表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
透明な彼と真っ黒な彼女  作者: 栖川 葵依
第2章 恋のきらめき
52/84

第39話 お揃いのブレスレット

 昨夜は眠る前まで何度もクローゼットを開けて何を着ていくか悩んだ。

 色違いのワンピースを並べてみても、どれも似合わない気がして。


 鏡の中の自分を見つめて、ため息をひとつ。

 それでもすごく今日が楽しみで。

 髪を洗い直して、指先まで念入りに整えた。


 最後に選んだのは白いリボンのついた黒のワンピース。

 肩のラインが少し広めで、胸元でリボンが結ばれている。


 ハーフアップにした髪が肩を撫でるたび、どこか落ち着かなくて。

 でも、少しだけ大人になれた気もした。


 鏡越しに見える自分が、いつもより柔らかく笑っていた。

 その笑顔に気づいた瞬間、少し痛くなる。

 知らない誰かみたいに見えて。

 ほんとうにこれがあたしなのか分からなくなった。


「行ってきます」


 小さく呟いて、玄関のドアを閉める。

 外の空気は思っていたより暖かくて、頬に触れた風がほんの少し甘い匂いをしていた。


 松濤の通りは朝の光で満ちていた。

 風に白い花びらが舞って、信号の赤がガラスに反射する。

 足音がやけに響いて、心臓の音と重なった。

 歩くたびに少しだけ高鳴っていく。

 どこかへ向かうこの感じが、まるで映画のワンシーンみたいで少し照れくさい。


 渋谷駅までの道、イヤホンから流れる曲が今日はうまく入ってこなかった。


 ボーカルの声だけが遠くで響いて、歌詞の意味もよく分からないまま通り過ぎていく。

 スマホを握る手のひらに汗が滲む。


 もうすぐ会える。

 それだけで息が浅くなる。


 駅のホームでは制服姿の後輩たちが何人か集まっていた。

 鞄には小さなショッパーやポーチがぶら下がっていて、これから友達とどこかに出かけるんだろうなって思った。


 その中でひとりだけ私服なのが少し恥ずかしかった。でも、鏡に映った自分を思い出して、ほんの少し背筋を伸ばす。


 構内の女性トイレの洗面台で身だしなみをチェックする。

 何回も確認してるのに、何故か変じゃないよね?って不安になって、もう一度前髪を整える。


 鏡の向こうのあたしは少しだけ息を吸って笑った。


「……おかしくないよね」


 声に出した自分の言葉がガラスの中で小さく揺れた。

 その笑いが自分のものじゃないみたいで、またざわつく。


 表参道駅の改札を出ると、光の粒が降るみたいに眩しかった。

 風が柔らかくて、通りのカフェからコーヒーと甘いバターの匂いがした。

 休日の街はどこも人で溢れていて、ざわめきが遠い波みたいに寄せては返す。


 その中で佑磨くんをすぐに見つけた。


 白いTシャツにグレーのシャツを羽織って、手をポケットに入れたまま、少しだけ上を向いている。

 その何気ない彼の姿だけで、好きって言葉がまた疼く。


 わかってる。もう自分が恋をしてることくらいちゃんと気づいてるし、自覚している。

 それでもこうして会うたびに心臓が忙しくなるのをまだ上手く受け止められない。


 せめて彼にだけは気づかれないように。


