第41話 制服デート
ホームの人混みの中で、あたしは人の肩越しに彼を見つける。
佑磨くんは前髪に軽く束感をつけていて、いつもより丁寧に整えたみたいに見えた。
いつもと同じ制服なのに、休日の朝の光を浴びると少し違って見える。
「……おはよう」
佑磨くんがあたしに気づいて笑う。
その笑顔だけで、もう今日が特別な日になるって分かる。
昨日までの学校では見たことのない表情。
制服の襟元を少し緩めていて、それだけで心臓が跳ねた。
あたしも笑い返そうとしてーーでも、うまく口角が上がらない。
緊張と嬉しさが同じくらいに混ざって、どっちも落ち着かない。
手のひらが少し汗ばんで、バッグの持ち手を強く握った。
「早かったね」
「うん。ちょっとね。楽しみすぎて早起きしちゃった」
彼は小さく笑う。その声の響きが朝のざわめきをやさしく上書きしていく。
あたしの声が少し高くなってるのに気づいて、恥ずかしくて目をそらした。
周りのざわめきが遠くに溶けていく。
電光掲示板の数字が淡く光って、ホームの端で風がひゅうと抜けた。
その風の匂いの中に、少しだけ夏の気配が混ざっている。
スカートの裾がふわりと揺れて、まるで時間ごとそこに置き去りにされていくみたいだった。
銀色の車体に朝日が反射して、その一瞬だけ世界が眩しく光った。
電車のドアが閉まって、空気が切り替わる。
窓際の席に腰を下ろすと、外の景色が少しずつ動き始める。
線路沿いのビルが途切れて、陽射しが車内に差し込んだ。
佑磨くんの横顔に反射した光が、まるで写真みたいで息を止める。さっきよりも少し速い鼓動が続いていた。
「天気もってよかったね」
「だな。昨日まで雨だったもんな」
「うん。佑磨くんはキャットランドって初めて?」
「中学のときに一回だけ。制服で行くのは初めてかも」
制服でっていう響きが、なんだか嬉しくて。特別な約束をしてる気がした。
あたしは窓の外に目をやった。
遠くの空が淡い青で、雲がまだ朝の色をしている。
線路沿いの木々の間から光が差し込んで、車内のガラスにちらちらと映り込む。
「昨日は寝れた?」
「んー……あんまり。楽しみすぎて」
「俺も」
笑いながら言ったその声がさっきまで響いていた。
こうして話してるだけなのに。
どうしてこんなに近く感じるんだろう。
舞浜に近づくにつれて、窓の外に海が見えてきた。
朝の光を受けてきらきらしてる。
潮の匂いがわずかに流れ込んできて、心が少し軽くなる。
「あ、見て。あそこ波立ってる」
あたしも同じ方向を見たけれど、視線はいつのまにか波よりも彼の指先に向かっていた。
駅のアナウンスが聞こえるたびに、手のひらが熱くなる。
電車を降りたら、そこには今日の魔法の世界が待ってる。
夢の中じゃなくて、現実にーー彼と一緒に。
電車がゆっくり止まり、ドアが開く音がした。
あたしたちは顔を見合わせて、小さく笑う。
改札を抜けると、遠くにキャットランドのゲートが見えた。
金色のアーチに朝日が反射して、まぶしいくらいに輝いてる。
潮風が頬を撫でて、あたしの髪を少し浮かせた。
「風が少し強いね」
「そうだね。髪が崩れちゃう」
人の流れに押されながらも、彼と並んで歩いているだけで、周りの喧騒が遠くに聞こえる。
あたしは無意識に歩幅を合わせた。
ほんの少し指先が彼と触れる。
それだけで心臓が跳ねて、言葉が出てこなくなる。
一瞬でも離れたくないって思ってる自分に気づいて、少し恥ずかしくなった。
「……行こっか」
彼がそう言うと、あたしは頷いた。
風に髪が揺れて、彼の制服の袖に少し触れた。
その小さな距離の中で、今日のすべてが始まる気がした。
ゲートの向こうに広がる光が、あたしたちを包み込むように瞬いていた。
舞浜駅を出てすぐの商業エリアにあるゲームセンターの奥のプリクラコーナー。
ガラス越しの光が反射して、壁のネオンがちらちら瞬いている。
まだ朝で人もまばら。
隣のカフェから流れてくる甘い匂いが、機械の電子音に混じって漂っていた。
「あ、ちょっと時間あるね」
少しだけ顔を傾けて笑うその仕草が、なぜかいつもより近くに感じた。
「撮る?」
「うん。せっかくだし」
声が自分でも分かるほど上ずっていた。
機械の中の声が「ラストです」と告げる。
「これどうする?」
そう言った彼の横顔を見た瞬間、胸がふっと跳ねた。
あたしが言葉を探すより早く、佑磨くんが後ろからそっと腕を回してくる。
「え、ちょ、待っーー」
制服の袖がこすれる音がして、背中に彼の胸のあたたかさが触れる。
吐いた息が首筋にかかって、そこから体温がゆっくり広がっていった。
「……動くなよ。ブレるから」
低く笑う声がすぐ耳の後ろで響く。
その声の近さに心臓が跳ねる。
「……うん」
彼のシャツの布越しに別の鼓動が重なって伝わる。
そのリズムがまるで合わせたみたいに揃って、世界の音がひとつずつ遠ざかっていく。
