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謀計リング  作者: 茜坂 健
第五章 「残りの真相」
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「夫の事故が事の発端?」

 吉永貴子は眉間に皺を寄せた。

「ええ。今回の事件はそこから始まっていたんです。平成二十五年五月二十二日。その日の朝、酔って帰ったせいで覚えておられないようですが、あなたと寛さんは口論になりました」

 どうやら夏川さんは昨日あえて明言を避けたこの事実について、はっきり指摘するらしい。自分の推理に自信を持っているということだろう。

「そして口論の中で、あなたは寛さんの車を蹴ってへこませた……。車のへこみはあなたが作ったものだったんですねぇ」

「ちょっと待ってください。そんなことどうして分かるんですか? 私は酔ったら乱暴になるのは確かですけど」

 いつになく重く沈み込むような深い声だ。視線が痛い程こちらへ注がれている。

「これには裏付けがあります。殺害されたフォードさんの携帯電話のメールから分かったことです。その日寛さんは、友人であるフォードさんに、酔って帰った妻に車をへこまされたことを嘆くメールを送っていました」

「……」

 吉永貴子は一切表情を変えない。やはり昨日の会話から薄っすらと勘づいていたのかもしれない。

「寛さんは車のディーラーに連絡をし、その日のうちに修理してもらうことにしました。彼が車好きだったと仰っていましたよねぇ? 早く直したかったんでしょうかねぇ」

「私のせいで夫が亡くなったと……。それはよく分かりました。でも、今回の事件と何か関係があるんですか?」

 彼女の顔にはいつもの穏やかな笑顔が戻っていた。夫の死の原因を作ったのは自分だという事実を素直に受け入れたかのようだ。

「その事実について、知っていたのは寛さん自身とフォードさんの二人だけということになりますねぇ。そしてその二人はかけがえのない友人だった……。職場で人種差別を受けていたフォードさんを救ったのは寛さんですからねぇ」

「それは私もよく知っています」

「そして事故が起こったのは去年の五月二十二日。フォードさんと千鶴さんが殺害されたのが五月二十一日。私にはどうもこのことが引っ掛かりました。ほぼ一年後に今回の事件が起こったことが」

「そんなのただの偶然じゃないんですか? ぴったり一年でもないし」

 俺も同感だった。ちょうど一年なら何かありそうだが、そうでもないし……。ましてやフォードさんを殺害した千鶴さんと吉永貴子や寛さんの間に面識すらなかったのなら、一体どんな関係性があるというのか?

「確かにぴったり一年後ではありませんが……私には一つの仮説が浮かんできました」

「仮説?」

「フォードさんは、自分のかけがえのない友人を事故に遭わせたのはあなただと知っている訳です。もちろん大嵐の日に運転して出掛けた寛さんにも過失はありますが、フォードさんからすれば原因を作ったのはあなたに違いありませんからねぇ」

 夏川さんが何を言おうとしているのか……。漠然とだが見えてきたような気がした。口の中に苦味が拡がっていくような嫌な感覚だ。

「そこで思い浮かんだのは、フォードさんはあなたを恨んでいるということです。まぁ客観的に見れば逆恨みかもしれませんがねぇ」

「彼が私を恨んでいるとしても……だから何か影響があるんですか? 私は今もこうやってピンピン生きてますよ!」

 と、両手を肩幅くらいに広げて見せた。

「待ってください。彼が恨みに思っていた人間はもう一人います」

「それって千鶴さんですか?」

 俺は黙っていられず隣の夏川さんに尋ねた。吉永貴子も俺の方に視線を送る。

「そうだねぇ。これは捜査線上でも明らかになっていたことです。金遣いが荒く、自分の物まで勝手に売ったりしている千鶴さんと彼は別居していました」

 夏川さんは大きく息をついた。夏川さんなりに緊張感を感じているのかもしれない。

 俺は湯気の消えた湯飲み茶碗を手に取り、一口啜った。

「フォードさんが恨んでいた人間が二人。その内一人、千鶴さんが殺害された訳です。これだけだと事件の全貌は見えてきませんが、千鶴さん宅に停まっていた車のブレーキに細工がされていたことを踏まえると、仮説を形作ることが出来ました」

 吉永貴子は険しい目つきでこちらを見ている。

「車のブレーキに細工をすることが出来る人物というのは限られていますよねぇ。尚且つ、千鶴さん宅のガレージ内にあった車にとなると。それは学生時代に自動車工学科に通い、自動車整備士を目指していたフォードさんしかいませんよねぇ」

「彼が車に細工をした話と私と、何の関係があるんですか?」

「千鶴さんはペーパードライバーでした。都内にある私の事務所やフォードさん宅に行くのに電車を利用する程にねぇ。当然そんな人の車に細工をしたところで無意味でしょう。では、なぜそのような細工をしたのか? その車に乗るべき他の人間を殺害しようとしたからです」

 夏川さんの言葉を聞いて、吉永貴子は肩をピクリと震わせたのが俺の目に映った。額に汗が浮かんでいるのが分かる。

「車に乗るべき人間とは誰だったのか? それは千鶴さん以外で彼が恨みに思っていた人。そう、あなたです」

 吉永貴子は右の指先でトレーナーの裾をこねくり回している。明らかに動揺している。だが真一文字に結ばれた赤い唇から言葉は発せられない。

「まぁもっと端的に言いましょうかねぇ……。フォードさんはあなたを恨み、殺害するつもりだった訳です」

「私をどうやって殺すつもりだったんですか? 一度も訪れたことのない家に停まっている車に細工をしても無駄でしょう?」

「ええ。ですから彼は、あなたをその車に乗せる方法を考えました。……ところで、あなたを殺害する方法は他にもあるでしょうねぇ。別に自分の妻の車に何か口実を作って乗せるなどという、ややこしい方法を取る必要はありません。しかしそういう方法に至ったのは、彼にとって一石二鳥だったからです」

