表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
謀計リング  作者: 茜坂 健
第四章 「交錯」
25/39

 夏川さんは足を止め、俺に正対する形で直立する。

「『 K & T 』の指輪を千鶴さんが置いたとすればだよ、それは偽装工作だろうねぇ」

「偽装工作……」

「まず、『 K & T 』とは誰と誰のことなのか考えよう」

 俺はまずケビンと千鶴のことだと思った。安直な発想だった。

 後に、フォードさんと夜遅くに何度も会っていて浮気だと思われていた、吉永貴子という女とその元夫である中尾寛という人物が浮かび上がったことで、『 K & T 』は寛と貴子のことではないかと転じた。

 これについては吉永貴子自身から浮気関係も指輪のことも否定されたが真偽は定かでない。

「一応有力なのは寛と貴子ですか? フォードさん周辺でKとTのイニシャルの組み合わせで浮かんだのは、その二人くらいですし……」

「随分自信無さげだねぇ。僕はそれで合ってると思うんだけど……」

「えっ? あ、合ってるんですか?」

 否定されるものだとばかり思っていたので、思わず声が裏返る。今まで俺の見立ては否定されてばかりだった――

「現状他に候補は無いからねぇ。で、そう考えれば一つの推理が出来上がるんだよ」

「それが千鶴さんの偽装工作ですか?」

「千鶴さんは強盗に見せかけるためにフォードさんの財布からお金を抜いたけど、それだけで千鶴さんへの疑いが晴れると思う? 動機があってアリバイが無いなんて最悪の状況だよねぇ?」

「じゃあ、千鶴さんはあの指輪を使って自分への疑いを逸らそうとしたんですか?」

 夏川さんは首から上だけを動かして無言で頷く。さっきまで座っていた椅子の背もたれを乱暴に引き、再び腰を下ろした。

「千鶴さんはあの指輪をフォードさん宅で見つけたんだよ。遠藤さんの話では、彼女は五月十八日――つまり、事件の三日前にフォードさん宅を訪れたらしいからねぇ」

「十八日にフォードさん宅で指輪を見つけたと? その指輪は吉永貴子と中尾寛の物なんですよね?」

「僕の調査で分かった通り、吉永貴子は頻繁にフォードさん宅を訪ねていたからねぇ。そのいずれかの時に忘れていったんだよ。ただ千鶴さんはそうは思わなかった」

「どういうことですか?」

「僕達と同じだったんだよ。犯行計画を立てている千鶴さんは……」

 もはや鼻に付くほど勿体ぶった言い方が俺を焦らす。――僕達と同じ?

「さっぱり分かりません……」

「千鶴さん宅で成瀬総合興信所の調査書を見せられた時『中尾かん』という名前を『中尾ひろし』と間違えたよねぇ?」

「直前に『純喫茶ひろ』に行ったからそれに引きずられて勘違いしたんですよね」

「その喫茶店は昔千鶴さんが働いていた場所だよねぇ? そしてもう一つはあの調査書に振り仮名が振っていなかったこと……」

 水面に広がる波紋のように、脳内のある一地点から記憶が連鎖しながら広がっていく。

 夏川さんが言おうとしていることは……

「もしかして……千鶴さんも『中尾ひろし』だと勘違いしたってことですか? ……い、いや、そうですよね!」

「そう。千鶴さんはあの調査書を郵送で受け取っているから、彼女もその読み方を漢字からしか発想出来ない。彼女が置かれた状況はあの時の僕達と同じだったんだねぇ」

 夫の浮気相手の元夫の名前を『かん』でなく、『ひろし』だと勘違いした千鶴さんはどう考えたか。指輪と結び付ければ答えは明白だった。

「千鶴さんは『 K & T 』を『ケビンと貴子』だと思い、夫が浮気相手に贈った指輪だと思い込んだってことですか……」

「吉永貴子の元夫の名前が『ひろし』だと思っている千鶴さんは、それを見つけた時にその指輪はフォードさんが吉永貴子に贈った物だと確信したんだよ。まぁ吉永貴子の物であることに違いはないんだけどねぇ」

 千鶴さんはフォードさんと吉永貴子の浮気調査の調査書と、吉永貴子の身元調査の調査書を持っている。

 フォードさんの遺体の側からその指輪が見つかり、彼女が警察にその調査書を持って行けば……

 指輪の『 K & T 』は『ケビンと貴子』を指すものだと警察も思っただろう。探偵事務所の調査書に加え、浮気相手に贈った指輪という証拠が揃えば浮気関係は確実。浮気相手の女に罪を着せることが出来る。

「なるほど……。『 K & T 』の指輪は吉永貴子に罪を着せるための偽装工作だったという訳ですか……。彼女からすればその指輪は、間違いなく『ケビンと貴子』だと思っていますからね」

「彼女の唯一の失敗はフォードさん宅で指輪を見つけた時、それを素手で触ってしまったことだったんだ」

「自分の指紋が付いてしまったから、やむなく拭き取ったんですね。夫が浮気相手に贈った指輪に自分の指紋が付いていたらおかしいですから」

「まぁ実際指輪が綺麗に拭かれていたことは不審に思われたけど、吉永貴子との浮気さえ判明すれば罪は着せられると思ったんだろうねぇ。彼女が調査書を隠していたのも、それが大事な浮気の証拠だから、万が一フォードさんが帰って来た時なんかに本人に見つからないようにしたんじゃないかなぁ」

