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透明な彼と真っ黒な彼女  作者: 栖川 葵依
第1章 出会いと始まり
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第6話 綺麗なノート

 昼休みのチャイムが鳴ると教室の空気が一気に色を変える。

 さっきまでの授業の匂いが消えて、ランチの時間の匂いと声がいっせいに満ちていく。


 弁当箱のフタがぱちんと開く音、購買で買ってきた袋のガサッとした音。

 それだけで昼休みが始まったってわかる。


 梨沙が一番に立ち上がって、あたしの机をガタリと横に引き寄せる。


「ほい、ランチ会場開店〜!」

「また〜?」


 紗月が笑いながら机を自分の席からくっつける。机の脚が床をこすって甲高い音が鳴る。


 柚菜も最後に椅子を持ってきて、机が四角に並ぶとそこだけ秘密基地みたいな空間になった。


 机をくっつけて女子会が始まると周りの教室の音が少し遠くなった気がする。

 ここだけ小さな島みたいで自然と笑い声が大きくなる。


「今日のネタ〜!」


 梨沙がスマホを掲げて画面をみんなに見せる。Rouge de Luneの新作リップの広告だ。


「え、やば!この限定色かわいすぎ!」

「昨日、ソルグラムで見た!しかももう予約始まってるやつじゃん」


 柚菜も画面を覗き込んで声が一段高くなる。


「放課後はChouchou行こ」

「いいね。行こう。ついでにスマホケース見たい。今のちょっと飽きたし」


 柚菜も同意して、紗月がストローをくるくる回しながら私もステッカー欲しいんだよねと言った。


「じゃあ全員で行こ。プリクラも撮りたいし」


 梨沙が楽しそうに言って机の上の空気がぱっと明るくなる。


「その後Starlatteね」

「Starlatte今日、新作出てたんだよね」

「行こ行こ〜。甘いやつ飲みたい」


 小さな輪がどんどん広がって他の女子も混ざってくる。

 何の話〜?と覗き込まれてリップの新色と明日の放課後プラン!と梨沙が答えるとさらに盛り上がる。


 誰かがあたしたちの会話に混ざってくるのはもう当たり前みたいな風景になっている。

 教室の真ん中でわいわいと声が重なり合う。


 休み時間になり教室に戻る。

 席に着いた瞬間、さっきの物理のグラフの形が頭の奥でもう一度ざらっと引っかかった。


 斜面、速度、加速度……。

 ノートを開いても、どうしても最初の部分が腑に落ちないままだった。


 ページをめくる手が少し止まって、胸のあたりがじわっと重くなる。


 それでも隣に声をかけるまでの間がいつもより妙に長い。

 周りでは友達同士がプリントを見せ合っていて、そのざわつきが少しだけ背中を押してくれる。


 勇気を出して横を向く。


 是枝くんはまだ問題を見直していて、ペン先がカツカツと小さく一定のリズムで紙を叩いていた。

 考えているときの癖なのかもしれない。

 その静かな音が余計に言い出しにくくさせる。


「あのさ……さっきの加速度のとこ。もう一回だけ見せてくれる?」


 言ってしまった瞬間、呼吸がほんの少しだけ浅くなる。


 顔を上げた是枝くんが一瞬だけ目を瞬かせる。驚きというより確認するみたいな小さな動きをして、ああという声と一緒にノートを半分こちらへずらしてくれた。


 机の中央でノートが止まり、光が紙の上に落ちる。


 矢印と数字が整ったノート。

 丁寧な字とそろった計算式。

 線の太さも均一で、読みやすさのために必要なものだけが置かれている感じがした。


「ここ斜面の成分を先に分けておくと楽なんだよ」

「……あ、そっか。だから最初の値がゼロになるんだ」

「うん。そのまま代入すれば形そろうよ」


 説明は淡々としているのに、不思議とわかりやすい。

 声を張らないのに聞き取りやすいのは抑揚がちょうどいいからなんだと思う。


 言葉を失うほど感動したわけじゃない。

 でも、わからないことが一つ減るだけで気持ちが少し軽くなる。


 ページの余白に自分でもメモを足す。

 書きながらほんの少しだけ横目で彼のノートを見てしまう。

 近すぎるわけじゃないのに距離が妙に残る。


「こういう問題パターンつかめば早いよ」


 さらっと付け足すように言われて、思わず顔を上げる。


「……パターンつかめるかな」


 口に出した自分の声が思ったより小さくて、そのぶんだけ余計に素直に聞こえてしまった気がした。


 彼は自分のノートの端を指で軽く叩く。


「ノートほんとに見やすいね。字も綺麗だし」

「……ありがとう」


 彼は視線をほんの少し逸らして、ページの端にペン先をそっと置き直す。

 紙の上に静かな音が落ちて、また淡々と書き込みに戻った。

 その横顔の落ち着きに胸のあたりがふわっとゆるむ。距離感は変わらないのに空気だけが少しやわらかくなった気がした。


「……説明ありがと」

「ううん。もう大丈夫?」

「うん、多分。あとは自力でやる」


 周りでは梨沙たちの笑い声や椅子のきしむ音が混ざっていて、その中でこの小さな静けさだけが不思議と耳に残る。

 是枝くんに気づかれない程度に小さく溜め息を吐く。


 すぐ仲良くなるわけでもない。

 特別な会話が生まれたわけでもない。

 でも隣にいて話が通じる人 がひとり増えるだけで、教室の景色がほんの少しだけ違って見えた。

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