4.メリル・クリムソンの魔法とトロルの襲撃
「シロアキさんという方は、どうやらタンゲア帝国の暗黒街から、ここ最近は姿を消しているようですよ」
そうアンナ・アンリが言うと、ランカ・ライカは両手で顔を抱えるようにして、やや大袈裟に思えるほどに大きく二回、顔を振った。アンナはまた小鳥の身を借りてランカ山賊団のアジトを訪ねていたのだ。
「本当かい? あの子は何処に行ったんだろうね? そもそもどうして消えちまったんだい?」
見るからに心配そうな様子でランカはそう言う。
「飽くまで噂ですが…」
とアンナは続ける。
「手痛い失敗をしたので、挽回する為に動いていると聞きました。今はマカレトシア王国にいるのだとか」
因みに今回も彼女は昼休みに訪ねていた。昼食の時間なら、主要なメンバーがアジトにいる事が多いので、アンナはその時間を選んでいるのだ。
「まぁ、うちからナセとフレイをさらいかけた時に、十人以上はあいつの仲間を警察送りにしてやったからな」
そう言ったのはナイアマンだった。ダノがそれを聞くと腕組みをする。
「もし次に大きな失敗をしたら、シロアキは終わりかもしれないな。暗黒街ってのは、そんなに甘くないだろう」
ナイアマンは実はそうでもないのだが、ダノはシロアキをかなり嫌っている。ランカ山賊団では、ランカ以外の全員が、程度の差こそあれシロアキに対して何かしら警戒感を持っているのだが、それには理由があった。
シロアキという男はタンゲア帝国の暗黒街の犯罪組織のメンバーの一人だ。矮躯童人という名の大人になっても子供の姿のままでいる特殊な種族の一人で、魔力は弱いが魔法も使える。彼はその特殊性を利用してランカ山賊団にスパイとして潜入し、ナセとフレイの二人の王子達を誘拐しようとした過去があるのだ。誘拐は未遂に終わったが、その際に彼はランカをナイフで刺してもいる。しかも、スパイとして潜入していたお蔭で、シロアキはランカ山賊団の内部事情にも詳しい。だから、また彼がランカ山賊団を狙って、何か良からぬ計画を立てないとも限らないのだ。ナイアマン達はそれを心配しているのである。ただし、ボスのランカ・ライカだけは別だった。彼女は心の底から彼の身を案じていた。
外見は子供だが、シロアキは実は二十歳を超えている。つまり実際はもう成人しているのだが、何故かランカは彼は内面も子供だと判断し「不良だけどうちの子」と、そう子供扱いしているのだ。子供に対しては彼女は誰にでもそうだが、どうやら深い愛情を感じてもいるらしい。
「やっぱりあの子の身は危ないのかい? 心配だよ。暗黒街なんかに身を置かないで、うちに来れば良いのに!」
ランカのその言葉を聞くと、ナゼル・リメルが笑った。
「アハハハ。もし、そんな事になったら、ナイアマンの胃に穴が開くわね」
ダノがその言葉に肩を竦める。大きな身体の彼が、彼の性格に似つかわしくないそんな動きを見せたので、なんだか少し滑稽に思えた。
「もしも、シロアキがうちに入ったりしたら、俺は絶対に喧嘩するよ」
ダノがシロアキを嫌っているのは、彼の所業ばかりが原因ではなく、相性の問題もかなり大きそうだ。その後でアンナ・アンリは小鳥の姿に戻って羽根を羽ばたかせ、少しだけ飛ぶと、周囲を見渡してから着地した。周囲に誰がいるのかを確認したのかもしれない。また小人の姿になって彼女は皆に言う。
「シロアキさんに関しては、セルフリッジさんも気にかけているようなので、引き続き注視しておきます。何か分かったら、また伝えに来ますよ。
ところで、約束です。教えてください。最近のメリル・クリムソンちゃんの様子はどうでしょうか?」
ランカ山賊団がセルビア・クリムソンからメリル・クリムソンを預かってからしばらくが過ぎると、何故か定期的にアンナが様子を確認しに来るようになったのだ。ランカ達はそれを教える代わりに、タンゲア帝国にも独自の情報網を持つセルフリッジ達にシロアキについて情報を求めたのである。もっとも、ランカと彼女以外のランカ山賊団員達とでは、その目的が違ったが。
「ああ、メリルならライドと一緒にいるよ。なんだかすっかり仲良しになっちまってね。今は近くの野原にいるはずだね。ま、ライドがグライダー以外にも興味を持ってくれるのはこちらとしても嬉しい事なんだけどさ。ただ、素直には喜べない。
なんか、セルフリッジの奴が、ライドにあの子の面倒を見てくれるように頼んだみたいじゃないか。正直、それが少しばかり気になっているんだよ」
そのランカの言葉にナイアマンとナゼルが異口同音に「同意見」とそう言った。その後でランカが続ける。
「セルフリッジの目的は何なんだろうね? お嬢ちゃんは知らないかい? どうして、ライドにあの子を任せたのか……」
それを聞くと、アンナは軽く首を傾げながらこう答えた。
「すいません。それについては、わたしも聞いていません。あの人はあまり詳しく語らないので。いつも通りの彼の悪いクセです。ただ、メリルちゃんの魔法能力がどの程度成長しているのかをとても気にしていましたよ」
「魔法能力? なんか、また変な事を企んでいなければ良いけどね」
それを聞くと、指で頬をポンポンとリズムを取るように軽く叩きながらアンナは返す。
「飽くまで予想ですが、“もしかしたら、何かに役立つかもしれない”なんて事を考えているだけで、現段階では、具体的な何かの計画がある訳ではないと思います。布石だけはしておいて、その場面が来たら役立ってもらうつもりなのじゃないでしょうか。これもよく彼がやる事ですが」
「役に立つ?」
「はい。メリルちゃんの魔法と、ライドさんのグライダーのスキルが組み合わされば、何か良い事があるのじゃないですかね?」
しかし、そう言いはしたが、アンナ自身に具体的なイメージがある訳ではなかった。飽くまで漠然とした予想に過ぎない。
「メリルの魔法ったら、植物を操るのが得意みたいだけど…… この前も、ジャガイモ畑の除草を魔法でやっていたよ。それが何かグライダーと関係あるのかね?」
