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謀計リング  作者: 茜坂 健
第三章 「浮かび上がる女」
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「では、単刀直入にお尋ねしますが……。ケビン・フォードさんが殺害されたのはご存知ですよねぇ? 彼とあなたはどういった関係だったんですかねぇ?」

「警察からも聞かれましたよ、私が彼と浮気をしていることがある探偵さんの調査で分かったって……。その探偵さんって夏川さん?」

 吉永貴子は小首を傾げて尋ねる。声のトーンや表情は来た時から変わっていない。

「ええ。フォードさんに一日中張り付いていました。あなたが彼のマンションを訪れ、部屋から出るところも写真で撮りました」

「気付かなかったなぁー……さすがプロですね」

 眉を顰めつつ自分の額を右手でペシッと叩く。

「でも、残念ながら私は彼と浮気をしていたんじゃないんです」

「ほう……。では、週に三回もフォードさんの部屋を訪ねて何をされてたんですかねぇ?」

「警察と同じ様なことを聞かれるんですね。浮気と思われても仕方ないですけど、彼は中学の先輩で今はやましいことは何も無い、良い友人なんです」

 ずっと浮気相手の女と呼び、浮気をしていることは間違いないと思っていたが、彼女はフォードさんとの浮気関係を否定した。ここまでの大前提を覆す発言だ。

「ただの良い友人同士が、週に三回も夜遅くまで?」

「夜遅くなのは、彼が仕事から帰った後じゃないといけないし……。それこそ浮気だと疑われないように、外で会うのを避けて彼の家で会ってたんですよ!」

 だが、結局家で会っていたことが撮られて、かえって浮気にしか見えなかった……

「では、なぜ会っていたんですか? 友人とはいえ、用事があったんじゃないですかねぇ?」

「彼からの相談に乗っていたんです。奥さんとのことで、色々悩んでいたみたいなので」

「具体的にはどういうことを相談されていたんですかねぇ?」

「奥さん、凄く贅沢だって言ってました。高いジュエリーとか、自分の欲しいものをどんどん買って、家計にも負担があったとか……。だから、なんとか奥さんに浪費を止めさせて、仲直りしたかったみたいです」

 フォードさんは別居しながらも、なんとか仲直りの道を探っていた――ここまでは愚痴を言っていたとか、恨んでいたという話ばかり聞いていたので、仲直りしようとしていたという彼の優しい面を初めて見て、なぜだか安心した。

「そういったことの相談をあんなにされていたんですか?」

「うーん、なんて言うんだろう……相談もあるし、普通に友達として、遊びに行っていたっていうのもありますよ。彼とは飲み友達でもありましたから。本当に良い友人でしたから、男女の関係じゃなくてね」

 吉永貴子は「男女の関係じゃなくて」という所で一段と明るい笑顔を作った。本当か嘘か、どちらにも取れる笑顔だ。

 浮気相手だと意識の中に植えつけられていて、どうしてもそれを拭いきれない自分がいる。

「私が張り付いていたのは四月の下旬の一週間だけですが、彼の部屋を訪れていたのはもっと以前からでしたか?」

「いつからだろう?……彼が別居しだしてからちょくちょく……」

「では、友達というところをもっと掘り下げさせてください。あなたとフォードさんは中学校のバスケ部の先輩と後輩ということは判明しています。卒業後からのフォードさんとの関係を教えてもらえませんかねぇ?」

「ああ、やっぱり過去の経歴なんかも丸バレなんですね」

 そう言った吉永貴子は、目を細めて苦笑する。彼女はこの短時間でも様々な種類の笑顔を見せたが、それぞれの笑顔はどれも本当に綺麗だ。スタイルも良いし、若い頃はさぞかしモテただろう。

「私と彼は別の高校に進学しました。あ、もちろん、その頃も恋愛関係はありませんからね? 彼は工業高校で、私は中の下くらいのレベルの進学校に。暫くは何の接触も無かったんです。彼が新フジ電機に就職したことも知りませんでしたし、結婚したことも知りませんでした」

「いつ知ったんですか?」

 夏川さんは普段より食い気味に質問を浴びせる。話の展開を待ち切れない子供のように。

「私は高校を卒業後、四年制の大学に進学しました。大学を出てから、家電メーカーに就職したんです。割と大きなメーカーで、花のOL!とか思ったんですけど、仕事はなかなか大変で……」

