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少女まんがヒロイン症候群

 今日も彼女はフラグを立てる。




「フラグって旗じゃない? だからネットで「立てる」じゃなく「建てる」ってあると気になって気になって」


「おまえはなにを言ってるんだ」


 あ、口に出してた。

 やばいやばい。ワタシは理想的な傍観者(いもうと)を演じなければならないのだから。

 勢いよく振り返ると、生まれた時から隣に住んでいる幼なじみが立っていた。

 十代なのにかかわらず、すでにくたびれた雰囲気を醸し出す少年がそこにいる。


「おはよう。毎日おつかれさま」


 それほどイケメンではないけれど、全体的に優しそうというか、気が弱そうというか。

 まぁ、包容力はあるかな。相手を甘やかして頼らせて真綿で首を絞めるように――ってこれじゃあ死ぬじゃん。


「データそのいち。幼なじみの世話焼き少年。まー古典的な」


「だからおまえはなにを言ってるんだ」


 あ、口に出してた。

 やばいやばい(以下省略)


「きゃー! 遅刻しちゃう!」


 ほら、おでましだ。

 ドタバタと滑り落ちてくるように階段を降りてきた少女。

 急いで着たのだろう制服はあちこちシワだらけだ。

 帰ったらハンガーにかけろっていつも言っているのになぁ。

 黒いストッキングは本日は伝線していないようでなにより。よかったよかった。

 靴を履きながら眺めていると、キョロキョロとあたりを見渡していた彼女はワタシを見つけて満面の笑みを浮かべた。


「まーちゃんおはよ!」


 うん、とてつもない美少女です。眩しいほどに後光が射している。

 横にならぶのがいやになるほど小さな顔。それに配置されたパーツはどれも神々が見合わせて作り合わせたかのように緻密でちょうどいい。

 その顔の下もモデル顔負けの見惚れるような身体。もちろん手足は長いがただただ細いわけではなく、健康的かつ美しく筋肉がついている。

 髪は癖のないサラサラロングで動くたびに天使の輪がキラリときらめく。

 混ざりっけのない見事な金髪。目は晴れた夏の昼の空の色。

 どうも遠い昔に海外の方が混じってたようで、ひとりだけ先祖返りしてしまったらしい。

 両親とワタシは普通に黒髪黒目の日本人かつ日本顔である。モブ属性モブ科から進化しませんでした。


 鳶が鷹を産んだ。

 まわりの人間はそう言う。


「だーかーらー、おまえはなにを言ってるんだ」


 あ、口に出してた。

 やば(以下省略)


「ヒビキ、まーちゃんと話さないで!」


「…おまえなぁ」


 いつもいつも寝坊する姉は、毎度ヒビキくんが部屋に行って起こさないと目覚めない。どこの眠り姫さ。

 しかも姉は寝ぼけていてよくわかってない模様。ワタシだってその前に五分は粘って起こそうとはするんだけどね。美人は寝てても美人だよ。

 勝手にやれと言いたいんだけど、ワタシだけ先に登校したらあとで拗ねるんだ。正直めんどーい。よそでやれー。


「おはよう。朝課外はじまるんでしょ。急ごうよシズカちゃん」


 特進科の二人は朝が早くて大変だ。そしてそれに巻き込まれる普通科のワタシも大変だ。

 最近、学校着いてからの暇潰しを思いつかなくなってきたぜ。

 母からお弁当と焼きたての食パンを渡された姉は嬉しそうにうなずいた。

 食パンか。フラグが立ったな。







 暇だ。

 この時間に学校来てるのは特進科かスポーツ科くらいだよ。

 しかも両者は朝課外と朝練中。グラウンドからは賑やかな声が聞こえてくる。

 今日に限って教室には誰もおらず、ポケットに入れたままだったスマホは充電切れで遊べないし、だからといってひとりで勉強するほど真面目な生徒でもない。そもそも校内に持ち込み不可だから教師に見つかると取り上げられるからなあ。

