を遣ったらしい。無神経なようでいて、変なところでは細やかな神経をしているようだ。
“変な人だな”
アンナはそう思った。
会って一分も経たない内に、世間ずれしていると分かる人間も珍しい。この男は何者なのだろう?
それからセルフリッジは、笑いながらその男を紹介した。
「彼はチニック君といいます。とても優秀な技術者で、ここのエースですよ」
「はぁ」
アンナは不可解そうにそう返す。
「少し変わった人ですが、信頼はおけます。とても面白い人ですよ」
変わっている事も面白い人という事も説明を受けなくても一目瞭然だった。それを受けるとチニックはこう言う。
「やぁやぁ、変わっているとは随分だな、セルフリッジの旦那。いくら旦那でも怒るかもしれないよ。その確率は2.93%といったところか」
「かなり低いじゃありませんか。というか、僕はチニック君が怒ったところを見たことがないのですが」
「うむ。ボクもここ数年は記憶にない。もっとも、人の記憶など当てにならないから信じるべきじゃないが。しかしだ、ならばノートに記されたそれを常にそのまま信じていいのかといえば、それもまた違う。では、何を根拠に記録というもの信じるべきなのかといえば、それは結局は皆の中の常識だったり信念に則っているかだったりする訳で、そう考えると記録何てものは常に信頼のおけない夢のようなものと……」
チニックは喋り続けていたが、それを無視してセルフリッジはアンナに言った。
「あのメリルさんにプレゼントしたグライダーも彼の作なんですよ」
チニックがこんな調子なのはいつもの事で、付き合っていると時間がいくらあっても足らない。それでセルフリッジは、そんな対応を執っているのだ。もっとも、チニックの方は無視をされても少しも気にしていない。
「え? あのグライダーの開発者ですか? なら、この人はグライダーのエンジニアか何かで……」
「いえ、それが違うんです。専門は魔法道具の開発なんですよ」
二人のそんな会話をどこかでは聞いていたのか、チニックはそれにこう言った。
「ああ、そうだ。それを忘れていたよ。あのグライダーの調子はどうだい? モニターになってくれた人は満足しているかな?」
それにセルフリッジは笑顔でこう返す。
「はい。とても満足しているようですよ」
「そうか。それは良かった」
その会話の後でアンナは疑問を口にする。
「魔法道具の開発者が、どうしてグライダーを開発できるんですか?」
それを聞くとチニックは「ふむ」とそう言い、一呼吸の間の後で「それは実際に見てもらった方が早いかな?」とそう続けた。それから彼は何も言わず待合室を出て研究所の方に行ってしまう。後に付いて来いという意味らしく、セルフリッジもそれに続きアンナを手招きした。
研究施設の中は、外見よりも広く感じた。どうも地面を掘り下げてあるようで、その所為で高さがあった。設備は近代的に思える部分もあれば、昔ながらの職人の工房を思わせる部分もあって統一感がなかった。或いはそれは有用なものは何でも取り入れていこうという設計者の思想を反映したものなのかもしれないが、その雰囲気はチニックにとてもよく似合っているようにアンナには思えた。
やがて少し開けた場所に到着をする。そこには、小さなグライダーのようで、それとは少しばかり異なった物が置かれてあった。グライダーのような形をしてはいるが、その妙な物には風車のような部品が取り付けられてあったのだ。
セルフリッジが言う。
「僕が買ったグライダーは、これを開発する過程で生み出された副産物のようなものなんです」
アンナは目の前に置かれているそれが何なのか理解できず、不思議に思ってそれを見続けていた。チニックの専門が魔法道具の開発というのなら、これは何かしら魔力に関連した道具なのだろうが、それ以上は分からなかった。不意にチニックが言った。
「魔女のお嬢ちゃん。ちょっとばかりこれに魔力を注入してみてくれないかな?」
訝しく思いながらも、それを聞いてアンナはそのグライダーのような物に魔力を注入してみた。すると、その途端にグライダーに取り付けられてある風車が高速で回転し始める。回転速度が速くなると、それは徐々に進み始め、そして、ある程度の速度に達するとなんと飛び上がってしまったのだった。
