第六話:綿飴とスライム
ギルドでの宣誓という名の茶番劇を終え、バドルとサンサルは最初の依頼に取り掛かるべく、エルサドルの広場にあるベンチに腰掛けていた。
バドルが広げた羊皮紙の依頼書を、
サンサルが隣から、少し不思議そうな顔で覗き込んでいる。
「あの、バドルさん…」
「ん?」
「どうして、この依頼を選んだのですか?
ゴブリン討伐の方が、報酬はずっと高かったのに…」
サンサルの素朴な疑問に、バドルは、
まるで出来の悪い生徒に教えるかのように、ニヤリと笑った。
「理由は三つだ」
彼は、人差し指を一本立てる。
「一つ目。決まってんだろ。
俺たちの信条——『不殺傷』を破らずに済むからだ。
これが大前提」
次に、二本目の指を立てる。
「二つ目。俺たちの実力は、まだハッタリだ。
ギルドでの演説で派手に注目を浴びちまった今、
ゴブリン討伐なんて派手な仕事を受けたら、また余計な詮索をされる。
今は、こういう誰でもできる地味な仕事で、確実に金を稼いで、
足元を固める方が、賢い選択だ」
そして最後に、彼はサンサルの方をちらりと見た。
「三つ目。…こういう仕事の方が、
お前の役に立てる場所があると思っただけだ」
「え…?」
サンサルは、最後の理由がすぐには理解できず、きょとんとしていた。
バドルは、そんな彼女の反応に満足げに頷くと、
改めて依頼書に目を落とした。
「依頼内容は…『シビレソウヤソウ』の採集。
ふむ、ポーションの素材になる麻痺毒の原料か。
これを葉の状態で4kg…ねえ」
依頼書に書かれた「目安として約3000枚」という文字に、バドルは眉をひそめた。
「おい、マジかよ。3000枚って…。一枚一枚手で摘むんだろ?
とんでもない重労働じゃねえか」
その言葉に、それまで黙っていたサンサルが、ふふん、と得意げに胸を張った。
「バドルさんは分かっていませんね。
シビレソウヤソウは、乾燥させると重さが十分の一くらいになってしまうんです。
だから、湿っている状態でたくさん集めないと、
素材として加工する頃にはほんの少しになってしまうんですよ」
立て板に水のように語られる専門知識。
それは、いじめられていた頃の彼女からは想像もつかない、
自信に満ちた表情だった。
自分の得意分野で、初めてバドルの役に立てたという喜びが、
その瞳をキラキラと輝かせている。
「へえ、詳しいんだな。さすが『最高の魔法使い』様だ」
バドルが少し茶化すように言うと、サンサルは「えへへ…」と嬉しそうに笑った。
だが、その笑顔は一瞬で、すぐに周囲の目を気にしたように、
ぼっと顔を赤らめて俯いてしまった。
自己肯定感の低さは、まだ根深いらしい。
依頼書によれば、シビレソウヤソウの自生地は、エルサドルから北へ半日ほど歩いた先にある「フォレスト森」とのことだった。
「よし、行くか」
二人はベンチから立ち上がり、街の北門を目指して歩き始めた。
王都エルサドルの街並みは活気に満ちている。石畳の道を挟んで、露店がひしめき合い、商人たちの怒鳴るような呼び声が絶え間なく響いていた。
「そこの若いお二人さん! ちょっと見ていきなよ!
北の森に行くなら、この『オークの牙も通さない』っていう
ミスリル製の小手がいるだろう!」
「お嬢ちゃん、その綺麗な黒髪には、
この『エルフの涙』っていう髪飾りが似合うよ!
今なら銅貨50枚でどうだい!」
胡散臭い商人たちが、次から次へと声をかけてくる。
その度に、バドルは適当な冗談を言って煙に巻いた。
「へえ、すごい切れ味の剣だな。
じゃあ、あんたが売ってるそっちの『絶対防御の盾』とぶつけたらどうなるんだ?
矛盾って知ってるか?」
「その惚れ薬、作った本人はモテてるのか?
まずは自分で試してから売りに来いよ」
サンサルはそのやり取りを、ハラハラしながらも少し楽しそうに見ていた。
だが、ふと彼女の足が一つの屋台の前で止まる。
甘く香ばしい匂い。巨大な綿あめ屋台だった。
「……」
「おい、行くぞ。何見てんだ」
「あ、あの…バドルさん」
「なんだよ」
「…お腹、すきませんか?」
「すいてねえよ。金もねえ」
「……ですよね」
サンサルはしょんぼりと俯く。
そのあまりに分かりやすい姿に、バドルは少しだけ罪悪感を覚えた。
その時、サンサルが突然空を指差して叫んだ。
「あ、見てください!!お空にドラゴンがいます!!」
「嘘つけ。そんなわけあるか」
「本当です! ほら、あの雲の向こうに!」
「雲ひとつねえだろうが」
バドルが、ツッコミを入れながらも、
ついサンサルが指差す方角へ視線をやってしまう。
空は、どこまでも青い晴天だった。
「…やっぱりいねえじゃねえか。当たり前だ」
そう言って視線を戻すと、
サンサルの手には、いつの間にやら彼女の顔よりも大きな綿あめが握られていた。
なけなしの銅貨10枚と引き換えに。
「——てめえ、このど阿呆が!!!!」
バドルの怒声が、街の一角に響き渡った。
「な、な、な、何しやがる! たった数十枚しかない銅貨を!
