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偽装結婚のはずが、なぜか溺愛が止まりません 『先に惚れたら破滅の溺愛ゲームと、恋する二人は思い込んでいる』  作者: 緋色の雨


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エピソード 2ー3

 こうしてアストリッド達は辺境の町、グレイへルンへ向かうことになった。

 だが、アストリッドは王太子の婚約者であり、元敵国の王女でもある。

 目的の辺境が両国の国境から遠い場所にあるとはいえ、大事であることには間違いない。アストリッドの一行は、エレナを始めとした研究者とその使用人、そしてレナートの率いる騎士団を引き連れた大所帯となった。


 という訳で、アストリッドはいま、レナートと同じ馬車に揺られていた。さすがに二人っきりではなく、ユリウスとセリーナが同席しているが、エレナは気を利かせて別の馬車に乗っている。

 結果、二人は甘い空気を振りまいていた。


「少し肌寒くなってきましたね」

「この辺りは標高が高いからな。寒いのなら俺の上着を羽織っておけ」


 レナートがそう言って自分の上着をアストリッドの肩に掛けようとする。だが、アストリッドは「そんなことをして、レナートが風邪を引いてしまったら大変です」と押しとどめた。

 続けて、「それに――」と、わずかにレナートの方へ移動して肩を寄せる。


「こうしていれば、お互い寒くありませんわ」

「そ、そうか、たしかにアストリッドの温もりが伝わってくるな」


 二人は心の中で照れながらも、だけど一歩も引こうとはしない。

 アストリッドはレナートを堕とそうと大真面目で、レナートもまたアストリッドを堕とそうと大真面目だから。


 そして、事情を知っているそれぞれのお付きも邪魔はしない。

 結果、馬車の中はハチミツに漬けた砂糖のようにひたすら甘い空気に染まっていた。


 だが、二人もそろそろ限界である。


(ア、アストリッドが可愛すぎる。ここまで甘く囁いても、その上を行く勢いで甘えてくるとは。まさか、彼女はこれが素なのか……?)


 レナートはある意味で、アストリッドに対して戦慄していた。

 だが、それはアストリッドも同じである。


(ここまで甘えても平然と返してくるなんて……レナート、一体どれだけ異性に慣れているんですか? いままで私とエレナ以外に女性の気配なんて……いえ、それは以前の話ですね。私の知らない空白の期間に、女性の扱いに慣れるなにかがあった、ということでしょうか?)


 そんなはずはないという想いが、そうなのかもしれないという不安に変わる。そして次の瞬間には、わたくしというものがありながらという、理不尽な怒りへと変わった。

 アストリッドは思わず、レナートの横顔を見上げた。


(……な、なんか、急にむちゃくちゃ睨まれている気がする。なぜだ? どこで選択を誤った? まさか、俺の上着が汗臭かったのか?)


 レナートはそんな不安に駆られる。

 そうだとしたら身体を寄せてくるのはおかしいと、そんな冷静な判断をする余裕も残っていなかった。レナートはおもむろにユリウスに視線を向ける。


「ユリウス、俺の上着は洗濯しているな?」

「え? ええ、もちろんですが……それがなにか?」

「いや、なに、しているならいい」


 そう言いつつ、アストリッドの様子をうかがうが――もちろん、上着をちゃんと洗濯しているという話で、アストリッドの眼光が弱まったりはしない。


(な、なぜだ? 洗濯をしているか疑いの視線だったのではないのか? ……くっ、分からない。こういうとき、どうすればいいんだ?)


 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥。

 レナートはゴクリと喉を鳴らした後、アストリッドに視線を向けた。


「アストリッド、その……なにか不満があるのなら言ってくれ」

「不満など、レナートが慣れていることが不満だなんて思っていませんわ」


 思ってないどころか言っている。だが、肝心な主語が抜けており、慣れていることのなにが不満なのかまでは理解できなかった。

 レナートは必死に考えを巡らせる。


(慣れていることが不満? もしや、馬車旅の話か? つまりは劣等感? いや、アストリッドがそのような理由で拗ねるとは思えない。だとすれば……っ)