 春先に一度、油断していてばれてしまった時はちょうど通りかかったシズカちゃんのおかげで先生も見なかったことにしてくれたんだっけ。美少女パワー恐るべし。

 しかたない、図書室に行くか。

 でもまだ本校舎のほうは開いていないので、旧校舎のほうに。

 この学校の旧校舎の図書室は、なんというか校長の趣味で馬鹿でかい。むしろ図書館。

 生徒数増加による建て増しの際、使わなくなった旧校舎を丸々利用したのがこの寄贈図書室である。古いが広く、奥に行きすぎて遭難者が出たと噂もあるくらい。

 本校舎の図書室と違い、ここは有志の生徒と地域のボランティアによって管理されている。

 なので他校の人間も事前に申請すれば出入り可能なのだ。


 そう、可能だった。


「データそのに。人間に冷たい文学少年……だと」







 家から高校までは歩いて五分の距離である。ええ、近いから決めましたがなにか。あんな姉が通っているけどそれを飛び越えるくらいの利点だぜ。

 全速力で走る(もちろんスポーツ万能な)二人についていくことは実質不可能なのでヒビキくんと姉に手を引いてもらっている。

 いやー厚意なんだろうけど腕がちぎれそうです。

 角を曲がろうとした時だ。


「きゃあ!」


「ぶふっ」


 なにかに躓いた姉がそのままの勢いでこけようとしたが持ち前の運動神経でその場に踏みとどまり、それに気づいた横のヒビキくんが急に止まったので彼の背中に顔から突っ込んだ。

 ただでさえ低い鼻がっ鼻がっ。


 その時。


 ひとこと文句を言おうと顔を上げたワタシの目は、唯一、勢いが殺されずに姉の手から放たれた食パンの行方を見ていた。

 ブルーベリーのジャムがたっぷりの食パンが角から出てきた人間の顔にまるでパイ投げの要領でフルスイングされるのを。

 あれ、この場合ってぶつかるの本人じゃないんだー。だー。だー(セルフエコー)


「なにをするんだ!」


「ごめんなさーい!」


 痛む鼻をおさえつつヒビキくんの肩から相手をのぞいてみた。

 全体的に細身。硬そうな黒髪に小さめの銀縁眼鏡に黒の学ラン。この制服はそこそこ近くの男子校のやつですね。顔はあわれジャムまみれだけど、たぶん整っているほうかな。

 というよりですね、この人見たことあったわ。

 先週行った国立図書館の裏で大量の鳩と戯れていた。正確には襲われていた。満面の笑顔で。

 ワタシは全力で引いた。

 だって


「アンドレまてよこいつぅ☆」


 とか


「ジョセフィーヌは僕の知る二番目に美しい…!」


 とか、ひとりごとのオンパレードだったんですもの。そして一番目は誰だよ。そもそも見分けついてるのだろうか。

 ワタシは用事も忘れてその場から音もなく逃げた。

 あのね、そこの鳩は食料持ってる人間になら誰にでも近づいてくるよ。ワタシも小学生の頃に焼きたてのクリームパンを略奪されて泣いたもの。

 そういえばそれを姉に言ったらしばらくはどこにか消えたな、鳩。


 さて、ワタシの記憶のフラッシュは一瞬で、この場は早々と動いていく。


「さわるな!」


 地面にしりもちをついている少年は姉が差し伸べた手を叩くように振り払った。

 なんてことだ。

 自他共に認める超絶ウルトラ美少女の謝罪を聞けないだと? 

 おまえの眼鏡はくもって……ジャムだらけですね、そうでした。


「そっか。じゃ、急いでるから!」


 言うが早いかシズカちゃんはそのままくるりと背を向ける。

 うおい。ここで無理やり腕をとってでも立ち上がらせて鳩ボーイをときめかせてよ姉。さして未練なさげに走り去るなコラー!