背中越しに伝わるあたたかさと一緒に、ほんのり甘い柔軟剤の匂いがした。
それが佑磨くんそのものみたいで、息が詰まった。
指先が震えて、手をどうしていいか分からなかった。だけど、動けない。動きたくなかった。
シャッターの光が弾ける。
一瞬の白い光の中で、あたしの中の時間が完全に止まった。
撮り終えてブースを出ると、空気が急に冷たく感じた。
外のざわめきが戻ってきて、あたしの指先が少し震えている。
「……めっちゃ照れたな、これ」
「きょうイチでしょ」
彼の笑顔が照れ隠しみたいで、あたしもつられて笑う。
笑いながらも、まだ背中のあたりがほんのり熱い。
落書きの画面を開いて、パステルピンクとラベンダー、ホワイトのペンを選ぶ。
指で文字をなぞるたびに、もう一度鼓動が鳴った。
プリントが出てくる音がして、その小さな紙の中にあたしたちの一日が閉じ込められた気がした。
ゲートをくぐった瞬間、音楽と風船の色が一気に押し寄せた。
甘いポップコーンの匂い、遠くで響く歓声。
その全部が軽く叩いてくる。
夢みたいって言葉。こういうときに使うんだと思う。
「どこから行く?」
「ミストフォール・キャニオンがいい!」
迷わず答えると、佑磨くんが少し目を細めて笑った。
「いきなりメインだな。びしょ濡れになっても知らないぞ」
「え、それでもいい!」
「言ったな?後で後悔すんなよ」
軽口を交わしながら並ぶ列の間、彼の肩がときどき腕に触れる。
そのたびに小さく息を飲んだ。
水しぶきがあがるたびに歓声が重なって、あたしはずぶ濡れになりながら笑った。
冷たい雫が制服を伝って肌に触れる。
その感触すら嬉しくて、笑いが止まらなかった。
「やば、制服透けてない?」
思わず前を押さえると、彼がすぐにタオルを差し出してきた。
「大丈夫?」
「うん……ありがとう」
その一言の優しさがじんと沁みた。
タオルの端から彼の柔軟剤の匂いがかすかに香って、顔が熱くなるのを隠すようにうつむいた。
「なんか子どもみたいに笑ってたな」
「そっちこそ!」
「俺?いや、ちょっと楽しくてさ」
「ちょっとじゃなかったよ」
お互いの笑いが重なって、それが水の音よりも鮮やかに耳に残った。
次はサンダートレイル・ライナー。
列に並ぶ途中、あたしは手首のブレスレットを直しながら聞いた。
「これ。けっこう怖いやつ?」
「うん。でも叫んだほうが楽しいぞ」
「……じゃあ頑張って叫ぶ」
安全バーが下りる音がして、腕と腕がかすかに触れた。
ほんの少しの接触なのに、心臓が跳ねる。
「落ちるぞー!」って彼が笑う。
その瞬間、風が一気に吹き抜けて、あたしの声と笑いが空に散っていく。
彼の横顔は太陽の光を浴びてきらきらしていた。
耳元で彼の声が混じって、風の中でふたりの笑いだけがいつまでも響いていた。
蜂蜜の匂いがふわっとして、柔らかい光が溢れていた。
小さなぬいぐるみたちがゆっくり動いて、まるで夢の中に迷い込んだみたい。
「これ、瑠奈っぽいな」
急に彼が言って、あたしは思わず笑ってしまう。
「どこが!こんなに丸くないし」
「いや、なんか……雰囲気が優しいとことか」
そう言われて、少し言葉が詰まった。
優しいーーそんなふうに見えてるんだ。
あたしの何かが小さく弾けた。
アトラクションを出ると、太陽がまぶしくて一瞬目を細めた。
次はホーンテッドマンション。
入り口の黒い門をくぐると、空気がひんやりして肌が粟立つ。
「暗いね……」
「大丈夫か?」
「……ちょっと怖いかも」
ほんとは怖くなかったけど、佑磨くんの声をもっと近くで聞きたかった。
カーブの途中、彼の手が少し動いた。
彼の手に自分の指を重ねる。
ふれた瞬間、息がひとつだけ浅くなった。
「……大丈夫?」
「うん、ちょっとびっくりしただけ」
そう答える声が少し震えて、暗闇の中で彼が笑ったのが分かった。
「お化けより今のほうがびっくりしたかも」
「もうやめてよ……」
笑いながら言っても、ずっとドキドキしてる音が止まらなかった。
最後に乗ったスモールワールド。
小さな船がゆっくり流れて、歌声がやさしく包み込む。
世界中の子どもたちが笑ってるのに、あたしの視線は彼の横顔から離れなかった。
「……ちょっと眠くなるね」
「寝てもいいよ、俺起こしてやる」
「やだ。寝顔見られるの恥ずかしいし」
軽く笑い合いながら、船は進んでいく。
水面に反射する光が彼の頬を照らした。
まばたきするたびにきらきらして、その光の粒に触れたくてたまらなかった。
好きって言葉が浮かんできたけど、口にしたらこの景色が壊れてしまいそうで、飲み込んだ。
出口に出ると、太陽が真上にあった。
「お腹すいたな」
「うん……もうお昼かも」
「じゃあ、例のあそこ行く?」
「……うん、行こ」
汗ばんだ指先を制服の裾で拭きながら歩く。
風が吹くたび、ポップコーンの甘い匂いが漂ってきた。
その香りの中で、今日という時間がゆっくり溶けていくのを感じた。




