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お助けジェシカこと私ジェシカ・バートレット伯爵令嬢は15歳になった。
と、いうことは、ハーヴィルと出会ってもう5年になるということだ。
ゲームでのハーヴィルのお父様ことセントジョン伯爵は、妻を亡くし、失意のまま、息子を顧みることなく酒浸りになっていた。
ハーヴィルはそんな父親に失望し、一人で魔術に取り組んでいた。と、いう設定だった。
しかし。
お父様は中央での華々しいキャリアこそ捨ててきたが、ハーヴィルの弟と妹にも恵まれ、領地で楽しくやっている。
そもそも、魔術師というのは、ものすごくレアでつぶしが効く職業なのだ。
強大な魔法で魔物を討伐できるのが何より大きく評価されるが、土木工事のようなものにも応用が出来る。
この辺りは商業も盛んなので、王都で培った人脈を活かしてもいるようだ。
そんなセントジョン伯爵は、最近、若者を育てることにも取り組んでいる。
最初のきっかけは、5年前の私のお願いからだった。
私の希望で、伯爵はハーヴィルと一緒に私の面倒も見てくれた。
やりがいというのであれば、あっという間になんでもマスターするハーヴィルよりも私のほうが断然、教える喜びがあったはずだ。
セントジョン伯爵の教育熱に火が付いた。
周辺の子供や若者を集め、魔力が強い子には魔法を教え、そうでない子には通常の教育を施した。
若い働き手がどんどんレベルアップしたことで、ハーヴィルの家の領地もどんどん栄えた。
ついでに、仲良くしている我が家も、いろいろ助かっている。
そんなふうにして楽しく日々は過ぎていき、私たちはのびのびと成長した。
来たばかりの時は、おとなしめな都会っ子だったハーヴィルも、すっかり田舎に染まった。
王都の騎士学校に通い、休みごとに帰省してくる私の兄もよくない。ハーヴィルは影響されて、だいぶやんちゃになった。
やんちゃというのは婉曲な表現だ。柄が悪くなった。
だいたい騎士学校自体が柄が悪いのだ。都会にあって、腕自慢の若者の集まりだ。
兄も影響されて帰ってくるし、ハーヴィルもそれに影響されてしまう。
こればかりは、一家そろって謝りたい。
今も、夏休みで兄が帰ってきて、ハーヴィルと私は川に連れ出されている。
王都は建物が多くて自然に乏しいので、釣りや乗馬はかなり外れに出ないと出来ない。なので、兄は帰省すると釣りばっかりしているのだ。
私とハーヴィルが15歳なので、兄は17歳になる。
兄の地元の友達は、それぞれ一人前に働いていて、なかなか学生の兄と遊ぶ時間が取れない。
ハーヴィルはちょうどいい遊び相手だ。
このへんの川ではモウという鮎に似た魚が取れる。鮎に似ているだけあって食べると美味だ。
なかなか釣れないのだが、それがまたレア感があってよいと釣り好きたちは言う。
本来、領地の魚は領主のものだが、手間のわりに見返りが少ないので、仕事にするには割が悪く、黙認されている。
それに、よくよく考えたら、そもそも兄とハーヴィルは御領主さまのご子息たちだから取りたい放題だ。本人達が言うほどは取れてないけど。
「釣れたら焼けよ」
兄が言った。
魔法で、ということだ。
火を起こすのは面倒だし、山火事になってはいけないので推奨されていない。
その点、魔法であれば、適切な管理がされていれば安全だ。
「今日は釣れないかもな」
言ったのはハーヴィルだった。
「風が強すぎ」
「確かに。疑似餌が流れちゃうかな」
兄も賛同する。私はあまり詳しくないが、釣れやすい日とそうでない日があるのだそうだ。
「ちぇ。今日は魚が食いたい気分だったのによー」
「もっと上流で川に入って網で取ったらどうかしら」
入れるところがあったはずだ。
しかし、ハーヴィルが難色を示した。
「あの辺は意外と深いんだ。うっかり入って死んだヤツもいるって」
「ええっ」
それは知らなかった。
「もうずっと昔のことだけどさ。うちの領地では言い伝えられてる」
初耳だった。うちの領地は支流になるからちょっと危険度が違う。
もしかしたら、村人の間では伝わっているのかもしれないけれど、私が聞いたことはない。
「人が死んでたら、そこの魚は食べられねえじゃん」
「だから、もうずっと前だってば」
笑うハーヴィルを見ながら、ふと、重大なことに思い当った。
ここの上流って。この川って。
この上は、ゲームの中でハーヴィルのお母さまが亡くなった場所だ。
そんな場所で川遊びをしていたなんて、と思ったが、それを知っているのはゲームの記憶があるジェシカだけだ。
