第2話「絶望の淵と覚醒の光」
『絶望の洞窟』は、その名の通り、挑戦者たちの心をへし折るのに十分な場所だった。
これまでに佐山たちが攻略してきた低級ダンジョンとは、明らかに次元が違っていた。
空気は重く、視界は悪い。
壁や天井からは絶えず不気味な水滴が滴り落ち、その音が静寂の中で反響して、じわじわと精神を削ってくる。
なにより、出現するモンスターの強さが桁違いだった。
「ぐっ……! こいつら、硬すぎる!」
パーティーの盾役である健二が、巨大な斧を持つミノタウロスの攻撃を受け止め、苦悶の声を上げる。
勇也の放つ炎の矢が直撃するも、ミノタウロスの分厚い皮膚に阻まれて致命傷には至らない。
「凛花! 回復を!」
「わ、わかってるわよ!」
凛花の放つヒーリングライトが健二を包み込むが、モンスターの猛攻は止まらない。
巧妙に配置された罠が彼らの進路を妨害し、じりじりと、しかし確実にパーティーは消耗していった。
深部へ進むにつれて、その傾向はさらに顕著になっていく。
誰もが口数を減らし、その表情には明らかな焦りと疲労の色が濃く浮かんでいた。
佐山はただ、仲間たちの後ろで息を殺し、祈ることしかできない。
戦闘に参加できない自分が、ひどくちっぽけで、無力に感じられた。
そして、運命の時は訪れる。
ダンジョンの広間のような空間に出た瞬間、彼らは完全に包囲された。
数は数十体。
緑色の肌、豚のような醜悪な顔、そして人間の子供ほどの体格を持つオークの群れだ。
その中心には、一際大きな体躯を誇るオークキングが君臨していた。
手には、人の胴体ほどもある巨大な棍棒が握られている。
「聞いてないぞ! こんな大群がいるなんて!」
メンバーの誰かが、悲痛な絶望の声を漏らした。
退路はない。
四方八方をオークに囲まれ、逃げ場はどこにもなかった。
誰もが死を覚悟し、武器を握る手が震え始めたその時、リーダーである勇也が、狂気に近い光を目に宿して叫んだ。
「おい、サヤマ! お前の役目は今こそ果たせ!」
「え……?」
突然名前を呼ばれ、佐山は戸惑いの声を上げる。
一体、自分に何ができるというのか。
「お前が囮になれ! そのハズレスキルでモンスターの注意を引きつけてる間に俺たちが体勢を立て直す! いいな!」
それは、事実上の見捨て宣告だった。
佐山の思考が、一瞬完全に停止する。
囮? 俺が?
仲間だと思っていた人間が、今、自分に死ねと言っている。
「そ、そんな……」
「うるさい! お前みたいな荷物持ちが、最後にパーティーの役に立てるんだ! 光栄に思えよ!」
勇也の言葉に、凛花も、他のメンバーも逆らわない。
いや、むしろ彼らは安堵の表情すら浮かべていた。
自分たちが助かるための、都合のいい生贄が見つかった、と。
「ごめんね、サヤマくん」
「お前の犠牲は無駄にしないから」
背後から声が聞こえた。
その声には、何の感情もこもっていなかった。
佐山は、仲間だと思っていた彼らに背中を押された。
抵抗する間もなく、よろめきながら数歩前に出る。
そして、オークキングの、血走った巨大な眼前に突き飛ばされた。
オークキングが、威嚇の唸り声を上げる。
その口から漏れる息は、ひどい腐臭を放っていた。
迫り来る死の予感。
人の胴体ほどもある巨大な棍棒が、空気を重く切り裂くごう音と共に振り下ろされる。圧倒的な質量が迫る風圧だけで、佐山の前髪が荒々しく吹き飛ばされた。
スローモーションのように引き伸ばされた世界の中で、佐山は薄情な仲間たちの顔を思い浮かべていた。
『死にたくない……』
心の底から、生存への渇望が湧き上がる。
こんな理不尽な終わり方など、絶対に認めない。
その瞬間だった。
佐山の脳内に、今まで一度も聞いたことのない無機質な声が響き渡る。
《生存への渇望を確認。スキル【マーキング】の最終制限を解除します》
《スキル【マーキング】は、真のスキル名【絶対支配】へと進化します》
「え……?」
棍棒が振り下ろされる、まさにその刹那。
佐山は無我夢中で、目の前のオークキングに向かって、いつものようにスキルを発動した。
「【マーキング】ッ!!」
佐山の手の甲に浮かび上がった魔法陣から、淡い光が放たれる。
光はオークキングの額に吸い込まれ、小さな紋様を刻んだ。
すると、今までとは全く違う現象が起きた。
ピタリ、と。
佐山の頭上寸前で、巨大な棍棒が動きを止めたのだ。
オークキングの動きが完全に停止していた。
その目に爛々と宿っていた獰猛な殺意が、潮が引くようにすっと消え去る。
直後、濁っていた瞳に深い静寂が満ち、主を前にした忠犬のように、熱を帯びた眼差しが真っ直ぐに佐山へと向けられた。
オークキングは、その場で膝をつくと、恭しく佐山の前に頭を垂れた。
そして、佐山の意思が、まるで自分の手足を動かすかのようにオークキングへと流れ込む。
佐山は命じた。
配下のオークたちに撤退を。
オークキングは雄叫びを上げた。
しかしそれは戦闘開始の合図ではなく、終結を告げるものだった。
その声を聞いたオークの群れは一斉に武器を収めると、整然と隊列を組み、広間から去っていく。
無意識に下した自らの命令がもたらした光景に、佐山自身が一番戸惑っていた。
ただ、目の前で起きている現実だけが、彼の脳に焼き付いていた。
「な……にが……」
背後から、勇也たちの呆然とした声が聞こえる。
佐山は、震える手で自らの手の甲を見つめた。
死の淵で、彼は自らのスキルの真の力に目覚めたのだ。
印を付けたモンスターを、完全に支配し、自らの意思のままに従属させる。
それこそが【マーキング】の、いや、【絶対支配】の真髄だった。
絶望の淵に、強烈な一条の光が差し込んだ瞬間だった。