「……ゆ、佑磨くん。おはよう」

「おう、早かったな。それに今日の服似合ってるじゃん」


 その言葉に反応したあたしの頬がまた赤くなるのを感じてしまう。そのことを悟られたくなくて、視線を少し逸らした。


「そ、そうかな……ありがと」


 声が裏返りそうになるのを誤魔化して笑う。

 彼と一緒にいるたび、落ち着かなくなる。


 あたしって、佑磨くんにどう接してたんだっけ。

 それすらも思い出せなくて、ぎこちなく笑う。でも、そのぎこちなさは嫌じゃなくて、むしろ心のどこかで安らぎを感じていた。


 風が二人の間を抜けていって、リボンがふわりと揺れた。


 表参道の通りは人で溢れていた。

 ビルのガラスに光が跳ねて、風が通り抜けるたびに木の葉がさらさらと鳴った。

 どこからか音楽が聞こえて、遠くで誰かが笑っている。


 そんな賑やかな音たちの中にいるのに、あたしの耳には隣を歩く足音のほうがずっと鮮明に聞こえていた。


「どこ行く?」


 隣を歩く佑磨くんの声が、ざわめきの中でもちゃんと耳に届く。

 その響きだけで、少し熱くなる。


「うーん……あ、この前、友達が可愛いお店見つけたって言ってた」

「どんなとこ?」

「アクセサリーのお店。可愛いって評判だったの」


 声を交わすたびに風が間を埋めていく。

 言葉の数は多くないのに、沈黙が怖くなかった。

 あたしたちの間には言葉じゃない何かが流れてる気がした。


 曲がり角を過ぎた先に白い壁と花のレリーフが飾られた小さなお店があった。

 通りの光が反射して、ガラスの向こうが淡く霞んで見える。

 あたしは思わず足を止めた。


【Chérie Blanche】って金色の文字がガラスに浮かんでる。

 ショーウィンドウの中で、シルバーとゴールドのブレスレットが静かに光っていた。

 光が柔らかく跳ねて、まるで呼吸をしているみたいだった。


 中に入ると、外の喧騒が嘘みたいに静かになった。

 扉が閉まる音が遠くで溶けていく。

 柔らかい音楽と淡い香水の匂い。

 空気の温度まで変わったような気がして、胸の奥が少しざわついた。


 ガラスケースの向こうで、光の粒が細かく踊っている。

 そのきらめきに吸い込まれるようにして、あたしは自然と一歩近づいていた。


「これ綺麗だね」


 あたしがそう言うと、佑磨くんが少し身を乗り出して覗き込んだ。

 その距離が息ひとつぶんくらい近くて、心臓の音が自分でもうるさいくらい響いた。

 服の袖がかすかに触れた気がして、息が止まる。

 香水の匂いよりも彼のシャンプーの香りがはっきりわかる。


 シルバーとゴールド。


 並んで光ってる二つのブレスレット。

 あたしはついシルバーの方に目をやった。

 指先に触れるガラスの冷たさが、少しだけ鼓動を落ち着かせてくれる気がした。


「どっちが似合うと思う?」


 あたしの声は自分でも少し掠れていた。

 無意識に息を詰めていたせいだ。


「んー……シルバーかな」


 佑磨くんは少し考えるように目を細める。


「落ち着いてる感じが瑠奈っぽい」


 その言葉に思わず息が止まる。


 瑠奈っぽいって、どういう意味だろう。

 落ち着いてる?それとも地味ってこと?

