世界が嫌いだ
夜の帰り道、街灯の下で私は立ち止まった。
昼間は人で溢れていた道も、この時間になると静かで、
世界そのものが少しだけ素顔を見せている気がする。
嫌な世の中だな、とふと思う。
息をするだけで、どこかに引っかかる。
言葉も、価値観も、正しさも、
全部が角を立てて並んでいる。
でも次の瞬間、
その違和感が自分から生まれているのかもしれないと思ってしまう。
世界が歪んでいるのか。
それとも、私の目が歪んでいるのか。
偏屈。
そう言われたことが、何度かある。
考えすぎだ、とか、
気にしすぎだ、とか。
もっと楽に生きればいいのに、と。
たしかに私は、
人が見過ごすような小さな引っかかりを、
いちいち拾ってしまう。
流行りの言葉の薄さとか、
善意を装った雑音とか、
無自覚な優越感とか。
見なければいいものを、
わざわざ見てしまう。
聞かなければいい声を、
耳に入れてしまう。
だからこの世界は、
私にとって少しうるさすぎる。
でも、もし私が何も感じなくなったら。
違和感を違和感として受け取れなくなったら。
それはそれで、
何か大事なものを失っている気もする。
嫌な世の中なのか。
それとも、私が偏屈なだけなのか。
答えはきっと、
どちらか一方じゃない。
世界は、
たぶん昔からそれなりに嫌で、
私は、
たぶん昔からそれなりに面倒な人間だ。
その二つが、
今ちょうど、相性悪く噛み合っているだけ。
そう思うと、
少しだけ肩の力が抜ける。
世の中が嫌だからといって、
私が間違っているわけじゃない。
私が偏屈だからといって、
世界が全部正しいわけでもない。
どちらも完全じゃない場所で、
私は今日も、
引っかかりながら歩いている。
街灯の下を抜けて、
また次の暗がりへ。
それでも歩けているなら、
きっと、まだ大丈夫だと思えた。




