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透明な彼と真っ黒な彼女  作者: 栖川 葵依
第3章 崩壊と喪失
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第12話 真夏の蜃気楼

 窓の外の空がゆっくりと赤から灰色に変わっていく。

 遥斗さんの部屋のカーテンは少し開いていて、そこから入る風が冷たくなり始めていた。


 テーブルの上には開けかけの缶チューハイ。氷が半分溶けて、底で小さく音を立てている。テレビはついているけど、音はほとんど耳に入ってこない。


 結局、新汰くんと夏休みに会ったのは二回だけ。

 LIMEの返信も遅くなって、会話はだんだん減っていった。


 画面を開くたびに、既読の文字が少し遅れてつく。

 それを見るたび、指先が冷たくなった。

 でも、今はスマホはテーブルの上に置いたまま。

 通知が鳴らなくても、もう焦らなくなっていた。


 氷が溶けきって、薄まった甘い匂いだけが残る。

 窓の外を車のライトがかすめ、白い光が一瞬だけ壁を滑って消える。

 そのたびに部屋の空気がほんの少し揺れる気がした。


「もう八月も終わるね」


 声に出すと、沈んでいた静けさがわずかに動いた。

 ソファに背を預けていた遥斗さんがゆっくりこちらを見て、口の端だけで笑う。


「早いな。気づいたら夏が終わってる」


 その言い方がいつもみたいに軽くて、でもどこか遠く感じた。

 あたしは頷きながら、缶の残りを指で転がす。

 かすかに金属が鳴って、静かな部屋の中にその音だけが響いた。


 あたし。遥斗さんといるときが一番落ち着く。けど、その落ち着きの中に何が残るんだろう。ぬるくなった空気みたいに、全部がゆっくりと冷めていく気がする。


「今日ちょっと静かだね」

「テレビ消してるからな。……たまにはいいだろ」

「うん。なんか音がないと時間がゆっくりになるね」

「悪くないじゃん。たまには世界が止まってくれたほうが落ち着く」

「止まってくれたらいいのに。ほんとに」

「止まったら、こうしてる瞬間だけ残るかもな」


 あたしはベッドの端に座って、カーテンの隙間から見える街の灯りを眺めていた。

 ビルの窓の明かりが一つ、また一つ消えていく。

 遠くで電車の音が響いて、少し遅れて風が頬を撫でた。


「秋好き?」

「うん。……でも、夏が終わるのはちょっと寂しい」

「じゃあ終わらせなきゃいいじゃん」

「え?」

「こうしてれば夏のままだろ?」


 遥斗さんが片手で缶を持ち上げて笑う。

 氷が小さく鳴って、アルミの音がやけに澄んで聞こえる。

 その無邪気な声に少しだけ締めつけられた。


「……ずるいね。そういう言い方」

「ずるいって言葉、いい意味にも聞こえるな」

「もう」


 あたしが呆れたように笑うと、遥斗さんはまた一口飲んで、目を細めた。


 終わらせなきゃいい。

 その言葉が妙に甘く響いた。


 一日の終わりなのに、ここにいると時間が止まったみたいに感じる。

 現実が遠くに霞んでいくほど、この部屋の温度だけが確かだった。


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