 そんなふうに考えてる自分が可笑しくなって、頬の内側を噛んで笑いを誤魔化した。


「なら、そうしようかな。そっちは?」

「俺は……こっちかな」


 佑磨くんは金色のチェーンを指で持ち上げた。

 太陽みたいな光が彼の指に反射して、その光景に目を奪われる。

 彼の指の節、静かな呼吸、どれもがゆっくり時間を止めていくみたいだった。


「お揃いっぽくない?」


 軽く笑いながらそう言った瞬間、胸がきゅっと縮んだ。


 お揃いっぽい。


 たったそれだけの言葉なのに。

 どうしてこんなに響くんだろう。


 一緒にいることが自然になってきたはずなのに、こんな一言で世界の色が変わってしまう。


「じゃあ……これにしよっか」


 手に取ったブレスレットを光にかざす。

 シルバーの細いチェーンが、指の間できらりと揺れた。


 そのすぐ隣で佑磨くんの手の中のゴールドが同じ光を返している。

 二つの光がほんの一瞬だけ重なりあった。

 まるで目に見えない糸が結ばれたみたいだった。


 レジの白いカウンターの上で、店員さんが淡いピンクのリボンを結んで箱を並べていく。

 リボンの先がふわりと跳ねて、静かな空気の中に柔らかい影を作った。


 その横顔をぼんやり見ながら、あたしは小さく息を吐いた。

 心臓の鼓動がまだ落ち着かない。

 手の中に残る熱が自分のものじゃない気がして、なんだか不思議だった。


 その温度を確かめるように、あたしはブレスレットの箱をそっと撫でた。


 お店を出てから、少しだけ歩いた。

 午後の日差しがさっきよりやわらかくて、通りの木漏れ日が手に持つ小さな箱に反射して、淡い光を散らした。

 ブレスレットのリボンが風に揺れて、それだけで胸の奥が少し熱くなる。


「ちょっと休む?」


 佑磨くんが言って、角のカフェを指差した。


 テラスの向こうではガラス越しにアイスが溶けかけたパフェと笑い合う大学生のグループが見えた。

 その光景を見て、あたしは少しだけ息を整えた。


 さっきまでの胸の高鳴りをなんとか落ち着けるみたいに。


「いいね。入ろっか」


 ドアを開けた瞬間、ふわっと冷たい空気とコーヒーの香りが頬を撫でた。

 店内は午後の光でやわらかく満たされていて、奥のスピーカーから小さなピアノの音が流れている。


 窓際の二人席に座ると、外の喧騒がゆっくり遠くに溶けていく。

 さっきまでのまぶしい街が夢の外みたいに感じた。


「何にする?」

「えっと……ストロベリーチョコフラペチーノ。期間限定って書いてあるやつ」

「俺はカフェラテでいいや」


 あたしが注文ボタンを押す指先を佑磨くんがなんとなく覗き込む。

 その近さに心臓がひとつ跳ねた。


 運ばれてきたトレーの上で、氷の音がカランと小さく響いた。

 ストローを指で押しながら、カップを軽く持ち上げる。


 一口飲んで、思わず笑ってしまった。

 甘いのに少し苦くて。

 口の中に広がるその味がなんだか今のあたしみたいだった。


「……甘い。でも少し苦い」

「だろ。見た目からしてやばそうだったもん」

「でも、美味しいよ」


 ストローの先に残った泡を見つめながら笑う。


 佑磨くんは少し笑ってカップを手に取った。

 その仕草が自然すぎて、つい目が離せなかった。


 指先の動き、まつ毛の影、小さく息を吸う瞬間まで全部が静かなリズムみたいに見えた。


 気づいたら口が勝手に動いていた。


「……一口ちょうだい」

「ん?」

「ちょっとだけ」


 差し出されたカップを両手で受け取る。

 ほんの少し冷たくて、それ以上に彼の指が触れた場所の温度がまだ残っていた。


 飲んだ瞬間、苦みとミルクの味が広がる。


 カップを戻してから、ほんの一拍遅れてあ、これって間接キスじゃんと気づいてしまう。

 息が詰まって、顔から一気に熱がのぼる。

 そんなこと気にしないふりをすればいいのに、頭の中でその瞬間ばかり何度もリピートしてしまう。


 ……何してるのあたし。

 落ち着いて。普通にして。


 それなのに、笑おうとすればするほど指先の震えが止まらなかった。


 あたしはゆっくりと呼吸を整える。

 何も起きていないのに、ずっと熱を持っている。


 彼の言葉や笑い方。

 カップを持つ手の形。

 それらの全部がどうしようもなく優しくて逃げ場がなくなるくらい胸に沁みてくる。


 あたしの世界が少しずつこの人に染まっていく気がした。


 窓の外では風が少し強くなって、木の影がテーブルの上を流れていく。

 その影の中でさっき買ったブレスレットのリボンがそっと揺れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