第14話 居場所はもうここにしかない
風の匂いが冬に近づいていた。
駅のホームに立つと、吐いた息が白く滲む。
コートの袖から出た指先が冷たくて、スマホを握る手が少し震えた。
画面の通知は今日も何もない。
新汰くんの名前を見つけても、もう指が動かない。
電車が滑り込んでくる。
車内の暖かさに包まれながら、あたしは窓に映る自分の顔を見た。
どこか他人みたいな目をしていた。
ガラスの向こうで景色が流れていくたび、心の輪郭も薄れていくような気がした。
マンションの部屋に入ると、暖房の音と柔らかい照明が出迎えてくれた。
テーブルの上には開けかけの缶チューハイと灰皿。いつもの光景。
缶の横に置かれたライターの銀色が暖色の光を反射して揺れている。
「寒かったろ」
遥斗くんがブランケットを差し出す。
「うん……風が痛かった」
「ほら、もうこっちは冬仕様だよ」
「やっぱりここ来ると落ち着く」
「だろ?外の空気、冷たすぎるもんな」
あたしは頷きながらブランケットを受け取る。
柔らかい布の感触と一緒に漂うタバコの匂い。
それだけで温まる気がした。
外にいると息が詰まるのに。
この部屋に入ると呼吸が戻ってくる。
もうここがあたしの居場所なんだ。
「飲む?」
「うん。……ちょっとだけ」
「ちょっとだけ……ね。前も言ってたな」
「もう慣れたもん。最近は顔にも出なくなったでしょ」
「確かに。最初の頃は一口で咳き込んでたのに」
「それ言わないで」
何気ない言葉。
それだけで少しだけ熱くなる。
この人といると、寂しさを感じない。
でも嬉しいとも違う。
遥斗くんはソファの背にもたれながら、ゆっくり煙を吐いた。
その煙が照明の光を淡く散らして、部屋の空気が揺れる。
あたしはその隣に座って、彼の肩にもたれた。
「もう冬だね」
「そうだな。あっという間だったな」
「うん……なんか早かった」
「今年、いろいろあったろ。まあ、悪くはなかったんじゃない?」
「……うん。悪くなかった」
その返事のあと、遥斗くんの手がそっと伸びて、あたしの頭を撫でた。
指先が髪をすくうたびに、静電気みたいな熱がじんわりと広がっていく。
力を抜くと、肩の上で呼吸の音が重なった。
「頑張ったな、今年」
「……そんなことないよ」
「いや、瑠奈ちゃんは頑張ってた。ちゃんと見てるから」
「嬉しい」
その言葉がゆっくり染みていった。
あたしは少しだけ顔を上げて、彼の横顔を見つめる。
唇に触れるたび、世界の輪郭がゆっくりと溶けていく。
もうこの温度でないと落ち着かない。
まるで呼吸みたいに。
缶を傾けると、氷の音が小さく鳴った。
アルコールの甘い匂いがゆっくりと喉に降りていく。
もう苦いとも思わなくなっていた。
季節は変わっていくのに、あたしたちは同じ場所にいる。
まるで時間だけが遠くへ進んで、あたしだけ取り残されたみたいだった。
遥斗くんがあたしの髪を指先で梳きながら、「寒いな」と小さく呟いた。
その声が耳元で溶けて、きゅっと縮む。
また唇が触れる。短いのにその温度に包まれると、体の芯がゆっくりとほどけていく。
この人の息づかいがあれば。
季節なんてどうでもいい。
時間が止まってくれたらいい。
もう私はここ以外で生きていける気がしない。
窓の外の街はイルミネーションの灯りで静かに光っていた。
その光がカーテン越しに部屋を染めて、ふたりの影を淡く重ねた。