「ううう……姉の不始末は妹の後始末……」


 ポケットに手を突っ込んでみるとあれ、ハンカチはあるけどティッシュ薄いなぁ。一枚しか入ってないみたい。

 カバンの中になら箱ごとはいっているのだが、さすがにここで出すのは恥ずかしいな。開けるにも時間ロスだ。

 しかたない。

 座り込んでいる彼の前に立って、厚手のタオルハンカチを彼の顔にあてた。


「姉がすみません。このハンカチはまだキレイなので使ってください」


「ちょ!」


 文句は聞かん。

 姉と違って一歩引いた位置でワタシを待っていてくれた、なんとも言えない表情をしているヒビキくんの手を引いて振り返らずに駆け出した。


 のが、さっきあったことである。







 たしかにワタシのほうは教室で多少時間は潰していたとはいえ、着くの早すぎないか。


「…ぶつぶつなにを言ってるんだ、君」


 あ、口に出してた。

 やばいなーどこまで言ったんだろう。

 しかし耳いいな鳩ボーイ文学少年。

 ワタシとの距離はそこそこあるぞ。入口と壁際の備えつきの椅子だもの。

 立ち上がり、こちらに向かってこようとしたのでしかたなく自分からそっちに移動した。


「さっきはその、すまなかった。突然のことで頭が回らず。あの……ハンカチは洗って返す」


「いいえ、姉が粗相をいたしまして申し訳ありませんでした。ハンカチも安物ですからお気になさらず」


 ブルーベリーの染みが消えるとも思わないしな。

 近づいてお辞儀は嫌味にならないくらいの角度で曲げる。アルカイックスマイルはいつも浮かべています。気分は菩薩。

 無表情は敵をつくるんだぜ。でもヒビキくんからは何故かこわいと言われます。失礼な。

 いやー礼儀だけは親がうるさくってね。


「それは」


「それは新刊ですか。ワタシもその作者のシリーズ好きなんですよ」


 謝罪の水掛け論はいりません。笑顔でごり押しイエー。

 ちょうどいい、今日の暇潰しの相手をしてもらおうではないか。



 好きなジャンルや作者が合って思いの外に鳩ボーイ文学少年こと中田くんと話が弾んだ。

 別れ際、また会えるかと聞かれたが濁しておく。

 いやだってさ、アンドレはないわー。引くわー。

 よし、しばらくはこの図書室には寄り付かないどこう。








「まーちゃん! 電子辞書忘れちゃった!」


 二時間目の休み時間、姉の声が教室中に響いた。

 またかい。昨日はなんだったっけ。毎日来てる気がしますよ。

 あーすごい注目されてるされてる。これ結構苦痛なんだよね。絶世の美少女の妹がこんなのとかねー。視線がさー。

 慣れましたけどね、はい。


「おい田中、次の授業は辞書必要だぞ」


 鞄を漁りながら女の子のようにキーの高い声がした方向を振り返る。

 だぼっとした制服はまだ背が伸びると夢見ているせいだろうか。これが逆に可愛さを醸し出している。

 くりくりとした大きな目にワタシよりも小さい背丈。


「データそのさん。ツンデレ黄金比率のショタ」


「だれがショタだ!」


 あ、口に出してた。

 やばいけどまぁいっか。見た目がショタだから。

 しかしツンデレ黄金比率についてはツッコミないんだね。認めたんだね。

 ワタシの目の前を通りすぎた彼は廊下側の窓のサッシに身を預けた姉に人差し指を向けた。


「田中の姉ちゃん、オレ達だって使うんだから同学年の他の友達あたればいーじゃん。毎回いっつも妹に借りに来てさ。それとも友達いないわけ?」


 それ、言っちゃダメだよ、ショタ改め田上くん。

 実際問題、姉は男友達は多いけど女友達皆無なんだよ。いないんだよ。

 姉がそれを気にしているのかと言われたら気にしていないのだろうけどね!


「えーじゃあどうしよっかなー?」


 その一言に周囲がざわつく。姉は元よりワタシとさえ話したことのない男子が鞄を触ったりとそわそわとしはじめる。

 あ、変なフラグ立った。


「よかったらこれ」


「待って! 俺が」


「これ! 最新機種です!」


「僕のほうが!」


「いやいや俺の!」


 なんだこの善意で隠しきれてない下心の押し付けあいのバーゲンセールもとい半額ワゴンセールみたいなの。

 いやいや、いま田上くんが次の授業で使うって言ったではないか。

 皆の衆、聞いてたかい?

 対する姉は、差し出された多数の電子辞書を前に小さく首をかしげて言った。


「野郎のはなんかイヤ☆」


 文字通り野郎たちが床に崩れ落ちる。

 いやいやいや。

 そこはありがたいけど辞退しますとか言う場面だろうが!

 いや、たしかにこの中から誰かひとつ選んでもね。それはそれで問題が発生するだろう。放課後体育館の裏な、的に。


「ねえ、まーちゃん!」


 笑顔で姉がこちらを見てくる。こっち見んな。同類に思われるだろ。いやたぶん生物学上は同類だろうけどさ。

 なんか視線がチクチクする、すごい視線がチクチク突き刺さる。

 そろーと振り返れば教室のみならず廊下から女子生徒の般若のような視線が姉に。

 ではなくワタシに。

 そうだよねー理不尽さを強きものに当たるより弱気ものに当てたほうが楽だもんねー。わー理不尽!