 遠藤さんが十八日にフォードさん宅を訪れた千鶴さんを目撃した時の話が自然と蘇る。

 ――確か、その日の夜遅くになってからフォードさんの車が無かったから、フォードさんが車で相模原まで送ったんじゃないかという見立てだった。

「そうですよ! フォードさんは千鶴さんが訪ねて来た時、車で相模原まで送ったりしてたみたいですから、別居中とはいえフォードさんが相模原の家を訪ねることもあったでしょうしね」

「千鶴さんの犯行の流れは大体そんなものだろうねぇ。なんせ指紋を拭き取ってしまったから、もし吉永貴子に疑いがかからなかった場合でも容疑者を絞らせないためにお金も抜いて金目当ての強盗という逃げ道も作っておいたってところかねぇ」

 気付けばそれなりの時間が経っていた。夏川さんの推理に合わせて自分の脳細胞も働かせていたら、時間経過の感覚が鈍ってしまった。

 どうせ依頼人は来ないだろうから、いくら食卓で長話をして事務所を空っぽにしてしまったとしてもそれは杞憂というものだ。正直今は本業はどうでもいい。

「しかし、千鶴さんの計画は甘かったですよ。吉永貴子にはフォードさん殺害に関してアリバイが成立していますから、罪を着せられなかったですね」

「でも彼女にアリバイが成立したのは偶然なんだよねぇ……彼女は普段水曜日はパートが二十時までだと言っていたからねぇ。身元調査で彼女の生活リズムが分かっていた千鶴さんも、それを狙ってあの日に実行したんだろうけど……」

「あぁ……あの日はトラブルで二十一時までパート先にいたんでしたっけ。二十時に帰っていればアリバイは無かった所です」

「それに駐車場で話し込む学生グループの事も想定外だったと思うよ。僕は調査書に学生グループがよく屯して喋っているなんて書かなかったからねぇ」

 その学生グループはフォードさんの浮気調査には関係ないから書かなかったのは当たり前だ。

 結局学生グループの存在のお陰で、フォードさんの死亡推定時刻が二十時四十分頃から二十一時頃に絞られてしまったのだ。

 当初発表されていた死亡推定時刻は二十二時半頃までの幅があった。そんなグループがいなければ吉永貴子が二十一時頃にパート先を出ていたとしても、吉永貴子に犯行は可能だったことになる。

『 K & T 』の指輪と、フォードさんの浮気調査の調査書と、アリバイの無い浮気相手……

 この状況が揃っていれば、吉永貴子が犯人だと誰しもが思うに違いなかった。

 しかし吉永貴子の事を考えればしこりの残る感覚がある。喉の奥に何かが詰まっているような……

 ――しこりの正体を探る。

「……吉永貴子……。そういえば吉永貴子は『 K & T 』の指輪を知らないと言いましたよね?」

「そうなんだよねぇ。この推理があっていれば、彼女は嘘をついたことになるんだよねぇ。本当は彼女と寛さんの指輪なのに……」

 すぐに反応したところを見ると、どうやら夏川さんもそれは引っ掛かっていたらしい。

「吉永貴子が何かの理由で嘘をついたのか、指輪の持ち主はまた別の人物なのか、はたまたこの推理が根本的に違っているのか……」

「嘘をついたとすれば、彼女も一気に怪しくなりますね」

「また遠藤さんに調査書を調べてもらいたいねぇ。吉永貴子に関しては疑いが残るからねぇ」

「吉永貴子はフォードさんと浮気関係は無いと言っていましたけど、本当なんでしょうか? なんか嘘臭かったですよ?」

 男と女の関係だ。密閉空間で頻繁に二人っきりで会っていて、男女の関係は無いと言われてもにわかには信じ難い。

「それは本当かもしれないねぇ。ほら、彼女がフォードさん宅から帰宅するときに髪が濡れたり、化粧が落ちてたりしてなかったからシャワーを浴びたりしてないんじゃないかって言ってたよねぇ?」

「いわゆる夜の営みのことですよね? シャワーを浴びたりしてないってことはそういうことをしていないんじゃないかと」

 些細な疑問だったので今まで忘れていたことだが、初めて松岡警部補と会った時にも疑問に上がったことだ。

 大人の男女の関係にしては営みが無いのは不自然だ。

「そう言われれば、浮気じゃないと言うのも真実味が出てきましたね……」

「これに関してはどちらでも良いかもねぇ……。フォードさんと吉永貴子が親密な関係だったことに変わりはないし」

 夏川さんは手元の手帳を再び開く。首から上を微細に動かしながらページを繰る。

 その様子は夏川さんのペットのイグアナに似ている。飼育ゲージの中で木の枝の上を這いながら首を神経質に振っているのだ。

 肌の色が褐色だから「カッちゃん」という、恐らく世界一安直な名付けをされたことは俺もひっそりと同情している。

「よし、吉永貴子にまた会おうかな。今度は彼女の自宅にでもお邪魔したいねぇ」

「えっ? また話を聞くんですか?」

「推理通りなら彼女が嘘をついたことになるからねぇ」

 それだけ言い残すと事務所の方へ跳ねて行く。今すぐにでも電話したいのだろう。

 調査書をもっと調べてもらいたいと言っていたから、遠藤さんのいる成瀬総合興信所にも電話するかもしれない。この事件に関してはそれだけ行動的な男なのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