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ハーヴィルは魔法学園への進学を考えることにしたようだ。
とりあえずは一安心。
さあ、頑張って勉強するぞと言いたいところだけれども、夏休みの兄が帰省して来ているので、毎日遊びまわっている気がする。
夏休みは学校に行っていない私とハーヴィルにはあまり関係がないのだが、田舎なので同世代の子供は少ないし、平民の子はもう働いてる子も多い。
乱暴者の兄とはいえ、遊び相手が増えるのは楽しい。
楽しいのでつい遊んじゃうのだな。
ちょっと遠出しようかという話も出ていた。
そんな浮き浮きした気分で、ハーヴィルの家に馬を走らせていると、見慣れない馬車が立ち往生しているのが見えた。
どうも車輪が溝にはまってしまったらしく、御者と煌びやかな服装の男性が持ち上げようとしている。
ちょっと離れたところに女性が立っている。
荷物を乗せたままだと動かないようで、中から出すかどうかを話し合っているようだ。
御者が私に気付いた。
「お嬢様」
御者は見た顔だった。
ハーヴィルの家の御者で、私とハーヴィルが遊びに行くときに馬車を出してくれたりする。
「こちらから、避けて通っていただけますか」
馬車が道をふさいでいるので、横を迂回するように頼んできた。
「ああ、ちょっと」
男性のほうがこちらをむいた。
「よければ馬を貸して貰えないかな。2頭で引っ張ればなんとかなるかもしれない」
あんまりよくはない。
私の乗っている馬は、子供が乗る用の、おとなしくてのんびりしたお婆さんなのだ。
そういう力が貸せるような馬ではない。
だが、困っている人を見過ごすわけにもいかない。
「ハーヴィルかおじさまを呼びましょうか」
「ああ、そうしていただけると助かります」
御者が言う。私が魔法で伝言を飛ばせることを知っているからだ。
「魔法を使うの?」
女性、というか女の子が言った。女性らしい大人っぽいドレスを着ているけれど、近くで見たら同世代のような気がする。
ふんわりした素材の生地で、夏らしい透かしが入ったお洒落なドレス。小物も素敵。
髪もお綺麗に結い上げられていて、こちらに来たばかりのリアーナ夫人を思い起こさせる。
「そうよ。魔法で…」
言いかけて気づいた。
魔法を使うのなら、わざわざハーヴィルを呼ぶこともなかった。
車輪がはまっただけなのだから。
「ちょっと持っていてくれますか」
御者に指示して、みんなを離れた場所に控えさせる。そうして危険がないようにしてから馬車をちょっと浮かせてずらす。
あっという間に、道の真ん中に移動できた。
男性と少女はびっくりしたようにそれを見ていた。
田舎になると魔法が使える人は珍しいが、それでも領主とその家族なら、多少は使えるものだ。
もしかして、私が領主の御令嬢に見えなかったのかもしれないけれど。
馬での移動も多いし、道もあんまり整備されていない田舎なので、いいドレスを着るのは本当にとっておきの時だけなのだ。
「すごいわ。こんなに小さいのに」
その言葉で、向こうが私のことを子供だと思っていたのが知れた。
小鹿のように愛らしいお助けジェシカ。残念ながら小柄なのだ。
男性はリアーナ夫人の兄でビヨルド男爵といい、娘のマイラと共に、夏休みをここで過ごすのだという。
なるほど。男女の違いか、男爵はそんなにリアーナ夫人と似ているようには思えなかったが、マイラはよく似ている。
目元はぱっちりとしているものの、すっきりと通った鼻筋に小さく上品な唇、全体的に涼しげな印象。
一言で表すと美人だ。
領主館まで一緒に行ったら、ハーヴィル一家が出迎えに出ていた。
ハーヴィルとマイラが並ぶと、ものすごく美男美女のカップルだった。
なんか面白くない。
マイラはあっという間に、その辺の人気者になった。
美人でお洒落で都会的だからだ。
男の子は好意を持ち、女の子は憧れて、こぞって同じ髪型にしたがった。
ああいう手の込んだ髪型は、侍女がやってくれるのかと思っていたけど、なんと自分で工夫しているらしい。
