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謀計リング  作者: 茜坂 健
第四章 「交錯」
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 松岡警部補はひとしきり蟻の群れのような文字の羅列を眺めた後、眼力鋭く夏川さんを直視した。

「探偵さんも吉永貴子と会ったんなら、フォード氏殺害に関する彼女のアリバイは知ってるだろう?」

「聞いた話では当日のパートが予定より長引いて二十一時頃にパート先を出たということでしたねぇ……。しかもパート先からフォードさん宅まで約十五分程かかるので、二十一時頃には既に殺害されていたフォードさんを殺害するのは不可能だという感じでした」

「あの学生グループの証言の信憑性だが……マンションの住民で話し声を聞いている人が多数いて、話し声が聞こえたのはやはり二十一時頃からだという証言が多かった」

 松岡警部補は右手の人差し指一本で頭皮を掻き毟りつつ手帳を机に置き、背もたれに体重を預けた。

「さらに二十一時の少し前に終わるテレビ番組を見ていた人によれば、その番組をやっている最中には聞こえなかった話し声が終わる頃に聞こえ出したらしいから、奴らの言う『二十一時頃』ってのは二十一時の少し前くらいってことで認識していいだろう」

「まぁ正確ではありませんがねぇ……」

「マンションの住民に声が聞こえる程の声で遅くにだべってたんだ、話を聞いたついでに灸を据えてやったよ」

 物騒に自分の拳を握り締め、指の関節を鳴らした。本当に殴ってなんていないのは言わずもがなだが、近所迷惑だったのは確実だからそれはそれで良かっただろう。

「そう言えば吉永貴子の自宅の向かいの家の住人には聞き込みましたかねぇ? 彼女が帰宅した後コンビニに出かけた時に、向かいの家の住人の車とすれ違ったという話も聞きましたが……」

「もちろん聞いたさ」

 次第に松岡警部補の背筋の反り返り度合いが増していく。頭の重さに耐えられないように。

「すれ違ったのは二十一時半ちょうどらしい」

「随分正確に覚えているんですねぇ。昨日今日のことじゃないのに」

「その人は帰宅時間を確認するのが癖になってるらしくてな……。ちょうど向かいの家から車が出てきて一旦バックで道を空けてやったらしいから、印象に残っていたらしい」

 癖というのは人によって様々だ。松岡警部補の大袈裟な感情表現や、遠藤さんの顎を撫でる仕草も癖だ。

 夏川さんはペットに赤ちゃん言葉で話しかけるのが癖だし、俺はポーカーフェースか――いや、ポーカーフェースは癖とは言わないだろう。

「なるほど、そうなると本人の言う通りフォードさん殺害に関してはアリバイが成立しますねぇ」

「因みに帰宅後行ったっていうコンビニの防犯カメラも見せてもらったが、彼女の言うように二十一時三十四分から三十五分に映っていたよ。そこで同一犯という先入観に捕らわれていた俺たち警察は、吉永貴子をシロだと思っちまったんだなぁ……」

 懐かしい味に出会った時のように遠い目で後悔を滲ませる。

「夫婦が殺害され、それぞれの現場にあんな意味深な指輪が有れば、二つの事件に関連性を見出すのは至極当然だと思いますよ。私もそうでしたからねぇ」

「だが、フォード氏殺害の犯人が千鶴さんだったとなりゃ、話は別だからなぁ」

「吉永貴子は千鶴さんとは面識は無いようですが?」

 確かに彼女はフォードさんとは友人だったが、奥さんである千鶴さんとは会ったことも無いと話していた。

「どうやら、それは本当のようだな……。彼女の周りはある程度調べたが、彼女が語った経歴や人間関係に偽りは無かったよ」

 松岡警部補は殊更に残念そうな表情を浮かべる。夏川さんは特に表情を動かさない。

「それは彼女とフォードさんの関係についてもですかねぇ?」

「あぁ……それは何とも言い難いが、少なくともフォード氏と中学のバスケットボール部の一年先輩後輩で、その同窓会で再会して意気投合したようだということは事実だよ」

 と、言い終わると共に俺が出したお茶を少量口に含んだ。出したことすら認識されていないのではないかと、そわそわしていたので一安心。

 だが彼はお茶を飲んだ刹那に何かを思い出したように口を開いた。

「そうだそうだ。探偵さんも言ってただろう? シャワーを浴びた感じがしないって。だから、浮気じゃないってのは本当かもな」

「ええ。私もそんな風に考えていますがねぇ。実際彼らが親密であったという事実に違いは無いようですから、この際どちらでも変わらないとも思いますがねぇ」

 俺に言ったのと同様の見解を示した。夏川さんの言うように二人が頻繁に会っていたのは揺るがし難い事実だ。

「でな、千鶴さんがこの遠藤って探偵の居る興信所に吉永貴子の身元調査を依頼したわけだが、その調査書を調べて吉永貴子の生活について面白いことが分かったよ」

「面白いことですか……」

 遠藤さんは自分の名前が出たにも関わらず、ずっと黙りこくっている。夏川さんと松岡警部補のやり取りを推理小説を読んでいるかのように愉しんでいるのかもしれない。

「吉永貴子はかなり規則正しい生活リズムをしてるようなんだ。毎週同じ曜日には同じ様なことをしているんだ」

 松岡警部補は鞄から白い書類が挟まれた透明なファイルを取り出した。その書類は成瀬総合興信所で見た身元調査の書類のようだ。

「特別に見せてやるよ」

 ニヤリと笑いながら夏川さんの前に数枚の書類が差し出された。

「彼女のパートは曜日によって時間が決まっている。――水曜日・土曜日・日曜日は十五時から二十時。木曜日は朝の九時から正午。それ以外の月曜日・火曜日・金曜日は休みだ」

