7 逃走
そのままゆっくり振り下ろした剣先はルティナ様のすぐ横、木製の高そうなテーブルをざっくりと切った。
「ひっ……」
ルティナ様の怯えた声がすぐそばで聞こえた。部屋の外からは、先程のルティナ様の悲鳴のせいかガヤガヤと声がしていた。
……あたし今、ルティナ様を殺すところだった。
それに気がついたら、既に汗で身体中べたべたなのにも気がついた。
「……にげ、て……」
体が震えるけど、何とか自由が効くようになったし、ようやく口もろくに聞けるようになった。ルティナ様はあたしの手に触れながら珍しく早口で捲し立てた。
「レイデ、その剣を捨てて! わたし、昼間貴方が剣を持ってるのを見た時、なんだか、嫌な感じがして……それはきっと聖剣なんかじゃないわ、騙されてるのよ!」
怖いはずなのに逃げないで、ルティナ様はあたしの左手の指を剣から剥がそうとしてくれた。しかし、剥がれない。
『……逃がしはせんぞ』
どこからか、催眠術のように男の声が聞こえた。ルティナ様は無反応で、多分あたしにだけ聞こえる。
「指が……動かなくて……」
「そんな……!」
右手がびくんびくん痙攣する。まるで別の生き物のようにルティナ様の首を掴みたがっている。剣を手放すことができないし、このままじゃまた乗っ取られてしまう。
ルティナ様! ルティナ様! と誰かが悲鳴を聞いて駆けつけたのか扉を叩いていた。
……この聖剣は、間違いなくあたしにルティナ様を殺させようとしている。
扉の鍵を開けて、部屋を出たかった。誰かに止めて欲しかった。でも剣がそれを拒否している。
しかし剣を手放そうにも、かたく握った左手はびくともしない。あたしがここにいてはルティナ様が危ない。
「……ルティナ様、勝手に入っちゃってごめんなさい」
他に言いたいことはいっぱいあるのに、まずそれしかいえなかった。
「な、なに言ってるの! そんなの今はどうだっていいわ! それより貴方の方が」
ルティナ様もなにがなんだかわからない感じだった。目に涙を浮かべながら必死にそう言ってくれる彼女の、首を絞めたがる右手で肩を突き飛ばした。床に倒れた彼女は慌てて顔を上げるとあたしを見た。
「レイデ!?」
あたしはルティナ様から離れて、窓際へと駆ける。鍵を開ける時間も惜しくて、聖剣で窓をバリーンッ! と叩き割るとそのまま端に残った破片を突き破るように夜空へと飛び出した。
空中で脱力すると、今度は左手が勝手に動いて、城の壁に剣を突き刺した。
ギャリギャリギャリッッ!! と火花を散らしながら、5階、4階、3階、と高度が下がるごとに受ける空気抵抗が少しずつ弱まり、次第に減速していく。
「……レイデ────ッッ!!」
ルティナ様があたしを呼ぶ声が聞こえた。
地面から3m浮いて、聖剣は城壁に突き刺さったまま止まった。勢いをつけた両足がブーツの裏で城壁を蹴って、抜けた剣を鞘に収めながらあたしは無事に着地した。
『……機を逃したな、森の方へ逃げろ』
「なんなのお前……ッ! 偉そうにッ!」
『……早くしろ、捕まりたいのか』
「自首するっ!」
『……お生憎様だが、それは無理な相談だな』
男の声がそう言った瞬間、前がろくに見えない暗闇の中を駆け出したあたしは、迷いなく城門の横の使用人用の扉を叩き斬って完全に城の土地から出た。
「お前なんなの……なんなのさッ!?」
『……お前が左手に握っているだろう』
やっぱりあたしの体でめちゃくちゃやってるのは聖剣みたいだった。ってか『聖』っていうよか、こいつが一番の厄災じゃん!
今すぐ城に戻りたかった。牢屋に入れられるとかそんなのは平気だけど、ごめんなさいの一言で済ませたくないのに、ろくに謝りもしないで逃げ出してしまったのがつらくて、罪悪感で胸がいっぱいだった。