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第七話:詠唱不要の闇魔法

息を切らし、木の幹に手をついて、二人はようやく足を止めた。


背後からはもう、あのスライムが追ってくる気配はない。

鬱蒼とした森の静寂が、自分たちの荒い呼吸の音をやけに大きく響かせる。


「はぁ…はぁ…、ごめ、なさい…バドルさん…。わたし、何も、できなくて…」


サンサルが、肩で息をしながら謝罪の言葉を口にする。


魔物と遭遇したというのに、

彼女ができたのは悲鳴を上げてしゃがみこむことだけだった。


「いいんだよ。それでよかった」


バドルはぶっきらぼうに答えた。

彼女が手を汚さなかったこと、そして自分も信条を破らずに済んだこと。

結果だけ見れば、最善だった。



(だが…)


彼は、汗を拭いながら冷静に思考する。


(逃げるだけじゃ、この先やっていけねえだろうな)


相手がスライムだったから逃げ切れた。

もっと足の速い魔物だったら?

逃げ場のない場所だったら?


今回の依頼のように、特定の場所で何かをしなければならない場合、

逃走はすなわち依頼の失敗を意味する。

それでは、金を稼ぐことなどできやしない。



「…行きましょう、バドルさん」


サンサルが、決意を秘めた声でバドルを促した。


「早く、『シビレソウヤソウ』を見つけないと」


彼女の言葉に、バドルは思考の渦から引き戻された。

そうだ。今は目の前のことに集中すべきだ。


「ああ。で、そのシビレソウヤソウってのは、どうやったら見分けられるんだ?

 俺はそこらの雑草との区別もつかねえぞ」


バドルが尋ねると、サンサルは少し頼りにされたのが嬉しいのか、

照れながらもスラスラと説明を始めた。


「えっと、まず葉の色が特徴的です。全体的に薄い緑色で、

 葉の表面だけが黄色がかっています。

 それと、今の時期なら、小さな黄色い花が咲いているはずです。

 鼻を近づけると、ツンとするような刺激臭もありますね」


「ふーん」


「あと、日の当たるところに群生する性質がありますから、

 こういう木々の影になっている場所よりは、

 少し開けた場所を探した方がいいと思います。

 …あ、それと豆知識ですが、シビレソウヤソウは養殖がとても難しくて、

 こうして自然に生えているものを採集するしかない、貴重な薬草なんですよ」


立て板に水のように語る彼女に、バドルは素直に感心した。


「お前、やっぱすげえな。歩く図鑑かよ」

「そ、そんなこと、ありません…!」


適当に褒めただけだったが、サンサルは満更でもない様子で顔を赤らめている。



「じゃあ、一度実物を見つけたら、手分けして探しますか?」


サンサルの提案に、バドルは首を横に振った。


「いや、やめとけ。ただでさえ危険な森の中だ。別行動はリスクが高すぎる。

 それに、群生するってんなら、一箇所見つければごっそり採れるはずだ。

 二人で探した方が効率もいい」


「…! そ、そうですね…。すみません、浅はかでした」

「別に謝ることじゃねえだろ」


自分の考えが及ばなかった点を冷静に指摘され、

サンサルはバドルに対して改めて感心しているようだった。



しばらくの間、二人はサンサルの知識を頼りに、

日当たりの良さそうな場所を探して森を彷徨った。


そして、木々が少し途切れ、

天蓋から柔らかな光が差し込む小さな窪地で、


ついにサンサルが歓声を上げた。


「ありました! バドルさん、あれです!」


彼女が指差す先には、陽の光を浴びて、無数の黄色い花が咲き誇っていた。

葉の表面は、教えられた通り、陽光を反射して金色がかって見える。

ここに生えている分だけで、数万枚の葉が手に入りそうだった。


依頼達成は確実だ。だが、同時に、

これから始まるであろう地道な作業を想像し、

バドルの気は遠くなった。


「うげえ…マジかよ、これ全部手で摘むのか…」


バドルは悪態をつきながらも、

ギルドで商人から渡された麻の袋を広げると、

早速作業に取り掛かった。


依頼書には、

『湿気や通気性の悪さが組み合わさると腐敗や分解が早まるため、

 なるべく土は入れないように』と注意書きがあった。

彼は一枚一枚、丁寧に葉を摘み、袋に詰めていく。


延々と続く、無言の作業。先に飽きたのは、バドルだった。


「なあ、サンサル」

「はい?」

「お前のその…闇魔法って、一体どんなもんなんだ?」


それは、ずっと気になっていたことだった。


ビクッ、とサンサルの肩が大きく震えた。

彼女は慌てたように周囲を見回すが、ここにいるのは自分たち二人だけだ。


観念したように、彼女は恐る恐る、

そして少し寂しそうに、

その禁断の知識を語り始めた。


「…この世界の魔法には、基本となる四つの属性があります。

 土、水、風、火の四大属性。

 ほとんどの人は、このどれかの属性を持って生まれてきます」


そこまでは、バドルも知っている常識だ。


「でも、ごく稀に…その四大属性から派生した、特殊な属性を持つ者が現れます。

 それが、光と、闇です」


彼女は続けた。


「闇魔法は、他の属性と比べて、特に三つの要素に秀でていると言われています。  『侵食』、『隠蔽』、そして『遮断』です」


そして、サンサルは声を潜め、この世界の理を覆すような、決定的な事実を告げた。


「…それと、闇魔法は、詠唱が、必要ないんです」


「は?」


「見たままです。頭の中で、強く、明確にイメージすることさえできれば、

 それは実現します。逆に、どれだけ大声で神に祈り、呪文を唱えても、

 術者のイメージが伴わなければ、何も起きません」


だから、と彼女は言う。


闇魔法の使い手は、必然的に祈ることがなくなる。

神に頼る必要がないから。


故に、闇魔法の使い手は、

いつしか「無神教」と呼ばれるようになったのだ、と。


彼女の家系は、代々その闇魔法の使い手の血を引く一族で、

物心ついた頃から、祈るという行為そのものを知らずに育ったらしい。



バドルは、羨ましい、と素直に思った。


あの長くて複雑な詠唱を、

一言一句間違えずに暗記する必要がない。


儀式のように杖を構え、

神に祈りを捧げる必要もない。


ただ、イメージするだけでいい。

なんと合理的で、なんと強力な魔法だろうか。



語り終えたサンサルは、どこか遠い目をして、

手の中のシビレソウヤソウの葉を眺めていた。


その時、バドルの頭の中で、バラバラだったピースが、一つの形を成した。


戦わずに。

傷つけず。

殺さずに。

相手を、無力化する。


サンサルの言っていた、闇魔法の特性が脳裏をよぎる。


侵食、隠蔽、遮断。

それはまさしく、相手の行動を阻害するための力じゃないか。


イメージ、だけでいいのなら。

例えば、相手の周りに、檻を「イメージ」したら?

相手の足元に、粘つく沼を「イメージ」したら?

相手の視界を覆う、黒い幕を「イメージ」したら?


それは、相手を傷つけず、殺さず、ただ無力化するだけの、完璧な罠になるのでは?


「——サンサル!」


バドルは、我慢できずに叫んでいた。


彼は、手の中の薬草も放り出し、勢いよく彼女の方へと振り向いた。


その目は、ギルドでの宣誓の時よりも、さらに爛々と輝いていた。



「え…?」


突然の大声に、サンサルはきょとんとした顔で、ただ首を傾げた。

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