「除草を魔法で、ですか?」
「なんか、魔法を使って、たくさんの雑草を歩かせて畑の外にやっていたよ。面白い光景だったけど」
それを聞くとアンナは数度頷いた。
「なるほど。それは、随分と実力が上がっているようですね。この短期間で、素晴らしい。やっぱり魔力を抑制されないでいると、成長も早いのですかね……」
それから少し考えると、アンナはこう言った。
「個人的にも興味が沸いてきました。会ってから帰ろうと思います。メリルちゃんは、近くの野原にいるんですよね?」
「ああ、セルティア共和国の方にあるやつだよ」
「ありがとうございます」
そう言ってから、アンナはぶれたようにして小鳥の姿に戻ると、羽根を強く羽ばたかせ、勢いよく窓の外に飛び立っていった。
野原の真ん中に生えている、大きな木の枝の上で、ライドとメリルがああでもない、こうでもないと議論をしていた。ただし、仮に落ちても大怪我をしないだろう程度の高さだから危険性はない。ライドはグライダーを背にしていて、メリルはそんな彼女に後ろから抱きかかえられているような格好だった。
「このポーズで、一度試してみようよ、ライド」
とメリルが言う。
「でも、メリル。抱き合う感じの方がもっと安全なんじゃない? いざとなったら、メリルがわたしに抱き付いていられるから」
「だって、それだとグライダーの裏側しか見えないじゃん。つまらないよ。あたしは空の上からの景色も見てみたいもん」
どうやら彼女達は二人で一緒にグライダーに乗る方法について話し合っているようだった。そこに小鳥の身を借りたアンナがやって来る。アンナは近くの枝にとまると、軽く首を傾げてから二人に話しかけた。
「何をやっているんですか? 二人とも」
アンナはてっきりメリルは魔法の訓練をしているものだとばかり思っていたものだから、意外に感じたのだ。
「あ、アンナさん。今日は」
そう挨拶したのはライドだった。続けてメリルがこう言う。
「見ての通り、こうやって色々なポーズを試しながら、どうやったら一緒に二人で空を飛び易いか話していたところ」
その言葉にアンナは驚く。
「二人でって、メリルちゃんの分のパラシュートはないじゃないですか。危ないですよ。落ちたらどうするんです?」
それにライドが平然とした顔で返す。
「大丈夫だよ。以前は、わたし、パラシュートなんてつけてなかったもん。それに、前に二人乗りした時は重量オーバーしちゃってたけど、このグライダーなら、メリルと一緒でも大丈夫なのよ?」
それを聞いてアンナは頭に手をやった。呆れたのだ。セルフリッジが、どうして彼女にグライダーをプレゼントしたのかその理由も分かった気がする。この子は、グライダーに乗るのを止められそうにない。もしなければ、手作りのグライダーででも飛ぼうとしそうだ。なら、安全の為にできる一番の手段は、できるだけ良い道具を揃えてやることだ。
「駄目です。もしそんな事をしていると知ったら、ランカさんが絶対に怒りますよ。いえ、わたしも怒ります」
それに口を尖らせて抗議して来たのは、メリルだった。
「だって、あたしだって、空を飛んでみたいんだもん。それに、このグライダーってお母さんの会社の商品なのよ? あたしが乗らないと変じゃない」
何がどう変なのかよく分からない、いかにも子供らしい滅茶苦茶な理屈だが、それを聞いてアンナは少しだけほだされてしまった。
「今回の主犯は、メリルちゃんですか…」
そう呟く。ライドがそれに続けた。
「わたしも一緒にメリルと空を飛んでみたいけどー」
その言葉の後で、アンナは腕組みをする。それからこう尋ねた。
「メリルちゃんは、魔法の訓練も確りやっていますか?」
再び口を尖らせて、メリルは返す。
「ちゃんとやっているよー。だって、魔法をちゃんと隠せるようになるまで上手くならないと、ママの所へ帰れないのでしょう?」
そのメリルの言葉で、アンナは更に揺れた。それから再び尋ねる。
「ここは……、楽しいですか?」
本当は彼女は“ここに、お母さんは来てくれていますか?”とそう尋ねようと思ったのだ。しかし、今の状況とメリルのことを慮って質問を変えたのである。メリルの母親のセルビア・クリムソンの仕事は忙しい上に、ここは少しばかり遠い。娘の様子を見に来ていないだろうことは簡単に予想できた。
「楽しいわよ。ランカ・ママは強くて優しくて面白いし、ライドのグライダーは凄いし、他のみんなも親切だし、山も泉も川も綺麗だし」
明るくそうメリルは答えたが、無理をしているようにもアンナには感じられた。
“口には出さないけど、きっと寂しがっているのだろうな”
と、そうアンナは思った。もちろん、自分の子供時代の境遇とメリルの境遇を彼女は重ねていたのだ。
「分かりました。では、わたしがセルフリッジさんに、メリルちゃんの分のパラシュートも買ってくれないか頼んでみます。ただし、それまでは、二人乗りは禁止です」
その言葉に、ライドとメリルは大喜びした。
「本当に?」
「ええ。ただ、セルフリッジさんが買ってくれるとは限りませんがね」
それにライドはこう言う。
「それは大丈夫だよ。アンナさんが頼んでくれるなら、セルフリッジさんは絶対に買ってくれるもん!」
やや困り顔でアンナは返す。
「そんな事はないと思いますけどね」
しかし、もしセルフリッジが、ライドのグライダーとメリルの魔法の組み合わせを狙っているのなら、そもそもメリルの分のパラシュートも買い求める気でいたのではないかとは彼女は思っていた。
「ランカさんには内緒ですよ。わたしが怒られちゃいますから」
「うん、分かった。大丈夫、あたしの所為って事にしておくから。ランカ・ママは、あたしには弱いもん」
メリルのその言葉を聞いて、“意外に、したたかね、この子”とアンナは思った。
