エピソード 3ー3
一行はその場で反転し、上流の橋へと向かった。食糧の残量が心配されたが、これは道中の町で買い付けをおこなうことで事なきを得る。こうして上流の大きな橋にたどり着いた一行は無事に川を渡り、そのまま何事もなく王都へと帰還した。
だが、王都へと続く門の前、そこに集結する部隊と出くわした。
「これは何事だ!」
バルドルが終結する部隊に向かって声を張り上げる。彼の存在に気付いた兵士達が次々に彼の名前を呼ぶ。そしてほどなく、兵士達の間からバルドルの副官、コンラートが現れた。
「これはバルドル将軍! レナート王太子殿下とアストリッド王女殿下はご無事ですか!?」
「コンラートか、殿下達はご無事だ」
「おぉ、ご無事で。……安心いたしました」
アストリッドとレナートを目に、コンラートは安堵の息を吐く。その様子に二心は感じられないが、バルドルは険しい表情のままで詰め寄った。
「それより、これは何事だ!」
「あぁ、この部隊ですか? 一行が期日になっても帰らないので、捜索の部隊を出しておりました。これはその第三陣ですが、どうやら杞憂だったようですね」
彼はそう言って、先遣部隊に引き返すようにと伝令を出した。
それを横目に、レナートが馬を寄せてくる。
「アストリッド」
「……ええ、上手く躱されましたね」
彼が襲撃を企てていたのなら、部隊を動かしているはず。
ゆえにその部隊を押さえ、襲撃しようとしている証拠を掴む予定だったのだが、コンラートに捜索の部隊を出していたのだと先んじて言い訳をされてしまった。
これでは、部隊を動かした理由を問い詰めることが出来ない。
だが――
(手際がよすぎてかえって怪しいわね。そこを問い詰めるべきかしら? ……いや、わたくしが判断することではないわね)
判断するのはレナートである。そして彼ならば、コンラートを追い詰める策を考えているはずだ。ならば、自分は彼に対してなんの疑いも抱いていないと思わせるのが得策だと考える。
それに――と、バルドルに視線を向ける。
(ひとまずはマギノリア聖王国の英雄に期待してみましょう)
彼が本当に無実なら、その名声にふさわしい活躍をしてくれるだろうと、そんなふうに考えていると、バルドルがこちらを見て小さく頷いた。
「レナート王太子殿下、アストリッド王女殿下、ワシはコンラートと共に、橋が崩落した原因について調査いたします。お二人はお城にお戻りください」
「うむ。では、ここはそなたに任せる」
後は手はず通りにと無言で頷きあって、アストリッド達は王城へと帰還した。
離宮へと戻ったアストリッドはすぐに旅の汚れを落とした。だが疲れを落とす暇はなく、ほどなくして陛下からの召喚状が届く。それに目を通したアストリッドは侍女達を呼びつけた。
「ルーファス国王陛下が不具合を起こした原因について、詳しい事情を聞きたいそうよ。レナートが迎えに来るから、すぐに着替えを用意してちょうだい」
「かしこまりました」
侍女達が動き、セリーナもアストリッドの着替えの手伝いを始める。だが彼女は鏡越しにアストリッドの顔を見ると、わずかに眉を寄せた。
「アストリッド様、あまり無理をなさらないでください」
「ありがとう。でも、休むのは報告を終えてからよ。それに、先に休むのは貴女の方よ。強行軍の中、わたくしのお世話をするのは大変だったでしょう?」
「アストリッド様は手間が掛からないので助かります」
セリーナは鏡越しにふっと笑う。アストリッドが気にする必要はないという遠回しな気遣い。それを理解しているアストリッドもまた肩をすくめる。
「これが終わったら、他の者に引き継いでゆっくり休みなさい」
「お休みより、この国のドレスが欲しいです」
「あら、見せる相手はいるのかしら?」
アストリッドがからかうと、セリーナは「見せる相手を作るためにドレスが必要なんですよ」と不満げな顔をした。それを見たアストリッドは鈴が鳴るように笑う。
「いいわ。なら二、三日休みをあげるから、好きなドレスを作ってきなさい。わたくしの侍女が婚期を逃す、なんてことになったら大変だものね?」
上位貴族や王族の侍女になるのは、行儀見習い、あるいは花嫁修業的な意味合いもある。ましてや隣国に嫁いだアストリッドの侍女には人脈がない。
ゆえに、彼女の相手を見つけるのはアストリッドの義務と言える。逆説的に言うならば、セリーナが行き遅れることは、アストリッドの醜聞に繋がるのである。
もっとも――
「顔がよくてお金があって性格がよくて、私のことを誰よりも大切にしつつ、アストリッド様の味方になってくれる人じゃないと興味ありませんけどね」