「なんですか? これは?」
得意げな表情でチニックは説明する。
「簡単に言うと、魔力を動力源として飛ぶ機械さ。魔力飛行機とボクは呼んでいる。本当はもっと大きくして、人間を飛ばせるような物を造りたかったのだけどね、会社から予算が下りなかったんだよ。
まぁ、用途としては、届け物を運ぶとか遊び道具とかになっちゃうかな? やっぱり」
チニックが説明している間で、飛行機は壁に激突しそうになった。それを見てアンナは「危ない」と声を上げる。すると、その途端、飛行機は方向転換した。それを見てチニックは「巧い、巧い」と面白そうに言った。その後、急速に力を失った飛行機は、アンナの近くにまで来ると墜落と言ってしまってもいいくらいの感じで着陸をした。
アンナは転がった飛行機を見ながら驚いた様子で疑問を口にする。
「今、わたしの意思で、この飛行機を曲げられたように思えたのですが?」
チニックはそれに頷く。
「ああ、曲げられたよ」
「どうして?」
「この飛行機は、魔力を注入した人の命令を聞くようになっているから。人間の極微弱な魔力に反応する物質が埋め込まれていてね、それでそんな遠隔操作が可能なんだ。因みに、操作自体には君ほどの魔力は必要ない。一般人のレベルで充分に可能だね。もっとも、距離が離れ過ぎたら駄目だけど」
それを聞き終えると、アンナは感心した声を上げた。
「凄いですね。そんな事が可能だなんて……」
しかし、それから少し考えるとアンナはこんな指摘をするのだった。
「でも、一般人にも遠隔操作が可能って、それを応用したら、例えば首輪の魔力抑制効果だって遠くから操作できるって事じゃありませんか?
なら、それは、首輪を嵌めたままで、魔法使いの魔力を活かせるって事でも……」
それを聞くとチニックは驚いた声を上げた。
「おぉ、旦那。凄いよ、この子。たったこれだけの事で、それに気が付くとは。とても頭が良いね。旦那が気に入るのも分かるなぁ。正直、ボクは感心しちゃったよ。ああ、もっと知識を学ばせてみたいなぁ。魔法使いで学者ってあまりないパターンだから……」
そんな具合で喋り続け、チニックが真っ当には応えないので、代わりにセルフリッジがアンナの指摘にこう応えた。
「アンナさん。その通りです。しかも実は実際にそんな遠隔操作型の首輪が既に作られてもいるんですよ。少量ですが、近日中に試験的に販売も始まるはずです。もっともその名目は、魔力をコントロールする力が育っていない者の為の抑制措置という事になっていますが」
チニックはそれに頷いた。
「旦那の言葉通りだ。最近、魔法使い差別撤廃の動きが大きくなってきているからね。世間に気を遣ったのさ」
アンナは不安げにこう言う。
「それって、差別主義者達にとって有利になる道具なんじゃありませんか? 差別撤廃を難しくしてしまうのじゃ?」
ところが、それにセルフリッジは首を横に振るのだった。
「僕はそうは思っていません。無理矢理に従わされている魔法使いが、自分の魔力を役立たせようと努力するとは思えないからです。それに、魔力を活かせる道具がもっと普及して、魔法使いがそれで社会貢献していけば、自ずから魔法使いへの差別はなくなってくとも僕は思っています」
チニックがその後に続ける。
「少し付け加えさせてくれ。ボクらは抗魔力の道具も作っている。皮肉に思えるかもしれないが、抗魔力の道具が充実していけば、魔法使い達を一般の人達が恐れる事もなくなっていくだろうと思うんだ。だから、それも、きっと差別撤廃の力になるよ」
アンナはその二人の言葉に頷いた。
「分かりました」
その後でこう続ける。
「ところで、セルフリッジさんが言っていた差別撤廃の為の策というのは、その事なんですか?」
それにセルフリッジは首を横に振った。
「え? ああ、それは違います。いえ、それも策の内の一つと言えばそうなのですがね。アンナさんに協力してもらいたいのは、チニック君が開発している魔法道具の実験なんですが……」