それから一週間程が過ぎて、メリルの分のパラシュートが届いたのだが、それを届けたのは意外な人物だった。なんとメリルの母親のセルビア・クリムソンがそれをアジトにまで持って来たのだ。
もちろん、メリルは大喜びした。
「ママ! ママ!」
そう言って、彼女に抱き付いた。抱き付いて来た娘に、彼女はこう言う。
「あなた、ここでちゃんとやってる? 皆さんに迷惑はかけていない?」
メリルは明るく返す。
「うん! 仕事のお手伝いだって、勉強だってちゃんとやっているよ」
近くでそれを聞いていたナゼルが、愚痴をこぼすようにそれにツッコミを入れた。
「勉強はあまりやってないわよね。勉強は……」
その後でランカがセルビアに訊いた。
「ところで、今日はどうしたんだい、セルビアさん? まさか、メリルのパラシュートを届ける為だけに、やって来たのじゃないだろう?」
彼女は少しだけ不思議そうにしている。届け物なら、郵便屋を頼れば良い。大層、嫌がられるが、なんとランカ山賊団にも一応は郵便物が届くのである。
「いえ、娘を預けてから、まだ一度も挨拶に来ていませんでしたし、娘の様子も見てみたかったですし。そのついでに、パラシュートも持って来ただけですよ。セルフリッジさんとアンナさんから届けてくれと頼まれまして。パラシュートは、セルフリッジさんから娘へのプレゼントです」
それを聞くとランカはとても嫌そうな表情を見せた。
「セルフリッジィ?」
腕組みをする。彼女はセルフリッジと聞いて、彼がこれを企んだと察したのだ。子供がグライダーを乗る事について反対しているランカが、メリルが空を飛ぶことを禁止してしまうのを防ぐつもりだろう。実の母親のセルビアがそれを認めているのなら、ランカは反対し難い。
因みに、セルフリッジとは別に、アンナの方はセルビアに娘に会いに行くのを促す為に、これを計画したようだった。
「ところで、娘がグライダーに乗ると聞いたのですが、大丈夫なのでしょうか? 優秀な乗り手と一緒だから平気だと、セルフリッジさんからは聞いているのですが」
それを聞くとランカは憎々しげに彼を思った。言い方が狡い。確かにライドは優秀なグライダーの乗り手だし、心配しているとはいえ、それをランカが喜んでいない訳でもないのだ。だから、メリルがグライダーに乗る事には反対でもそれは否定できない。
「それは確かにその通りだけどね。道具が信頼できないかもしれないし」
そう言うと、セルビアは「グライダーもパラシュートも我が社の商品ですが」とそう返す。それでランカはまた何も言えなくなる。そこまでの流れを受けて、メリルが言う。
「ねぇ、あたし、グライダーで空を飛んでみたい。良いでしょう? ママぁ」
そのメリルのおねだりを見て、ランカがこう言う。
「ああ、もう、ライドがこの子の前でグライダーに乗ったりするから。後で説教だよ、まったく」
すると、それを聞いた瞬間にメリルはランカの足にすがりついたのだった。そして、ランカの瞳をじっと見ながら「ライドは悪くないの、ランカ・ママ。だって、あたしから乗りたいって我侭を言ったんだもん。だから、お願い。ライドを叱らないであげて」とそう訴える。
幼い子供が“自分が悪い”と言って、他の誰かを守る為に必死に訴える。とても健気な行動。それは、ランカ・ライカが一番弱いパターンだった。
「ああ、もう、可愛いね! そんな事を言われたら、反対し難いじゃないか!」
そう言って彼女はメリルを抱きしめる。
因みに、その様子を傍で見ていたナゼルは“いやぁ、母さんのツボを分かっているわ、メリルちゃん”とそう思っていた。
その後でメリルの顔とランカの顔を見比べながら、セルビアは言う。
「そう言えば、セルフリッジさんは、娘は魔法が使えるから普通よりも安全なはずだとも言っていましたよ」
「魔法が使えるから安全? なんだろうね。セルフリッジのところのお嬢ちゃんは空も飛べるらしいけど、メリルが今のところ、空を飛べるって話は聞かないが……」
メリルも不思議そうな顔をしている。
「……よく分からないが、ライドに後で訊いてみるかい」
そうランカが言い終えると、「それで思い出しました」とセルビアは何かをカバンの中から取り出した。手紙のようだ。
「セルフリッジさんから、ライドさんという方宛てに手紙を預かっていたんです」
ランカは頭を抱える。
「そりゃまた気になるね。あいつは、何をライドに伝える気なんだろう?」
「あの…… ライドさんという方が、もしかして?」
「ああ、メリルと一緒にグライダーに乗るってのはそのライドだよ。間違いなくうちじゃ、グライダーに乗るのが一番上手い」
それから少し止まると、ランカは苦々しい表情でこう続けた。
「まぁ、とにかく、その手紙は預かっておくよ。中身は気になるが、責任持ってわたしからライドに渡しておく」
それから、しばらくメリルと一緒に過ごした後で、直ぐにセルビアは帰って行った。仕事が忙しく長居はできないからだ。なんだかんだで彼女は自分の娘の元気そうな様子を見て安心をしたようだった。セルビアはメリルと遠く離れてから、自分が母親である事を実感していたのだ。
そして、事件はそれから数日後に起こったのだった。
森の中。
木刀を打ち込む音が響く。そこには二人の影があった。
一人は男で木刀を二本持っている。ナイアマンだ。彼は二刀流の剣士なのだ。もう一人は槍を構えている。もっとも、刃は付いていないが。ナゼル・リメルだ。二人は森林戦を想定した稽古の最中のようだった。
「もっと身を入れてやれよ、ナゼル・リメル」
と、そうナイアマンが文句を言った。
「入れているわよ。やる気なさそうに見えるのが、わたしの持ち味なの。知っているでしょう?」
そうナゼルは返したが、実を言うと少しだけ不機嫌になっている所為で稽古にそれほど集中していなかった。ナイアマンから誘われた時は、デートではないかと期待したからだ。
“まぁ、これもデートって言えなくもないかもしれないけどぉ!”