 フラグが立った!


「わかったから。ワタシの貸すからはやく教室に戻ってよ」


 休み時間もあと三分くらいしかない。というか姉がここにいたらワタシが消え去るしかない。ああ無常。

 上機嫌で三年の教室に戻っていく姉を見送っていると、いつの間にか不機嫌そうな田上くんが横に立っていた。

 つん、と袖の端を引っ張られる。


「し、しかたねぇから隣だし見せてやる、よ」


 恥ずかしいのか顔を赤らめながら、上目遣いにこちらを見てくる田上くん。かわいいな、オイ。

 これは…くるわ…。


「ショタ、なめてた…!」


「だれがショタだ!」


 いいツッコミです。








「いい加減にしなさいよね!」


 ワタシもそう思います。

 ただいま昼休み。

 現在いる場所は生徒が入っちゃいけない場所ナンバーワン、施錠されているはずの屋上である。

 ワタシ、実は今日で十六なんです。この学校の一年生なんです。さらにいうならばここの生徒なんです。


「空が青いわー」


「聞いてるの!?」


 聞いていますともさ。

 目の前には十人十色どころか、人数からしてそれ以上の女子生徒がずらり。二クラスぶんくらい。

 中にはわりと入学してから仲良くしていたと思う子もいるし、涙が溢れちゃう。女の子だもん。お昼ごはんに誘われたと思ったらこれですもの。

 フェンスによりかかるワタシを円で囲むようにした女子生徒。なんかこれって追い込み漁のようである。

 しかしこの場合、捕獲されるのは女子生徒になる。ワタシは餌だよ。


 代表なのか、三年生だとわかる赤のラインの入った衿の少女が進み出てくる。張り切り過ぎて足がガクガクしてるけど大丈夫だろうか。


「なに、ぶつぶつ言ってるのよ! あ、あんなに男をはべらせて!」


 む、もう聞こえてるならしかたがないな。

 あと姉に直接言え。なんでワタシに言うんだか。

 少女の視線の先は生徒会室。ああ、そういえば生徒会長は姉にぞっこんでしたね。


「データそのよん。わが道をいくオトメン生徒会長」


 苦手なんだよね、あのひと。姉に会いに家にまで来るんだよ。手作りのお菓子とか花とか持参で。こわいから誰も口にしないけど。もっぱら、受けとるのはワタシなんだけど、ねちっこい。

 さらにもうひとりがグラウンドを指差す。

 ああ、サッカー部レギュラーの二年の先輩か。あのひとも姉に心を奪われたひとですね。


「データそのご。爽やかに見せかけた女好きのサッカー部エース」


 ワタシが休日、外出していると高確率で出会って姉の情報を聞き出そうとするんだよね。お茶しようよって。甘いものがあるよって、幼児誘拐犯かおのれは。その色黒な肌もきらめく白い歯も怪しさ満点だ。

 うーん、もしかして姉の私物に盗聴器とか仕掛けてるんじゃなかろうか。帰ったら姉に聞いてみよう。



 さらに出てくる出てくる。イケメンの彼だの可愛い彼だの。え、ワタシの担任の先生もか。さすがにそれは犯罪じゃないか。これはデータとしては破棄。犯罪は認めない主義です。

 なんだかんだで全員とは顔見知りでした。中には意外なひとも。鳩ボーイ、すでに姉とは会っていたのか。

 え、田上くん姉のこと好きだったんだ。あれはツンデレだったんだね、気づかなくてごめんね。

 どうやら、彼女たちは雰囲気的にワタシを傷つける気はないようだった。

 とにかく面と向かって言わないと気がすまなかったらしい。姉に言ってよ、疲れるから。


「どうしてあなたが、て思ってたんだけどね…話してみてわかった。なんかあなた、お悩み相談室みたい…」


「それ、ほめてるの?」


 ひとりひとりとじっくり話して和解しました。昼休みギリギリまで粘ったぜ。

 みんなからお菓子とかアドレスとかもらえてほくほく。友達増えたよ。やったねたえ…うん、やめとこう。


「まーちゃん!」


 もらった飴をコロコロと口の中で転がしながら階段を下っていると、息をきらした姉とかち合った。


「ぐぼっ」


 瞬間、飴がノドの奥に詰まる。


「まーちゃん? どうしたのまーちゃん!? 誰に、誰にやられた!?」


 お前だよ。


 ワタシの視界はここでブラックアウトしました。さらば現実。







 起きたらそこは、天蓋つきのベッドだった。

 もう一回目をつぶって寝た。否、寝ようとしたけど無理だった。どうも寝すぎたようで。いま何時ですかね。五限目はロリコンと判明した担任の授業だったから気をつけて観察しようと思っていたのに。

