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謀計リング  作者: 茜坂 健
第二章 「独自調査」
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「ありがとうございました。長居するのもなんですから、そろそろ失礼しましょうかねぇ」

 夏川さんは今まで手を触れもしなかったコップ一杯のお茶を、一気に喉を鳴らして飲み干した。

「頑張って犯人を突き止めて下さいよー」

 遠藤さんは胡座をかいたまま、立ち去ろうとする俺と夏川さんに軽く手を振っている。

 ――薄暗い玄関から外界に這い出たとき、眩しさに瞼が強制的に閉じられる。

 もう午後四時になっていた。幾分か暑さもマシになり、風が涼やかに感じられる。気分が開放的なのは、怪しげな男の部屋から抜け出したからだろう。

 駐車場に出て周りを見渡してみると、このマンションの敷地の右側、遠藤さんの部屋のベランダの方に別のマンションが建っている。そこの住人に覗きと疑われたんだろう。

「えっと……あとは第一発見者の、車の所有者の帰りを待つだけですか?」

「いや、もうその人に用は無いよ。遠藤さんが詳しく現場の状況を教えてくれたからねぇ」

 夏川さんはその言葉尻が終わらぬうちに、既に自分の車の方へ歩を進め始めている。

「やたらと冷静に分析してましたけど、何者なんですか? あの男?」

「彼が言っていたじゃない? サラリーマンだって」

「サラリーマンっていっても、普通のサラリーマンが殺人現場をあんなに冷静に分析できますか?」

「彼は出来たんだねぇ……」

 何だか、含みを持たせた物言いが気にかかるが、これ以上聞いても無駄な感じがしたので、もう何も言わずに車のキーを開けて運転席に乗り込む。

「――じゃあ、探偵事務所に帰りましょう」

「うん、お願い」

 ――探偵事務所に到着するまで、車内では俺と夏川さんの会話は一切なかった。疲れが一気に襲ってきたので、居眠り運転にならないよう、神経をハンドルにだけ集中していたからだ。

 ただ、全く無音だったわけではない。夏川さんは、携帯電話で二度ほど何処かに電話をしていた。

「ふう……。やっと帰ってきましたね」

 事務所は今日出掛けた時のまま、家主の帰宅を待っていたかのように、ひっそりと静まり返っている。事務所の奥の住居スペースに入ると、朝作った朝食がすっかり冷えてしまっている。

「夏川さん、夕食はこれを温めて食べますか?」

「そうだねぇ、そうしようか。真樹君は食べるの?」

 一瞬迷う。普段は夕食は食べないが、今日は朝食をほっぽり出して千鶴さん宅に向かったし、昼もフォードさん宅に向かう途中のコンビニでおにぎりを買って食べただけだ。さすがに少食の俺も、今日ばかりはほとんど、なにも食べていないので空腹を感じる。

「僕も食べますよ。今、温めますから、ちょっと待っててください」

「真樹君が、温めている間に、僕はペットに餌をあげるから……」

 心臓が飛び跳ねた。夏川さんがペットに餌をやる時といえば、あの赤ちゃん言葉を使う時だ。

(頼むからこっちに聞こえないようにしてくれ……)

 そう祈る俺を尻目に、夏川さんはカッちゃんとモモちゃんがいる、奥の部屋へと消えていった。

 ……

 意識を出来るだけ奥の部屋から遠ざけて、目玉焼きなどを盛り付けた皿を電子レンジに放り込む。

 ……

 静かだ。あの赤ちゃん言葉は聞こえてこない。

「お待たせ、真樹君」

「あ、もう餌やり、終わったんですね」

 俺がいると最初から分かっている時は、赤ちゃん言葉は使わないのだろうか? 何はともあれ、一安心だ。

「一通り温めましたし、食べましょうか」

「うん、食べよう」

 たった二人で、食卓を囲むというのは大袈裟かもしれないが、俺と夏川さんで食卓を囲んで夕食を摂る。もちろん、家族団欒などという雰囲気ではない。

 この時間に食事をするのは随分久しぶりだ……

「そういえば、帰りの車の中で何処に電話を掛けていたんですか?」

 唐突に繰り出した質問だったので、夏川さんは口の中に含んでいる食べ物を、倍速ぐらいのスピードで咀嚼して、お茶で流し込むように飲み込んだ。

「二箇所に電話をしていたんだよ。千鶴さんが昔働いていた喫茶店と、フォードさんが勤めていた、新フジ電機にねぇ」

「千鶴さんが働いていた喫茶店?」

「ああ……真樹君は知らないかもしれないけど、千鶴さんが依頼に来た時、フォードさんと知り合ったきっかけを聞いたんだよ。そうしたら、千鶴さんは昔、相模原市内の喫茶店で働いていたらしいんだ。そこにフォードさんがお客さんとして、来店したのがきっかけだったらしいよ」

「知り合ったのも相模原なんですね」

「うん、フォードさんも来日してからずっと神奈川県内に住んでいたらしいねぇ。新フジ電機に就職してからは、ずっと相模原市に住んでたらしいけど、休日に訪れた喫茶店で運命の出会いをしたという訳だよ」