そう思ってから、ナゼルは木の影に身を隠すと高速で槍をついた。
「オワッ!」
と、その攻撃にナイアマンは声を上げる。動きがいきなり鋭くなった上に、影に隠れて槍の軌道を見えなくするナゼルの厄介な得意技だったからだ。もっとも当たりはしなかったが。しかし、それでもナゼルは言う。
「弛んでるわよ、ナイアマン。自分から稽古に誘っておいて」
「いや、ナゼル。今のは卑怯だろう? いきなりやる気を出すなんて」
「実戦だったら、卑怯もくそもないでしょーう? てか、どうしていきなり稽古をやろうなんて言い出したの?」
「実は嫌な話を聞いてさ」
「嫌な話? わたしは、例のマカレトシア王国に提出しなくちゃならないあの申請書の山から逃げ出したいからだと思ったわよ」
「ま、それもあるんだけどさ。どうも、最近、タンゲア帝国の方の山賊共を倒して、頭領になったって男がいるらしいんだよ。しかもそれなりの規模の山賊団で、うちに攻め込んで来る可能性がかなり高い」
「うちに? でも、他の山の山賊達は母さんを恐れて、この山にはここ数年入って来ていないじゃない。大したメリットもないのに、どうしてそんな事をするのよ?」
「さぁ? 理由は分からないんだが、その男はむしろ母さん目当てらしいんだな。母さんを倒すとそう言っているらしい。しかも、信じられない話なんだが、そいつはダノを遥かに凌ぐ大男で武器は金棒、防具ごと相手を吹き飛ばすっていう母さんと同じ戦法の使い手なんだとか」
それを聞くとナゼルは物凄く嫌そうな顔をした。
“それって、もしかしたら、人類と別進化したよーな、例のあいつじゃ……”
そして眉間を押さえながらこう返す。
「あ~ ナイアマン。わたし、そいつに思い当たる節があるわ」
それから“こりゃ、真面目に稽古しておかないとまずいかもね”とそう彼女は思った。
ところが、その後、しばらく二人が気合を入れて稽古をし続けていると、不意に二人の名を呼ぶ慌てた声がそこに響いて来たのだった。
「ナイアマン! ナゼル! 何処に居るの? 大変なんだ!」
その声の主はヌーカという少年だった。石投げが得意で、多少生意気なところがある。彼が弱味を見せるのは珍しい事だ。それで、先ほどの会話もあって、件の山賊が攻め込んで来たのではないかと二人は心配をした。
「ヌーカ、何があったんだ? まさか、山賊が来たのか?」
だから、ナイアマンは稽古を中断してヌーカに駆け寄って行ってそう尋ねたのだ。しかし、ヌーカは違う違うとかぶりを振ると、こう言うのだった。
「メリルが大変なんだ! 化け物に捕まっちゃったんだよ!」
「化け物ぉ?!」
化け物と聞いて、ナゼルは人類と別進化したような、例のトロル・ニー・デイダランという男の事を思い出したが、どうも違うようだった。
「なんか、でっかい木が動いててさ」
そう言う。
ヌーカの説明を聞いても二人には理解ができなかった。だからヌーカに案内されるままに走ったのだが、その途中で目を丸くすることになった。本当にでっかい木が動いていたからだ。歩いている。しかも、その上の方の枝にはメリルの姿があった。
ナイアマンが叫ぶ。
「いったい、何なんだ、あれは?」
ヌーカは応える。
「さぁ? 分からないよ。いきなり現れたんだ」
「母さんは?」
「近くには、いないみたい」
それを聞くと「クソッ!」とそう言って、ナイアマンは木刀を捨てると腰から剣を引き抜いた。そして木の化け物に向かって駆けて行く。
「どうする気なの? ナイアマン!」
ナゼルがそう問うとナイアマンは言った。
「とにかく、あいつを切り倒すしかないだろう!」
「いやいや、でか過ぎるって!」
その声を無視して、ナイアマンはそのまま木に突っ込んで行った。近くで見ると、想像以上に歩いている木というのは迫力があった。根っこがまるで触手のように蠢いて進んでいるのだが、その際に土を激しく掻き分けているものだから、近づく者は押しのけられてしまう。が、幹は思ったよりも細い。ナイアマンは一瞬気圧されたが、これならいけると判断し、直ぐに気を取り直すと跳ねて、幹に剣戟を入れた。ところが刀身が半分ほど入っただけで止まってしまった。思ったよりも固い。しかもナイアマンは、それで木に大きく弾き飛ばされてしまった。
「ちょっと、危なすぎるわよ、ナイアマン!」
ナゼルがそう叫ぶ。ナイアマンは起き上がるともう一撃入れようとしたが、そこで頭上から声が響いて来たのだった。メリルの声だ。
「こらぁ! ナイアマン! 止めなさいぃぃ!」
その声でナゼルは気が付く。
「そうよ、ナイアマン! もしその木を切り倒しちゃったら、メリルが落ちちゃうわ。大怪我するわよ」
「受け止めれば良い」
「そんなに上手くいく訳ないでしょう!」
「なら、どうすればいい?」
そこで、物凄い速度で何者かが迫って来る気配に二人は気が付いた。目を向ける。ナゼルが呟いた。ホッとしたような顔。
「母さん」
ランカ・ライカがやって来たのだ。
「どいてな、ナイアマン!」
ランカはそう叫ぶと、地面を大きく蹴って飛び上がり、幹にしがみ付くとまた蹴って更に登り、それを繰り返す事で瞬く間にメリルがいる近くにまで辿り着いてしまった。
ナゼルが感心したように呟く。
「いやぁ、相変わらず凄いわ、母さんの身体能力は」
ランカは枝の上に登ると、メリルが無事なのを見て安心した声を上げた。
「良かったよ、メリル。怪我はないみたいだね」
ところが、それにメリルは不思議そうな表情を見せるのだった。そして、目の前に現れたランカに向けてこう言う。
「ランカ・ママ。酷いのよ。ナイアマンったらこの子を傷つけるの」
ランカは首を傾げる。
「何を言っているんだい?」
メリルは続けた。