 精密機械のメーカーに勤めていたフォードさんに対して、吉永貴子は家電メーカーでOL……

「そんな中、今から五年くらい前に中学校のバスケ部の集まりがあったんです。同窓会の部活版みたいな感じかな?」

「そこでフォードさんと再会したんですねぇ?」

「そうなんです。一年先輩なだけですから、すぐ思い出しました。まぁ外国人の部員なんて彼だけだったんで、すぐ分かったのかな……」

 フォードさんが会社で人種差別のような扱いを受けていたという話を聞いたばかりだからか、外国人が彼だけというフレーズに妙な胸の痛みを感じる。

「すぐに仲良くなったんですか?」

「二人とも同じような職場でしょう? 新フジ電機っていったら精密機械の大手だし、私も家電メーカーで。だから、仕事の話で意気投合したのかなぁ」

「その時点では、フォードさんは千鶴さんと一緒に暮らしてますよねぇ? それでも仲良く会ってたんですかねぇ?」

「何回も言いますけど! やましい関係じゃないんですよ!」

「すいません……」

 夏川さんは硬い笑みを浮かべて、わざとらしく頭を掻く仕草をする。吉永貴子も決して本気で怒っているような雰囲気ではない。

「彼の奥さんとは会ったことは無かったです。写真は見たことあったけど……。結婚式も行かなかったし」

「フォードさんと会っていたんですか?」

「あの頃はあんまり奥さんの愚痴とかも言ってなかったし、たまに飲み屋で一緒に飲む友達って感じで……」

「フォードさんが千鶴さんの愚痴を言うようになったのはいつ頃からですかねぇ?」

「うーん……」

 吉永貴子は腕組みをして斜め上を見上げる。組まれた腕は筋肉質なしなやかさを露わにしている。元バスケ部だから筋肉もまだ残っているようだ。

 俺も陸上部の頃は短距離をやっていたから、今でもふくらはぎのハムストリングという筋肉はこんもりとしている。

「二年くらい前かなぁー? 口に出し始めたのはね。もっと前から気になってたのかもしれないけど」

「では、基本的には別居前は、ただの飲み友達だったんですねぇ?」

「そうですよ? 何度もそう言ってるじゃないですか!」

「飲むのがお好きなんですねぇ……」

「私、大学生の頃から飲むようになったんですけど、酒癖が悪くて……」

 酒癖が悪いとはあまり想像できない。確かに快活な性格だとは思うが、酔い潰れたりクダを巻いたりしているイメージは湧かない。

「そうなんですか……。例えばどんな感じで?」

 吉永貴子は着替えを覗かれたように恥ずかしげな仕草をしたが、すぐに口を開く。

「飲み過ぎると記憶なくなるんですよねー……。で、そうなったら乱暴になるらしいんです」

 乱暴になる――

 ますます想像できないが、酒癖の悪い人というのは往々にして酔った時に普段と異なる振る舞いをするものだから、そんなものなんだろう。

 酒を飲まない俺は酒の席にもあまり行かないからよく分からないが……

「なるほど。では今度は、フォードさんと仲良くなってから、旦那さんだった寛さんと結婚した話でも聞かせて頂きたいですねぇ。フォードさんの紹介で結婚されたそうですが?」

「三年半くらい前ですね、紹介されたのは。会社の同僚で良い奴なのになかなか結婚出来ないでいる男がいるから、紹介させてくれないかって言われて……」

 紹介させてくれないかという言い方からすれば、フォードさんは大事な同僚だった寛さんに早く結婚して欲しかったんだろう。寛さんも結婚出来ないことを悩んでいたのかもしれない。

 飲み屋で酒を酌み交わしながら、独り身であることを嘆く様子が自然と目に浮かぶ。どこにでもあるサラリーマン同士の何気ない風景だ。

「紹介されてから、すぐ交際に発展したんですか?」

「早かったですね。お互いに気が合って……」

「結婚されたのは?」

「一年交際して、二年半前に結婚しました。私は会社を退社して、今のパート先でパートをすることにしたんです。彼の給料は良かったんですけど、将来子供が出来た時のために蓄えはたくさんあったほうが良いと思ったので」

 寛さんが亡くなったのが約一年前だから、結婚生活は僅か一年半だったことになる。

「しかし、一年前に寛さんは交通事故で亡くなられたんですよねぇ? もしよければ、その事も聞かせてくれませんかねぇ?」

「構いませんよ……。さすがに一年経って悲しみも癒えていますから。まぁ一回忌だった木曜日にあんなニュースを見ることになるとは思わなかったから、ビックリしました……」

