第九話:黒檻とオリオリダークネス
森の奥は、すっかり夜の闇に包まれていた。
月明かりだけが頼りの薄暗がりの中、
何やら必死な叫び声と、嗚咽のような泣き声が響いている。
「くそっ、開け! 開けってんだよこの野郎!」
「ごめんなさい、ごめんなさいバドルさん…! うぅ…!」
声の主は、バドルとサンサルだ。
サンサルは、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃにしながら、
拾ってきた木の枝で黒い霧の檻をめちゃくちゃに叩いていた。
だが、彼女の非力な攻撃では、自らが作り出した暗黒物質は微動だにしない。
一方のバドルは、檻の中からその様子を眺めていた。
最初はサンサルにブチギレていたが、一時間も経つと怒る気力も失せ、
今はただ呆然と、鞘から抜いた剣で地面を掘り進めていた。
非殺傷の無力化魔法で、自分が無力化されてどうするのだ。
その隣の檻では、ゴブリンがバドルの行動を見よう見まねで真似し、
素手で必死に地面を引っ掻いている。
その光景が、サンサルの罪悪感と恐怖をさらに加速させていた。
結局、二人がその場から解放されたのは、それからさらに数時間後のことだった。
バドルが人一人がようやく通れる大きさの穴を掘り終え、
土と汗にまみれた姿で檻の外へ這い出してきたのだ。
「あ、あの…バドルさん…。本当に、ごめんなさい…」
サンサルが、消え入りそうな声で謝り続ける。
「…いや」バドルは、溜め息をついた。
「俺も悪かった。いきなり頭なんか撫でて。驚かせた」
変に気を使ったせいで照れさせてしまい、魔法が暴発した。
原因の一端は自分にもある。そう結論づけるしかなかった。
月明かりの下、二人は森を後にする。
背後では、ゴブリンがいまだに楽しそうに穴を掘り続けていた。
◇◇
帰り道。エルサドルへと続く街道を、気まずい沈黙が包んでいた。
サンサルは、まだ自分の失態を引きずって俯いている。
このままでは、せっかく芽生え始めた彼女の自信が、
また萎んでしまうかもしれない。
バドルは、彼女の罪悪感を霧散させるため、わざとふざけた口調で話しかけた。
「おい、サンサル」
「…はい」
「あの檻の魔法、なかなか使えそうだから、技名を考えようぜ」
「えっ、技名、ですか?」
サンサルが、ぱっと顔を上げた。その瞳に、わずかに光が戻っている。
「そうだ。いちいち『あの黒い檻のやつ』なんて言ってたら、戦闘中に連携が取れねえだろ。何かいい名前はないか?」
「え、ええと…!」
まさかそんな話になるとは思わず、サンサルは目を輝かせて考え始めた。
「つ、強そうで、かっこいい名前がいいです!
えっと…『スーパー・ウルトラ・グレート・ケージ』とか!」
「却下だ。長すぎるし、ダサい」
「じゃあ、『檻』だから…『オリオリ・ダークネス』とか…?」
「なんだそのふざけた名前は。小学生かお前は」
バドルは呆れ果てたが、サンサルは「オリオリダークネス…」と呟きながら、
まんざらでもない様子で悩んでいる。
「チッ、しょうがねえな。俺が考えてやる」
バドルは少し得意げに、そしてクールに聞こえるように言った。
「黒い檻だから、『黒檻』。読み方は、『ブラック・ケージ』だ」
「ブラック・ケージ…!」
サンサルは一瞬その響きに感心したようだったが、すぐに首を横に振った。
「…いえ、やっぱり『オリオリダークネス』の方が、
可愛くて闇っぽくて、素敵です!」
「はあ!? どこに可愛さの要素があるんだよ!」
「あります! だって、『檻』が二回も入ってて…」
「もういい、分かった! オリオリダークネスでいいよ!」
結局、サンサルの謎のゴリ押しに、バドルが根負けした。
そんなくだらない話をしているうちに、気まずい空気はすっかり消え去っていた。
◇◇
深夜。ようやく二人はエルサドルの街に帰ってきた。
ほとんどの店は明かりを落とし、静まり返っている。
煌々と光が灯っているのは、不夜城である冒険者ギルドくらいのものだった。
ギルドに入ると、昼間の喧騒は嘘のように静かで、
残っているのは数人の夜番の冒険者と、
テーブルに突っ伏して寝ている依頼人の商人だけだった。
バドルは、その商人の肩を遠慮なく揺さぶる。
「おい、起きろ! 依頼主! 依頼は完了したぞ!」
「んぐ…んあ…?」
商人は、酒臭い息を吐きながら、ゆっくりと顔を上げた。
「おお…君たちか。ずいぶんと遅かったじゃないか。
森の薬草を摘むだけで、君たちの実力でこんなに時間がかかるとはな…?」
その疑問に、バドルは待ってましたとばかりに、大げさに溜め息をついてみせた。
「あんた、とんでもない依頼をくれたな。あの森、ゴブリンが出やがったぞ」
「なにぃ!?」
商人の酔いが、一気に醒めた。
「フォレスト森に、ゴブリンだと!? そんな話は聞いていないぞ!」
「こっちのセリフだ。
おかげで、こっちは数時間に及ぶ激闘を繰り広げるハメになったんだからな」
バドルが言うと、サンサルも隣でこくこくと力強く頷いた。
(土との激闘だったがな)とバドルは内心で付け加える。
商人は、二人が土と泥にまみれている姿と、その真に迫った表情を見て、
完全に信じ込んだ。
「数時間の激闘…だと? まさか、群れだったというのか!?」
「ああ。まあ、なんとか切り抜けてきたがな」
「なんということだ…。
あの森に、数十匹規模のゴブリンの巣ができているというのか…!
これは由々しき事態だぞ!」
商人は、完全に勘違いしていた。
だが、バドルにとっても、サンサルにとっても、それは好都合でしかない。
「生き残って戻ってきただけでも御の字だ…!
分かった、約束の報酬は支払おう。それと…」
商人は、懐から追加で数枚の銅貨を取り出した。
「これは、予想外の危険に対する補償だ。少ないが、受け取ってくれ」
銅貨80枚の基本報酬に、追加の20枚。合計100枚。
サンサルは、これで綿飴代の20枚が完全に帳消しにできる、
と心の底から安堵していた。
商人から銅貨を受け取ったバドルは、
初めて自分たちの力(?)で稼いだ金の重みを、じっと噛みしめていた。
そして、次の瞬間。
「やったあああああああ!!!!」
バドルは、子供のようにその場で飛び跳ねた。
初めての依頼達成。初めての報酬。
そして、自分たちの戦い方が通用したという、確かな手応え。
その歓喜は、サンサルにも伝播した。
「やりましたね、バドルさん!」
彼女もまた、バドルにつられて、その場でぴょんぴょんと飛び跳ね始めた。
深夜の静かなギルドに、二人の無邪気な歓声だけが、いつまでも響いていた。
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