そして、彼女は惜しげもなく技術を教えてくれた。親切だ。
いい子だなと思うけれど、いい子過ぎてもやもやする。
妬んでいるのかな。
今まで、この近所の同世代の少女たちの間で、私は一番地位が高かった。家柄は伯爵家だし、勉強もできて、そこそこだけど魔法も使えた。
なのに、あっという間にマイラに人気をさらわれたから。
マイラは男爵令嬢だから、身分的にはそうでもないのに、とか嫌なことを考えてしまう。
では、会わなければいいではないかという話なのだが、それもちょっと難しい。
何故なら、マイラと私は、このへんではご友人として一番釣り合いのいいご令嬢同士なのだ。
年が近くて身分的にも近くて仕事をしていないから暇な時間も同じくらい。
しかも、せっかくだから、と、ビヨルド男爵はマイラにも勉強を教えてくれるよう、セントジョン伯爵に頼んだ。
おかげで、ハーヴィルと私とマイラで机を囲んでいる。
マイラはあまり勉強が得意ではないようで、セントジョン伯爵の講義だけだとわからないことが多いらしい。だったら伯爵に聞けばいいのに、ハーヴィルに説明させたりしてて、それは授業を受けるものとしてどうかなと思う。
今日も、伯爵が立ち去った後に、わからないところを聞いている。
「ええ?ここはどうなったの?」
ぴったり身体を寄せて本を見ている。ちょっと近づきすぎじゃないかしら。
ハーヴィルはねは真面目なので、いちいち親切に教えていて、それもなんとなく腹が立つ。
ヒュー兄は私の気持ちを知ってか知らずか、よく私たちを遊びに誘った。
王都の騎士学校に通う兄は夏休みの帰省中で暇を持て余しており、伯爵の授業が終わっったくらいを見計らって誘いに来るのだ。
「魚釣りに行こうぜ」
その日も、勉強が終わったら、すっかり準備が出来ていた。
セントジョン伯爵領は水が豊かで、ゲームのハーヴィルが馬車ごと落ちたような危ない場所だけではなく、魚を釣るのにいい川もあるのだ。
「おまえ、マイラに気をつけろよ」
移動中に、そう忠告めかして言ってきたのは兄だった。
マイラが来たばかりの時は、みんなと一緒になって、可愛いの美人のと騒いでいたのに。
そのマイラはハーヴィルと一緒に前を歩いている。
「気を付けるって何を?」
「ハーヴィルを取られちゃうってこと」
「だって、いとこじゃない」
「おまえ馬鹿だなー。いとこ同士は結婚できるんだせ」
それは知ってた。
なるほど。兄の言うことももっともだ。
このへんは避暑には向いていない。王都の南で盆地だからむしろ暑い。
なのに、なんで、男爵とマイラは夏休み中、長期滞在をしているのか。
マイラとその父親である男爵はいい縁談を探しているのだ。自分の家より爵位の高い親戚を頼って縁談を探すのはよくあることで。その家に息子がいるなら手っ取り早い。
彼らが伯爵夫人の座を狙っていたことは私も兄に言われるまでもなく勘付いていた。
でも、ハーヴィルは攻略対象なのよ。
マイラと結婚したりするわけないじゃない。
そう一笑に付したいところではあったが。今のハーヴィルは、ハーヴィルであってハーヴィルじゃない。
ものすごくゲームからずれているハーヴィルなのだ。
だとしたら、マイラのことを好きになっちゃう?
それは困る。
ヒロインと運命的に出会って恋に落ちなければならないのだから。
でも待って。
なにかが記憶の隅でひっかかる。
そういえば、ハーヴィルにも婚約者的な女性がいなかったっけ。
王太子の婚約者のように、名前のあるキャラではなかったけど。
確か、妻を亡くしたハーヴィルのお父さまが領地で酒浸りになっていて、代わりに伯父様とかいう人が領地の面倒を見ていたのよね。
その人はハーヴィル親子が領地経営に無関心なのを利用して、私腹を肥やしていたんだったわ。
それで、それを誤魔化すために、ハーヴィルに自分の娘を娶せようとしていて。
でも、自分の殻に閉じこもったハーヴィルは周囲のことに全然気が付いていなかったんだっけ。
あれ。
伯父様。
伯父様って、親の兄のことよね。でも、ハーヴィルのお父さまに兄がいるとしたら、普通はその人がセントジョン伯爵よね?
