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謀計リング  作者: 茜坂 健
第五章 「残りの真相」
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「もう一つの謀計を企てていたのは、まさにあなたではないですかねぇ……」

 一瞬の静寂を破って発せられた夏川さんの言葉により、再び静寂が作り出される。時計の針が規則的に刻む音だけが静寂を乱そうとしている。

「私が?」

「よくよく考えてみると……フォードさんが千鶴さん殺害計画を立てるにあたって、何が一番大切か? 真樹君は分かる?」

 罪人を問い詰めていたはずが、藪から棒に俺の元に質問が飛んできた。なんだか試されている気分だ……

「ええっと……やっぱり、自分が疑われないことですよね? さっき言ってたみたいにちゃんとアリバイを作らないと、動機があるので危ないと思います」

「その通り。でもそれに関しては、殺人を依頼したことでほぼクリアー出来ているからねぇ。他には?」

「他ですか? そうですねぇー……」

 恐らくそれほど長くない沈黙であっただろうが、俺にとっては泥の中を進むように緩慢に時が流れた。

「千鶴さんの殺害に失敗しないことですか? せっかく家に侵入したのに、千鶴さんを殺害出来なかったんじゃあ、ただの窃盗犯になってしまいますし……」

 夏川さんの目元に僅かに力がこもった。

「そういうことだよねぇ。家屋に侵入するなんて方法を取っておきながら、失敗したらダメージが大きいよねぇ。千鶴さんが起きていたり、抵抗されて失敗するのは非常に怖い」

「それがどうかしたんですか?」

 抑揚を抑えた声色で吉永貴子が訊く。だが夏川さんは俺に対して問いかけを続ける。

「実際今回は失敗しかけたよねぇ? 千鶴さんがフォードさんを殺害するために夜中まで家を空けていたから」

「でもそれって偶然ですよね?」

「まぁ千鶴さんまで殺人計画を立てていたことは偶然だけど、今回犯行が行われた二十四時前頃じゃ、千鶴さんが日常生活を送っていたとしても失敗する危険が高いと思わない?」

「まだ起きている可能性があるから……ですか?」

「そう。例え電気が消えていても、まだ寝付いていないかもしれないしねぇ。枕元のスタンドを点けてベットの中で読書をしているかもしれないし」

「確かにそうですね……。まだ起きていたり、寝付いてすぐだったら、侵入した時の微かな物音に気付かれる危険もありますもんね」

 夏川さんは吉永貴子と視線を合わせる。

「確実に殺害したければ、もっと夜が深くなってから侵入して、寝静まった頃に殺害する方が確実ですよねぇ」

「何が仰りたいんですか?」

 苛立ちを垣間見せながら、吉永貴子が湯飲み茶碗を掴む。中身を喉に通す最中も、上目遣いで夏川さんの様子を窺っている。

「だとすればフォードさんが立てた計画では、侵入する時間は……即ち、実行の時間はもっと夜遅くだったんじゃないですかねぇ? 千鶴さんが寝入っている夜中に」

「それで?」

「ここでもう一つの謀計の話です。フォードさんの犯行計画によればもっと遅くに実行の筈だったのに、なぜあなたはそんなに早くに実行したのか? 真樹君が言っていた大事なことの一つ目は何だっけ?」

 また自分に話が振られるかもしれないと警戒していたからか、今度は瞬時に脳細胞の回路が反応する。

「フォードさんがアリバイを作ることですよね?」

「そう。しかし、計画の片棒を担ぐ人間が予定よりも早く犯行を実行してしまうとどうなるか……」

「そうか! フォードさんの知らないうちに実行してしまえば、彼のアリバイは無いままになりますね」

「だからあなたはあの日、二十一時半に家を出たんですよねぇ。向こうで車を停める場所に着いたのは、二十二時半頃でしょうかねぇ……。コンビニに寄ったのは、向かいの住人に家を出るところを目撃されたから、出掛けていた口実が欲しかったんでしょう?」

 吉永貴子は背中にかかる黒髪を右手で払う。

 その意味の無い行為が、狼狽を表しているように俺には見えた。

「動機は分かりませんが……あなたも夫を亡くし、パートで生活している身ですからねぇ。計画を狂わせ、フォードさんの弱みを握って、彼からの報酬を跳ね上げるつもりだったとかでしょうねぇ」