 上半身を起き上がらせて今度こそまわりを見渡せば、総ピンクの夢見るお姫様向けファンシーベッドというより、細やかに薔薇を模したレースに縁取られた上品過ぎて肩が凝りそうなお金持ちベッドに寝かされていた。

 これだけでワタシの部屋ではないことがわかる。レースに透けたベッドまわりの光景を見るにホテル、それも一泊何十万とかしそうな部屋だ。

 では、もうひとつの案、保健室……のわけがない。あったとしたらどんな保健室だ。お嬢様学校でもまずないわ。

 うんうん悩んでいたら不意に、コンコンコンとノックされた。

 どうするか。返事をしてもいいものか悩んでいると、聞き慣れた声がドアの向こう側から響いた。


「…マドカ、起きたか?」


 ふわりとしたレースのカーテンを腕でなぎ払って扉へと走る。


「ヒビキくん!」


 突き破るように開けて、そこにいたヘタレだが優しい幼馴染みに抱きついた。わーい、ヘタレ!


「ここどこ、あなただれ、ワタシはなに!?」


「この状況で、それだけ言えたら大丈夫だろ…静かに。見つかったらやばいから」


「やばいって…なにその服」


 よくよく見ると、ヒビキくんの服はなんていうのかどこか古風な、日本史の資料集に載っていた深緑色の軍服のようなものだった。

 改めて自分を見ると、あらまあなんということでしょう。なにこのフリフリひらひらな服。こちらも古風な仕上がりで。


 まさか。


「もしかしてあれか、姉が異世界に連れ去られたのに巻き込まれちゃった系!?」


「? なんだそれ」


 違うのか。恥ずかしい。ネット小説を読みすぎたよ。

 しかし、その後に続く言葉はワタシの想像をはるかに超えたものだった。







 逃げなきゃ、うん、逃げなきゃだめだ。

 ヒビキくんから渡された地味な使用人の服だかに着替えて教えられた隠し通路を駆け抜ける。

 全力疾走だが、ワタシの足は一般人かそれ以下ぐらいで遅いから人一倍の速く走らなきゃならない。

 忘れていた。ワタシの誕生日である今日は、同時に姉の誕生日であるということに。




『逃げて、マドカ。マドカはね、十六になるまでシズカと共に育てられて…シズカに喰われる運命にある』


 ヒビキくんによると、姉は、シズカちゃんは人間ではないらしい。

 納得した。すごい納得した。人外だったんだ。納得した。むしろよく騙されていたな、ワタシを含むまわり!

 人間に似たそれは、生まれてすぐに自分と相性のよい人間を探して十六まで育てるんだそうだ。自分好みに。そして…喰う。

 ヒビキくんは、シズカちゃんの家の家臣らしくて…ようするにワタシを監視していたらしいのだが。

 情が、移ってしまったらしい。

 ありがとう神様。

 ありがとうヒビキくん。

 この歳まで生きて、姉だと思っていたものにバリボリ頭から喰われるとか、ないよ。異世界トリップのがまだマシだったね!

 とりあえずヒビキくんに渡された紙を読んで、隠し通路を走って走って。

 そして大きな扉の前にたどり着いた。

 この部屋で一晩隠れて、朝になったらヒビキくんがどこかに逃がしてくれるらしい。

 ワタシは勢いよく扉を開けた。


「いらっしゃーい!」


 そして全力で閉めた。

 なんかいた。なんかいた。なんかいた。

 豪奢な金髪が見えた。

 聞き慣れたというより聞きたくなかった声が、う、嘘だ。

 ひいいいい!

 ヒビキくん、たぶん行動が読まれてたよ。泳がされてたよ、相手、踊り食いする気だよ! ワタシはシラスだった!

