エピソード 3ー2
アストリッドとレナートとバルドル。三者三様に疑心暗鬼に陥いった三人は警戒心を露わにしながら下流にある小さな橋を目指す。
だが、疑心暗鬼にとらわれた一行の歩みは遅く、もう何度目かも分からない休憩に入っていた。
(なにかがおかしいわ)
馬を休ませながら、アストリッドは独りごちる。
このルートを選んだのはレナートとバルドルの二人だ。
つまり、どちらが黒幕であれ、いつ仕掛けてきてもおかしくない。むしろ、いまもまだ仕掛けられていないことが不思議なくらいである。
だから――と、アストリッドはレナートの元に歩み寄った。
「レナート、少し話があります」
「……その顔、重要な話のようだな。付いてきてくれ」
レナートはそう言って川辺に向かう。
「ここなら盗み聞きの心配はない。おまえ達は下がっていろ」
「レナート王太子殿下、二人になるのは危険です」
「彼女は俺の婚約者だ」
「しかし――いえ……失礼いたしました」
護衛の騎士は不承不承ながら距離を取った。それを見送ったアストリッドは「彼らはわたくしを警戒しているのですね」と口にした。
「不快な思いをさせたのならすまない」
「いいえ、この状況でわたくしを疑うことは当然の流れですから」
「……それは、まあ……可能性として否定はしない。そなたではなく、グラニス竜王国がなにかを企んでいる可能性は零ではないと思っているからな」
婚約者としては失格の答え。
けれど、王族であるアストリッドは好ましいと思った。
「……貴方が正直に答えてくれたので、わたくしも正直に答えます。貴方の望みでなくとも、マギノリア聖王国が仕掛けた謀略の可能性はあるかもしれないと。わたくしは疑っています」
アストリッドの答えに、レナートはわずかに目を見張った。
「……そうか、いやこの状況であれば無理もない」
「申し訳ありません」
アストリッドはわずかに目を伏せる。
だが、そんなアストリッドの頬にレナートの指先が触れた。
「気にする必要はない。政略結婚である以上、互いの立場が違うのは仕方のないことだ」
「そうですね。でも……疑ってばかりもいられません」
自らの頬を撫でるレナートの手に、自らの手をそっと添える。そのとき、二人の服を揺らすように一陣の風が吹き抜け、ぴりついた空気を押し流していった。
甘い雰囲気が二人を包み、川を流れる水音だけが響いている。
その時間が五秒、十秒と続く。
ほどなく、アストリッドはレナートの手を頬から剥がし、不意に口を開いた。
「……おかしいとは思いませんか? もしも貴方かわたくし、どちらかの謀略であるならば、最初からこうやって相手の信頼を得るべきでした」
「他に疑わしい人間がいるからか?」
レナートの問いに、アストリッドは小さく頷いた。
この状況で一番疑わしいのは、軍縮に反対していたバルドルだ。彼が結界の魔導具が上手く作動しないように、細工をした可能性は決して低くない。
つまり、怪しいのはバルドルだから手を取り合おう――と相手を油断させて後ろから刺す。それがアストリッドかレナートが黒幕だった場合の最善手。
なのに、二人は互いを警戒し続けていた。
「わたくしは、わたくしを疑っていた貴方を信じます」
「ならば俺も、俺を疑っていたそなたを信じよう」
現状で出来る最善手。
レナートは息を吐き、「ならば黒幕は……」と振り返る。彼が視線を向けた先には、部下に指示を出しているバルドルの姿があった。
それに対し、アストリッドは、「いえ、それも違うかもしれません」と口にした。
「……どういうことだ?」
「彼が黒幕であるならば、その目的はなんだと思いますか?」
アストリッドが問うと、レナートは少し考える素振りを見せた。
「……そうだな、軍縮の撤回……あるいは、戦争の再開あたりではないか?」
「わたくしもそう思います。グラニス竜王国の兵に扮した部隊で貴方を襲撃し、わたくしを首謀者として捕らえれば……」
「彼は手柄をあげ、戦争再開の口実すらも得ることが出来る、という訳か」
この場合、講和の仲立ちをしたヴェルディア商業連合のメンツを潰したのは、グラニス竜王国と言うことになる。戦争再開の口実としては上々だろう。
「ですが、動きが遅すぎます」
「下流の橋で仕掛けるつもりではないか?」
「可能性はありますが、あまりに分かりやすすぎます。そもそも、わたくしが下流の橋に向かうことを反対した本当の理由は、それがバルドル将軍の進言したルートを通ることになるからです」
いま、一行はバルドルの思惑通りに動いている。それを前提とするならば、伏兵による奇襲を仕掛ける場所はいくらでもあった。
だからこそ、一行は神経をすり減らしていたのだ。
「……たしかに、な。バルドル将軍が黒幕なら、彼が率いる兵士もまた彼の味方であるはずだ。ならば、奇襲を成功させるなど造作もないこと、という訳か」
「むしろ、時間を掛けるほど成功率は下がります。なのに、まだ仕掛けてこない」
