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透明な彼と真っ黒な彼女  作者: 栖川 葵依
最終章 赦しと再生
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第9話 ほんとにずるい

 廊下から吹き込んだ風がノートの端をめくった。

 昼休みのざわめきとチョークの粉の匂い。

 その中にいつもの四人が自然と集まっていて、私は机に腕を乗せたままその輪の真ん中にいた。


 佑磨くんと目が合った瞬間、胸がそっと跳ねた。

 昨日の海の光がかすかに揺れて、すぐ今日の色に戻っていく。


「今日さ、放課後どうする?」


 梨沙の声が軽い風みたいに響く。


「カフェ行きたい〜。甘いの飲みたい」

「夏休み前ってさ、授業あるのに気持ちゆるゆるしない?」

「じゃあカフェでダラダラすんのもアリだな」


 佑磨くんの声が耳にそっと残る。

 昨日の余韻じゃなくて、今日の彼の声。


「それ! 最高!」

「じゃ、駅前ね。混む前に行こ」


 その瞬間、美羽が自分の席でプリントをぱたんと閉じ、振り返る。


「え、カフェ? いいなぁ〜」


 美羽の後ろの席から遥がちょっとだけ身を乗り出す。


「……瑠奈、今日なんか嬉しそう」


 舞はペンを持ったまま、机に軽く手をついて輪に加わった。


「最近そっちのメンツ楽しそうだよね」


 梨沙がすぐ反応して笑う。


「それな〜」


 みんなの声が重なって、教室の光といっしょにじんわり広がっていく。


 ……こうやって笑えるのがなんか幸せすぎる。


 放課後のチャイムが鳴った。

 教室の空気がふっと軽くなる。

 昼休みの続きみたいに笑いながら荷物をまとめて、私たちは自然と同じ方向へ歩いていった。


 廊下には夏休み前特有のざわざわ。

 窓から差し込む光が少し傾いて、床の上に淡金色の影を落としていた。

 その光の中を抜けて階段を降りる。


「カフェ、混む前に行こ」


 誰が言ったのか曖昧なまま、みんなが同じ方向に体を向ける。

 私もその流れに乗って歩きだす。


 外に出た瞬間、アスファルトの熱気が頬に触れた。

 だけど、不思議と涼しくて。

 昨日じゃなく今日の私たちで満たされていく感じがした。


 そして、カフェのドアが開く音がして、冷房の涼しさとアイスコーヒーの香りが迎えてくれた。


 ガラス越しの光は淡金色で、溶けかけた氷が静かに揺れた。

 テーブルの上にプリント、スマホ、消しゴム。

 仲良しのいつもの風景のはずなのに、どこか少しだけ新しい。


「はいこれ〜ソルグラム用!」

「ちょ、待って。勉強する気ゼロじゃん」

「え、だって可愛いじゃんコレ撮っとこって思って」

「撮る前に勉強しろって。夏休み前のプリント、今日やっとこ。ほらノート」

「はぁ〜い……てか、これどこからだっけ?」

「ここ昨日の授業の続き」

「え、うそ。先生の話聴いてなかった〜」

「知ってた。ずっとストロー噛んでた」

「え、見てたの?」

「見てたよ。バカじゃん」

「ひど!でもちょっとわかる……ってか無理!眠かったもん」

「言い訳すな」

「うるさい〜〜〜」


 美桜がプリントをぱらぱらめくりながら、ストローを噛んでいる。

 梨沙はペンを回しつつ、すでに脱線しかけてた。


 佑磨くんが私のプリントをひょいと指で引き寄せた。


「じゃあここからいこっか」


 その自然さにドキドキしてしまう。


「ありがと……」

「ねぇ! 彼氏に教えてもらえるとか青春すぎじゃん!」

「はい集中〜、集中〜」

「梨沙!!!……」


 耳の先まで熱くなる。

 アイスコーヒーの冷たさじゃ消えない。


「ほら、真っ赤」


 紗月に触れられた声がくすぐったくて。

 でも嫌じゃない。むしろもっと笑われたくなる自分がいた。


「ねぇ、ここの答えってなんだっけ?」

「見て。もう間違えてて笑うんだけど」

「いや笑うんじゃないし! やめて!」

「ねぇ、美桜。このイラスト必要?」

「必要。気分上げるためのやつ」

「上がってるの美桜だけだよ」


 笑い声の中で、プリントが行ったり来たりする。

 進んでるのか進んでないのかわからないけど、こうやって誰かと机を囲んでる時間がやっぱり楽しくて、二度と独りにはなりたくない。


