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二人

作者: 貝柱書太郎

「おかえりなさいー」


玄関を開けて聞こえてきた声に背筋がゾワッとした。おかしい。どうして、一人暮らしであるこの家から、おかえりなどという声がしてくるのか。玄関の鍵は閉まっていた。中に人がいるはずもなければ、ましてや誰かを出迎える声がしてくるわけがないのだ。


「どうしたのー?早くこっちおいでよ。ご飯作っておいたから」


得体の知れない声に困惑して立ちすくんでいると、こちらを催促するように呼びかけられる。もしかすると、他の部屋と間違えて入ってしまったのだろうか。そう思い、一度外に出て表札を確認してみる。『大野』。間違いない。この家で間違いないはずだ。それなのにどうして…。


「大丈夫?何かあった?そっち行こうか?」


怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い…


人間は得体の知れない恐怖に襲われたとき、「怖い」というどうしようもなく純粋な思いに頭を埋め尽くされてしまうのだと、この時初めて実感させられた。


「本当にどうしたの?大丈夫?返事もないし…。ちょっと待ってて、今行くからー」


まずいまずいまずいまずい!!!どうすればいいんだ、とにかくこの場から立ち去るべきか!?…くそっっ!足がすくんで動けない…!!やばいやばいやばいやばい!!怖い怖い怖い怖い…!!!


「もう、どうしたの?固まっちゃって。変なの(笑)」


エプロン姿の女がこちらへやってきて、まるでいつもの日常の1シーンであるかのように声をかけてくる。


「う…。あ…。お、おま…、だ…」


上手く言葉が出てこない。どうしてこの女は俺のことを見て平然としている?見覚えのない顔だ。知り合いでもない。それなのに、なぜこうも普通に接してこられるんだ?…どうする。とりあえず、警察に連絡をするべきだろうか。いや、しかし今下手なことをしてしまうと…


「もー、そんなにビクビクしないでよー。傷ついちゃうなー。あ、そうだ。ケータイどこにあったっけ」


そう言って女はこちらへ寄ってくると、先ほどから固まったまま動けない俺の右手からかばんを奪い取り、がそごそし始める。しばらく続けた後「あったっ」と言って俺のケータイを取り出した。そして…


―ガシャァァン!!!!


 俺のケータイを床に思いっきり投げつけた。続けて、


―ドンドンドンドンドンドンドンドン!!!


 投げつけたケータイを何度も何度も踏みつける。笑顔で一切表情を変えずに踏みつける。粉々にされたケータイと自分の身を重ね、恐怖で心が塗りつぶされそうになる。


 「ふーーーっ。まーこんなもんかな。警察とかに連絡取られたら面倒だしね」


 そう言って微笑みかけてくる。


「あー、思ったよりガラスとか飛び散っちゃってるなー。このままじゃ怪我しちゃうかも。危ないからすぐ片付けるね!ちょっと待ってて―!」


 …頭がおかしいんじゃないのか?今すぐにでもこの場を去りたいが、下手に動くと何をされるかわかったものじゃない。とりあえずは、なるべく刺激しないように様子見するしかないか…


 女はそこかしこに飛び散ったケータイの破片を片付け終えると「一緒に食べよう」と言って、俺の手を取り食卓へと引っ張っていった。


 「腕によりをかけて作りました!毒なんて入ってないから、どうぞ、食べて食べて」


 俺が座ったまま料理に手をつけずにいると、女はそう声をかけてきた。こんな状況で食べものが喉を通るわけないだろ!それに、テーブルの上に並べられた料理を見ると、俺の好物ばかりが並んでいる。間違いない。この女は俺のことを知っている。不審者に自分の情報が筒抜けだと思うと背筋が凍る。


 「お、お前は誰だ。どうしてこんなことをしている」


 このような状況にも少しだけ馴れてきて、ようやく声を絞り出すことができた。


 「誰、か。結構答えるのが難しい質問だなー。それは私の名前を聞いてるのかな?それとも私の社会的な立場のことを聞いてる?それか、私の内面について知りたいのかな?まーでも、おそらくあなたが欲しいであろう答えを察して言うなら、私もあなたと同じだよって答えておこうかな」