「つまり……」

 要約を促す俺の声にほぼ重なるタイミングで、夏川さんが語りだす。

「では、まとめましょう。フォードさんが立てた千鶴さん殺害計画。その裏に隠されていたのは吉永貴子……あなたの殺害計画だった。だがあなたはそんなこととは露知らず、この計画を利用してフォードさんからの報酬を跳ね上げることを狙った」

 夏川さんは唇を一心不乱に上下させ、いつもと変わらない硬い表情を崩さない。尤も、この状況のせいでその硬さが殊勝げで荘厳な雰囲気に感じられるのだが。

「私の想像に過ぎませんが、本来の実行時刻は深夜二時頃から三時頃ってところでしょうかねぇ? 恐らくその時間になれば、フォードさんは何らかの方法でアリバイを作る手筈だった……。体調が悪いと言って救急病院に行くとか……そこまで大袈裟なことをしなくとも、コンビニに行くとかでも構いませんしねぇ」

「――夏川さんがさっき言っていた、寛さんの命日が二十二日だってこととの関係が分かりました……。深夜二時から三時ならもう日付は変わってますから、まさに五月二十二日。フォードさんにとっては、寛さんの事故の原因を作った憎き相手を、その命日に葬ることが出来るって訳ですね!」

 葬られる筈だったその女は、今も俺の視界の中で生き永らえている。

「そう。フォードさんが企てた謀なら、やっぱり二十二日にする筈だからねぇ。なのに、千鶴さんが殺害されたのは日付が変わる前。となると、実行犯たるあなたが、予定より早く実行に移したと考えるに至った訳です」

「千鶴さんが殺害された二十三時二十分頃から二十三時五十分頃が、現実に実行された時刻ですよね? ということは、その時刻はフォードさんには、アリバイが無い時間だったんですか?」

「これも想像だけど、アリバイ作りや実行の時間が深夜だから、その位の時間には仮眠を取るつもりだったんだろうねぇ……。そこまで犯行計画は緻密に考えられていた筈だよ。フォードさんを嵌めるために早く実行しても、その時間にアリバイがあっちゃ意味無いからねぇ。千鶴さんが殺害された時刻に彼はアリバイが無い予定だったということだよ」

 ふと目の前の女性に目をやる。今、口にしたようなことを企てた張本人……

 夏川さんはその女性に向けて話を続ける。

「でもそれだけじゃ足りない。早く実行するだけじゃ、十分じゃないと判断したあなたは、もう一つ材料を用意した」

「材料……ですか?」

「指輪だよ。『 Kevin to ちづる 』の指輪。あなたは、千鶴さんの遺体の側にその指輪を置いておくつもりだった。フォードさん宅を頻繁に訪ねていたあなたなら、こっそり彼の結婚指輪をくすねることも簡単だったでしょうねぇ」

 指輪からフォードさんのDNAが検出され、第三者の痕跡が見つからなかったことを考えれば、フォードさんの裏で彼女もまた入念に計画を練り、指輪を掠め盗る機会を窺っていたのかもしれない。隙を突き、指紋を残さぬようにハンカチにでも包んで掌中に収めたのだろう。

「しかし、忘れてはいけないのは、今回想定外のことが起こっていたことだねぇ」

「千鶴さんが出掛けていたことですね?」

「千鶴さんが、あなたの予想外に出掛けていたせいで、ガレージで鉢合わせし、ガレージに遺体が転がることになった」

 黙ったままの吉永貴子の右の拳が固く握られている。

「あなたはあの時刻に千鶴さんが外出しているとは想定していなかった。しかしそうでなくて、あなたの想定通りなら、あなたは侵入後まず千鶴さんを殺害してから東京に帰り、本来のフォードさんがアリバイ作りをする頃の時間に、フォードさんに連絡するつもりだったんじゃないですかねぇ?」

「連絡?」

「実は実行時刻よりも早く実行したと。しかも、現場に『 Kevin to ちづる 』の指輪を置いてきたと。それを伝えるためにねぇ」

 吉永貴子の拳は依然として微動だにせず、ただ固く握られている。

「手段は携帯電話ではないでしょう。あの時間に彼の携帯電話にあなたからの着信があったという情報は聞いていませんから……。恐らく実行後、着信履歴の残る携帯電話でなく、指定した時間に公衆電話からでも連絡を取るのが、当初からの予定だったんでしょう」

「そうすると、フォードさんは焦りますよね。自分のアリバイが無いタイミングで実行された上に、自分の指輪が現場にある訳ですから。犯行時刻から二時間も経っていれば、もはやアリバイと呼べるものは出来ませんし……」

