第十話:ヤドカリと黄金の来訪者
初めて自分たちの力で稼いだ銅貨100枚。
そのずっしりとした重みを麻袋に感じながら、
バドルとサンサルは夜のエルサドルを歩いていた。
目的は一つ、宿だ。
「はぁ…疲れました…。もう眠いです…」
サンサルが、大きなあくびをしながらバドルのローブの袖を掴む。
ギルドでの興奮と、慣れない森での緊張。
その全てが、今になってどっと疲れとなって押し寄せてきているようだった。
バドルもまた、土を掘り続けた肉体的な疲労と、
一日中頭をフル回転させていた精神的な疲労で、
立っているのがやっとだった。
幸い、宿はすぐに見つかった。
ギルドからほど近い路地に立つ、
年季の入った三階建ての建物。
「ヤドカリ亭」という、なんとも言えない名前の看板が掲げられている。
カウンターの奥で居眠りをしていた
白髪のおばあさんを起こし、部屋代を尋ねる。
一泊一部屋銅貨10枚。
二人で泊まるなら20枚。
決して安くはないが、
今の二人には贅沢を言っている余裕はなかった。
「部屋を、二つ頼む」
バドルがそう言うと、隣でサンサルがきょとんとした顔をした。
「え? 一つでいいじゃないですか。お金がもったいないです」
「いや、でも、それは…」
男女が同じ部屋に泊まることへの抵抗。
そして何より、
自分の理性が持つかどうかという、極めて個人的な問題。
バドルが口ごもっていると、
受付のおばさんが、しわくちゃの顔でニヤリと笑った。
「あんたたち、一部屋にしときなよ。
こっちも、掃除が楽で助かるからさ」
その笑みには、「若いのう」という全ての言葉が凝縮されていた。
「そ、そういうわけじゃ…!」
「はい! 一部屋でお願いします!」
バドルの弁解虚しく、サンサルの元気な返事によって、
二人の同室は決定してしまった。
通された部屋は、広くはないが、清潔に保たれていた。
簡素なベッドが二つと、小さなテーブルが一つ。それだけの空間だ。
だが、サンサルは部屋の様子など気にしていなかった。
彼女は部屋に入るなり、
まるで脱皮するかのようにローブと帽子をその場に放り出すと、
そのままベッドに倒れ込んだ。
「……おやすみなさ…い……」
返事をする間もなかった。
一瞬で、彼女は深い眠りに落ちていた。
そのあまりにも無防備な寝顔に、バドルは自分の心臓がドクンと鳴るのを感じた。
(……何も考えるな)
彼は自分に強く言い聞かせる。
(そうだ、腹が減った。今はそれだけだ。それで誤魔化そう…)
バドルは、なるべくサンサルのベッドから離れた方のベッドに静かに横になり、
空腹と疲労に意識を委ねるように、
固く目を閉じた。
◇◇
翌朝。バドルが目を覚ますと、どこからか香ばしい匂いがした。
テーブルの上には簡素な朝食が用意されている。
黒パンと、湯気の立つ玉ねぎのスープ、
そして、申し訳程度のかけらほどのチーズ。
「あ、おはようございます、バドルさん」
寝間着代わりのシャツ姿のサンサルが、
既に席についてうまそうにスープをすすっていた。
彼女が受付のおばあさんから銅貨16枚で買ってきたらしい。
バドルは、自分の分のパンが一口かじられているのに気づいたが、
幸せそうにパンを頬張るサンサルを見て、何も言わないことにした。
朝食を終え、身支度を整えた二人は、再び冒険者ギルドへと向かった。
ギルドは朝から活気に満ちていた。
受付では、昨日の栗色の髪の受付嬢が、今日の『砂時計入札』の準備をしている。
カウンター席では、
屈強な冒険者たちが分厚いベーコンの乗った豪勢な朝食を食べていた。
壁のメニューには、
『冒険者モーニングセット(肉・パン・スープ付き):銅貨5枚』と書かれている。
「「…」」
自分たちの粗末な朝食と、
他の冒険者たちの豪勢なそれとの差に、
気まずい沈黙が流れる。
「…さて、どうしたものか」
バドルが腕を組み、ギルドの中をぐるりと見渡した。
他の冒険者たちは、仲間と談笑したり、武具の手入れをしたりと様々だが、
誰一人として慌てて仕事を探している様子はない。
サンサルが、準備が進む演説台を不安そうに見つめながら尋ねた。
「今日もお仕事をもらうには、
また、あそこに立たないといけないんでしょうか…?」
「毎日あんな茶番をやるのか…? 他に方法がねえのか…?」
バドルにも、このギルドの勝手が全く分かっていなかった。
昨日はいきなり演説台に立たされたが、まさか毎日あれを繰り返すのだろうか。
だとしたら、あまりにも面倒で、不合理だ。
他の冒険者たちの様子を窺うが、誰もが思い思いに過ごしているだけで、
どうやって依頼を受けているのか皆目見当もつかない。
