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謀計リング  作者: 茜坂 健
第二章 「独自調査」
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 男は俺たちに警戒心を抱いていないのか、不敵な薄ら笑いを浮かべている。

「どうも、私立探偵の夏川です」

 そして、名刺を差し出すルーティーンの自己紹介。

「なるほど、探偵ですか……。なぜ、探偵が殺人事件の現場に?」

 見た目とは裏腹に、鋭く、身体の芯に突き刺さるような渋い声色だ。この男は何者だろう?

「我々も関係者なんですよ。色々ありましてねぇ」

「それは興味深いですね。それで、独自に捜査中って感じですか」

「よくお分かりで。是非、事件について、お話を聞きたいと思いましてねぇ」

 よく分からないが、なぜか夏川さんとこの男の間に、シンパシーのような通じ合うものがあるのを感じる。

「では、立ち話もなんですから、中へどうぞ」

 これは思ってもみない展開だ。まさか、向こうから中に招かれるとは……。何が起こっているのかさっぱり分からないが、夏川さんはもう敷居を跨いでいる。

 俺も畏まって、お邪魔する。

「そちらの若い方も、探偵ですか?」

「あ、僕は小島真樹と言いまして、夏川探偵事務所の職員です」

 いつもより、深いお辞儀をする。緊張感が俺の背筋を固くさせている。

 ――俺と夏川さんは、奥のリビングに通された。部屋の中を見る限り、男の一人暮らし。他に家族はいないようだ。

 目の前の机の透明の天板には、テレビのリモコンと、今日の新聞、そして、吸殻が山盛りになっている灰皿が置かれている。

 平日のこの時間に、ボサボサの髪で上下スウェットということは、サラリーマンではないのだろう。もちろん、今日休みを取っているだけかもしれないが……

(夏川さん? あの男、何者なんですか? 躊躇いもなく、部屋に入れたりして、なんか怪しくないですか?)

 夏川さんの耳元でそう囁くが、夏川さんは落ち着いた素振りで、自分の煙草を吸い始めた。他人の家で勝手に煙草を吸うとは、無神経だが、そんなことより、家主の正体の方が気にかかる。

(大丈夫、彼は怪しい人ではないよ。怪しい人が、探偵を部屋に招き入れたりしないから)

 そんな単純な根拠で大丈夫だろうか?

 一抹の不安を感じていると、仄暗い台所から、男が氷入りのお茶をグラスに入れて運んできた。

「どうぞ……。今日は暑いですから……」

 氷が揺れる音が涼しげに俺の耳をくすぐる。一口、喉を通ると、少しリラックスできた。

「あ、勝手に煙草吸わせてもらってます。すいませんねぇ」

「構いませんよ。どうせ、自分ヘビースモーカーですから、部屋には匂いが染み付いてますから」

 男は机を挟んだ正面に腰を下ろす。

「まだ、名前を名乗っていませんでしたね。遠藤要二と言います」

「お仕事は何をされてるんですか?」

 俺は気になって直接聞いてみた。

「そうですねぇ……。サラリーマン……と言っておきましょうか。今日は仕事休みなんですよ」

 また不敵な笑みを浮かべる。サラリーマンと言っても、色々あるが……。

「遠藤さんは、ケビン・フォードさんとは交友はありましたか?」

「残念ながら、ないですね。見かけたことはあるから、外国人の男が住んでいることは知ってましたが」

「では、彼の妻の小林千鶴さんのことは?」

「彼女の写真とか、ありますか? 警察にもケビン・フォードの奥さんのことを知ってるかと聞かれましたが、写真も見せずに聞かれたって、分からないですから……」

 夏川さんは上着の内ポケットから、数枚の写真を取り出す。そこには、浮気相手の女の写真・千鶴さんの写真・フォードさんの写真が並んでいる。その中から、千鶴さんの写真を選別して遠藤さんに渡す。

