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謀計リング  作者: 茜坂 健
第四章 「交錯」
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「科学捜査班に映像を解析してもらおうにも、小林千鶴の歩き姿を撮影した良い動画が無いので……」

 五十嵐刑事は弱々しく呟く。

 映像の女性が千鶴さんだと突き止めれば、夏川さんの言う通り、大進展だから是が非でも突き止めたいだろう。

 少し黙っていた夏川さんがおもむろに顔を上げて口を開く。

「その女性の服装って上下ジャージに帽子にリュックサックでしたよねぇ? 千鶴さんの服装を取り込むには完璧な服装じゃないですか」

「千鶴さんの服装を取り込むってどういうことですか?」

 そんな疑問を吐き出した俺に対して、夏川さんはいつもと変わらない笑顔を作る。

(こ、これが笑顔だと認識していいんですよね?)

 五十嵐刑事が軽く背伸びをしながら俺の耳元で囁いた。

 夏川さんは五十嵐刑事の行動には眼もくれず、一人の世界に入り浸ったかのように語り出す。

「Tシャツの上にジャージの上を着る。そしてジャージのズボンは二枚重ねで着る。こうすれば、あの日の千鶴さんの服装を別のジャージで取り込むことができるでしょう? 帽子なんて被るか脱ぐかだけの違いですしねぇ」

「確かにポーチもリュックサックの中に入りますから、夏川さんの言うように取り込むことが出来ますね。――でも靴は? 我々は映像を元にその女性が履いていた靴も調べました。映像の女性は小林千鶴の履いていたスニーカーとは違うメーカーのスニーカーを履いていましたが?」

 五十嵐刑事は矢継ぎ早に言葉を発する。早く納得できる答えを教えてくれと欲するが如く……

「千鶴さんは女性ですから、足のサイズもそこまで大きくないでしょう? リュックサックの中に靴だって入るんじゃないですかねぇ?」

「要するに……千鶴さんは遺体で発見された時の服装の上から別のジャージを着ていた。靴とポーチはリュックサックに入れていた。上のジャージを脱ぎ、靴を履き替え、ポーチを巻けば殺害された時の格好になるということですね」

「そうだよ、真樹君。そして彼女がそんなことをする必要があったのは……」

 語尾は飲み込まれてしまったが、夏川さんの言わんとすることは分かる。

「夏川さんの言う通りだとすれば、小林千鶴は橋本駅に帰って来てから自宅に着くまでの間に服装を戻したことになりますが?」

「幸いこの辺は閑静な土地ですから、夜遅くだと人目のつかない場所なんてたくさんあるでしょうしねぇ。しかも、脱いだ服や靴を捨てるのにちょうど良い場所もあるじゃないですか」

「どこです? その場所って?」

 五十嵐刑事がやきもきしながら夏川さんの顔を覗き込む。夏川さんも五十嵐刑事や俺のそんな様子をジロジロと見ている。自分が紡ぐ言葉への観衆の反応を楽しむ紙芝居の語り手のように……

「橋本駅からここに来るまでの間に大きなダム湖がありますよねぇ? 大通りに面してかなり水面が近いです」

 俺もいつも運転席から右手に見ていた大きな水瓶。あの中に脱いだ服などを投げ込めばそう簡単には見つからないだろう。

「あぁなるほど。橋本駅を出てからどこか人目の無い場所で服を脱ぎ、ダム湖にそれを投げ込んだんですね」

「そうして、遺体発見時の格好で自宅まで歩いて戻れば、誰かに見られてもウォーキングだと言えますしねぇ。人目のつかない場所や投げ込む場所を探したり、橋本駅から自宅に行き帰りする時間を検証するために千鶴さんは最近になってこの近辺を歩き回っていたんでしょうねぇ」

「しかし小林千鶴はケビン・フォードを殺害するために目黒駅に行っていたとすれば、彼女は返り血を浴びているはず……。だが帰りの映像も服は綺麗でしたよ?」

「雨ガッパか何かを羽織ったんでしょう。雨ガッパさえ脱げば問題ありませんからねぇ」

 いつかそんな話を聞いたことを思い出した。そう、遠藤さんの部屋の中に招かれた時だ。

 犯人はフォードさんの返り血を浴びただろうからそのままでは逃げられなかったんじゃないかという話を夏川さんと遠藤さん――二人の探偵が交わしていた。そして、雨ガッパか何かをどこかで処分した筈だがまだ発見されていないとも……