と、いうことは、リアーナ夫人のお兄様。
もしかして、もしかしなくても、ビヨルド男爵とマイラなの?
ここで私は気が付いた。
私はハーヴィルの家族の運命を丸ごと変えてしまったが、ビヨルド男爵とマイラの運命も変えてしまったようだ。
何故なら、今のセントジョン伯爵領には、付け入る隙がない。
男爵だって、セントジョン伯爵が自分の務めを放棄していたからこそ、誘惑されて不正を犯してしまったのだろう。
ゲームではその後の話は出てこなかったけれど、ハーヴィルが順当に領地経営をすることになったら
不正が明るみに出たビヨルド男爵一家は罪に問われたはずだ。
だったら、マイラは私に感謝してもいいよね?
犯罪者の娘にならずに済んだわけだから。
そうは思ったものの、ゲームの話なんか知る由もないマイラはいつもニコニコ楽しそうで、やっぱりちょっと妬ましい。
私がゲームの答え合わせをしているのをどう思ったのか、兄が私を小突いてきた。
「おまえもさあ。いざとなったら腕に物を言わせるくらいのことはしろよ」
「そんな野蛮なことしないよう」
貴族の令嬢に何を言うのだ。
「いやあ、拳を交わせばマイラともわかりあえるかもしれねえしさ」
「そんなのでわかりあうわけないじゃない」
「いやあ、騎士学校だとよくあるぜ。馬が合わないと思っても、思い切りやりあったら逆に仲良くなったりさあ」
なんて野蛮な。
これだから騎士学校のやつは。
ハーヴィルはこの兄ととても仲良くて、どんどん毒されている気がする。
あまりよくない。
ゲームで見たよく言えば繊細、神経質で偏屈なハーヴィルが拳で語り合うようになったら困る。
そんな心配も他所に、ハーヴィルがアウトドアを満喫している。
今日は天気も良く、絶好の釣り日和だ。日差しを浴びて、川面もキラキラを輝いている。
夏に取れるのはブバスという鱒に似た魚だ。身が淡白だが甘いソースによく合う。
「釣れたら今日のご飯にするの?」
マイラが聞く。都会っ子のマイラは釣り自体が初めてだそうだ。
「釣って帰ったら、もうメシの出来てる時間だよ」
兄が返事をする。
日本の一般家庭ならともかく、この世界にはちゃんとした料理人がいるので、そういうことになる。
それにこの世界では生の魚もあまり食べない。
マイラはそういうことも知らないらしくて、いちいち感心している。
「私も釣ってみたいな」
ハーヴィルが持っていた釣竿を、横から珍しそうに触っている。
「川に近づいたら裾が濡れるわよ」
私は普段は汚れてもいいワンピースみたいな服を着ているが、マイラはいつもおしゃれしている。
「汚れてもいいならいいんじゃない」
そう言ったのはハーヴィルだった。なんだか言い方がキツイ。まあ、確かにそうなんだけども。
「どうしちゃったの?」
マイラが戸惑ったような困り顔で笑ってハーヴィルの腕を取った。
「そういうことをしても無駄だよ」
ハーヴィルはマイラの手を振り払った。
「俺、マイラのことは好きじゃないし、結婚したいとも思わない」
そのまま、まっすぐ彼女を見て言う。
なんということ。
マイラは真っ赤になって震えている。
彼女が伯爵夫人になるという明確な意図を持ってハーヴィルにべたべたしてたのは、どちらかといわなくても鈍いヒュー兄でも気が付くようなことで。
でも、それは、厳しい身分社会であるこの世界では普通のことだ。人前で言って恥をかかせることではないのではないか。