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謀計リング  作者: 茜坂 健
第三章 「浮かび上がる女」
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「『かんと貴子』か……」

 チャーハンを頬張っていると、虫の声ほどの小さな呟きが聞こえた。

「どうしたんですか? 夏川さん?」

「『 K & T 』っていうのが、『かんと貴子』ならこの事件の真相はどうなるんだろうと思ったんだよ」

 吉永貴子と中尾寛――

 フォードさんの同僚だった中尾寛が、フォードさんの紹介で吉永貴子と結婚した。フォードさんと吉永貴子は中学の先輩後輩。そして、中尾寛は交通事故で死亡し、フォードさんと吉永貴子は浮気をしていた。

 その中で、フォードさんとその妻の千鶴さんが殺害され、フォードさんの遺体の側には『 K & T 』と彫られた指輪が、千鶴さんの遺体の側には『 Kevin to ちづる 』と彫られた、恐らくフォードさんの指輪が落ちていた。

 ここまでで分かったのは、だいたいこんなところか……

 俺は『 K & T 』をケビンと千鶴のことだと思ったが、英語のネイティブスピーカーであるフォードさんが『ちづる』をTと表すのはおかしいと夏川さんから指摘された。

 夏川さんはその『 K & T 』の正体が吉永貴子と中尾寛かもしれないと考えた。

「フォードさんと浮気をしていたのが吉永貴子ですから、彼女の指輪が落ちていたということは彼女が犯人でしょうか?」

「真樹君、忘れたの? あの指輪は綺麗に拭かれていたんだよ?」

「そうか……吉永貴子が犯人なら、わざと自分の指輪を置いたことになりますよね……」

 気付けば夏川さんは皿に盛られたチャーハンを既に平らげていた。俺も残りを急いで口に運ぶ。

「真樹君が考えたように、吉永貴子が綺麗に拭いて鞄かどこかに入れていた指輪がたまたま落ちてしまったんだとしても、腑に落ちないしねぇ……」

「指輪は落ちたのに腑には落ちないですか……。下手なシャレみたいですね」

 ……

 俺はユーモアを織り交ぜようとして、失敗したことを瞬時に感じ取った。夏川さんの表情はピクリとも動かない。

 せめてあの針金を曲げたような硬い笑顔くらい作って欲しかったが……

「千鶴さんの遺体の側にフォードさんの指輪が落ちていたのも、どう説明するかだねぇ」

「吉永貴子が犯人だと考えれば、フォードさんを殺害した後フォードさんの指輪を持って千鶴さん宅まで行って、千鶴さんを殺害。持ってきた指輪を置いた……って感じですかね」

「フォードさんの部屋には、フォードさんの遺体から鍵を奪えば入れるからねぇ。侵入して指輪を持ち去り、千鶴さん宅まで運んだのは考えられるけど……」

 夏川さんは口をつぐんで黙り込んだ。

 やはり、そこまでして指輪を千鶴さんの遺体の側に置く必要性がよく分からない。鍵を奪って部屋に侵入している暇があるならすぐ逃げたいだろうし、部屋から出てくるところを見られたりしたら、余りにも危険だ。

 第一、吉永貴子が犯行可能だったのかもまだ分からない。アリバイがあるのか無いのか――そこも、これから吉永貴子に聞かなければ分からないことだ。

 吉永貴子は既に警察からも聴取を受けているだろう。被害者と浮気をしていたとなれば、疑惑の目を向けられるのも無理はない。

「フォードさんが千鶴さんを恨んでいたかもしれないよねぇ……」

「古澤さんの話では、単に金遣いが荒かっただけじゃなくて、フォードさんの物を勝手に売ったりしていたらしいですしね」

「恨んでいたと言っても、どれくらいの程度なのかねぇ……」

「まさか、フォードさんが千鶴さんを殺害したなんて言うんじゃないでしょうね? フォードさんの方が先に殺害されてるんですよ?」

 夏川さんがそこまで血迷ったことを言うとは考えられなかったが、フォードさんが千鶴さんを恨んでいたことに、引っ掛かっているようだ。

 俺がチャーハンの最後の一口を咀嚼し嚥下し終わると、俯き加減に肘を付いていた夏川さんが、突然目の前の皿をむんずと掴み、俺の鼻先に付こうかというくらい近くに差し出してくる。