「どうかしたか?」
「ううん。なんでもない」
慌てて否定するが、ドキドキしていた。
ハーヴィルに言われるまで、ここが事故現場の近くだというのをすっかり忘れていた。
お母さまが死んだ川で取れた魚を食べるって、本当にちょっと無理だ。
でも、それは、現実では無かったこと。
ここでは誰も死んでいないし、魚も美味しく食べられる。
だが、それをすっかり忘れていたというのが私の中でひっかかった。
今世の私は裕福な家に生まれて健康だった。
毎日がとても楽しくて。
大好きな家族、友達、村の人たち。みんないい人ばっかりで。
勉強して遊んで家のお手伝いもして。
魔法学園に入らないといけないから頑張ったけど、魔法の勉強をするのはすごく楽しい。
ハーヴィルと一緒なのも楽しいし、魔法が使えるだけで夢みたいだもの。
でも。うっかりしていた。
私が18歳の時に邪竜がこの地に現れ、世界は滅びの危機に直面する。
それを救うのがヒロインであり、そのヒロインを助けるのが天才魔法使いのハーヴィルとお助けキャラの私。
あと3年後だというのに、私たち、ちょっとのんき過ぎないかしら。
いや、でも、ハーヴィルは順調に仕上がっている。
素晴らしい魔術の腕だ。
お父様に師事しているせいか、独学よりも効果が高かったのではないだろうか。
性格が陽気なだけだ。
結局、兄とハーヴィルはこの辺で籠で魚を追うことにしたらしい。
2人ではしゃいでいる。私はしょうがないので火を起こす準備をした。
魔法を使うとはいえ、周囲に火が移らないようにとか、配慮しないといけないことはたくさんある。
しかし、結局、魚は獲れなかったようだ。兄とハーヴィルがずぶぬれになって終わった。
もちろん、母はちゃんと見越してお弁当を持たせてくれている。
準備した火はおかずを温めるのに使われた。
そもそも、2人とも、肉が好きなのだ。ウインナーに噛り付いている。
「そういえばさあ、ハーヴィルは来年どうするんだ?」
ふいに兄が言い出した。
「来年って?」
「学校だよ。王都に出てくるんだろ?」
その言い方にびっくりして口を挟んでしまった。
「魔法学園に行くに決まってるじゃないの」
何を馬鹿なことを聞くのかしら。
お父様が高名な魔術師で、本人も優れた魔法の才能を持つ伯爵家の長男。勉強もできる。
魔法学園に行くの一択ではないか。
「でも、あそこ、キャンベリック一族が牛耳ってるらしいぜ」
ハーヴィルが顔をしかめた。
ここにいる3人とも、引っ越してくる前、魔術師団でセントジョン夫妻がいい扱いをうけていなかったのを知っている。
あの当時の団長は、当時のキャンベリック家の分家筋の老人だった。代替わりして、また別のキャンベリックになった。
私はゲームの知識で、本家のご当主様が魔術師団長になったことを知っている。
キャンベリック一族は魔術師団で派閥が形成できるほど、そもそも魔力の強い人が多いのだ。
魔法学園にもそのご子息たちがいるのは想像に難くない。
「会うの嫌なら、騎士学校に来てもいいんじゃねえの」
「はあ?何言ってるの」
ハーヴィルのお父様は由緒ある貴族なので、もちろん剣術も嗜むし、息子にもいい教師をつけている。
しかし、得意というのならば魔法だろう。
生まれ持った才能を考えるなら、人並みの腕で騎士学校に入ってもしょうがない。
しかし、兄には悪意はないようだった。
「おじさんの跡を継いでここの領主になるなら、学校に行く必要もないじゃんか。
でも若いうちに都会で遊ぶのもいいもんだから、騎士学園もアリじゃんって」
それはとても一理ある。
将来後を継げる領地があれば、親に経営を教えて貰う貴族の子弟は多い。
でも、それはハーヴィルの道ではないと思う。
「ハーヴィルはもっと魔法の研究をしたいんじゃないかしら」
そもそもが学究肌だ。もっと極めたいと思うのが自然ではないか。
「おじさんは素晴らしい魔術師だよ。あれ以上の教師は王都にもいねえんじゃね。だったらわざわざ王都で学ぶ意味がないだろ」
反論の言葉が出てこなかった。
確かにそれは感じていた。
天才の父もまた天才で、この人に教わっておけば、他の教師に教わる必要はないようには思う。
でも、違う人から教わる視点もあるのではないかしら。
「ハーヴィルはどう思うの?」
さっきから私と兄ばかりが話している。本人の意思を確認しなくては。
ハーヴィルは首をすくめた。
「俺、王都の学校とか行かなくていいかなって」
「「なんで??」」
兄と私が口を揃えた。