「そのことなんですが、先に訳を聞かせて欲しいですねぇ」

 夏川さんが背筋を伸ばして前のめりに顔をせり出す。吉永貴子の顔との距離が僅かに縮む。

「訳?」

「だっておかしくありませんかねぇ? あなたは少なくともフォードさんと仲の良い友人だったんでしょう? 家を訪れるほどに。なのに、彼が殺害されたというニュースを見ても何もしなかったんですか? 警察に事情を聞いたりとか、彼の家を訪れるとか……」

 夏川さんの言うことも一理ある。そうした行動があればあの「浮気相手の女」はもっと早く見つかっただろう。

 吉永貴子は生唾を飲み込み、お茶を一口飲んだ。その行為は俺の目に時間を稼ぎたいが故の行為にも映った。

「ニュースを見て、私がしたのは警察じゃなくて、共通の知り合いの主人の同僚への連絡でした。私が彼の奥さんの千鶴さんと知り合いなら、彼女に連絡したでしょうけど、さっきも言ったように会ったことないし……それに奥さんも殺されたって言うし……。彼の友人だった私の夫が生きてれば夫に連絡したでしょうけど、もう亡くなってるし」

「それで、フォードさんとあなたの共通の知り合いに連絡したんですね?」

 今日の午前、古澤さんが話していた――警察が吉永貴子の写真を見せに来た時、古澤さんはその女性が誰なのか分らなかったが、部下の一人が中尾寛の妻だと気付いたと。もしかしたらその気付いた部下というのが、吉永貴子の言う共通の知り合いかもしれない。

 その時点から警察と夏川さんの差はついている。警察は昨日の朝、既にその情報を得たのだ。

「はい。ニュースを見て、慌てて電話! でも警察に電話するって考えは無かったですよ? まぁ警察が聞き込みとかに来るかもーとは思ったけどね」

「そんなもんですかねぇ?」

「ええ。掛かってきた電話もありましたけどね、私の母からとか。『ケビン・フォードってあんたの結婚式の時にキューピッドになったとか言ってた人じゃなかった?』って。もう歳なのに、記憶力だけは良いんですよねぇ」

 吉永貴子の言うこともまた一理ある。ビックリして知り合い同士で電話しあったりしても、警察に電話しようとは思わないかもしれない。

「ニュースでフォードさんが浮気をしていたという報道もされていましたが?」

「浮気のことが報道されだしたのは、警察から私の所に連絡がある何時間か前からですよ! 迷いました……私と彼の関係を浮気だと勘違いしてるんだろうと思いましたから。警察に電話して誤解を解こうか……でも冤罪とかかけられたら嫌でしょ? だから、黙っとこうか……。って迷ってる間に警察から連絡が来たんです」

「……まぁいいでしょう、寛さんの交通事故の話に戻しましょう」

「一年前のあの日、物凄い大雨の日でした」

 吉永貴子は濡れた窓の外を眺めながら小さめの声で切り出す。

「台風並みの低気圧が来ていたと思います。大雨警報が出てたらしいですから」

「らしいとは?」

「夫は昼過ぎに亡くなったんだけど、私はその前の日、友達とお酒を飲んで……」

 肩をすくめる様子で、言わんとすることは分かった。記憶が無かったのだろう。

「帰宅したのは夜中だと思います。そのまま酔い潰れて寝てしまったみたいなんですけど、起きたら昼前でした」

「起きたとき、寛さんは?」

「まだ生きてましたよ。でも私が起きてすぐ、彼は車で出掛けると言ったんです」

「そんな大雨の日にですか?」

「車のディーラーの所に行くと言っていました。車のへこみを修理してもらうって……。自動車部品の仕事してても、へこみの修理は出来ないみたいでしたから。道具が無かったのかな?」

「その途中で事故に遭ったんですか?」

「はい……電柱に突っ込んだんです。警察は単独事故だし、大雨で視界が悪い中ハンドル操作を誤ったんだろうって言ってました」

 吉永貴子は悲しげな表情を浮かべる。まだ僅か一年前の出来事だ。悲しみは癒えていると口では言っていたが、そう簡単なものではないようだ。

「その日に修理に行くことは決まっていたんですかねぇ?」

「あの日は平日だったんですけど、夫は仕事の休みを取っていたんです。でもそれはたまたまで、車の修理に行くなんて言ってなかったと思うんですよねぇ……」

「では、寛さんが車のディーラーに行くと言い出したのは、あなたが起きた時が初めてなんですね?」

「はい、私はあの時初めて聞きました」

 夏川さんは人差し指と中指で眉間を軽く押さえるようにして、瞳をそっと閉じた。

「そうですか……」

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