「そんな相手が見つかればいいわねぇ……」
相変わらず理想が高いと、アストリッドは溜め息を吐く。
セリーナはいつもこういうノリなので、見つかるかどうかは望み薄だ。だが、このままでは、アストリッドは侍女の結婚相手も世話をしない薄情な主になってしまう。
「……ユリウスはどうなの?」
「婚約者はいないそうですよ。顔も悪くありませし、性格もよさそうです。それにレナート王太子殿下の従者ということは高給取りであることは間違いありませんね」
すらすらと答えが返ってくる。
「……貴女、もしかして」
「状況的に考えて、候補には入りますよね」
「状況?」
「アストリッド様の味方になってくれるかどうか、です」
「……なるほどね」
マギノリア聖王国とグラニス竜王国の関係が良好なままでなければ成り立たない。つまり、セリーナがこの国で結婚できるかどうかは、アストリッドの活躍に掛かっている、ということ。
(わたくしが頑張る理由がまた一つ増えたわね)
そんなことを考えて苦笑する。
そうして着替えを終えると、ほどなくしてレナートが迎えに来た。そんな彼のエスコートを受けて、アストリッドは陛下の待つ謁見の間へと足を運ぶ。
「すまないな、疲れているだろうに」
「それはレナートも同じでしょう?」
「まあ、互いにな。さっさと片付けてゆっくり休むとしよう」
「賛成ですわ」
謁見の間へと続く扉の前、アストリッドはエスコートをしてくれていたレナートから手を放した。そうして深呼吸を一つ、レナートと共に謁見の間へと足を踏み入れた。
そうして中程まで歩き、二人揃って片膝を突く。
「ルーファス国王陛下の召喚に応じて参上いたしました」
「……顔を上げよ」
その言葉を受けたレナートとアストリッドは立ち上がり、きざはしの上に視線を向ける。ルーファスは玉座にどっしりと座り、静かにアストリッド達を見下ろしていた。
そして左右には王国評議会の面々とおぼしき者達が控えている。
「このたびはご苦労だった。しかし、帰還が遅れたようだな。なにか問題があったのか?」
「少し不測の事態がありましたが問題はありません」
レナートが静かな口調で言い放ち、それを聞いたルーファスは顎を扱いた。
「……そうか。では、不具合の原因について教えて欲しい」
「それについては、私よりもアストリッドが適任です」
「そうか。ならばアストリッド王女殿下、報告を頼む」
「かしこまりました。不具合の原因ですが――」
水を向けられたアストリッドが、魔石に問題があったことを打ち明ける。この時点では、それが人為的である可能性などには触れない。
結果、些細なミスが原因だと聞いた王国評議会の面々は安堵の息を吐いた。
「……ふむ。魔石に不具合があったという訳か。大きな問題でなかったことは喜ばしいことだが、今後も同じことが起きないとは限らない。これは対策が必要だな」
「おっしゃるとおりです」
「うむ。ならば――王国評議会の者達よ、聞いての通りだ。問題点を洗い出し、同じミスが発生しないように対策を講じるように」
ルーファスが指示を出すと、王国評議会の者達は即座に「かしこまりました」と応じた。それを見届けたルーファスは、「ところで――」とレナート達に視線を戻す。
「そなたらの仲は良好か?」
「――はっ!? いえ、失礼いたしました。俺とアストリッドの仲ですか?」
不意打ちで面を食らったレナートが慌てると、ルーファスは笑い声を上げた。
「いや、すまない。このように王国評議会の者達がいる前で話す話ではなかったな。――そなたらは退席し、不具合への対策について詰めてくるがよい」
「かしこまりました」
王国評議会の面々は頷き、そのまま退席していく。それを見送った後、ルーファスは護衛なども入り口の方へと下がらせ、レナートとアストリッドに近くに来るように命じる。
二人がそれに応じると、ルーファスはギリギリ届く声で話し始めた。
「さて、これで他の者に聞かれる心配はない。本当はなにがあったのか、詳しく教えてもらおう」
鋭い眼光。そこに息子とその婚約者をからかうような意図はなく、王として、事実をつまびらかにしようとする強い意志が滲んでいた。
つまり、二人の仲を聞いたのは、人払いをするための口実である。
それに対して、レナートが苦笑いを零した。
「父上は既にご存じなのではありませんか?」
「まあな。だが、当人達の意見も聞いておきたい」
二人が当たり前のように話している。それを耳にしたアストリッドは首を傾げた。
(既に知っていた? 当人達の意見?)