「都会に出るんだったら他の奴らと同じ15歳が一番楽しいぞ」
「もったいないじゃない」
「おまえ、後継ぎなんだから遊べるのは今だけなんだぞ」
「そんなに頭が良くて魔法が使えるのに」
「学校に行かないと、うちの兄貴みたいに農場に研修とか行かされちゃうんだぞ」
「ちょっと。兄様」
反論するポイントがおかしいでしょうよ。
これだから次男坊は。
「俺は田舎が合ってるんだ。王都とか行きたくねえもん」
そんな。
ものすごく呆然とした。
当たり前に隣にいすぎて、ハーヴィルの人生設計とか聞いたこともなかった。まさか、魔法学園に行く気がないなんて。
どうしたらいいの。
驚きすぎて、何を食べたかも思い出せないくらい、ぼんやりと昼ご飯を食べた。
兄とハーヴィルは特にたいしたやりとりでもなかったかのように、普通にご飯を食べていた。
「そういや、おまえ、マジで進学するのかよ」
ついでにのように兄が聞いてきた。
「フィニッシングスクール行くんだろ。母さんが金がかかるってぼやいてたぞ」
「違うよ」
どこでそんな話になったのか。
「魔法学園でーすー。だから伯爵様に魔法を教えてもらっていたの」
「マジかよ」
何故かハーヴィルが驚いたようにこっちを見た。
「ジェシカは地元にいるのかと思ってた」
「え?なんで?」
「このへんの女の子って地元から出ないじゃん」
「地元から出ない子は私みたいに勉強してないでしょう」
ハーヴィルほどじゃないけれど、私の成績はそこそこ良い。
子供のころからコツコツ頑張ってきたし、魔法がちょっと怪しい分、学問はものすごく勉強した。こっちもセントジョン伯爵に教えて貰っているから、かなりの実力を身に着けている。
「マジかぁ」
ハーヴィルの声は小さかった。
マジかと言いたいのはこっちのほうだよ。
王都の魔法学園に行く気がないとは思わなかった。
まあ、そのへんはうっかりしていたのだな。
今のハーヴィルはゲームのハーヴィルと違う人格だ。
陽気で優しく、すっかり田舎に馴染んだ少年だ。
でも、ヒュー兄が行ってるように、そこそこの家柄の少年は王都に進学するものなのだよ。社会勉強とか人脈作りとかいろいろあるので。
そこで気づいた。
時期的に今から試験準備をするくらいのタイミングなので、進学しないというのは、まだ、ハーヴィルが言っているだけだ。
あれだけ出来の良い息子を持って、ご両親は当然、進学を考えているのに違いない。
家に帰ってすぐにリアーナ夫人のところに行った。
お母さまなら当然、魔法学園への進学を考えていると思ったので。
だが。
なんということ。
ハーヴィルのお母様はちっとも息子の進路について考えていなかった。
「だって、どうせここを継ぐのよね?」
そんな、うちのヒュー兄みたいなことを言わないでいただけますか。
「でも。でもでも。王都で繋がりを作ったりって大事ではないでしょうか」
「そういうものなのね。わたくし、学校にいったことがなくて」
なんたること。あまり裕福でない男爵令嬢であったリアーナ夫人は学校に通ったことがなかったという。
ごく基本の勉学だけを家庭教師に教えて貰って、その後は魔力があるので、魔術師団でお勤めをしていたのだそうだ。
でも、学校を出てなかったのであまりいい扱いではなかったのだという。
そこで、その美貌をスーパーエリートのセントジョン伯爵に見初められて今に至る。
なるほど、奥様方から妬まれていじめられるわけである。
リアーナ夫人は現代日本風に言えば、なかなかの天然だ。
おっとりしていて、そういうところを癒し系だと思う男性もいるだろうが、女性の目は厳しいだろう。
全く当てにならない夫人と違って伯爵さまは私と同意見だった。
『魔力のある貴族の坊ちゃんは魔法学園に行くべし』である。
むしろ、伯爵はそのために私の面倒をみていたらしい。
「あれはちょっと人見知りで引っ込み思案なところがあってな」
今でこそ陽気で人当たりが良いが、子供の頃は本当に引っ込み思案だったのだそうだ。
ハーヴィルが人見知りというのはなんとなくわかる。ゲームでもそうだったから。
「1人で知らない学校へ行くのは嫌がるかもしれないと思ってな」
田舎に引っ込むデメリットについて、5年前のセントジョン伯爵は考えていた。
だが、隣の領地に、魔法学園に行きたいと夢のようなことを行って勉強したがる少女がいた。成績は良く、魔力も合格の範囲内だ。
「仲良しのジェシカ嬢が行くなら、ハーヴィルも行くだろうと思ってな」
びっくりです。
まさか、そんな下心のもとにご指導いただいていたなんて。