「現場付近で返り血を浴びた雨ガッパのような物は発見されていないんですかねぇ?」

「我々も捜索しました。当然犯人は返り血を浴びたでしょうから。しかし、まだ発見されていません。近隣の店舗のゴミ箱なども調べさせてもらったんですけどね……」

「だったら千鶴さんがその雨ガッパもリュックサックに入れて橋本駅まで持ち帰り、それもダム湖に捨てたんじゃないですか?」

 五十嵐刑事は唐突に背筋を伸ばして夏川さんに深く一礼をする。目の前で繰り広げられたその行為に俺は目を白黒させた。

「大変参考になる話をありがとうございます。早速本部に報告して下のダム湖の捜索に当たります」

 まだ何度か小さく頭を下げながら、五十嵐刑事は足早に階段を駆け下りていった。

「これでダム湖から服や返り血を浴びた雨ガッパが見つかれば、カメラの女性が千鶴さんだと証明出来そうですね。でもまさか千鶴さんがフォードさんを殺害したなんて……」

「おっと真樹君、先走っちゃいけないよ。返り血のついた雨ガッパが見つからなければ、フォードさんを殺害したのが誰かはまだ分からないままだからねぇ」

「でも、一緒に捨ててるんじゃないですか? わざわざ別に捨てる必要性も感じませんし」

「そうだねぇ。雨ガッパをリュックサックに入れて持ち帰ってきたなら一緒にダム湖に捨てただろうねぇ……」

 夏川さんは俺との話も半分に寝室の中を物色しだした。枕元の棚の引き出しを開披し、覗き込む。

「ダム湖の捜索の結果を待たないといけないねぇ。袋に一まとめにして捨ててくれていれば、ますますありがたいんだけど……」

「その方が発見しやすいですもんね」

「いや、袋に入れて捨ててくれていたら水に濡れずに済んでいるだろうから、映像に映っていた女性のDNAが検出出来る可能性が高まるからねぇ」

 ここ最近の暑さから考えれば、汗をかいていただろう。DNAが千鶴さんと一致すれば、夏川さんの推理通り映像に映っていた女性は千鶴さんだったということになる。

「もしその女性がフォードさんを殺害して返り血のついた雨ガッパも一緒に捨てたとすれば、袋にまとめている可能性は高いんだよねぇ」

「どうしてですか?」

「そりゃ血塗れの雨ガッパを裸のままでリュックサックには入れないだろうからねぇ……。当然雨ガッパを袋に入れた上でリュックサックに入れていただろうから、その袋に一まとめにしたと考えた方が自然だよねぇ?」

 夏川さんは依然として引き出しの中を探っていたが、目的を果たしたのか静かに引き出しを閉じる。

「あまり有意義な物は無いねぇ。でも千鶴さんがフォードさんに生命保険を掛けていたことは確かみたいだねぇ……保険会社からの送付物がこの中に幾つか入っていたから」

 千鶴さんが保険金目当てでフォードさんを殺害したとすれば、引っ掛かることがある……

 なぜ千鶴さんは夏川探偵事務所に浮気調査を依頼してきたのかだ。フォードさんが浮気をしていたことが分かったら――相手の吉永貴子はあくまでも浮気でないと言っていたが――殺害なんてしなくてもそれなりの慰謝料を請求できそうなのに……

「夏川さん? 千鶴さんはどうしてフォードさんの浮気を知ったのに殺害に踏み切ったんでしょう? フォードさん側にも浮気の非があるなら殺害しなくても……」

「だからまだ千鶴さんがフォードさんを殺害したとは断定出来ないよ」

 夏川さんは呆れ顔で俺を諭す。その表情が呆れ顔だと分かるのは俺だけかもしれないが。

「千鶴さんが犯人だとしても、浮気のことを知って怒りが湧いてきたのかもしれないしねぇ。合理的でない感情が芽生えたことも可能性として考えなきゃいけない……」

 調査書に目を通した時の千鶴さんの表情に怒気が含まれていたことは印象に残っている……あの時合理的でない感情に苛まれていたのもしれない。

「真樹君、これを見てみて」

 夏川さんはベットの足元の方にある鏡台の前に移動している。

「これ、ジュエリーボックス」

 指差す先には指輪やネックレスなどが並んだ紫のジュエリーボックスがある。散りばめられた宝石が薄暗い部屋の中で、窓からの僅かな陽光に照らされもの哀しげに煌めいている。