「あたしは、ただちょっとこの子を、池の近くにまで移動させたかっただけなのに、みんな、なんか大騒ぎしちゃって」
それからスクッと彼女は立ち上がったのだった。背には何かの荷物を背負っている。そして、それから「とぉ!」と言うと、そこから彼女は飛び降りてしまったのだった。
「なんだってぇぇ!」
と、それにランカは大声を上げる。ところが、落ちてしまったかと心配して彼女が慌てて下を見ると、そこには広がったパラシュートでゆっくりと下降するメリルの姿があったのだった。背負っていたものはどうやら畳まれたパラシュートだったようだ。木はいつの間にか池の近くにまで来ており、仮にパラシュートが開かなくても水の上に落ちるから大丈夫そうだった。しかも……
「成功ぅ!! 池に落ちちゃうから助けてぇ! 木ぃ!」
そうメリルが叫ぶと、木はその言葉通りに大きな枝を伸ばして彼女を受け止めたのだった。
ランカは木の枝の上で、ナイアマンとナゼルは地面の上で、それぞれ首を傾げていた。いったい、これはなんなんだ?と。
「だからぁ、パラシュートの練習をする為に、あの木を魔法で動かしたんだってぇ」
それから一同はアジトに戻り、食堂で一息入れた。その後で、ランカはこの件に関わった人間を全員集めると、メリルにこの人騒がせな行動の訳を尋ねたのだ。流石のランカも今回ばかりは彼女をきつく叱るつもりらしかった。
「なんかね。ライドに来たセルフリッジさんからの手紙に、もしグライダーから落ちても、近くに木があったら助かるように、魔法で操作できるようになっておくようにって書いてあったんだって。だから、魔法の訓練にもなって良いと思って、ああやってパラシュートの練習の為に木に魔法をかけて、池の近くに動かしたの。あの木は大きかったし」
ランカは腕組みをすると、それにこう応える。
「うん。目的は別にいい。そうじゃなくてね、問題はやり方なんだよ、メリル」
メリルは首を傾げる。
「やり方って?」
「あんなに大きな木をいきなり動かしたら、みんながびっくりするだろう? ナイアマンやわたし達が、どれだけお前を心配したか分かっているのかい?」
いつになくランカが真剣に叱っているので、メリルは徐々に不安になり始めた。それで泣きそうな表情で上目遣いにランカを見る。横で見ていたナゼルは思う。
“あっ 母さんが弱いやつだ”
案の定、それでメリルを責められなくなったのか、ランカは矛先をライドに向けた。彼女も呼び出されていたのだ。
「ライド! 大体、どうしてお前がもっと確りとメリルを見ておかないんだい?」
「えー!? 今回は、わたしは関係ないよ。メリルが勝手にやったんだよ?」
「メリルのお姉さん係りはお前だろう?」
「そんなの知らないよー」
「セルフリッジからグライダーをもらってお前が頼まれたんじゃないか。引き受けた以上は確りやりな」
「グライダーをくれたのはセルフリッジさんで、母さんじゃないじゃんか!」
その珍しく険悪なムードに、メリルは悲しそうな表情を見せた。
「もう、喧嘩しないでー!」
少し泣く。
子供の涙には、ランカは更に弱い。怯んでしまった。その後で、メリルは駄目押しのようにこう続ける。
「だって、褒めてもらえると思ったんだもん。魔法で草むしりをやった時は、みんな、喜んでいたから……」
そのメリルの言葉で、一気にランカは弱くなる。頭を少し掻くと、それからメリルを抱き上げながらこう言った。
「さっきも言ったけどね、問題はお前のやり方なんだよ。お前の魔法はわたしも皆も凄いと思っている。今だって褒めてやりたい気持ちでいっぱいだよ。だけどね、わたし達はお前の事が心配なんだ」
そして、そこまでを語ったところで、ランカはふと気が付いた。
「そうだ。ライド、どうしてせめてメリルにあんな事ができるって教えておいてくれなかったんだい? もし知ってたら、あそこまで大騒ぎにはならなかったはずだよ」
ライドはそれにため息をもらす。
「いや、わたしだって知らなかったよ。あんな大きな木を動かせるなんて。まぁ、それっぽい事はセルフリッジさんから借りた魔導書に書かれてはあったけど」
そこで、それまでは黙っていたナイアマンが口を開いた。
「実は僕はそれが不思議だったんだ。大きな魔力を使うってのは疲れるのだろう? どうしてあんな大きな木を、小さなメリルに動かす事ができたんだ?」
ライドがそれに答える。「ああ、それはね」とそう言って、持っていた魔導書をめくった。
「植物を動かす魔法は術者の魔力を使うのじゃなくて、木自身に蓄えられている魔力を使うんだって。だから、大きさはあまり関係ないみたいなのね。大きな木でも、たくさんの草でも動かせる」
ナゼルがそれに驚く。
「それって、実は凄いのじゃない?」
ナイアマンが続ける。
「ああ。もし戦闘で使ったら、かなり役に立ちそうだな」
どうやら彼は、ランカ山賊団に攻め込んで来るかもしれない例の山賊団の存在を気にしているらしい。ところが、それにライドはこう応えるのだった。
「いやいや、そんなに甘いもんじゃなさそうだよ、ナイアマン」
「どうして?」
「木に与える命令って複雑なのは無理みたいなのよ。一体くらいなら、術者が事細かに指示を出せばそれなりに動いてくれるみたいだけど……」
それにナゼルが疑問を口にした。
「でも、ジャガイモ畑の草むしりは、一気にたくさんやっていたじゃない?」
「あれは、だって、ただ単に畑の外に行けって命令しかしてないじゃん。この本に依ると、ある特定の行動パターンしか覚えさせられないみたい。だから“人間を攻撃しろ”って命令はできるけど、敵と味方の区別をつけさせるなんてのは無理。近くにいる人間を、手当たり次第、攻撃するだけ」
ナゼルはその説明に頬を引きつらせる。
「そりゃホラーね」
ライドは更に説明を続ける。