「ああ、やっぱりこの人ですか。この人が、ケビン・フォードの部屋を訪ねているところを、見たことありますよ」

「なるほど、それはいつ頃ですか?」

「今月の十八日。日曜日ですよ」

「よく、覚えてらっしゃいますね」

 浮かんだ疑問が、つい口を突いて出た。

「ええ……職業柄、人の顔を覚えたり、日時を記憶するのは得意なので……」

 一体なんの職に就いているのか? 隣の夏川さんは、終始静かに無表情である。

「何時頃でしたか?」

「夜、六時くらいですかね……。そう言えば、その時、駐車場に見慣れない車は無かったので、彼女は電車で来たんですかね。確か、相模原市に住んでるんでしょう?」

「ええ。そうです。千鶴さんがペーパードライバーで、車をほとんど運転しないのは、既に分かっています」

「その日の夜、十時くらいにまた駐車場を見たんですが、その時は、ケビン・フォードの車が無かったんです。だから、帰りは彼が車で相模原市まで送ったんでしょうね」

 なんだ、この男は。なぜそんなに頻繁に駐車場を観察しているんだ。しかも、交友の無かったフォードさんの車がどれかということまで覚えているのか。少し、聞いてみよう。

「随分、よく覚えてるんですね。相当記憶力とか、洞察力とか、良いんですね」

「ええ、それも、職業柄ですよ」

(だから、その職業とはなんなのか……)

「にしても、なぜそんなに駐車場を見る機会があるんですか?」

「ああ、さっきも言ったように、私ヘビースモーカーなんですがね、以前はよくベランダで吸ってたんですよ。部屋の中でも吸いますけど、風に当たりながら吸うのが好きなんで」

「それで?」

「ところが、毎日ベランダで煙草吸ってたら、隣のマンションの住人から、覗きじゃないかと疑われまして……。警察沙汰のややこしいことになったんで、それ以来は玄関先の廊下で吸ってるんですよ」

 このマンションの駐車場はマンションの廊下からなら丸見えだから、誰がどの車に乗っているか自然と覚えたというわけか……。

「じゃあまさか、フォードさん殺害現場を目撃したりしてませんよねぇ?」

 遠藤さんは、身体を俺から夏川さんの方へ、少し捻る。

「まさか……。殺人がいつ起こるか知ってたら、見てやりましたけどね。さすがに、一日中外で煙草を吸ってる訳じゃないですから」

「では、この女の人を見たことはありますか?」

 今度は、浮気相手の女の写真を選別し、遠藤さんの前に並べる。

 遠藤さんは写真を手に取り、ひとしきり眺めると、小さく頷いた。

「そう言えば、この人も見たことありますねー。というより、さっき警察にも聞かれましたよ。この写真の女を見かけたことはないかと」

「やはりそうですか。この女は、フォードさんの浮気相手の女です」

「ほう。あの男、浮気してたんですね。これは警察からは聞いてない情報ですね。まあ、どうせ浮気だろうと思いましたけど」

 遠藤さんは面白そうな表情を浮かべて、何度も無精髭をさすっている。癖だろう。

「警察はまだ、浮気のことは公表してませんからねぇ」

「この女が来たのは大抵、夜の遅い時間……。九時とか、十時くらいだったかな」

「ええ。だいたい、そんな時間です」

「なるほど。この事件の関係者というのは恐らく、ケビン・フォードの妻があなたに浮気調査を依頼したからですか?」

 ――的中。頭の切れる男だ。

「そんなもんですねぇ。では、次の質問ですが……。もしかして、遺体が発見された時、現場を見ましたか?」

「見ましたよ。救急車とパトカーが来るまでの間に」

「現場の状況を教えてください」

「凶器は石でした。血の付いた石が転がってましたから。多分、駐車場の小さな花壇にあった石だと」

 殺人現場で、冷静によく観察している。普通、自分の住んでいるマンションで殺人事件が起こって、そんなに冷静でいられるだろうか?

 ――やはり、この男、ただ者ではないのか?

 そして、こんなに怪しげな男を夏川さんは、全く警戒していない。

「他に気付いたことは、ありますかねぇ?」

「多分、殴り殺した後、死体を引きずって車の後ろに運んだと思いますよ。僅かですが、血の跡が残っていましたから」

「どれくらいの距離を引きずっていましたか?」

「少しですよ。その車の前あたりから、後ろに引きずったくらいでしょう。……あの車はケビン・フォードのものではないですから、犯人がマンションの玄関の近くにあったあの車の陰に潜んでいて、ケビン・フォードが帰宅してきた時にいきなり襲ったんじゃないですかね」

 俺の頭の中に、遠藤さんが物語る情景が流れる。無差別に通りがかった人を襲ったようにもとれる……。

「他には何か気付きませんでした?」

「そうですねぇ……。聞き込みに来た警察に、『これって無差別殺人とかじゃないでしょうねー?』って聞いたら、そうかもしれないと言われましたよ」

「なぜ警察は無差別殺人かもしれないと考えているんですかねぇ?」

「どうも被害者の財布から金が抜かれていたらしいですよ。強盗殺人じゃないかと。まあ、強盗殺人だからと言って無差別とは限りませんが」

 千鶴さん宅にも犯人が侵入して荒らされていた……。しかし、夫婦が同じ日に別の場所で、それぞれ別に強盗殺人にあうということがあるだろうか? 