 客が、従業員の女性に一目惚れ……。ベタな話だが現実でもやはり、そういうことはあるもんなのか……

「で、そこに電話したんだよ。昔の千鶴さんやフォードさんのことを聞きたいと思ってねぇ。そうしたら、明日客として来てくれたら、話をしてくれるって言ってたから、明日早速、行かないといけないねぇ」

 俺の知らないところで決まったことだが、どうせ運転するのは俺なんだろう。

「千鶴さんは最近でもたまにその喫茶店に来てたらしいから、もしかしたら、フォードさんの浮気のこととか、千鶴さん夫妻を恨んでいる人の話とか、知ってるかもしれないと思ってねぇ。どうやら、警察ももう話を聞きに来たらしいけどねぇ」

「新フジ電機には、なぜ電話したんですか?」

「これも、フォードさんに関する話を聞きたいと思ってねぇ」

 この探偵は聞き込みが大好きなようだ。夏川さんの言う独自の調査の基本的な手法は聞き込みのようだ。――まあ、それは警察だって一緒なんだろうけど……

「会ってくれるんですか? あんな大企業の社員なんて、皆忙しいんじゃ?」

「彼らも警察から既に色々聞かれてうんざりしてるみたいで、だいぶ嫌悪感を示されたけど、フォードさんの上司って人が、明後日なら会ってくれるってさ」

「明後日って、土曜日でしょう? わざわざ休日に会ってくれるんですか?」

 夏川さんは鼻から上を一切動かすことなく、口だけを曲げてニヤリと笑った。

「嫌がってたけどねぇ……。それなりの報酬を渡すと言ったら受けてくれたよ」

 俺は呆気にとられた。報酬を渡す?

「えっ? まさか、夏川さんがそのフォードさんの上司に、これを渡すということですか?」

 と、俺は右手の親指と人差し指で輪を作り、その輪を上に向けて見せる。多くの人が知っている、金を示すジェスチャーだ。

「そうだねぇ。乗り掛かった船だし、どうしても話を聞きたいからねぇ」

 本気でそんなことを言っているのか……。俺もこの事件の調査を独自に行うことには、興味を持っている。しかし、だからと言って金を払ってまで話を聞くなどと考えもつかない。

 なんだかんだ言って夏川さんの持っている、最大の武器は財力ということか……

「そんなの大丈夫なんですか? 金を出して、殺人事件の調査をするなんて、色々と……」

「大丈夫だよ。協力してくれたお礼みたいなものだからねぇ」

 飄々とサラダを口に運ぶ夏川さん。――やはり、とんでもない変人だ。

 呆然としながらも、俺と夏川さんが食事を済ませると、皿洗いをして今日の仕事を終わらせた。事務所の営業時間ははっきりと決まっていない。依頼人が来そうになければ、だいたい夜六時くらいには営業終了だ。

 今日も、開店休業状態――六時まで少し早いが夏川さんがもう営業終了としようとしている。

「では、今日はこの辺で。お疲れ様でした」

「うん、しっかり休んだほうが良いよ。色々あって気疲れしてるだろうしねぇ」

「ありがとうございます。では……」

 表情が硬い探偵と、ポーカーフェースの職員による、なんの味気もない手短な帰り際のやり取りが、事務所の玄関扉の前で行われる。

 俺は自分の車で、同じ世田谷区内の自宅へ帰宅した。

 自宅に着くなり、安心感からか睡魔が襲ってくる。足は棒になっていて、明日は筋肉痛になりそうだ。

「汗でベトベトだな……。まずシャワー……」

 一人でそう呟きつつ風呂場に行き、汗を流した。風呂から上がると、冷蔵庫から冷たい缶の烏龍茶を取り出し、矢継ぎ早に何口か流し込む。

 散らかったリビングの真ん中に佇むテーブルに缶を置き、小さなテレビの電源を入れると、ちょうど夜のニュースの時間だった。

「お、やってるな」

 夫婦が同じ日に別々の場所で殺害された事件は、話題を集めトップニュースで取り上げられている。

 画面には、今日俺が歩き回った千鶴さん宅の周りの風景が映し出されている。俺は烏龍茶をさらに流し込む。

 ――俺は酒も煙草もやらないから、疲れた時には冷たい烏龍茶が一番旨いと信じている。

『――警察はいずれも強盗殺人と見て捜査を進めています』

「やっぱり、強盗殺人の線で捜査してるんだな。まあ、千鶴さんの家なんて、窓を割って侵入されているわけだし、それもそうか……」

 ニュースは国会議員の汚職疑惑のニュースに切り替わってしまった。

 少し事件のことについて考えようと思ったが、身体が睡眠を欲している。自分の身体には逆らえず、吸い込まれるように寝室へ入る。

 固い煎餅布団に包まれ、まどろみと現実の区別が徐々に付かなくなっていく……

 気付いた時には夢も見ぬまま、新たな朝を迎えていた。

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