「近くに人とかがいたら寄って行って騒いでそれを伝える“好奇心旺盛な木々”とか、人とかが近付いたら逃げ出す“臆病な木々”とか、そんな魔法があるみたいよ。“好奇心旺盛な木々”は、遭難者を発見したい時とかに役に立つのかしらね? “臆病な木々”が何の役に立つのかはちょっと分からないけど」
そのライドの説明を聞きながら、ナゼルは何かを考えていた。
「ねぇ、でも、本当にメリルの魔法は、戦闘に役立たせられないのかな?」
ナイアマンが尋ねる。
「なにか思い付いたのか? ナゼル」
「まぁね」
どうもメリルへの説教は途中で有耶無耶になってしまっているようだった。ランカももう充分だと判断しているのか、何も言わない。しかし、それからナゼルが自分の案を説明しようとしたタイミングで、食堂にダノが入って来てそれが中断してしまう。
「皆、集まって、何かあったの?」
彼は今日、タンゲア帝国の方に行っていたので、メリルが起こした騒動を知らないのだ。「ああ、ちょっとね」とナゼルは言いかけたのだが、そこでダノが荷物の他に手紙らしき物を持っている事に気が付いた。
「ダノ、なにそれ? 手紙?」
「うん。珍しく母さん宛てに。しかも、ラブレターみたいだよ」
「ラブレター?」
「ほら、ハートマークのシールが貼ってある」
それを聞いてナゼルは悪い予感を覚えた。
「ダノ。それって、もしかしたら、タンゲア帝国方面の山賊団から受け取らなかった?」
「いや、山賊団かどうかは分からないな。確かにタンゲア帝国からの帰り道に受け取ったけどさ。
はい、母さん」
そう言ってダノはそれをランカに渡す。ランカはそれを受けると、無造作に封を切ってそれを読み始めた。その間で、ナゼルが言う。
「ダノ。多分、それ、ラブレターじゃなくて宣戦布告の手紙よ」
読み終えたランカが口を開く。
「なんか、トロル・ニー・デイダランって奴が山賊団を結成したから、一緒にならないかって提案しているみたいだよ。訳が分からないね。なんだろうね? うちはそもそも山賊団じゃないってのに」
それを聞いて、ヌーカが言う。
「世間的には山賊団だけどね」
ランカは彼を睨む。すると、彼は慌ててこう言い訳をした。
「まぁ、そろそろマカレトシア王国は、うちを山賊認定解除しそうだけど……」
その後で、ナゼルが不安そうにランカに問いかける。
「で、母さん。手紙の内容はどうなの?
それだけじゃないでしょう?」
「ああ、もしも提案が受け入れられない場合は、攻め入って来るって書いてあるよ。本当に訳が分からないね」
多分、ランカ・ライカは既にあのトロル・ニー・デイダランという男の名を忘れているのだ。ナゼルはそれを聞いて頭を抱えた。
「はぁ これはあれね。さっそく、メリルの魔法に役立ってもらうしかないわね」
そして、そう呟いた。
「ランカ・ライカは、この俺が相手しておいてやる! だから、お前らは他のガキ共をやっつけろ!!」
トロル・ニー・デイダランはそう大声を上げた。腕組みをしている。だが、周囲にいる山賊団…… トロル山賊団というのだが、彼らの士気は高いのか高くないのかよく分からないような状態だった。
勝つのは不可能だと思っていたランカ山賊団に勝てる見込みがあることは嬉しい。だが、例え勝てたとしても、それに見合うだけの利益を得られるとは思えない。ランカ山賊団にそれほど財産がないのは知っている。縄張りの一部が手に入る程度では、割に合わない。ランカ山賊団は、ランカ以外のメンバーも甘くはないのだ。かつて、見くびったままランカ山賊団に攻め入り、手痛い反撃を受けた経験のある彼らはそれをよく分かっていた。一応、自分達の新しい頭領の手前、そのトロルの声に対して彼らは「おぉ!」と応えはしたが、だから内心は複雑だった。
「よぉっし! 行くぞー!」
そう叫んで、トロルは山の森の中に勢いよく突っ込んで行った。その先は、ランカ山賊団の支配域で、いつ彼らが応戦して来ても不思議ではない。だが、頭領だけを攻め込ませる訳にもいかない。このまま放っておいたら、頭領は大激怒するだろう。
「頭に続くぞ」
「おぉ」
と、そう言うと、彼らはトロルの後を追った。声が小さいのはランカ山賊団に居場所を悟られない為……、というのは言い訳で、実はそれほどやる気がなかったからだ。
彼らは警戒しつつもできるだけ急いで奥に進んだ。しばらくして何かおかしい事に気が付く。少しもランカ山賊団の気配がない。以前までの経験からして、そろそろ弓矢の一つでも飛んでくる頃なのだ。既に頭領が弓矢部隊を倒してしまった可能性もあるが、それも考え難かった。戦闘の気配が一切なかったし、誰も倒れていない。
「おい? なんか、おかしくないか?」
「ああ、静か過ぎる」
やがて彼らはそんな言葉をささやき始めた。おかしな点はそれだけではなかった。どう表現したら良いのか分からない、謎の気配を彼らはずっと感じ続けていたのだ。絶対に人間ではない気配。
そのうちに気の弱い一人が言った。
「俺は、なんか、さっきから何かに見られているような気がするんだけどな」
「そーいう事を言うなよ」
「そもそも、頭は何処に行ったんだ? あれだけ勢いよく攻め入って……」
そこで彼らは上空にグライダーが飛んでいる事に気が付いた。だが、それには特に動揺はしない。グライダー乗りがランカ山賊団にいる事は分かっていたからだ。こっちの位置を知られるのは厄介だが、想定の範囲内だった。
が、そこで彼らは幼い女の子の声を聞いたのだった。彼らの知る限りでは、ランカ山賊団にそこまで幼い子供はいない。
「好奇心旺盛な木々~」
遠くの方から聞こえるその声は、どうやらそう言っているようだった。意味が分からない。だが、そう彼らが思った瞬間だった。
――地震が起こった。