「なるほど。私が聞いたのと同じですねぇ」

「聞いた? そんなことまで聞いてたのか。随分な調査力だな」

「彼女から教えてくれたんですよ」

「まぁそれは置いといてだな……。彼女の生活を見ていると、パートが二十時まである水・土・日は帰宅後出掛けることはまず無いんだよ。事件の日だけは例外だが」

 これも吉永貴子から聞いた話だ。

 事件の日だけヨーグルトを買いに出掛けたと言っていた。今思えば怪しい行動ではある。

「もちろん水・土・日も朝や昼過ぎに出掛けることはあるがな。だが彼女が夜に出掛けるのはパートが休みの日と、パートが午前で終わる木曜日ぐらいなんだよ。これは三週間ずっとそうだった」

「そういえば私が浮気調査をしていた時、彼女がフォードさん宅を訪れたのは火曜日・木曜日・金曜日でしたねぇ……。なるほど、千鶴さんが吉永貴子に罪を着せてフォードさんを殺害したとすれば、これも合点がいきますねぇ」

「本来なら水曜日は吉永貴子は二十時に帰宅後、出掛けないからな。あの時間に殺害すれば吉永貴子のアリバイは無いと踏んだんだろうよ」

 千鶴さんが調査書から吉永貴子の生活リズムを掴み、パートが二十時まである日は帰宅後は出掛けないという法則を見い出したとすれば、フォードさん殺害が水曜日に行われたというのも納得出来る。

 早くDNA鑑定の結果が出て欲しいと切に願っている自分がいることに気付く。

 最早フォードさん殺害犯は千鶴さんだという事は、仮定の域を超えて現実味を帯びている。だからこそ早く仮定でなく確定にしたいのだ。

「それから、吉永貴子関係で言えば、フォード氏の携帯電話を調べたら妙なことが分かったんだ」

「どんな事ですかねぇ?」

「メールの履歴を調べたら、フォード氏と吉永貴子はメールをしていないんだよ。本人はかなり親しい友人だと言っていたが、その割にメールが全然無かったんだ」

「全然って、ゼロですか?」

「彼の携帯は三年前から使っている物のようだが、三年前から一年前くらいまでは割とメールの量も多かった。ところが一年前くらいから事件当日までは殆ど無かったよ」

 それは何を意味するのか。吉永貴子の言うような親しい関係なら、メールが殆ど無いのはおかしい。ましてや、あれだけ頻繁に夜遅くに会っていたのに……

「ではあの二人はどうやって連絡を取っていたんですかねぇ? 殆ど無かったってことは、会っていた日も無かったんですよねぇ?」

「それは吉永貴子のパート先の防犯カメラに映っていたよ……。フォード氏は彼女のパート先のスーパーによく買い物に行ってたようだ」

「つまり直接会っていつ会うかを決めていたということですか」

 夏川さんは目を閉じて考えを巡らせている。遠藤さんはその様子を顎を撫でながら見つめている。

「話し込んでいるところが映っていたからな。他の従業員も友人だと聞いていたそうだが、そんなに頻繁に彼の姿を見た訳じゃないらしい」

「でもどういう理由でしょうかねぇ? このハイテクの時代に、メールを使えばすぐに連絡を取れるのに、直接会って話していたなんて……」

「彼女はフォード氏と会っていたのも、浮気と勘違いされないように気遣っていたと話していたし、考えられるのは浮気だと勘違いされないようにそうしたってことぐらいか……」

 吉永貴子とフォードさんがしていることは却って不審だ。千鶴さんに携帯を見られても安全なようにメールをしていなかったように思える。

 まさに浮気を隠している夫の工作のように思える。でなければ、メールで連絡する方が圧倒的に便利で楽なのは自明の理だ。

「しかも、一年前までは割とメールの量も多かったと言っただろう? それも全部消されてたんだよ。携帯会社に頼んでデータを復元してもらったら、一年前までは普通にメールしてたのが分かったんだ」

 松岡警部補が右手で両目を覆い隠す。

 要するにフォードさんの遺体が身に付けていた携帯電話には、吉永貴子とのメールは消されていて無かったということだ。復元して約一年前までは普通にメールをしていたことが判明した……

 ますます浮気を隠しているように見えてくる。夏川さんもそう感じているだろうか?

「何だか奇妙な関係ですねぇ。一年くらい前から突然メールをしなくなったのは中尾寛さんが絡んでいるのかも……」

「ああ、吉永貴子の死んだ夫だな」

「寛さんが亡くなったのは一年前の五月二十二日だと聞きました。今回の事件があったのは五月二十一日。どうです? ちょうど一年くらい前でしょう?」

 その話を聞いた時、眺めていたカレンダーは今も事務所にぶら下がっている。ただぶら下がり、眺められることがカレンダーの任務なのだから仕方ない。

 事件が起こったのは五月二十一日で、フォードさんの遺体が発見され全容が明らかになったのはまさに一年後の五月二十二日だ。偶然というには出来過ぎている……のだろうか?

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