 ――無いだろう。少なくとも、偶然そのようなことが起こったとすれば、天文学的確率だ。

 確か千鶴さん宅で夏川さんと松岡警部補が、死亡推定時刻の差を考えれば、フォードさんを殺害した後、千鶴さん宅まで行って千鶴さんを殺害することも可能だと話していた。同一人物がやったとすれば十分考えられる。

 色々と考えを巡らせると、脳細胞が疲弊してくる……。目の前の露を纏った冷たいお茶を飲んで喉を潤した。

「もう気付いたことは無いですか?」

「被害者はかなり出血してましたから、犯人も返り血を浴びたと思うんですよ。幾ら夜で暗かったとはいえ、人の多い目黒駅までそんなに遠くないこの場所から、そのままの格好で逃亡できたとは思えません……」

「つまり、犯人は何処かで着替えたわけですねぇ。雨ガッパか何かを羽織っていたとしても、それを脱いで、何処かに処分しなければなりませんしねぇ……。返り血を浴びた衣服、見つかってないんですよねぇ?」

「ええ。少なくとも、そんな報道は聞いてません。だから、それを何処かに捨てたはずですから、警察も血眼になって探しているでしょう」

 遠藤さんは、無精髭をさすりながら、煙草に火をつけた。夏川さんといい、遠藤さんといい、俺のように煙草を吸わない人間もこの空間に居ることを、認識して欲しいものだ……

 一度咥えたことはあるが、煙が口の中に充満して卒倒しそうになったのを覚えている。

「それが見つかれば、あわよくばDNAを検出出来ますからねぇ」

「ただ、この辺のゴミの収集日は、前回が昨日の朝で、次が明後日ですからすぐ見つかるとは思いましたが、まだのようですし……」

 気付けば遠藤さんは、事件の当事者のような口振りになっている。夏川さんとの事件に関する会話も歯車が噛み合っている感じで、スムーズだ。

「現場で気付いたことは他には?」

「うーん……。もう無いですねー。さすがにいつまでも現場を傍観していたら怪しまれますから」

 俺からすれば、既にかなり怪しいが……

「千鶴さんや、浮気相手の女のこと以外に、警察に何を聞かれましたか?」

「昨夜、何か変わったことはなかったか? とか昨夜何をしていたかとか……」

「この階の住人が、駐車場で学生グループが話している声を聞いているんですが、あなたも聞かれましたか?」

「ああ、あの五月蝿い学生ですね。本当によくだべってますよ、ここの駐車場で。確かに昨日も声が聞こえていましたよ」

「時間は何時頃だったか分かりますかねぇ?」

「うーん……。多分、九時過ぎくらいから聞こえてましたねー。二時間くらいは話していたと思いますが……」

 フォードさんの死亡推定時刻は、二十時半頃から二十二時半頃だった。

 殺人が行われたことに気付かなかったということはないだろうから、二十一時過ぎから二十三時頃まで、その学生たちが駐車場に居たのなら、フォードさんは二十時半頃から二十一時頃の間に殺害されたことになるだろう。

 そうすれば、犯行時間は僅か三十分間に絞り込める。

「大変参考になりますねぇ……。で、昨夜二十時半頃からは何をしていましたか?」

「私のアリバイを聞いておられるんですね……」

 遠藤さんは表情一つ変えずに、夏川さんと俺を交互に見比べる。

「昨日は仕事でしたから、帰ってきたのが夜の七時くらいですね……。帰ってから少し、例の如く玄関前で煙草をふかしてからはずっと部屋でうたた寝していて、夜中の一時頃に目が覚めたときに、また廊下で煙草を吸っただけですから……。アリバイは無いですねー、残念ながら」

 と、不敵な笑みを浮かべて煙草を灰皿で揉み消す。

 警察官に対してもこんなに怪しげに答えたのだろうか? 夏川さんは怪しい人ではないというが、どうにも怪しげなオーラのようなものが漂っている。

 ただ、一方で俺や夏川さんの問いに対して、丁寧に答えているのも事実。冷たいお茶まで出してくれたし……。

 怪しさと親切さが表裏一体。そういう印象を抱かせる男だ――

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