そうセルフリッジが説明をしている間で、チニックは何故か突然何も言わずに歩き始めてしまった。彼がそういう人間だともう把握した彼女は、その行動に驚かない。セルフリッジが歩き始めたのに合わせて、彼女もついて行く。セルフリッジはその間で説明を続ける。
「今、ここで開発している魔法道具の多くは、実はセルティア共和国での販売を前提としています」
「セルティア共和国? どうしてです?」
「セルティア共和国では、魔法使いの解放運動が盛んなんですよ。その点では、マカレトシア王国よりも進んでいます。そして、どうやら近い内にその動きは本格化しそうでもあるんです。そうなれば、魔力を利用した道具が売れるようになるはずでしょう?」
そこまでを聞けば、アンナにはもう充分だった。彼女は頭が良いのだ。
「なるほど。そういう事ですか。そうして、セルティア共和国が魔法使いの解放によって、その魔力を有効に利用できるようになれば、マカレトシア王国は不利になるでしょう。それに対抗する為には、マカレトシア王国でも魔法使いを解放するしかない。つまり、それがセルフリッジさんの言う策ですね?」
セルフリッジはそのアンナの言葉に満足げに頷く。
「その通りです。
……流石ですね、アンナさん」
そのタイミングで、チニックが立ち止まった。彼は言う。
「さぁ、魔女のお嬢ちゃんに開発協力してもらいたい魔法道具はこれだよ」
アンナが見ると、病院をイメージさせるような真っ白いテーブルがあり、そこの上には、非常に繊細な毛のような針が何本か置かれてあった。
「これは?」
そうアンナが質問すると、チニックはこう答えた。
「言うなれば、医療道具かな?」
「医療道具ですか?」
「そう。魔力能力者の中には、時折、魔力によって身体能力を高める事を得意とする者がいる。しかも、そういった人間達は、何故か怪我をしても平気だったり病気をしても直ぐに治ってしまったりする事が多い。ボクはその点に注目をしたのだね。この針をその人の刺して、魔力を注入すれば、それと同等以上の効果を引き出せるんだ」
アンナはその説明に目を丸くした。
「凄いです。ここに来てから、わたしは驚かされてばかりいますよ」
ところがそれを聞くと、チニックは少し言い難そうにしながらこう言うのだった。
「あ、いや、ただこれにはどうもコツがいるようなんだよ。数人に試してもらったけど、効果にばらつきがあった。恐らくは、普通の身体能力強化魔法と同じような事をしなくちゃいけないと思うんだが、それができる人が限られているのだろう。もっとデータが欲しいところなんだが、それが難しい。魔力を普段から解放されている魔法使いはこの国には君以外にはいないからね。実は魔法は使えないけど、ボクにも魔力はあって、それで、他の道具の実験は行えていたのだけど、これに関してはだから無理なんだ」
それを聞いてアンナは困った表情を浮かべた。
「あの、わたし、身体能力を高める魔法は得意じゃありませんよ? 知り合いのセピア・ローニーって人は得意ですけども」
チニックはそれに頷いた。
「うん。分かっている。だから、君には訓練と共に道具の効果実験もやってもらいたいのだね。あと、医学書も読んでもらいたい。医学の知識を身に付ければ、更に何か面白い点を見つけられるかもしれないから」
そう言いながらチニックは本棚から、医学書を取り出した。アンナはそれを受け取りはしたが、戸惑っているようだった。果たして自分にそんな事ができるのか、自信を持てなかったからだ。
ところが、そこでセルフリッジが彼女の肩に手を置くと、こんな事を言ったのだった。
「かつては、医療といえば、魔法使い達の専門職業でした。ところが、魔法使い達への差別意識が高くなると同時に、“神聖な医療から穢れた魔法使いを追放しろ”という声が大きくなり、今ではほとんど関わっていません。そういう意味でも、この道具の開発には意味があるんです。
アンナさん。どうか、お願いします」
その肩に置かれた彼の手を見ながら、彼女はこんな事を考えていた。
“もしも、医療技術を身に付けられれば、この人に何かがあった時に、助けてあげられるかもしれない……”
それから静かに彼女はこう応えたのだった。
「分かりました。どこまでできるかは分かりませんが、努力はしてみます」
チニックはその言葉に大いに感謝をした。