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謀計リング  作者: 茜坂 健
第五章 「残りの真相」
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 一通り説明を終えると、夏川さんは目を瞑り肩の力を僅かに抜いた。

「よく分かりました。凄く筋の通ったお話ですね」

「このお話が正しければ、あなたは『 K & T 』の指輪について嘘をついたことになるんですがねぇ?」

「残念ですけど……私は嘘はついてないですよ。じゃあお話は間違ってるってことになっちゃうけど」

 妙に低く通った声だ。あまり彼女から聞いたことのないタイプの声質だった。

「そうですか。参考までにあなたが寛さんから貰ったという、日付を刻んだ結婚指輪を見せて欲しいですねぇ」

「それを見せれば信じてくださいよ!」

 吉永貴子は口を尖らせて小走りに廊下の奥の別の部屋に消えた。それほど時間が経たないうちに、彼女が姿を現した。右手の指先が指輪を摘んでいる。

「ほら、日付入りの指輪です」

 男たちは一つの指輪をまじまじと見つめた。彼女の言う通り、刻まれていたのは11.13という日付だった。

 大きめのダイヤが照明の光を浴びて、煌めいている。それなりの値段がしたと思われる。

「十一月十三日にご結婚されたんですね」

 藤田警部が吉永貴子の方を一瞥しつつ、尋ねる。

「はい、その日は私の誕生日なんです」

「誕生日に入籍ですか。良いですねぇ」

 夏川さんの言葉に感情はこもっていないのは、その場に居た全員が感じただろう。

「そういえば、婚約指輪も貰ったと仰いましたよねぇ? そっちはどうされたんですかねぇ?」

「婚約指輪は失くしちゃいました……。気に入ってたからショックでした……。あ、それも『 K & T 』とか彫ってないですよ」

 大袈裟に落胆したような表情を見せる。

「婚約指輪を貰って婚約し、入籍する日にその日付の入った指輪を結婚指輪として貰ったんですよねぇ?」

「そうですよ!」

「婚約指輪を貰ったのは入籍のどれくらい前なんですかねぇ?」

「ちょうど二ヶ月くらい前です。『二ヶ月後、貴子の誕生日だろ? その日に結婚しないか?』って急にプロポーズされて」

 照れ隠しか右手で耳にかかった髪を掻き上げた。

「『二ヶ月後、貴子の誕生日だろ? その日に結婚しないか?』そう言って婚約指輪を渡されたわけですね?」

「はい、そうです」

 夏川さんは眉間に指を当て、目を瞑って何かを思案している。唇が細かに振動している。

 藤田警部は吉永貴子から許可を貰い、日付の刻まれた指輪を写真に収めた。吉永貴子は用済みの指輪を元の部屋へと戻した。

 彼女が帰って来る頃には、夏川さんは思案を止め、背筋を伸ばして座っていた。

「さぁ、これで疑いは晴れましたか?」

 吉永貴子が座椅子に座りながら、穏やかな笑顔を浮かべる。口角の動きに合わせて口元のほくろが妖しく上下する。

「五月二十一日の夜、貴方はパートから帰宅後コンビニに車で出掛けておられますね? その後のことをお聞きしたいのですが」

 藤田警部がベトついた髪の毛を掌で撫でつけながら、尋ねる。

「またアリバイですね……。前に言ったように、コンビニから帰ってからは出掛けてないので」

「二十二日は木曜日ですから朝からパートにお出掛けで?」

「そうです。九時からなので八時半過ぎに出たかな?」

 事件の夜、コンビニの防犯カメラに映った二十一時三十五分から翌朝九時に出勤するまでの吉永貴子のアリバイは無いと言うことだ。ここから千鶴さん宅まで車で一時間弱だから千鶴さんの死亡推定時刻からしても車で向かえば十分に犯行は可能だ。

 だが火事の野次馬などから有益な目撃証言は無いらしい。千鶴さん宅の周辺に見覚えの無い車が停まっていれば気付いた人がいてもおかしくないのだが……

「――でも私のことを相模原で見た人はいないんでしょう? いくらアリバイがないって言われても、それだけで疑われるのはなぁ」

「あくまでも様々な可能性について探っているだけですので」

「あの日は……現場近くで大きな火事があったんですよねぇ」

 夏川さんが誰かに対する問いかけなのか、独り言なのか、どちらとも取れるような調子で呟く。

 だが目線からすれば吉永貴子に何かの返答を求めているようだ。彼女もそれを感じたのか、すぐに開口する。

「それは私も知ってますよ……。ニュースでも言ってましたもん、第一発見者は火事の野次馬だって」

「そうですよ。火事の起こった建物の周辺には野次馬が集まっていましたし、消防車もたくさん来ていました。目撃されなかった犯人は随分幸運でしたねぇ」

「犯人は火事が起こった家とは逆側に逃げたんじゃないですか? だから野次馬には見られなかったんですよ、きっと! 逃げる時に消防車が通れないような細い道を探して逃げたら、消防車ともすれ違わずに済みますし!」

 吉永貴子は自らの推測に対し相槌を打っている。腹を満たした猫のように満足そうだ。

「そうですねぇ。夜だから派手な火事が起こっていればどの辺りで燃えているかは分かりますしねぇ。それを避けて逃げたというのが一番自然ですよねぇ」

「火事の野次馬や消防関係には聞き込みを続けていますから、また何か分かるかもしれません……」

 藤田警部は力無く吐き出した。

 望みは薄いだろう。ただでさえ事件から日数が経過する程、記憶は曖昧になる。今更新たな証言が得られるとは期待出来ない。長年捜査に携わってきた藤田警部が最もそれを良く理解しているだろう。