途方に暮れてギルドの壁際を歩いていると、サンサルがバドルの袖をそっと引いた。
「あの…あれは、なんでしょうか?」
彼女が指差す先には、今まで気づかなかった大きな掲示板があり、
羊皮紙が壁一面にびっしりと貼られていた。
二人は、恐る恐るその掲示板に近づいてみる。
「…『迷子の猫探し』…『用水路の掃除』…。おい、これ、依頼書だぞ」
バドルが呟くと、サンサルの顔がぱっと明るくなった。
「わぁ…! じゃあ…! あの演説台に立たなくても、ここから仕事が選べるんですね!」
バドルも、そうであってくれと願った。
あの悪趣味な演説会を回避できるなら、それに越したことはない。
彼は、ひとまず安心したように息をつくと、具体的な依頼内容の吟味を始めた。
「待てよ…薬草回収、ゴブリン討伐…内容は昨日と似たようなもんだな。どれどれ、報酬は…」
バドルは、掲示板に貼られた『ゴブリンの小隊討伐』という依頼書を指差した。
その瞬間、彼の表情が固まる。
「……おかしい」
「え?」
「このゴブリン討伐、報酬が『銅貨50枚』になってる」
「えっ? 昨日、商人の人は銀貨三枚だって、言ってましたよね…?」
銀貨三枚は、銅貨にして300枚。掲示板の報酬は、その六分の一だ。
他の依頼も見てみる。スライム掃討は銅貨30枚。
薬草回収に至っては、
昨日自分たちが受けた額よりさらに安い銅貨60枚で募集されていた。
どれもこれも、あまりにも報酬が低い。
バドルは、掲示板のパンくずのような報酬額と、
今まさに受付嬢が準備を進めている演説台を、交互に見比べた。
そして、全てのピースが繋がった。
「…ああ、そういうことかよ。チッ」
バドルが、忌々しげに舌打ちする。
「どういうことですか、バドルさん?」
「この掲示板はな、サンサル」
彼は、絶望的な真実を告げた。
「高報酬の美味しい獲物が食い尽くされた後、
わずかに残ったパンくずを漁るための、『残り物の掲示板』なんだよ」
「え…」
「本命の、報酬が高い『新規案件』は、全部あっちだ」
バドルが顎でしゃくった先には、
商人や冒険者たちが今日の発表のために集まり始めた、
あの『砂時計入札』の演説台があった。
サンサルは、ごくりと喉を鳴らした。
昨日、一度は乗り越えたはずのあの舞台が、今度は自分たちの生活を左右する、
あまりにも巨大な壁として、二人の前に立ちはだかっていた。
二人が、目の前に立ちはだかる巨大な壁を前に、
どうすべきか言葉を失っていた、その瞬間だった。
バァン!!!
ギルドの樫の扉が、蹴破られたかのような、
凄まじい音を立てて開け放たれた。
そして、鈴を転がすような、
しかし耳障りなほど甲高い声が、ギルド中に響き渡る。
「ごきげんよう、下々の皆様!」
そこに立っていたのは、場違いという言葉すら生ぬるい、一人の少女だった。
豪奢な刺繍が施された純白のドレスに身を包み、
陽の光を反射して輝く、豊かな黄金色の髪を揺らしている。
明らかに、貴族。それも、相当な家柄の令嬢だ。
彼女の後ろには、
揃いの銀鎧をまとった三人の屈強な男たちが、
護衛のように控えている。
「わぁ…綺麗…」
サンサルは、その美しいドレスに目を奪われている。
「…なんだ、ありゃ」
バドルは、冒険者ギルドという場所に、
あまりにも不釣り合いな存在の登場に、ただただ困惑していた。
ギルドの中は、一瞬で騒然となった。
ついさっきまで威勢よく騒いでいた冒険者たちは、
蛇に睨まれた蛙のように震え上がり、
儲け話に花を咲かせていた商人たちは、
顔から血の気が引いて脂汗を流している。
「ま、マナグア様…!」
「なぜ、マナグア・ニカ・ラグア様が、このような場所に…!」
マナグア。その名を聞いて、バドルは眉をひそめた。
確か、学校にいたはずだ。100年に1人の光の属性を持つ天才。
圧倒的な魔力量を誇る、エリート中のエリート。
受付嬢が、慌ててカウンターから飛び出してくる。その顔は真っ青だった。
「こ、これはマナグア様! ようこそお越しくださいました!
何か、御用でございましょうか!?」
必死に取り繕った敬語が、上擦っていた。
だが、マナグアは受付嬢など意にも介さず、
ギルドの中心まで優雅に歩を進めると、
その場にいる全ての人間を見下ろすように、宣言した。
「わたくしはマナグア。
この薄汚れたギルドに集う、哀れな子羊たちの中から、
最も可憐で、最も神を敬い、そして最も美しい戦いをなさる方の、
後援者となって差し上げようと思いましてよ」
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