アストリッドは帰還してほどなくここに来ている。レナートやバルドルの部隊からの情報ならば、そのような言い回しになるはずがない。
ならばなぜと考えたアストリッドは、別部隊が監視していた可能性に思い至った。そうしてハッとするアストリッドをまえに、ルーファスはふっと目を細めた。
「ふむ。やはりアストリッド王女殿下は優秀だ」
アストリッドの仮説を肯定する言葉。
(やっぱり別部隊がレナートを護っていたのね。そして、レナートはそれを知っていた。どうりで、躊躇なくバルドルの部隊と行動を共にするはずよ)
魔導具の不具合が自分を誘い出すための罠だとしても、それを食い破るだけの備えがあった。だからこそ、レナートはバルドルの部隊と行動をともにした。
あえて罠に飛び込むことで、逆に黒幕をあぶり出すつもりだったのだ。
「……レナート、無謀が過ぎるのではありませんか?」
半眼で睨み付けると、レナートは「すまない」と申し訳なさそうな顔をする。
「アストリッド、今回の一件は、ワシが命じたことだ。息子をあまり責めないでやって欲しい」
「そう、だったのですね。差し出口を失礼いたしました」
ルーファスにそう言われては反論できない。アストリッドは矛を収めつつも、(ルーファス陛下はなぜそのようなことを命じられたのかしら?)と考え込む。
そんな彼女の前で、ルーファスが口を開く。
「話を戻そう。アストリッド王女殿下、魔石の不具合は人為的なものだと思うか?」
「可能性としては、十分にあり得るかと」
「……なるほど、よく教えてくれた」
ルーファスはねぎらいの言葉を口にした後、レナートに視線を向ける。
「橋が何者かに落とされていたことを考えると、やはり罠だったようだな。だが、バルドルは動かなかった。ここまではあっているか?」
「はい。付け加えるならば、黒幕はバルドル将軍の副官ではないかと」
「コンラートか……たしかに、捜索隊を編制するのが妙に速かったな」
ルーファスが思案顔になった。それからレナートとなにかを確認し合うように頷きあった。それに気付いたアストリッドが首を傾げるが、ほどなくルーファスは口を開いた。
「いいだろう。コンラートを優先に調べさせよう」
彼はそういって、会談が終わり次第に調査を始めると約束してくれた。だが、いくらレナートとアストリッドの報告があったとはいえ、判断が速すぎる。
つまり――
(ルーファス国王陛下とレナートは、以前から軍部をマークしていたのね)
それも恐らく、バルドル以外の誰か、というところまでは当たりを付けていたのだろう。
だからこその、今回の一件。
あるいは、魔導具の設置を軍部に任せたのも、周囲の出方を見るための罠だったのかもしれない。アストリッドはそんなふうに考えながら、ルーファスとの会談を終えた。
謁見の間をあとにして、廊下を二人で歩いていると、レナートが不意に「すまない」と口にした。アストリッドは足を止め、彼の顔を見上げる。
「なんの謝罪でしょう?」
「別部隊を伏せていたと黙っていたことだ」
「……それでしたら、謝罪の必要はございません」
アストリッドが模範のような解答をすれば、レナートは「アストリッド」と口にして、少し困ったような顔をする。
(わたくしはレナートを、この国を信じ切れていない。だったら、レナートが同じようにわたくしを警戒しても文句なんて言えるはずがない。だけど……)
アストリッドはそこで一度考えるのを止めて、レナートの困り顔を静かに見上げる。そのサファイアブルーの瞳には、彼の複雑な心境が滲んでいる。