「……ええ、では、また話は変わりますが……。元夫の寛さんの交通事故について何か思い出されたことはありませんか?」

「いえ、私は酔って帰ってきて何も記憶はないです。お酒、自重しないといけませんね」

「貴方は記憶が無くなる程飲んで帰ることはよくあったんですよね?」

「はい……」

「事故の日以外でも、酔って帰った日に何か特別なことが起こったことはありませんか?」

 吉永貴子が眉をひそめる。目つきも少しだけ冷たくなった。

「あの……。何を訊きたいんでしょうか?」

 事故の原因を作ったのは吉永貴子自身だということは伏せている。そのような協議をしたわけではないが、場の空気でそれは読み取れた。謂わば暗黙の了解というやつだ。

 彼女は疑わしい人物ではあるが、まだ事件に絡んでいるかどうかは定かでない。もし何も絡んでいなければ、夫の事故死の原因を作ったのはあなたなんですよ、と知らせるのは余りにも酷だからだ。

「ああ、いや、もしかしたら同じような状況の時の事を聞けば、ヒントになるかもしれないと思いましてね」

 藤田警部のフォローはわざとらしく、却って何かを勘繰らせるような危うさだった。

「私は酔ったら乱暴になることはありますよ。夫や物に絡んだりしたこともあるらしいですし……」

「絡んだ?」

「酔った勢いで喧嘩したり、物を壊したりすることは、たまにあったとか……。もちろん私自身に記憶は無いですけど」

 気付いてしまったかもしれない。恐らく他の皆もそう危惧しているだろう。今彼女が話したことはまさに事故の朝に繰り広げられたことなのだ。

「こんな答えで良いですか?」

「え、ええ。ありがとうございます」

 藤田警部が頭を下げると、この話題は触れないでおこうという空気が醸し出された。

 その後は、身元調査の調査書に表れていた規則的な生活パターンについての確認を夏川さんがした結果、調査書のような生活パターンはパートを始めた頃から続いているという程度のことが分かっただけで、訪問は終了ということになった。

「自宅にまで上げて頂いてありがとうございました」

 俺は申し訳程度に最後に礼を述べた。吉永貴子は普段と変わらない柔らかな笑みを湛えていた。

 藤田警部たちと別れ、コインパーキングへと徒歩で向かう。二人の革靴が単調なリズムを奏でるのを聞きつつ、踏切を渡っている途中で、夏川さんに尋ねてみた。

「収穫はどうですか?」

「うーん……色々。パズルの残りを組み立てるのにかなりの材料は揃ってきたねぇ」

「最初折りたたみ自転車をやたらと観察してましたけど、何かあったんですか?」

 これはずっと気になっていたことだ。なぜあんなにじっくりと折りたたみ自転車を調べていたのか?

「その辺の話も含めて、次の目的地を訪れた後で考えをまとめてから話したいねぇ」

「次の目的地? 今日は午前中に吉永貴子宅としか聞いてませんが?」

「うん。予定はそれしかなかったけど、急遽追加ね。まぁまずは事務所に戻って真樹君の作ってくれる昼食を摂りたいねぇ」

 話が急に展開して取り残されそうになる。

「昼食を摂るのは良いですけど、次の目的地ってどこですか? 出発まで時間はどれくらいなんですか?」

「時間はたっぷりあるよ。出発は十六時頃で余裕だねぇ」

「十六時ですか? そりゃ確かにたっぷりありますね。で、どこなんですか、目的地は?」

 どうせ出来ていないだろうが苦笑しながら、訊く。相手も硬い表情で答えた。

「橋本駅近くの居酒屋だよ。増田紗知さんの所のねぇ」

 思いがけない名前が出てきたので、頭の中でその名前と顔が結び付くのに時間がかかった。独自調査が初期の頃、話を聞いた千鶴さんの幼馴染だ。

「何でですか? 千鶴さんのことはもう……」

「千鶴さんのことじゃないよ。訊きたいのは火事のことだよ」

 夏川さんは遠目に見えるコインパーキングの緑色の悪趣味な看板を目指し、周りには目もくれずに歩き続ける。

(火事のこと?)

 色々な記憶が頭の中を駆け巡るが、夏川さんが何を狙っているのかは俺には見当が付かなかった。

 いつものように助手席のドアを開けて乗り込んだ夏川さんは、煙草を咥えてライターで火を点けた。煙草の箱とライターを上着の内ポケットにしまう……ここまでは見慣れた手つきだったが、今回は違っていた。内ポケットから出した手は空になっていなかった。

 その手には小型のICレコーダーが収まっている。電源ボタンの下にオレンジ色のランプが灯っている。

 ――ということは今までのやり取りは全て録音されていたということだ。

 夏川さんが電源ボタンを押すと、あっさりとランプは消灯した。

「吉永貴子とのやり取りを録音していたんですか?」

「こそこそ人の会話を録音することも、探偵の仕事だからねぇ」

 何とも形容し難い表情を浮かべ、煙を窓の外に吐き出した。俺は背中に鳥肌が広がるのを感じて、一度深呼吸をし、車を発進させた。

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