第八話:檻と悪戯
「——つまり、こういうことだ」
バドルは興奮を隠せないまま、サンサルに向き直った。
「お前の闇魔法、『侵食』『隠蔽』『遮断』。
それは、攻撃するための力じゃねえ。
相手を妨害し、無力化するための力だ。
だったら、それを使って、相手を殺さず、傷つけず、
ただ封じ込めることはできねえのか?」
「…え?」
サンサルは、呆気に取られていた。
バドルが何を言っているのか、すぐには理解できなかった。
彼女にとって、魔法とは常に「攻撃」か「防御」だった。
強力な炎で敵を焼き払い、堅固な土の壁で身を守る。
それこそが、魔術学校で教えられてきた魔法の常識だったからだ。
そして、そのどちらも、彼女は致命的に不得手だった。
誰かを傷つける「攻撃」も、自分や誰かを守るための「防御」も、
怖くて明確にイメージすることができない。
スライム相手に何もできず、ただ怯えていたのもそれが原因だった。
自分の闇魔法は、戦いの役には立たないのだと、
ずっとそう思い込んできた。
「そんな魔法…イメージしたことも、ありません…。
できるか、どうか…」
「スライムの時も、そんなこと言ってたな」
バドルの声に、わずかに失望の色が混じる。
そのことに気づき、サンサルの胸がちくりと痛んだ。
「で、でも…!」
「なんとか、ならねえのか。
試しにでいい。やってみてくれ」
バドルの真剣な眼差しに、サンサルは断りきれなかった。
彼女は仕方なく、摘みかけの薬草を地面に置くと、古びた杖をぎゅっと握りしめる。
「…どんな、イメージをすればいいですか」
「そうだな…」
バドルは腕を組み、具体的に指示を出した。
「スライムを一匹、捕まえられるくらいの檻だ。
籠みたいな感じで、絶対に逃げられなくて、
めちゃくちゃ硬くて…そんなやつだ」
籠?みたいで…、逃げられなくて…、硬くて…。
サンサルは目を閉じ、必死に頭の中でイメージを練り上げる。
すると、次の瞬間。
ズルリ、と。
空間から染み出すように、檻の形をした暗黒物質が生成された。
それは、明らかにこの世の物質とは異質な魔力で構成されており、
ゆらゆらと黒い霧を纏っている。
森の静寂の中で、その存在だけが異様な雰囲気を放っていた。
「うおっ…」
バドルは、初めて実物の闇魔法を間近に見て、思わず一歩後ずさった。
(…これが、闇魔法か。やべえな…)
だが、彼はすぐに気を取り直す。
「おい、サンサル。これ、うまくいったのか?」
「わ、かりません…」
サンサルは、自分が作り出したものを恐れるかのように、
不安げな表情で首を振った。
「ただ、魔力を固めて、檻の形にしただけで…。強度があるかどうかは…」
「なら、試せばいいだけだ!」
バドルは、子供のようにはしゃいでいた。
「おい、薬草回収はさっさと終わらせるぞ! その後、スライムを探しに行く!」
彼はそう言うと、先ほどまでの比ではない猛烈な勢いでシビレソウヤソウを摘み始めた。
そのあまりの変わりように、サンサルは面白そうに少し笑うと、再び黙々と作業を再開した。
◇
数十分後、
麻袋がずっしりと重くなる頃には、約束の3000枚ほどの葉が集まっていた。
「よし、行くか」
「はい!」
お楽しみの時間だった。二人は薬草の群生地を後にし、
今度は意図的に、森の奥にある湿気の多そうな場所へと足を進めた。
「…本当に、いるんでしょうか」
「スライムなんてどこにでもいるだろ。大丈夫だ」
バドルの言葉とは裏腹に、なかなか目的の魔物は現れない。
だが、さらに数分歩いたところで、バドルがぴたりと足を止めた。
「…いたぞ」
彼が指差す先、木の根元で、青く半透明な塊がぷるぷると震えていた。
スライムだ。サンサルの体が、緊張でこわばる。
「いいか、サンサル。さっきのイメージを思い出せ。落ち着いてやれば、できる」
「は、はい…!」
サンサルは杖を構え、目を閉じて精神を集中させる。
スライムはこちらに気づいていない。絶好の機会だった。
——檻。
——籠みたいな。
——逃げられない、硬いもの。
彼女が杖をスライムに向けた瞬間、
その足元から黒い霧が立ち上り、一瞬で檻を形成した。
ドン、と。スライムは音もなく、完全に暗黒物質の中に閉じ込められた。
檻にぶつかっても、ただ弾力のある壁に阻まれるだけで、びくともしない。
「やった…!」
「やりました! バドルさん!」
サンサルが、満面の笑みで振り返る。
「ああ、すげえじゃねえか!」
バドルも、思わず彼女とハイタッチを交わしていた。
初めて、サンサルの力が「破壊」ではなく、
「創造」と「制御」のために使われた瞬間だった。
この成功体験は、サンサルの心に、確かな自信の光を灯した。
「よし、これで俺たちの戦い方は決まりだな!
さっさとギルドに戻って報告するぞ!」
喜び勇んで、二人は森の出口へと向かう。
もう日は傾き、森は夕闇に包まれ始めていた。
少しだけ早足で、二人は獣道のような小道を進んでいく。
だが、その時だった。
道の先の曲がり角から、ぬっと緑色の影が現れたのは。
棍棒?
手足?
そして、獣じみた敵意に満ちた、濁った…目?
「「——ゴブリン!?」」
スライムとは比較にならない、明確な殺意と知性を持った魔物。
一度は成功で得たはずのサンサルの自信が、本物の殺意を前にして、
ガラスのように砕け散った。
恐怖で体が金縛りにあったように固まってしまう。
イメージが、できない。
怖い。
怖い。
怖い。
「サンサル、やれええええっ!!!」
バドルの、喉が張り裂けんばかりの叫び声。
その声に弾かれるように、サンサルの意識が現実に引き戻された。
——イメージしろ!
——バドルさんが、危ない!
——檻! 籠! 逃がさない、硬いもの!!!さっきやったじゃないか!!
恐怖に任せてサンサルが杖を突き出すと、
ゴブリンの目の前に黒い霧の壁が出現した。
勢いよく突進してきたゴブリンは壁に激突して体勢を崩す。
サンサルはパニックのままに何度も魔法をイメージし、
ゴブリンの周囲に次々と黒い檻を乱立させ、
あっという間にその動きを完全に封じ込めてしまった。
身動きが取れなくなったゴブリンは、檻の中で意味のない威嚇の声を上げている。
静寂。そして。
「やったあああああああ!!!!」
バドルが、飛び上がって歓喜の声を上げた。
「すげえ! すげえじゃねえかサンサル!
スライムどころか、ゴブリンまで捕まえちまったぞ!」
彼は、まだ震えているサンサルの肩を掴んで、力強く揺さぶった。
「見たか! これだよ! これが俺たちの戦い方だ! 」
これで、プラタノ教の教えは守られる。
不殺傷で、冒険者としてやっていける。
未来への道が、確かに開けた瞬間だった。
「…はいっ!」
嬉しそうに、力強く頷くサンサルの頭を、バドルはわしわしと撫でた。
「お前は最高の魔法使いだ。間違いねえ」
その言葉と、頭を撫でる大きな手に、サンサルの顔がカッと赤くなる。
そして、彼女は照れ隠しのように、無意識に、杖をバドルに向けた。
ドン。
「え?」
気づいた時には、バドルの体が黒い霧の檻に、すっぽりと収まっていた。
完璧な、無力化だった。
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