「真樹君、ゆっくりしてると吉永貴子が来ちゃうよ。十四時からの約束だからねぇ」

 とりあえず目の前の皿を取り上げて、それを自分の皿の上に重ねる。そして、年季が入って黄ばんだ壁掛け時計に目をやると、もう約束の時間が迫っている。

「あ、もうこんな時間ですか。急いで片付けて、応対の準備をします」

 応対の準備と言っても、冷蔵庫で冷やしてある麦茶をコップに注ぐだけだ。今日は雨で気温も低いので、コップに氷を入れる必要もない。

 夏川さんはもう事務所の方へ行ってしまった。

 俺も皿を二枚台所のシンクで急いで洗い、事務所に出るとちょうど夏川さんが窓から外を凝視していた。

「何を見てるんですか?」

 尋ねた俺の方には一切目をやらず、ひたすら外を眺めながら夏川さんが右手で手招きする。

 その手の動きにつられるように窓に近付いた俺の視界にも、夏川さんがずっと眺めているものが捉えられる。

 ちょうど事務所の窓枠で区切られた世界のギリギリ隅っこに見えるコインパーキングに、黒い軽自動車がバックで駐車しようとしている。

 さっきから再び横殴りの激しい雨が降っているにも関わらず、運転席と助手席の窓が三分の一程開いている。雨が車内に入って濡れそうなものだが、窓を開けて運転するのが癖なのかもしれない。

 その車は恐らく吉永貴子の車だろうと思ったが、答えはすぐに分かった。

 車が静止すると、運転席に見覚えのある女が座っているのが確認できる。何度も写真で見た吉永貴子だ。

「吉永貴子ですね。もう十四時になってますね……」

 俺が窓から離れようと半身になった時、車内の吉永貴子と目が合った気がした……

 なんとも言えない重い緊張感が事務所に漂う。――沈黙の中、時計の針が時を刻む音だけが一定のリズムで響いている。

 それから一分も経たないうちに、時が進行するのを妨げるように玄関チャイムの音が事務所に轟いた。

 俺が扉をゆっくり開くと、さっき目が合った女が水の滴る雨傘を片手にぶら下げて立っている。口元には例のほくろが確かにある。

「吉永貴子さんですね? どうぞ、傘はそこに立ててください」

 俺が指差した無機質な銀色の傘立てに紺色の傘がしまわれる。吉永貴子は小さく会釈をして、夏川さんが陣取る応接セットの片割れを成す小さなソファーに腰掛けた。

 あの写真に写っていたのと同じクリーム色のブラウスに、白のタイトなパンツを履いている。身長が高いので脚の長さが際立っている。

「はじめまして。夏川探偵事務所所長の夏川一郎です」

「吉永です。昨日急に警察から電話が掛かってきて、探偵さんからも掛かってきて、もう何事かと!」

「すいませんねぇ、わざわざ来て頂いて」

「断ったりしたら、犯人にされるかと思ったりして……フフッ」

 吉永貴子は雨で濡れた袖を手で払うようにしながら、白い歯を見せて笑った。

 写真を見て勝手に抱いていた印象とは少し違う。声は大きめで、大人しそうな見た目だが、かなりサバサバした雰囲気に見える。

 ……いや、むしろかなり明るい性格のようだ。今まで俺と夏川さんが話を聞いた人物は、どうも静かで物憂げな雰囲気だった。殺人事件のことについて探偵から聞かれるということで、身構えていた部分があったのかもしれないが……

 そういえば、古澤さんはフォードさんと吉永貴子は中学校のバスケ部の先輩後輩だと言っていた。体育会系の女性だと言われれば、こんな感じかもしれない。

 俺は二人分の麦茶をコップに注ぎ、それをお盆に載せてテーブルに近付き吉永貴子と夏川さんに差し出す。

 近くで見て初めて気付いたが、吉永貴子の左手の小指の下あたりに、絆創膏が二枚並べで貼ってある。何かの怪我でもしたのだろうか?

「あぁ、ありがとう」

 吉永貴子は愛想のある笑みを浮かべ、俺の顔を真っ直ぐ見ながら礼を言った。

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