そう彼らは思った。突然に地面が隆起したからだ。地の中から木々の根が浮き出てくる。だが地震にしてはおかしかった。地響きはしないし、それに木々の揺れが激し過ぎる。更によく見ると、揺れているのは自分達の周りの木々だけのようだった。
絶対に異常だ。
強烈な違和感。
そして、その違和感は次の瞬間、決定的なものになった。木の枝が曲がる。まるで彼らに触れようとするように迫って来る。だが、寸前で止まった。そして、それから、いきなり木々は枝を高く空に向けて掲げ、ザワザワザワザワッ!と音を鳴らして振り始めたのだった。葉っぱが大量に振って来る。
もちろん、彼らトロル山賊団は、その木々に激しく恐怖した。無理はない。誰でもそうなるだろう。
「化け物だぁ!」
そして、そう叫び声を上げると、トロル山賊団は一目散に逃げて行った。姿の見えなくなった頭領は、こいつらにやられてしまったに違いない。彼らはそのままランカ山賊団の縄張りの外の向こうにまで逃げて行った。恐らくは、自分達のアジトにまで逃げ帰るつもりだろう。
ナゼル・リメルが遠くの丘の上から、その光景を双眼鏡で眺めていた。
「トロル山賊団の方々のお帰りです~」
と、そして嬉しそうにそう独り言を言う。どうやら作戦は上手くいったようだ。そして、その結果を受けて、オリバー・セルフリッジがライドのグライダーとメリルの魔法の組み合わせを狙ったその訳もナゼルには分かった気がした。
ライドがグライダーでメリルを抱えて飛び、上空から植物達に魔法をかければ、かなり効果的にメリルの魔法を使えるのだ。
“流石、セルフリッジさんね。まぁ、だからこそ、あの人は少し怖いのだけど”
そうナゼルは思う。
それから彼女は作戦成功を伝えようとランカの所に向かった。ランカ・ライカはアジトまでの通り道で、トロル山賊団を迎え撃つ為に待機しているはずなのだ。そこにはハットという少年をリーダーとする弓使いの一団もいる。その待伏せしている場所にまで辿り着くと、ランカ達が酷く退屈そうにしている姿が目に入った。誰も来ないからだろう。それを見て、ナゼルは「おぉい、終わったわよ。山賊達は逃げちゃった」とそう言ったのだが、そこで何か重要な事を忘れているような気になった。
“あれ、なんだったかな?”
そして、そう思い出そうとしたタイミングだった。
「出口だぁ!!!」
と、そんな大声と共にトロル・ニー・デイダランが突然に森の中から物凄い勢いで現れたのだ。
それでナゼルは思い出す。
“そうだ。この謎の霊長類の存在を忘れていたんだったわ”
「迷路をつくって、俺を迷わせるとはしゃらくさいぞ! ランカ山賊団!」
トロルはそう叫んだ。それを聞いてナゼルは思う。
“ああ、なるほど。迷子になっていたのね、この霊長類。素人が山の中を大した目印もなく駆けて行けば、そりゃあねぇ”
そこでハット達がトロルに反応したのが分かった。弓を構えている。ナゼルは叫ぶ。
「ハット! 気を付けて、その男は母さんといい勝負をしたような怪物よ!」
弓を構えているハットはそれを受けて思う。
“大丈夫さ。母さんといい勝負をしたかなんだか知らないけど、あれだけ図体がでかければ良い矢の的だ。しかも、僕らの弓矢は毒矢だぞ。強力な麻酔薬が塗ってある。一本でも当たれば、それで終わりだ”
それから彼らは弓を放った。五、六本の矢が一斉にトロル・ニー・デイダランに降り注ぐ。トロルはその弓矢に素早く反応する。
「くだらーん!」
そう怒鳴って金棒で矢を薙ぎ払ってしまった。それにハットは驚く。
“まさか、矢を全て薙ぎ払ったのか?”
と、思ったのだが、矢が一本だけその太い腕に刺さっている事に気が付いた。しかし、まだトロルはピンピンしている。普通の人間なら倒れているはずだ。
「なんだあいつ? 麻酔が効かないのか?」
そう呟くと更に弓を構える。一回目でもう終わったと思っていた所為で、その動作は遅れてしまっていた。そして、トロルはそんなハット達目がけて、真正面から突っ込んで来るのだった。矢を構えている人間に向かって正面から突っ込んでくる者をハット達は初めて見た。恐らくは世間的にも珍しいだろう。それで動揺して、少し手元が狂ってしまう。矢を放ったが、先と同じ様に薙ぎ払われた。今度は一本も当たっていない。
その巨体からは信じられない程の俊敏な動きでトロルは迫って来ていた。ハットは連続射撃のスキルを持っているが、それで慌ててしまって痛恨のミスをする。矢をつがえる時に、一度落としてしまったのだ。他のメンバーも準備が整ってはいない。
そして、次の瞬間、目の前にまで来たトロルが「おらぁ! 吹き飛べぇ!!」と、そう言ってハット目がけて、金棒を強く振り下ろした。が、しかし、
ガキィィィン!
そこで耳障りで豪快な金属音が鳴り響いた。ランカ・ライカがその金棒の一撃を、金棒で防いだのだ。
「うちの子供に何をしているんだい?」
トロルの金棒を振り払うと、そう彼女は言った。トロルは不敵に笑う。
「ふふぅん。やっと現れたな、ランカ・ライカ!
だが、俺は当然の事をしたまでだ。攻撃して来たからには、ガキでも容赦はしない。誰かを攻撃して良いのは、自分もやられる覚悟がある人間だけだ!」
「自分達で攻め込んで来ておいて、お前は何を言っているんだい? これは完全な正当防衛だよ!」
そう言い終えると、ランカはハット達に向かってこう言った。
「お前達、下がっていな。この男は、わたしがやるから」
「そうだ、いいぞ。他の奴なんか、俺の相手にはならないからな。正々堂々、二人きりで果し合いをしようじゃないか! 俺が勝ったら、お前は俺と結婚するんだ!」
ランカはそれにこう返す。
「子供達を人質にして、無理矢理に果し合いをさせるなんざ、見下げ果てた男だね! お前さんは!
