第29話 目黒川デート
ホームに吹き込む風がワンピースの裾をふわっと揺らした。
淡いダークグリーンの生地が光を受けて、少しだけ艶めく。
鏡の前で何度も確認したこの服装は落ち着いて見えるのに、ずっとざわついたままだった。
電車がホームに滑り込んでくる。
風が髪をかすかに揺らすと、小さな金のピアスがきらりと光を返した。
つり革を握りながら、車内の窓に映る自分の姿をそっと見つめる。
足元はバックル付きのミドルヒール。
少し背が高くなるだけで、いつもより世界が少し遠く見える気がした。
ガラス越しの景色はトンネルを抜けるたびに光と影を繰り返して、まるで気持ちの中の揺らぎを映しているみたい。
バッグの中には小さなミラーと香水、スマホ、ハンカチ。
リップのキャップがぶつかる音が微かに響いて、それだけで心臓が反応する。
おしゃれしてる自分を確かめるように、ガラスに映った姿勢を少し直してみる。
肩の角度を変えただけで、なんだか他人みたいな自分が映った。
スマホを開くと、LIMEのトーク画面には
〈もう着いた〉と彼からのメッセージが届いてる。
時刻は待ち合わせの10分前。
早く着きすぎちゃったかなと打ちかけて、消した。
言葉にした瞬間、心まで見透かされそうで。
ホームに着くとドアの隙間から流れ込む風が少し冷たく感じた。
季節はもう夏に向かっているのに、心の中だけがまだ春の途中みたいだった。
改札を抜けると、街路樹の間から差す光がヒールの音に合わせて地面に模様を作っていく。
人の波に押されながらも、スマホの画面を見つめて胸が高鳴る。
「……おはよう」
改札の向こうで佑磨くんが片手を上げて立っていた。
白いシャツにネイビーのカーディガン。
黒のスラックスに白いスニーカー。
シンプルなのに清潔感があって、目が離せなかった。
光の加減で髪が少し茶色く見えて。
その瞬間、きゅっと掴まれる。
だけどその理由は自分でもわからない。
「おはよ」
声が少し震えていたのが自分でもわかる。
彼は時計をちらっと見てから、穏やかに笑った。
「時間ぴったりだね。早く来ると思ってた」
「え、なんで?」
「なんとなく」
「そんなことないよ。むしろギリギリ派」
「そう?でも今日の格好、気合い入ってるじゃん。似合ってるよ」
その言葉に心臓が一瞬止まる。
「え、別に……普通だよ」って笑ってみせたけど、ほんとは昨夜から何度も鏡の前で見直してた。
風が吹いて、ダークグリーンのワンピースの裾がふわりと揺れる。
お気に入りのバックル付きのミドルヒールがコツンと地面を叩いた。
ほんの少し香るのは朝出かける前につけたお気に入りの香水。
「……映画館ってあっちだよね?」
「うん、目黒川の方。カフェもその近くだから」
「わ、完璧。さすが中目黒のこと詳しいんだね」
「いや、昨日ググっただけ。前まで栃木だったし、知らないところが多い」
その言葉に少し意外な感じがした。
なんでも器用にこなす人だと思ってたけど、知らない場所で不安になったり、地図を調べたりする姿を想像すると、少しだけ親近感がわいた。
「栃木かぁ……あたし、那須に行ったことあるかも。小学生のとき、家族で別荘に泊まったような……」
「那須? あー、あっちのほうは自然多いよね。冬は雪すごいけど」
「そうそう。朝起きたら一面真っ白で、テンション上がった覚えある」
二人でそんな話をしているうちに、いつの間にか緊張が少しずつほどけていく。
駅前の喧騒が遠く感じるくらいその空気がやわらかくなっていった。
人混みの中を並んで歩く。
肩が触れそうで、触れない距離。
歩幅を合わせるたびに鼓動の音が少しずつ早くなっていく。
すれ違う人たちの話し声や笑い声、カフェの前を通るたびに漂うコーヒーの香り。
そのどれもが映画の前の前奏みたいで、あたしの中の時計が静かに進んでいくのを感じた。