「……」

「彼が恨んでいたもう一人の人物である妻の千鶴さん。彼はあなたに千鶴さんを殺害することを依頼したんじゃないですかねぇ? そして、逃げる際に停まっている車に乗って逃げろと言えば……」

 どうなるかは目に見えている。フォードさんからすれば、自分のアリバイのある時に吉永貴子に千鶴さんを殺害してもらえば、千鶴さん殺害に関してのアリバイが成立し、逃亡のために車に乗った吉永貴子はブレーキの効かない車に乗せられ、下り坂を猛スピードで下りダム湖に突っ込んでいただろう。

 まさに一石二鳥という訳だ。ふと一度も会ったことのないケビン・フォードという男が、とてつもなく恐ろしい人物に見えてきた。

「因みに、あなたが車を運転する時に、窓を開ける癖を持っているのも、フォードさんにとって都合が良かった」

 夏川さんが口にした彼女の癖は、俺も気になっていた物だ。やはり夏川さんもそれをしっかりと見ていたのだ。

「横殴りの雨が降っているのに窓を開けて運転しておられましたからねぇ。間違いなく癖でしょう?」

「確かに車に乗るときに窓を開けるのは、昔からの癖ですけど……」

「窓が開いていれば、あなたがブレーキの効かない車でダム湖に落ちた時、確実に車を沈めることが出来ますからねぇ。窓が閉まっていると、車内の空気で車が沈まず、脱出されてしまってはいけませんからねぇ……」

 大洪水や津波に襲われた時に、水面に浮かんでいる車の屋根に登って助かる……という場面を思い出した。

「こう思えば、あなたとフォードさんが急にメールをしなくなり、あなたのパート先でしばしば話し込んでいたことの説明がつきますよねぇ……。警察にあなたの携帯電話や彼の携帯電話が調べられ、殺害計画について話し合うメールが見つかればまずいですからねぇ」

「じゃあフォードさんとの浮気って……」

「そうだよ。本当に浮気ではなかった。でも、もっと恐ろしいものだったんだねぇ……千鶴さん殺害の計画を練っていたんだからねぇ。会うのを夜遅くにしたみたいだけど、結局千鶴さんに勘づかれて浮気調査なんかをされちゃったから、却って疑われたけどねぇ」

 フォードさんの計画上は、二人の関係はただ店で少し話す程度の友人だということだったのだろう。まさか吉永貴子が自宅を出入りするのを探偵に張り込まれるとは思わなかっただろうが……

「少し整理しましょうか……。フォードさんが立てた計画は、あなたに千鶴さんの殺害を依頼すること。殺害方法は、現場の状況から分かる通り、金目当ての強盗に見せかけて窓を破り侵入して、寝入っている千鶴さんを殺害するというもの。無差別の強盗に見せかけた方が敷地に停まっている車で逃亡することにリアリティがありますからねぇ。……まず千鶴さんを殺害し、適当に部屋を荒らし、実際に現金や金目のものを幾らか奪う。そして、千鶴さんの車のキーも奪い、車に乗って橋本駅方面に逃亡し、人目のない所でその車を乗り捨てろと言われたんでしょう? 車を乗り捨てる場所まではあなたの黒い軽自動車で行けば良い。千鶴さん宅付近で車を目撃されなければOKですからねぇ。その時刻にフォードさんがアリバイ作りをしておけば、面識の無いあなたは疑われず、動機がありそうなフォードさんにもアリバイが成立して無事に二人とも容疑者から外れることが出来る。もちろんあなたはフォードさんから見返りの報酬を受け取る事にでもなっていたんでしょうねぇ」

 ベテラン役者のように、滑らかに淀みなく長台詞を吐いて見せた。頭の中でパズルは完璧に組み上がっているのだろう。

 俺もそのパズルの一部は既に知っている。千鶴さんがフォードさん殺害を計画し、実行したことだ。

「フォードさんが立てた計画は良く出来ていたけれど……まさにその日に千鶴さんがフォードさんを殺害しに出掛けてしまったために計画が狂ったんですね?」

 確認する自分の声が小刻みに震えている。

「そういうことだよ、真樹君。千鶴さんを殺害してもらおうとしたフォードさんを、その千鶴さん自身が殺害してしまったんだ。自分の殺害計画が実行に移されているとは知らずにねぇ」

 とりあえず肯定されて、安堵が胸を流れた。しかし、夏川さんの唇はなおも動きを止めない。

「だけど、それだけじゃなかったんだねぇ……。フォードさんによる千鶴さん及びあなたの殺害計画。そして千鶴さんによるフォードさん殺害計画。実はもう一つの謀計が絡んでいたんだよ」

「もう一つ?」

「さて、ここで話は戻ります」

 夏川さんは吉永貴子の方へ身体を向ける。彼女はさっきから完全に口を噤んでしまっている。しかし、目は少々泳いでいるようだ。動揺を隠せないのだろう。

「私がこの仮説を立てるきっかけとなったのは、寛さんの事故から今回の事件がほぼ一年後であることだと、さっき言いましたよねぇ? フォードさんが今回の計画を立てることになったのは、寛さんの事故の原因を作ったあなたへの敵討ち。ならばあなたがダム湖に落ちて死ぬ時間は、本来もっと後……。日付を跨いで、寛さんの命日である二十二日だったんじゃないですかねぇ」

「どういうことでしょう?」

 吉永貴子は小さく首を傾げる。もう一つの謀計とは何なのか、俺にも分からない。

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