いいよ、わたしだけで、お前をとっちめてやる!」
「その通りだ! 俺達は互いに勇敢だ! 俺達の闘いに邪魔者はいらない! 二人きりのデートだぁ!」
「一対一で勝負しないと納得しないってのなら仕方ないからやってやるが、終わったらもう二度と来るんじゃないよ!」
それから二人は金棒を構えた。
そのやり取りを見ていたナゼルは思う。
“互いに相手の話をちゃんと聞かないから、また、会話が噛み合っていないけど、話は問題なく進んでいるわね……”
次の瞬間、トロルがランカに向かって金棒を大きく振るった。前回は防戦中心で失敗したから、今回彼は積極的に攻めるつもりらしい。
ランカはそれを受けなかった。躱す。そして躱す為に翻した身体をそのまま回転させて、トロルに金棒を打ち下ろした。しかし、トロルもそれを躱してしまった。巨体なのに、やはり動きが速い。
「まだまだ、攻めるぞぉ!」
トロルは間髪入れずにまた金棒を振るった。ただし、先ほどよりもモーションは小さい。今度はランカはそれを受ける。だが、ランカの体重が軽い所為で、身体が少し浮いて後方に弾き飛ばされてしまった。
「グフフ。そうだろう! お前の体重で、俺の金棒を受ければ当然そうなる! よし、いけそうだ! 強引に攻めまくって押し切ってやる」
そう言うと、続けてトロルは金棒を数度振った。やはりクイックモーションだ。ランカはそれを受け続けた。ダメージはないが、明らかに押されている。彼女の体重で、重いトロルの攻撃を受け続けるのは相当の負担になるはずだ。何とかして攻撃に転じたいだろうが、反撃の隙がない。このままでは、互いのスタミナ切れを待つ戦いになる。
しばらく攻撃を受け続けて、ランカは一度、大きく退いた。そしてこう言う。
「はぁ、こんなに時間のかかりそうな勝負は、やってられないね」
トロルはそれに笑う。
「ならば、どうする?」
すると、ランカは「こうするんだよ」とそう言って持っていた金棒を、トロルに向けて投げてしまった。トロルはそれを金棒で防ぐ。金棒は彼の前に転がった。彼は彼女のあまりの行動に意表を突かれたようだった。首を傾げる。
「漢の魂の武器を投げ捨てるとは、どういう了見だ? ランカ・ライカ!」
「良いんだよ。わたしゃ、漢じゃないもんでね」
それからランカは、走り出す為の構えをゆっくりと取った。それから叫ぶ。
「わたしは、母親だぁ!!!」
そして、次の瞬間に猛ダッシュをする。その速度は異常だった。土煙が舞った瞬間には、ランカの姿は見えなくなっていた。
重い金棒がなくなったお蔭で、彼女の速度は先ほどの非ではない程に速くなっていたのだ。体重が軽い事にはデメリットもあるがメリットもある。相手がそのデメリットを突いて来るのならと、彼女はその軽さのメリットを最大限に活かす道を選んだのだ。
そのランカの不意の“速さ”は、完全にトロルの想像を超えていた。実はハット達の麻酔毒の矢の影響もあったのだが、いずれにしろトロルはそれに反応ができなかった。気付くとランカの掌底が、トロルの顎を打ち抜いていた。
トロルの意識が軽く飛ぶ。そのチャンスを逃すランカではなかった。近くに転がっていた金棒を素早く拾うと、
「うちの子供に、なにをしているんだい!」
と、そう叫んでトロルの身体をその金棒で思い切り打った。金棒で打たれたトロルは、後方に豪快に吹き飛んでいった。
「はい。母さんの勝ち~」
それを見た瞬間、ナゼルがそう言った。口調は淡々としていたが、珍しくガッツポーズを取っている。
そこで声が聞こえた。
「凄いな。母さんとあそこまで闘えるなんて。あんなヤツがいる事を、どうして一度目に母さんの前に現れた時に詳しく教えてくれなかったんだ?」
見ると、そこにはナイアマンがやや唖然とした様子で立っていた。他の敵はもう来ないと判断したのか、持ち場を離れていつの間にかにここにやって来ていたらしい。
ナゼルはこう返す。
「いや、母さんといい勝負をしたヤツがいたとは伝えたわよ、わたしは。それに、あんなのがいるなんて、どう伝えれば信じてもらえるか分からなかったし、もう二度と現れないかとも思っていたし」
ナゼルの言い訳を聞き流しながら、ナイアマンは闘いを終えたランカに近付いて行った。そして彼女にこう尋ねた。
「母さん。このチャンスに、そいつに止めを刺しておくかい?」
彼女は答える。
「いや、正当防衛とはいえ、殺しはまずいだろう? うちは山賊団じゃないし。
それに、仮に迷惑なヤツだとしても、たった一人で攻め込んで来るなんざ、なかなかできる事じゃない。その勇気だけは認めてやろうじゃないか」
それを聞いてナゼルが言った。
「勇気ってぇか、単に大馬鹿なだけじゃないの?」
「まぁ、そうかもしれないけどねぇ。とにかく、殺しは駄目だ。ふん縛って、麓にでも転がしておこう。ダノでもこいつを運ぶのは大変そうだが……」
が、そこまでをランカが語ったところだった。
「自分で行けるわー!」
と、そう言ってトロルが勢いよく立ち上がったのだ。一同は愕然となる。ランカとナゼルが彼のタフっぷりを体験するのはこれで二度目だが、それでも驚いていた。それから彼はこう続けた。
「今日は俺は帰るぞ、ランカ・ライカ。なんか、眠いから。ああ、くそ、眠い!」
どうやらハット達の毒矢が今頃になってようやく効果を発揮したようだ。それからフラフラとした足取りで、ただし、それでも何故か勢いよくトロルは去って行った。
それを見ながらランカは言った。
「やっぱり、止めを刺しておくべきだったかね? 途中で崖にでも落ちてくれるとありがたいんだが……」
その日の晩、久しぶりにナイアマンとナゼル・リメルとダノの三人は話し合いをした。議題はトロル・ニー・デイダラン対策だ。ランカがいない時に、あの男に攻められたら、かなりまずい事態になる。
もっとも、ランカがこのアジトから遠く離れる事は滅多にないのだが。
ところが、その次の日に、ランカ・ライカはアジトから姿を消してしまったのだった。しかも、団員達に何も告げずに。