「たくさんありますね。千鶴さんの金遣いの荒さは本当だったんですね」

「大事なのはここだよ」

 ジュエリーボックス全体を示していた指先を右端の方に平行移動させると、そこにはダイヤモンドの付いた指輪がある。

「『 Kevin to ちづる 』と彫られてるよ。見た感じ細めのサイズだし、間違いなく千鶴さんの物だろうねぇ」

「じゃあ千鶴さんの遺体の側にあったのはフォードさんの物で間違いないですね。一体誰が千鶴さんを殺害したんでしょう?」

「それは分からないけど、そこにフォードさんの指輪があったことの意味が分かり始めたねぇ。今まではなんでフォードさんの方を先に殺害したのに、彼の指輪を千鶴さんの殺害現場に置いたのかが分からなかった。でも二人の人間が絡んでいるなら答えは簡単だよ」

「……要するに千鶴さんを殺害した犯人は、その罪をフォードさんに着せようとしたんですね? だからフォードさんの指輪を落とした。だが、千鶴さんが意に反してフォードさんを殺害してしまったのでフォードさんに罪を着せる計画が狂ってしまったということですね?」

「千鶴さんがフォードさんを殺害したことは……」

 夏川さんが両手を後ろ手で組んで俺を睨んでくる。三度も同じ事を言わせるなということだろう。

「あ、フォードさん殺害犯はまだ分からないんですよね……」

 それを聞いて満足そうに夏川さんは部屋を出て、階段を下っていく。俺もその後を追って階段を下る。

 登りに見た写真が悲しく笑っている。仲睦まじい頃の記憶を二人はもう忘れてしまった……

 ――一階のリビングに降り立つと五十嵐刑事が再び俺と夏川さんの元に近付いてくる。

「準備が出来次第ダム湖の捜索が始まります。もし映像の女が着ていた服が見つかれば大手柄ですね」

「この情報は発表されるんですかねぇ?」

「見つかれば発表しますよ」

「そこでもう少し聞きたいことがあるのですが……」

「答えられることは答えます」

 今まさに夏川さんへの信頼がうなぎ登りに上がっているのが、五十嵐刑事の柔和な顔つきから見て取れる。

「確か千鶴さんはポーチの中にタオルと財布とキーケースを入れていたと聞いたんですがねぇ、財布の中に現金はどれくらいはいっていたんですかねぇ?」

「五、六万だったと思います」

「やはりただウォーキングするにしては持ち過ぎですねぇ」

「ケビン・フォードの財布から金が抜かれていましたから、やはり……」

 千鶴さんは強盗の犯行に見せかけるためにフォードさんの財布から金を抜いたのだろうか? 怨恨による犯行に見えないように。

「そして、キーケースなんですがねぇ、キーケースってことはもちろん、あのブレーキに細工をされていたという車のキーもそこに付いていたんですよねぇ?」

「はい。この家の鍵以外に車の鍵がありました。しかし、そんなこと聞いてどうするんですか?」

「いえ、気になっただけですから。我々はそろそろ帰ります。お邪魔して申し訳ありませんねぇ」

「邪魔どころか捜査の手掛かりを与えて頂きありがとうございます」

 五十嵐刑事は最敬礼で夏川さんを見送る。警察にチヤホヤされる探偵とはまるで推理小説の世界のようだ。

 最初車の周辺にいた警察官達はダム湖の捜索に駆り出されたのか、今は誰もいなくなっている。

「夏川さん、この後の予定は?」

「ないよ。今日はじっくり真相の半分を解き明かしたいねぇ」

「真相の半分……ですか?」

「何者かによるフォードさん殺害計画。そして何者かによる千鶴さん殺害計画……。この事件は二人の人間による謀計が交錯していたということだよ。まずはフォードさん殺害計画のほうを明らかにしよう」

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