「ちょっとこれ教えてよ、ねぇ是枝くん」

「はいはい、まずここ覚えて」

「先生かよ〜」

「先生より優しいでしょ」

「それはそう」


 梨沙が勝手に相槌を入れて、また笑いがこぼれる。


「ねぇ、休憩しよ。甘いの頼もうよ」

「え、もう?」

「いや、プリント進んでなさすぎて逆に笑う」

「大丈夫。誰も進んでないから」


 ゆるんだ笑い声と淡金色の光。

 勉強なんてしてるようで全然してないみたいで。

 だけど、それが今日はすごく心地よかった。


 夕方の風が優しくて、歩幅も自然とそろっていく。

 風が足元をすべるたび、私の頬まで小さく触れていくみたいだった。


「この5人で歩くの前より楽しいんだけど」

「ね。空気軽い」

「てかさ〜、二人で帰る日もあるんでしょ?」

「え、な、何もしてないし!」

「絶対うそ。はい想像しちゃった〜」

「想像は心ん中で〜」

「……お前ら容赦ねぇな」

「容赦なくていいじゃん〜」

「ほら、瑠奈が照れてる」

「ちょっ……見ないで……」


 笑う佑磨くんの声。それを聞くだけで重荷がひとつ溶ける。

 その笑い声が小さな太陽みたいにあたためていく。


「でも、良かったよ。ほんとに」


 紗月のその声は夕日の色みたいに柔らかい。

 ふっとあたたかくなる。


 歩いてるうちに気づいた。私の歩幅に佑磨くんの歩幅がそっと重なってきてる。


「……ねぇ、ちょっとさ」

「ん?」

「なんか……隣…近くない……?」

「近いほうが良くない?」

「っ……そ、そういうこと言わないで……」

「言わないと気づかないかなって」

「気づくし……余計にドキドキするし……」

「それなら言ってよかった」

「もう!!」


 その小さなからかいだけで心臓が跳ねた。


 歩きながらそっと手が触れた。

 触れた瞬間のあの温度が静かで、やけに近かった。佑磨くんの指が私の指を探して、絡めてきた。


「……っ」


 驚いて息が止まる。

 けれど、そのまま私は――ちゃんと握り返した。

 指先があたためられていくのがわかる。


「やだ〜、手繋いでるのバレバレなんだけど〜」

「騒ぎすぎ」

「でも、お似合い」

「え、ちょ……やめてって……」

「……別にいいけどな、俺は」


 佑磨くんが少しだけ声を落として言った。

 その声音がずるいくらい近くて、胸がぎゅっと痛い。


 夕風が淡く吹き抜ける。

 私たちの影が少しだけ近づいた。

 その影が触れた瞬間、またひとつ溶れた。


 指を離したあとの手の温度だけが帰り道の最後まで残っていた。


 静かな部屋にスマホの光だけが揺れてる。

 ベッドの白い色がスマホの淡い光でゆっくり染まっていく。


 〈今日、手繋げてよかった。なんかずっと思い出してる〉


「……っ、なにそれ……ほんと……」


 画面を見た瞬間、声にならない息が漏れた。

 枕に顔を埋めても、心臓の音が響く。


 夜なのに明るい。

 苦しいほどに。


「ずるい……」


 指先で画面を撫でる。

 触れたところだけじんわり熱くなる。

 体が勝手に布団の中で小さく転がって、丸くなってしまう。


 既読がつくまでの数秒が長くて、息を止めてしまう。


 〈瑠奈、ちゃんと休めよ。明日も一緒に帰りたいから〉


「……はぁ……なにそれ……ほんとにずるい……」


 声にならない声がこぼれた。

 スマホに落ちる自分の影が揺れて見える。


 〈……ううん、起きてる。私も佑磨くんと話してたい〉


 送信を押した瞬間、胸が跳ねてまた布団に沈む。

 横向きになって抱え込んだ腕が熱い。

 画面の光が頬に落ちて、そこだけ火照る。


 〈俺も。瑠奈のこと好きだし〉


「………もう……佑磨くんのばか……」


 枕に顔を押しつけて、呼吸がまとまらない。

 手のひらまで熱くて、どうしたらいいかわからない。


 ――昨日じゃなくて、今日が嬉しい。

 昨日の思い出じゃなく、今日の私たちがちゃんと更新されていく感じ。


 夏休み前のーーこの軽い空気の中で。


 彼への想いが付き合う前よりも……静かに日常に溶けていく音がした。

 その音はぱちんって小さく弾けて、消えずに残ったまま、眠りにつく最後の瞬間まで続いた。

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