 レナートは不意に思い至った。

 馬車はよく揺れ、お尻が痛くなる。慣れてくればある程度は耐えられるが、最初の頃はレナートも大変な思いをした。それはつまり、アストリッドも同じ、ということだ。


「すまない、少し休憩を取ろう」


 レナートが指示を出すと、ユリウスが御者に命じて馬車を止めた。すぐに近くの空き地で、休憩所を作るために騎士や使用人達が動き始める。

 それを横目に、レナートはアストリッドに視線を向けた。


「気が回らなくてすまない。アストリッドは休憩をしたかったのだな」

「……休憩、ですか?」


 予想外のことで謝罪され、アストリッドは一時的に怒りを忘れて首を傾げた。


「ああ。俺も馬車旅に不慣れたころは辛かった。だが、最近はそれにも慣れて、アストリッドが大変かもしれないと気付いてやれなかった」

「ええっと、そうだったんですね」


 アストリッドは相槌を打つが、まったく意味が分かっていない。

 だが――


「あらためて謝罪する、すまなかった。その……言い訳にはなってしまうが、このように女性と馬車旅をするようなことがなくてな。だから、気付いてやれなかった」

「え、異性と馬車旅をするのは初めてですか?」

「当然だろう。そもそも異性と出掛けることがない。俺が出掛ける相手はエレナくらいだな」

「そう、だったんですね」


(そっか、馬車でお出かけする異性はわたくしが初めてなんだ。そっか、そっかぁ~)


 女性の扱いに慣れているのは驚いたけど、浮気をしている訳ではなかったのだと分かり(そもそもその頃は付き合っていないどころか、敵同士だったのだが)、アストリッドはニヤける。

 そうして機嫌がよくなったアストリッドを、レナートは横目でこっそりうかがっていた。


(うむ、やはりお尻が痛かったようだな。後でクッションも用意させよう)