 いまいち要領を得ない答えだが、俺の脳裏にとある強烈な予感がよぎる。俺と同じだと…?こいつ、まさか…


 「あっっっっつい!!」


 突然、俺の顔面にスープがぶっかけられた。


 「私が作った料理に手もつけないで、ずーーっと考え事ばっかしてるからムカついちゃった。こうでもしないと食べてくれないかなって」


 なんなんだ本当にこいつは!勝手に家に忍び込んで料理をして、ケータイぶっ壊されてスープかけられて…。行動が常軌を逸している!だいたい、どうやって家に入れたんだ…


 「それにしても不用心だよねー。鍵を開けっぱなしにしておくなんて」


 こちらの思考を読んだかのように女が話しかけてくる。


 「開けっ放しって…。玄関の鍵は閉まってたはずだ。でたらめを言うな」


 「違う違う。そっちの鍵じゃなくて、ベランダの窓の鍵。開けっ放しにしてたら私みたいな人に入られちゃうよねー」


 …こいつは危なすぎる。一刻も早くこの状況をどうにかしないと。キレられたら何されるか分かったもんじゃないしな…。


 「ふふっ、でも、鍵をかけ忘れてくれたおかげで、こうしてあなたと食事できてるんだから、その点に関しては感謝しないとね、田中くん♪」


 当然のように俺の名前を知られている。さっきこいつは、自分のことを俺と同じだと言った。ということは…


 「お前も大野さんと仲が良いのか」


 そう女に問いかける。少し考えてみれば当然のことかもしれない。現に俺も彼女の家に勝手にあがり込んでいる。彼女ほど魅力的な人物だ。俺と似たようなやつがもう1人くらいいても何ら不思議ではない。


 「仲が良い、か。いかにもストーカーらしい言い回しだね。でも、違うよ。私が仲が良いのはあの糞女じゃなくて田中くんの方だよ」


こいつ、俺のストーカーだったのか!予想を裏切る答えに驚く。追いかける側だと思っていた自分がまさか、追いかけられる側でもあったとは…!


「どうしてこんなところにいる?何でこんなことをするんだ?」


あまりにも予想外の状況に、素直な疑問がこぼれる。

 

 「どうして、か。田中くんがびっくりしてくれるかなと思って」


 「…そんなことのために、人の家に忍び込んで好き勝手したっていうのか」


 「意外な反応をするんだね。私たちの行動に納得のいく理由付けなんて無いことくらい、あなたも分かるでしょ?強いて言うなら、興奮して気持ちが満たされるからってくらいだよ」


 なるほど。俺が大野さんをつけている理由と大して変わらない。女の説明は妙にすんなりと納得がいった。


 「ところで、私は今あなたに自分がストーカーであることを告白して、社会的に危険な状況になったわけだけど、そんな中であなたを何事も無く帰すってことがあるのかな?」


 そう言って女は食卓から立ち上がりキッチンへと向かった。そして、まな板の上に置いてあった包丁を手に取り、俺の方へと寄ってくる。

 

やばい!!そう思った時にはすでに体が勝手に動き出していた。俺は玄関を飛び出し、全速力で逃げていた。殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される…!!!


 「あははははははは!あはっ!あははははははははははははははは!!」


―ダッダッダッダッダッ


背後で、女が笑い声を上げながら追いかけてくる音が聞こえてくる。


 追いつかれたら死ぬ。それだけは分かっていた。俺は全力で走って走って走り続けた。とにかく女から逃げる。そのことだけを考えて…!


「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」


 ついに足が限界を迎え、息を切らして立ち止まってしまった。すると、


 「お巡りさん!こ、この人です!!」


 そこには、交番から顔を出して恐ろしそうに俺を指さす大野さんの姿があった。必死で逃げていたら、いつの間にか交番の前に着いていたようだ。そしてよりにもよって、警察がいる前で大野さんと鉢合わせてしまったらしい。しかし、今はそのことよりも…


 「お巡りさん!ストーカーです!!助けてください!!!」


 警察でも何でもいい!とにかくこの状況から俺を救ってくれ!俺は女への恐怖心から警察に助けを求めていた。


 「あちらの方からお話は伺いましたが、まさか本人が名乗り出てくるとは。詳しく取り調べを行いたいので、こちらへお願いします」



 そう言われて俺は警察官に連れていかれた。俺の発した意図とは別の意味で受け取られてしまったようだが、あの女に捕まるよりはよっぽどましだ。そう思いながら、少し落ち着きを取り戻して交番の中を見渡していると、とある指名手配所が目に留まる。


 「それにしても、最近はストーカー被害がエスカレートしてきて困ったものですね。後を追うだけじゃなく、家に不法侵入したり、相手を殺してしまうようなケースも出てきています。あの手配書の女なんて、もうすでに5人も被害者を出していますからね」


 そう警察官が指さした先には、俺に「おかえり」と声をかけてきた女の顔が描かれていた。


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