第4話 2週間の停学処分
「二年三組の花園瑠奈さん。至急、生徒指導室に来てください。」
放送で名前を呼ばれた瞬間、心臓が一度止まった。
教室のざわめきが遠のいて、世界の音が一枚の膜に包まれる。
立ち上がるとき、膝が少し震えた。誰かの視線が背中に刺さる。
廊下の蛍光灯がやけに眩しくて、視界が白く滲む。
ワックスの匂いと制服の内側にこもる汗の匂い。
足音が響くたび、体の中で何かが崩れていくような気がした。
どこかでチャイムが鳴っても、それが自分の時間とは関係ないみたいに感じる。
生徒指導室のドアを開けると、三人の大人が横一列に座っていた。
校長先生、大野先生、そして高島先生。
光沢のある机の上には一枚のファイルと数枚の写真。
その一枚一枚があたしを告発する証拠みたいに沈黙している。
カーテン越しの光が淡く差し込み、紙の上の影だけがゆらいでいた。
空気が冷たく張りつめていて、息を吸うたび胸が痛んだ。
窓の外で風が揺れているのに、この部屋だけ時間が止まっているみたいだった。
校長先生が机の向こうで眼鏡を外し、静かに言葉を落とす。
「……花園さん。今回の件、学校として非常に重く受け止めています」
その声が硬質な空気を叩くように響く。
「我が校の名誉にも関わる問題です。SNS上での拡散も確認されていますので、速やかに対応せねばなりません。この件については、花園さんにも報告いたしますし、理事長とも協議します」
言葉の一つ一つがまるで氷の粒みたいに落ちてくる。
逃げ場のない音。
あたしはただ小さく頷くことしかできなかった。
大野先生が短く息を吐いてから口を開く。
「……もう呼ばれた理由についてはわかっているな?」
喉がひりつく。
何かを言おうとしても、言葉が途中で固まって出てこない。
机の上の写真が、光を反射してじっとあたしを見つめている。
「ホテルに入る写真も深夜の路上での行動も確認している。
どれも公序良俗に反していると判断しているが……まずは事実確認からだ」
言葉が並ぶたびに、じんじんしていく。
誰かが遠くでシャッターを切ったみたいに、意識が一瞬ずつ白く途切れる。
その白の中で自分の呼吸だけが現実の証のように続いていた。
ただ机の上の写真が――現実の証拠みたいに、じっとあたしを見返していた。
大野先生が一枚の写真を指で押さえながら、淡々と尋ねる。
「まずこの写真や動画に映っているのは本当に花園なのか?」
蛍光灯の光が紙に反射して、あたしの顔を照らした。
逃げ場のない光。
「……はい。間違いありません。あたしです」
自分の声がまるで他人のものみたいに遠く聞こえる。
喉の奥が焼けるように熱くて、それでも言葉を出さなきゃいけなかった。
大野先生はページをめくり、次の質問を投げかける。
「その人物とはどこで知り合った?」
「……友達に誘われて行ったホームパーティーです。その時に知り合って、SNSを交換しました」
「なるほど。そしてそこから夜に二人きりで会うようになったのか?」
「……はい」
「保護者にはなんと言って外出していた?」
机の上でペンが紙を擦る音。
記録のための文字が淡々と並んでいく。
あたしの答えが一つずつ現実として書き留められていくのがわかる。
誰も感情を乗せない。その無機質な音だけがこの部屋の空気を刻んでいた。
「……梨沙たちの家に泊まりに行くって言ってました。だけど、本当はその人に会いに行ってました」
言葉を吐くたびにぎゅっと縮む。
嘘をつくより、正直に話すほうがずっと苦しい。
沈黙が落ちた。
誰も動かない。
時計の針が進む音だけが、この部屋で生きている。
涙は出ない。怖いとか悲しいとか、もうその境目がわからなくなっていた。
ただ何か大切なものが静かに崩れていく音だけがする。
「……そうか。もう一度確認するが、君は未成年だ。相手の年齢や飲酒の有無についても学校として確認を取る。いいな?」
「……はい。相手の人は十九歳です。出会った時は十八歳で大学生でした。お酒もたばこもしました」
大野先生は小さく息をつき、眉を寄せた。
「どうしてその時にやめようと思わなかった?怖いとか悪いと思う瞬間はなかったのか」
その問いにあたしは何も言えなかった。
頭の中が真っ白になって、言葉を探す前に詰まる。
何かを答えたら、もう自分が完全に壊れてしまいそうだった。
空気が動くたびに、髪の毛が頬に触れてざらついた。
誰の言葉も現実感がなくて、この部屋の空気だけがやけに重い。
「……すみませんでした」
高島先生が少しだけ息を整えてから口を開く。
「……花園。今回ばかりは言い訳できないぞ。
でも、これで終わりにするかどうかはお前次第だ」
その言葉だけ少しだけ柔らかく響いた。
心臓の音と混ざって残る。
誰も何も言わない時間が何分も続いた気がした。
時計の針の音が妙に大きく聞こえる。
「……少し待っていなさい」
大野先生のその言葉で、三人は椅子を引き、奥の扉の向こうへ消えた。
ドアが閉まる音がして、部屋の中に静寂が降りた。
残された空気がやけに冷たく感じた。
窓の外では風が動いているのに、この部屋だけ時間が止まったままだ。
机の上の写真が視界の端にある。
見たくないのに、目が離せなかった。
どれももう取り返しのつかない証拠の顔をしていた。
指先が震える。
制服の布地が擦れる音が、やけに大きく聞こえる。
時計の針が一つ進むたび、少しずつ沈んでいく。
ーーどれくらい経ったんだろう。
数分なのか、永遠なのか、わからなかった。
ただ誰もいない空間で、自分の呼吸だけが現実を繋いでいた。
ドアが再び開く音。
三人が戻ってきた。
誰の表情も変わっていない。
校長先生が紙を手に取り、静かに言葉を落とす。
「処分が決まった。花園くん。君を二週間の停学処分に処す。従って、その二週間の間は自宅謹慎だ」
高島先生の声がそれに続く。
「花園。この二週間で何を考えるのか、自分が何をしてしまったのか。きちんと反省してこい」
ペン先が紙を走る音がした。
その音があたしの中で終わりを線で引いたみたいに響く。
「……はい」
胸が空洞になって、空気だけが流れ込む。あたしの時間はそこで一度止まった。
ただ静かに音だけが現実を告げていた。
あの音はいまだに残ってる。
判決みたいに冷たくて。
でも、確かにあたしを現実に引き戻した音だった。