明らかに不自然な状況。
「謀略にも長けた彼が、そのようなミスをするはずがない、と?」
「ええ。それゆえに、彼は黒幕ではないのかもしれません」
アストリッドの言葉に対し、レナートは考えを巡らせる。
(たしかに、バルドル将軍ならばもう少し上手くやるはずだ。ならば、そうやって俺の信頼を得ようという、アストリッドの策略? いや、それも不自然だ。だとすれば……)
レナートが考えに耽る間、アストリッドもまた考えを巡らせていた。
(やはり、バルドル将軍が黒幕ならこの状況は不自然よ。げんに、こうしてわたくしとレナートが誤解を解いてしまった。ならここで考えられる黒幕は……)
「「――ここにはいない第三者」」
レナートとアストリッドの声が重なった。
(これは可能性の話。外れている可能性もゼロじゃない。だけど――)
レナートも同意見なら/アストリッドも同意見なら。
――信じるだけの価値はあると小さく頷きあった。二人はどちらからともなく並び掛け、バルドルの元へと歩き始めた。
警戒心から、レナートの護衛騎士と、バルドルの率いる兵士は互いに距離を取っていた。護衛の騎士が慌てて同行を申し出るが、レナートはそれを拒絶する。
そして――
「レナート王太子殿下、それにアストリッド王女殿下、二人揃ってなんのご用でしょう? このような状況で護衛を一人も連れていないのは危険ですぞ」
「なにを言う。護衛ならばそなたとその兵がいるだろう」
レナートの言葉に、バルドルはわずかに片眉をあげた。それからわずかな沈黙を挟み、手振りで自分の周囲に控えていた兵達を下がらせる。
「……どうやら、ワシの想定外の事態になっているようですな」
「ああ。本音を言えば、俺も想定外だ」
「わたくしも右に同じ、です」
三者三様に事態が把握できていないと口にする。わずかな沈黙を経て、レナートが「バルドル将軍、そなたの率直な意見を聞かせてくれ」と口にした。
「……率直な意見、ですか?」
「俺とアストリッドは既に、それぞれが違う立場であることを確認し合った」
オブラートには包んでいるが、互いに疑っていたことを口にする。それに対してバルドルは目を見張り、それから静かに頷いた。
「そこまで話されたのなら、ワシも正直に申し上げましょう。軍縮に反対するワシが、お二人の目指す道には不要だったのか――と、考えておりました」
「考えていたと言うことは、いまは違う、と言うことか?」
「二人が護衛を連れていないのは、そういうことなのでは?」
バルドルの言葉に、アストリッドはレナートと頷きあう。
それから、バルドルに向かって口を開く。
「わたくしはむしろ、貴方が戦争再開の口実を作ろうとしているのだと疑っていました」
「戦争再開の口実? ワシは平和を願っていると申したはずですが?」
「ですが、軍縮を反対していたでしょう? それに、レナートから、戦争の継続を願う者達が、貴方の元に集まっているとも聞いていました」
「それはむしろ、過激な行動を取らぬように説得をしていただけです」
心外だと言いたげな表情。アストリッドは、「バルドル将軍、あの魔導具を設置した部隊を率いていたのはどなたですか?」と尋ねる。
「それは……っ。まさか――いや、もしかすると……」
不意にバルドルが思案顔になり、レナートが「なにか分かったのか?」と続きを促した。
「あの魔導具を設置した部隊を率いていたのはコンラートです」
「そなたの副官か? だが彼は、いつも軍縮の反対を求めるそなたを諫めていたはずだ」
「ええ。ですが、だからこそ、戦争継続を願う者の説得にも積極的に関わっておりました。もしも、それが目的なのだったとしたら……」
「そういう、ことか……」
説得する振りをして、戦争再開を望む仲間を集めていた可能性がある。
(バルドル将軍ではなく、その副官が黒幕。もしそうだとしたら、まだ襲撃されていないことにも辻褄が合うわね)
コンラートが犯人の場合、バルドルの率いる兵士は味方になる。レナートの護衛騎士達と、バルドルの率いる兵士の両方を打ち破るのが前提であれば襲撃の難易度は上がる。
よって、襲撃のポイントも限られてくる。
――たとえば、細い橋を渡る途中、とか。
アストリッドがその可能性に至ったとき、バルドルもまたその琥珀色の瞳に理解の光りを灯した。そうして、レナートへと向き直る。
「レナート王太子殿下、意見を撤回させてください。近くにある下流の橋を渡るよりも、上流にある大きく丈夫な橋を渡る方が安全だと考えます」
「……ああ、俺も同じことを考えていた」
レナートは静かに頷き、それからアストリッドに視線を向けた。
「ということだが、アストリッドはどう思う?」
「……むろん、わたくしも異論ありません」
(彼らは明日、敵になるかもしれない。でも、今日は味方であると信じるわ)
そうしてアストリッドが精一杯の笑みを浮かべると、再び強い風が吹き抜ける。水と草の匂いを含んだ風が、彼女の緊張をそっと攫った。




