ピッチ
「おい! どこ蹴ってんだよ!枠に入れろよ枠に!」
青いユニフォームを着た選手たち、105×68のピッチを走り回っている。
前半最初のシュート。ミッドフィールダーはボールの下を蹴ってしまい、ミドルシュートは大きく浮いた。
「まじでチャンスないんだよ! 集中しろって!」
相手はヨーロッパの強豪。下馬評では勝てる見込みはないとされている。
「頼むって──」
怒号から懇願へ。父は手を合わせて勝利を祈っている。まだスコアレスドローだ。
尊敬する父の嫌な部分を挙げろと言われたら、サッカー観戦が真っ先に浮かぶ。人の悪口をほとんど言わない父がこの時だけは怒号を飛ばすのだ。
日本代表は、1-3で惨敗した。
「いやあ。惜しかったよなあ。先制したときはワンチャンあると思ったけど、なんかあいつら点とられたから急に本気出したよな」
手を後ろに回し、曇天の空を仰ぐのは俺のチームメイト、宮原誠だ。
「マジで悔しいなあ」
宮原はソックスを限りなく下げ、すね当てとは名ばかりの小さな板をその中に入れる。そんな宮原とは対照的に、俺はソックスを膝の下ぎりぎりまで引っ張る。
「動きづらくねえの? 」
繊維が伸び、肌色が透けて見える俺のソックスを見て宮原は尋ねた。既に彼は近くにあるボールを蹴り始めている。
「別に。お前は逆にそれで気持ち悪くないの? 」
「圧迫される方が嫌だな。ほらよ」
宮原はひょいとボールを浮かし、俺はそれを落とさぬように受け止め、そのまま宮原に返す。
180センチの身長を有しているとは思えない細やかなタッチを、こいつは平然とする。シャツをインしなくても許されるし、ツーブロックの髪形を指摘されたこともないそうだ。三か月に一回は告白されているくせに、中学の時に付き合った彼女と三年も付き合っている。私生活でこいつに敵う要素はない。
「おいユウト! プレス連動しろって!」
「お前が行くのが早えんだよ! 勝手にいくな」
「負けてんだぞ!? もっと走れよてめえ」
「てめえがシュート外すからだろうがよ」
一点ビハインド。押し込まれる展開の中、FWでボールを追いかけ回す宮原のフラストレーションが溜まっていく。相手は強豪のユースチーム。既にプロが確定したものもいる。個々の技術にどうしても差がある。引き付けられ、いなされる。前半の終盤だがチームの足が止まり始めている。
ちょうど俺のマーカーにパスが来た。相手はステップを踏んでターンをしようとする。上手いが想定内。宮原ならもっと速く、深い。
相手の足ごと刈り取り、前向きでボールを奪えた。目を合わせずとも分かる__あいつは走り始めている。チャラついているくせに、プレーを切ることは絶対にない。もし走っていなかったら、胸倉掴んでぶん殴ってやる。ピッチではすべてが対等だ。
間接的に視える”10”の文字。その背中の走り出す先に俺はボールを蹴った。
俺たちのチームは1-3で敗戦した。
「くそがっ! 」
宮原がすね当てを地面に叩きつける。そして俺を睨みつける。
「なんでてめえらはプレスに連動しねえんだよ。まともに奪えたの前半の最後だけじゃねえか! もっと周りに指示出せよ!」
俺は何も言い返せなかった。じり貧になって後ろに下がるチームの中で、宮原は先頭で一人、正しくプレスをかけ続けていた。外から見ると余計にそれを感じた。走力でも技術でも、俺達は彼についていけない。
「ほらよ」
試合後、腕から外した腕章を、俺に渡す。
「痛むか?」
「いや、まあ__うん」
俺は俯いて膝を見る。今日は後半開始十分で交代を告げられた。
「ユウト」
宮原は低い声で言った。
「あのパス、良かった。あいつらじゃできないプレーだ」
その言葉に俺は含みを感じた。
宮原の言う”あいつら”は誰を指しているのだろう。プロへの順調な階段を上っている今日の対戦チームか、それとも__
必要最低限の荷物を詰めたバッグを背負って帰路につく宮原の背中は、どんどん小さくなっていった。
「何回も外してんじゃねえよ! チャンスはねえんだぞ!」
自陣のコートに追い詰められる青の選手たちに怒鳴りつける。
「お父さん、サッカーの時だけすごいうるさいよね」
「ねえ」
妻と娘の愚痴を無視し、俺はテレビに叫ぶ。
押し込まれる展開の中、相手のボール回しに食らいつく選手がいる。連動しない味方に、声を上げている。
「何してんだよ! もっとプレス連動しろって!」
ズキリと足が痛む。
ソックスを膝まできっちり上げたその選手が、画面に大きく写った。
「この人、すごい走るよね」
「ね! しかもイケメン」
”豊富な運動量が武器。今年から10番に”
右下に短い選手紹介が載る。
画面が引いたその直後、相手のファウルにより、ボールがこちらに渡った。
走れ__
後半はまだ始まって十分。その背中はあの時と同じ大きさだった。