 ガチャガチャと回るドアノブに屈してなるものかとふんっと足をかけて抵抗していたら。ある時唐突にドアノブの回転が止まり。

 そして、バキリという音と共に扉が蝶番ごと破壊され、ワタシはそのまま倒れた扉と一緒に部屋の中へと入ることになった。

 わーいバ怪力ー。




 しばし、沈黙。

 もうワタシには体力が残っておりません。起き上がれません。HP3くらいです。地上に打ち上げられた魚ってこういう気分なのかな。

 たぶんこれ、策略のひとつだったに違いない。


「まーちゃん、いらっしゃーい!」


「へ、へーい」


 これ以上にどう、返事しろと。


「せっかくカワイイ服、着せたのに着替えちゃったんだねえ?」


 最後の晩餐ならぬ、最後のお洒落ですか。そうですか。でもあれ、ワタシの趣味ではございませんでしたのことよ。着るならロリータよりゴシックが好きです。


「ヒビキ、あとでお仕置きだね!」


「それは、ちょっと待って!」


 逃がしてくれた、逃がそうとしてくれたのだ。

 たとえワタシが逃げ切れなくても。

 どうせワタシが食べられてしまうなら、ヒビキくんがひどい目に合うのは避けてほしい。ヘタレだけれど大切なお隣さんだもの。あとたぶん、ワタシの初恋はヒビキくんだった……と思う。姉が相手だからって小さかったワタシは諦めちゃったんだろうけど。いまもそういう意味で好きってわけじゃないけど。ここで下がれば女が廃る。


「ワタシはどうなってもいいからヒビキくんは助けて! ヒビキくんは悪くないの!」


 起き上がり、シズカちゃんの胸ぐらをつかむ。いつもの溢れんばかりの豊満な胸がゆれ……ゆれない?


「…へーえ。ヒビキ、助けてほしいのー?」


 姉の、シズカちゃんの声が聞き慣れた声より低くなっていく。

 それよりも、ワタシはあるはずのものがないことに頭の中がパニックになっていた。


「え、ちょ、メロン、メロンがなくなってる!」


 豊満な、お胸が、抉れていらっしゃるよ!?


「ふおお!?」


 ペタペタと触ってみるが柔いどころか固い。

 視線はまな板のお胸に釘付けだが、シズカちゃんに無理やり頬を包むように持ち上げられて目を合わせられた。


「まーちゃん、わたしとお風呂入ったり、プールに行ったりしたことあったっけー?」


 そういえば、ない。

 まさか、まさかまさか。

 あるひとつのことに思い当たり、青ざめた。


「偽パッドだったなんて…!!!」


 胸がないことに、そんなにコンプレックスを抱いていただなんて。


「………」


「………」


 沈黙が痛い。

 知ってしまった。死ぬ前にそんなことを知ってしまうなんて。

 せめて痛くないように食べてネ、との頼みも聞いてくれないだろう。

 絶望した。こんなワタシに絶望した。


「い…痛くは…しないで…」


「………」


 にんまり、とシズカちゃんが笑んだ。色っぽい、すごく艶っぽい。


「まーちゃんは、ヒビキからどこまで聞いてるのかなー?」


 どこまでって。人外ですよと。


「じゅ、十六になったら喰われるって…」


「そう、ならわかるよね?」


 よいしょ、と抵抗のできないワタシを器用にお姫さま抱っこにするとスタスタと部屋の奥へと歩き出した。

 そういえば、声が低いままだな。

 服も、いつもひらひらでひと昔前、のファッションスタイルなのに今日に限ってなんだろう。ヒビキくんがさっき着てたような服…つまり、男装のようなもので。




 あれ、あれ、あれ。


 これは、なんだろう。


 パズルのピースがかちりと頭の中で合わさった。

 合わさって、しまった。

 さっきとは違う意味で汗が止まらなくなってきた。


「人間に過剰なマーキングつけるとさあ、どうしても男が釣られて寄ってきちゃうんだよねえ。追い払うにしても面倒だから自分を餌にしても駄目みたいだし。はやいとこ食べちゃってモノにしとかないと」


 一瞬、くらっとしたと思えばそこはもうさっきの狭い部屋とは別の場所に変わっていた。

 どさり、とおろされたのはさっきワタシが寝ていたベッドよりも広くて立派で。立派でベッドでえええええええ!


 あの、あのですね。

 ヒビキくん、ちょ、喰うって、その、あの……おい、コラ!




「いただきます。ねえ、マドカ?」










 その後、イロイロとワタシが知ることになるのは全てが終わった後。

 喰われてしまった後のことであった。




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