第5話 茜色に染まる校舎で
西の空が茜色に染まって、校舎の窓からこぼれる光が地面を細長く照らしていた。
校舎裏の通路は人の気配がなく、風に揺れる木々のざわめきと自分の靴音だけが響いている。
遠くで吹奏楽部のトランペットがかすかに聞こえ、グラウンドの方から野球部の掛け声が風に混じって届いた。
スクールバッグのストラップをぎゅっと握りしめる。
心臓の鼓動が響いて、足の先まで震えるようだった。
逃げないとそう昨日に決めたはずなのに、いざ目の前にすると喉がからからに乾く。
息をするたびに胸が苦しくなって、声が出せなくなる。
けどそれでもーー。
私は深く息を吸い込んで、前を見た。
夕陽に照らされた校舎の影の中に彼が立っていた。
制服のシャツの袖を少しだけまくって、風に髪が揺れている。
光が斜めに差し込み、その輪郭が少しぼやけて見えた。
「……ごめん、待った?」
声に出した瞬間、心が少しだけ軽くなった。
「いや、今来たところ」
彼が顔を上げて、ふっと笑う。
その笑顔を見ただけで、怖さと嬉しさがいっしょに込み上げてきて、呼吸が浅くなる。
「……佑磨くん」
声にした瞬間、こわかった。でも、言葉を飲み込むのはもっとこわかった。
「私……ずっと迷ってた――」
言葉が空気に溶けると同時に、風が一段と強く吹き抜けた。
外の空気は夏の匂いが混じって少し甘い。
頬に当たる風のあたたかさが、泣き出しそうな胸の奥をやさしく撫でた。
「――あの時の返事、ずっとできなくてごめん。怖くて、どうしても言えなかった。佑磨くんの言葉がずっと心の中で消えなくて……」
言葉を紡ぐたびに、心臓の音がバクバクと鳴る。
佑磨くんは何も言わずに、ただ静かに聞いてくれていた。
「私ね。たぶん――
前から佑磨くんのこと好きだったんだと思う。
自分なんかが誰かを好きになっていいのかって、ずっと怖かった。
でも、もう逃げたくない。だから――
――佑磨くんのことが好きです。
こんな私だけど……付き合ってください」
佑磨くんはしばらく何も言わなかった。
視線を落とし、ゆっくりと息を吸い込む。
その間の沈黙が永遠みたいに長く感じた。
でも――次の瞬間。
「……瑠奈」
彼が私の名前を呼んだ。
その声がいちばん深いところに届いた気がした。
視線を上げると、彼の目がまっすぐに私を見ていた。
「……俺、瑠奈のことが好きだよ。いろいろあったのは分かってるけど。俺が好きなのは今の瑠奈だし。たぶんこれからもそうなんだと思う」
一瞬、呼吸が止まった。
その言葉が触れた瞬間、何か硬く凍っていたものがゆっくりと溶けていくのが分かった。
張りつめていた心がふわっとほどけていく。
頬を伝う涙が止まらないのに、不思議と軽かった。
息を吸い込むたびに、世界の光が少しずつ近づいてくる。
佑磨くんがそっと手を伸ばして、私の髪を耳にかけた。
指先が頬にかすかに触れた瞬間、体がびくんと震えた。
でも、それは痛みじゃなくて、あたたかさに包まれるような感覚だった。
――もうあの時みたいに誰からも言葉が返ってこないかもしれないって、ずっと怖かった。けど今、その声が確かに私の中に届いている。
「……ありがと」
声にした瞬間、涙がまたあふれた。
彼が笑う。その笑顔があまりにもやさしくて、息をするのも忘れそうになる。
気づいたら、スクバを床に置いていた。
考えるより先に身体が動いて、私は佑磨くんの胸に飛び込んでいた。
制服の生地が頬に触れる。彼の体温がすぐそこにあって、心臓の音が重なる。
「ねぇ。佑磨くん……好きだよ」
かすれた声でそう言うと、彼の腕が少しだけ強くなった。
「……俺も。瑠奈がここにいてくれることがただうれしい」
夕陽の光の中で、二人の影がひとつに重なる。
校庭の向こうで風が起き、木々がざわめいた。
夕陽の光が金色に変わり、空の色が少しずつ深まっていく。
頬に当たる制服の生地の匂い。
鼓動が重なり、私は静かに目を閉じた。
――あの日失ったと思っていたものが、ちゃんとここにある。
そしてもう一度、私は生きていける。
ここまで来るのに、長かった。
もう、ここで最終話でいいんじゃないか??と思ってしまいますが、まだ物語は終わりではありません。
瑠奈が新汰とどう決着をつけるのか、最後まで彼女の物語を見届けていただけると幸いです。