そんな砂糖の塊に変えやがって!
今すぐその口の中に入れた綿あめを全部吐き出して、
丸めて屋台に叩きつけて返金してもらってこい!!!」
「む、無理です! そんなことできるわけありません!」
「できるかじゃねえ! やるんだよ!」
涙目になったサンサルは、慌てて言い訳を叫んだ。
「ち、違います! これは、これは、
薬草を効率的に探すための、ひ、必要経費なんです!」
「ああん?」
「糖分は、脳のエネルギーになります!
これを食べれば、集中力が高まって、採集効率が上がるはずなんです!
だからこれは、投資で…」
その、あまりにも苦しい言い訳に、バドルは怒るのも馬鹿らしくなった。
彼は天を仰いで深いため息をつくと、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「…なるほどな。それなら、俺の分の『必要経費』もいるよな?」
「え?」
「俺も脳にエネルギーがねえと、お前を危険から守れねえ。
奢ってくれたら、今回の件は許してやる」
サンサルは、「そんな…」と絶望的な顔で財布を握りしめたが、バドルの悪魔のような笑顔に屈し、とぼとぼと二つ目の綿あめを買いに戻っていった。
◇◇
「おい、いつまでそれ舐めてんだ。日が暮れるぞ」
街道沿いの穏やかな道で、バドルが呆れたように言った。
「だ、大事に食べないと…。銅貨10枚分の、重みがありますから…」
サンサルは、まるで宝石でも舐めるかのように、
巨大な綿あめの先端を舌で湿らせる。
「俺のはタダだから関係ねえな」
バドルはそう言うと、残っていた塊を一口で頬張り、満足げに頷いた。
そんな軽口を叩いているうちに、周囲の風景はいつしか鬱蒼とした木々に覆われていた。太陽の光が届かず、ひんやりと湿った土と苔の匂いがする。
数時間の旅路の末、目的地のフォレスト森に辿り着いたのだ。
シビレソウヤソウを探そうと、慎重に森の奥へと足を踏み入れた、その時だった。
目の前に、それは現れた。
青く、半透明で、ぷるぷると震えるゲル状の塊。
——スライムだ。
「きゃあああああっ!」
サンサルが素っ頓狂な悲鳴をあげて、その場にしゃがみこんでしまった。
(…さて、どうするか)
バドルは、震えるサンサルを背中に庇いながら、冷静に思考を巡らせる。
プラタノ教の教えが、頭の中で警鐘を鳴らした。
殺傷は嫌いだ。戦いは好きじゃない。
だが、依頼を達成するには、この森を進まねばならない。
どうすれば?
サンサルに倒してもらうか? 彼女の魔力なら一撃だろう。
いや、ダメだ。
彼女は、俺の「ゆるゆるな教え」を信じると言った。
俺が破らせるわけにはいかない。
落とし穴でも掘るか?
いや、時間がかかりすぎる。
そもそも、スライムを倒すことは「殺傷」にあたるのか?
あれに命はあるのか? 植物を摘むのとは何が違うんだ?
ああ、クソ、分からねえ。どうすればいい。
「サンサル! 罠を張るような魔法はねえのか! 動きを止めるとか!」
「ひっ…! む、無理です! そんな魔法、考えたこともありません!」
悲鳴のような返事が返ってくる。やはりダメか。
多少の犠牲は許されるのか?
向こうから襲ってきたら、倒してもいいのか?
いや、その理屈でいじめっ子を殴り倒した結果が、あのザマだったじゃないか。
「正しい戦い」なんてものは、もうこりごりだ。
だったら、答えは一つしかねえ。
もう、逆張りだ。どうなってもいい。
冒険者として、魔物を前にした時の「正攻法」が「戦う」ことなら。
俺が選ぶべき道は——
「——逃げるぞ!!!!」
バドルは叫ぶと、サンサルの腕を掴むと、森の奥へと一目散に駆け出した。
スライムがゆっくりとこちらに向かってくるのを横目に、二人は木の根に足を取られそうになりながら、ただひたすらに、森の闇へと逃げ込んでいった。
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