 レナートはそんなふうに判断して、休憩の頻度を増やすようにと騎士隊長に命じた。



 こうして、一行は少し多めに休憩を挟みながらも辺境の町へと向かう。

 最初は何事もなく旅を続けることが出来ていたが、二日目にして、初めて魔物に遭遇した。相手はオオカミ型の魔物で、問題なく護衛の騎士に倒される。

 だが、三日目になると、危険な魔物と遭遇する機会が増えてきた。

 そうして辺境の町まであと少しという距離。

 魔物の撃退を終え、一行が最後の休憩を取っていたときにそれは起こった。



「やはり、辺境は魔物が多いのですね」


 外の空気を吸いながら、アストリッドはしみじみと呟いた。


「王都付近の魔物は狩り尽くしているが、辺境はどうしても、な」


 辺境付近の魔物を減らすことは出来る。だが、人類が暮らす地域の外は、魔物が多く生息している。そのため、どうしても魔物を狩り尽くすことは出来ないのだ。

 だからこそ、結界の魔導具には期待せざるを得ない。


 そんなことを考えていると、不意にどこかから悲鳴が聞こえてきた。


「いまのは……女の子の悲鳴でしょうか?」


 アストリッドが声の聞こえた方に視線を向ける。それとほぼ同時、同じように反応したレナートが、護衛の騎士に確認してくるようにと命じた。


「……レナート」

「騎士を救援に向かわせた。そなたが向かう、などとは言わないでくれよ?」

「あら、わたくしも多少の心得はありますわよ?」


 そんなふうに提案してみるが、もちろん本気ではない。万が一にもアストリッドになにかあれば、それが戦争再開の引き金になりかねない。

 悲鳴の主は気になるけれど、望んで危険を冒すことは出来なかった。


 そうしてやきもきしていると、救援に向かった騎士達が女の子を連れて戻ってきた。ずいぶんと怯えていると言うことで、アストリッドが話を聞く役を買って出る。

 視線を向けると、へたり込んでいた女の子が顔を上げた。

 十代半ばくらいの、素朴な出で立ちの女の子だ。


「こんにちは、いま少しお話をしても大丈夫?」

「あ、はい。助けてくれてありがとうございます。ええっと……」

「私はアストリッド。貴女は?」

「サーラです、アストリッドお姉さん」


 お姉さんという言葉遣いに護衛の騎士達がわずかに眉を寄せるが、アストリッドは手振りだけで問題にする必要はないと合図を送った。


「それで、サーラはどうしてこんな場所に? 旅人には……見えないけれど」


 荷物も小さな革袋だけで、とても旅をしているようにも見えない。


「あ、私はグレイへルンの町の人間です」

「あら、そうなのね。私達はその町に行く予定だったのよ」

「え、そうなんですか? じゃあ、助けていただいたお礼に案内させてください」


 提案をされたアストリッドは素早く算段を立てた。

 端的に言って、町の場所は分かっているので案内は必要ない。だが、このまま別行動を取って、女の子が魔物に襲われても寝覚めが悪い。

 そう考えたアストリッドはさりげなくレナートに視線を向けた。


「せっかくですから、町の事情などを聞きながら向かうのはいかがでしょう?」

「ふむ、そうだな。それがいいだろう」


 おそらくは、アストリッドと同じことを考えたレナートが同意する。こうして、一行はサーラを加えてグレイへルンの町へ向かうことになった。

 同じ馬車の中、アストリッドはサーラに問い掛ける。


「それで、貴女はあそこでなにをしていたの?」

「薬草採取です」

「魔物が出るような場所で、一人で……?」


 わずかな疑いを持って聞き返す――が、サーラは平然と頷いた。


「魔物が出没するといっても、滅多にあることじゃないんです。なのに運悪く魔物と出くわしてしまって、あのときはもうダメだと思ったので本当に助かりました」

「そう、なのね」


(死にかけたのに、ずいぶんとあっさりしているのね。それとも、辺境の町の人間にとっては、そうやって誰かが死ぬことを、日常的なこととして受け入れてしまっているのかしら……?)


 それはちょっと怖いなと、アストリッドは自分の腕を抱き寄せた。


「それで、どうして薬草を? 家族が怪我をしたの?」

「いいえ、でも、薬草は町のお店で買い取ってもらえるから」


 つまりはお金のためということ。


「その……ごめんなさい。聞いていいか分からないのだけど、ご両親は……?」

「お父さんは、この国を護るんだって言って出掛けて……そのまま帰ってきませんでした」


 ぽつりと零れた言葉。戦死という単語がアストリッドの心に黒いインクのように広がった。罪悪感が膨れ上がり、謝罪の言葉が零れそうになる。


「――では、お母様はどうなさっているのですか?」


 不意にセリーナが会話に割って入った。


「お母さんは元気です。でも、生活が苦しくて、だから私が支えてあげたいって」

「それで、薬草を採取なさっていたんですね」


 セリーナがサーラとの会話を続ける。それを聞きながら、アストリッドは自分が選択を間違いそうになっていたことを自覚する。


(危なかった。あのまま謝罪していたら、お互いにとってよくないことになっていたわ。ここが最近まで敵国だったことなんて、分かっていたことじゃない。もう少し、気を引き締めないと)


 アストリッドは頭を振って冷静さを取り戻し、あらためて二人の会話に耳を傾ける。


「――でも、私はマシな方だよ。お友達は両親を失って、孤児院に入ることになっちゃった」

「ですが、孤児院に入ったのなら、食べていくことは出来ますよね?」

「うん、そうだね。そういう意味だと、私の方が大変かも。今回は運良くお姉さん達に助けてもらえたけど、いつかは私も、魔物に殺されちゃうのかな……?」


 軽口のように放たれた重い言葉に溺れそうになった。


(重い、重すぎよ! レナートはこの国の王太子なのに、一体なにをして……)


 一瞬、向かいに座るレナートに避難するような視線を向ける。だが、彼の苦悩に塗れた顔を見て、その怒りの矛先を変えた。


(きっと、なにもしてない訳じゃない。これは戦争が引き起こした悲劇ね。なら、きっとそういう悲劇を少しでも減らすことも、平和の象徴として嫁いだわたくしの役目のはずよ)


 アストリッドは顔を上げ、それからサーラの両肩を掴んだ。


「大丈夫よ。そうならないように、私達が来たんだから」

「そう、なの?」

「ええ。向かいにお兄さんがいるでしょ?」

「うん、あの格好いいお兄さんのことだよね?」

「――は?」


(なんですか、この子。まさか幼いなりで、レナートのことを狙っていたりするのかしら。不幸な身の上だかなんだかしりませんが、身の程を知りなさいよ!)


「お姉さんの恋人かな? とってもお似合いだよね」

「はぇ!?」


 一瞬飛ばしたさっきはどこへやら、アストリッドはあわあわと狼狽えた。


「サ、サーラ。わ、わたくしと、さっきのお兄さんが、お、お似合いに見えるのですか?」

「うん、だって、さっきからお互いにチラチラ見て、とっても仲良しに見えるよ?」

「――きゅん」


 胸を押さえて打ち震える。


(わたくしが間違っていました。大変な立場でありながら、他人の気持ちを思いやれる。この子は天使に違いありません!)


「お姉さん?」

「あ、えっと、さっきのわたくしとお似合いのお兄さんは、みんなの生活を改善しにきたんです。だから、心配しなくても大丈夫ですよ」

「……そう、なの?」

「ええ。私達が必ずなんとかいたします」


 そのためにも、絶対に戦争を再開なんてさせないと、アストリッドは新たな目標を胸に刻んだ。

 

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