「そこで提案するんだよ。『自分が嘘のアリバイを証明してやるから、報酬をもっと寄越せ』とねぇ。指輪の件も『アリバイさえ証明されれば、現場に指輪が落ちていても大丈夫。元々あなたの家だから落ちていても不自然ではない』とでも言えば良いからねぇ」

 電話口から鼓膜に届く、くぐもった機械越しの吉永貴子の声を想像する。そのフレーズが脳内で再生された時、俺は寒気を感じた。

「でもその予定通りには進まなかった。千鶴さん宅は留守だったからねぇ」

「留守とは知らず、寝ていると思って侵入してしまったんですね?」

「そうだねぇ。家の中の構造は当然フォードさんから聞いていただろうから、まず寝室に向かった。だけど、そこに千鶴さんは居なかった」

「家中探してももちろん居ませんから、焦ったでしょうね」

 焦ったでしょうね、などと他人行儀な感想を述べている自分が不思議な感覚だった。そのような心境を抱いていたであろう人物はまさに目と鼻の先にいるのだ。

「ここであなたがどういう行動を取ったか。ここからはその話をしましょうかねぇ」

「ええ、お聞かせ願えますか?」

「困惑したあなたは、とりあえず千鶴さんが外出していることだけは理解出来た。帰宅時間も当然分かりません。完全に失敗です。そこであなたはどうするか、色々と考えを巡らせたでしょうねぇ」

 吉永貴子はやや挑戦的な目をした。夏川さんの話を愉しんでいるかのように。

「実際に現場がどうなっていたかというと、あれだけ荒らされていましたから、あなたがしたこととして確実なのは部屋を荒らしたことですねぇ。そして、千鶴さんがガレージで刺されていましたから、ガレージで帰宅した千鶴さんとあなたが鉢合わせし、刺されたということ」

「すると、どういうことが考えられるんでしょう?」

「私の推測に過ぎませんが……家の中に千鶴さんが居なかったので、ガレージを通って玄関先の方も見に行ったんじゃないかと思いますがねぇ。もしかしたら何かの理由で、玄関先やガレージにいるかもしれないと思ってねぇ。そこで、運悪く帰宅した千鶴さんと鉢合わせた……と考えれば自然でしょうかねぇ」

 遠くから踏切の警報機の音が聞こえる。車輪がレールの繋ぎ目を跨ぐ音が警報機の音を掻き消す。暫くすると、何事も無かったかのような静寂が漂う。

「それはあなたにとっては不幸中の幸いだったのかもしれませんねぇ……。その時間に千鶴さんが帰って来たお陰で、フォードさんのアリバイが無い内に千鶴さんを殺害出来ましたから。まぁ屋外で殺害することになったのは想定外でしたがねぇ。そして、あなたにはまだしなければならないことがありました」

「指輪を置くこと、ですよね?」

「もちろんそれもだねぇ。だけど、部屋を荒らすこともしなければならなかった。あくまでも実行時刻以外はフォードさんの立てた計画通りに進めないといけないからねぇ」

「なるほど。遺体はガレージに放置して、部屋を荒らしにかかったんですね? 暗いから暫くは見つからないと踏んで」

 夏川さんはコクリと頷いた。

「火事があったせいで野次馬が前を通って気付いたみたいだけど、紗知さんが言っていたように、街灯が無く斜向かいからでも見えないくらいだからねぇ」

「あら……じゃあ推理通りなら、私はガレージに停まっていた車で逃げようとして、ダムに落ちて死んでる筈ですけど?」

 吉永貴子が相変わらずの挑戦的な目と口調で訊く。事務所で話を聞いた時、彼女はこのような口調の人間では無かった。

 あれは捻じ曲げて作った人格だったのか? それとも、自分を守るために固い殻に篭ろうとしているのか? 俺にはどちらが正解か分からなかった。

「部屋を荒らさなければならなかったのは、別の意味もあります」

「別の意味?」

「探さなければならない物がありますよねぇ……そう、車のキーですよ」

 俺の中でも、繋がった物があった。

「ああ……千鶴さんのあの日の持ち物! ポーチの中にはキーケースが入っていましたね! 車のキーもそこに……」

「そうだよ、真樹君。計画通りなら部屋を荒らす時に、車のキーも見つけて、それを使って逃げる筈だった」

「でも、千鶴さんが出掛けていたせいで、室内には無かった。千鶴さんが腰に巻いていたポーチの中にあったから」

 夏川さんは満足そうな穏やかな笑みを浮かべた。珍しく分かりやすい表情だ。今は幾分か針金が柔らかくなっているらしい。

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