自分が葛藤しているからこそ、レナートも同じように葛藤しているのだと理解した。アストリッドは右手を挙げて、レナートの頬にその手を這わせる。
彼の表情が和らぐが――
「レナート、わたくしは本当に気にしていません」
アストリッドが紡いだ言葉に、レナートは再び表情を曇らせた。だが、彼がなにかを口にするよりも早く、アストリッドは「聞いてください」と続ける。
「わたくしは貴方を愛しています。貴方が子供の頃の約束を忘れずにいてくれて嬉しいと、心からそう思っています。これはわたくしの偽らざる想いです」
アストリッドはそう言って微笑む。これはアストリッドの本心で、彼女の心臓はうるさいくらいに高鳴っていた。だが、彼女はそこで、ですが――と付け加えた。
「わたくしと貴方は政略的に結ばれた関係です。いくらわたくしが、そして貴方が互いを信じていたとしても、互いの立場を踏まえたすべてを信じることは出来ません」
「それ、は――」
レナートがなにかを口にしようとするが、アストリッドは首を横に振る。
「否定する必要はありません。同時に、疑いたくないとも思ってくれているのでしょう? わたくしも同じです。だから、貴方の隠し事を、わたくしは不誠実だなどと思いません」
アストリッドはフワリと微笑む。これもまた彼女の言葉は本心である。疑わなくてはいけない立場ではあるが、本当はレナートを、この国を信じたいと思っている。
(疑わなくちゃいけないのなら、その立場を受け入れた上で、彼との絆を深めればいい。そうすれば、わたくしが抱えている問題もきっと、いつか解決するはずよ)
そんな彼女の思いが通じたのか、レナートもまた表情を和らげる。
「……そうか、そなたはそう言ってくれるのだな。……俺は同意見だ。そなたをもっと信頼したいと思っている。だから、次からは可能な限り打ち明けると約束しよう」
レナートはそう言って、自らの頬に重ねられたアストリッドの手を掴み、その手首に唇を落とした。アストリッドがそのくすぐったさに思わず身を震わせる。
「レ、レナート?」
「仲直りの証だ」
(ふええぇぇ……)
ものすごく恥ずかしいと、アストリッドは身をよじる。
頭の中はピンク色に染まりつつあった。だが、このまま負ける訳にはいかない。反撃して、彼を自分に惚れさせなくてはいけないという使命感が彼女の口を動かした。
「あら、それなら、もっとふさわしい場所があるのではありませんか?」
そう言って、ほんのわずかにおとがいを上げた。上を向いただけとも、キスをねだっているとも受け取れる曖昧な仕草で蠱惑的な笑みを浮かべる。
とたん、レナートの顔が赤く染まった。
(こ、これは、キスをねだられているのか? だがここは王城の廊下だぞ!?)
慌てて周囲を見回すが、目の届く範囲には誰もいない。
「……レナート?」
アストリッドの瞳がわずかに揺れている。潤んでいるようにも見えるが、不安に揺れているようにも見える。実際、アストリッドは叫んで逃げ出したいくらいに限界だった。
だが、アストリッドが逃げる寸前、レナートは拳をギュッと握った。
(そうだ。俺は彼女を不安にさせてしまっている。互いの立場が疑わせるのだとしても、いや、だからこそ、可能な限りは彼女を信じ、歩み寄るべきだ)
レナートは覚悟を決めて一歩を踏み出し、アストリッドの腰に手を回す。
そうして廊下に伸びる二人の影は一つになった。けれど、キスされた訳ではない。レナートはアストリッドを抱き寄せ、その耳元に唇を近づけ――
「アストリッド、そなたに話がある」
ハシゴを外されたアストリッドがすぅっと息を吸った。




