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私の前世の記憶が本当のものならば、目の前の美しい女性はもうすぐ死ぬ。
もちろん、それは初対面で言う内容ではない。
しかし、私が黙ると馬車内に沈黙が満ちる。お母さまもハーヴィルも無口な人たちのようだ。
あっという間にうちが見えてくる。
入口のところに母がいるのが見えた。
ハーヴィルのお母様とうちの母とで挨拶合戦のようなものが始まった。
日本でも見た光景だ。
こういうのはどこの世界でも同じなのだなあと眺めていたら、耳を引っ張られた。母だ。
「馬だけ戻ってきたから、どうしたのかと思ったわよ」
馬は勝手に戻ってきたらしい。それは良かったけれど、母はさぞや心配だったことだろう。
5人の子供を育てた母はコミュ力抜群で、そのままハーヴィル親子を午後のお茶に誘った。
何か予定があったようで、ハーヴィルは少し不服そうだったが、うちの料理長の自信作、ベリーのタルトの前に陥落した。
新鮮なベリーはもちろんのこと、カスタードと塩気の効いた生地が絶品なのだ。
ハーヴィルのお母さまは少し緊張していたようだったが、そのうち気持ちもほぐれてきたようだった。
王都育ちで、このあたりに来るのは初めてだという話をしている。
まあ、前の領主さまとは親戚とは言っても遠縁らしいから、機会もなかったのだろう。
田舎自体も初体験らしい。
「夫の仕事が忙しくて。私も1人で旅行とかはしませんし、どう過ごしていいかわからなくて」
貴族の女性が1人で田舎に行ったりはしないので当然と言えば当然か。
「来てみたら、とてもいいところですね。のんびりできそう」
「そうねえ。それだけが取り柄かしら」
母がふふふと笑う。
田舎暮らしもそんなにいいことばかりではないんだけどな。正直、娯楽もないし、面倒なことのほうが多い。
ただ、日本から転生してきた私の基準からしたら、この世界はほとんどの人が、いわゆる田舎で暮らしている。だって、都会といえる都会なんて王都だけだもの。
特権階級である貴族たちは、それぞれに領地を持っていて、そこを運営している。なので、社交シーズン以外は貴族も田舎に住んでいる。
もちろんハーヴィルの家のように、王都で重要な仕事をしている場合は、管理人を置いて寄り付かないということもあるようだが
やはり領主が目を光らせていないと不正が横行したりするものだ。
ただ、ハーヴィルのお母さまであるリアーナ夫人は療養のために来られたという噂なので、領内の管理ではなく、のんびり過ごすのだろう。
リアーナ夫人の頬は美しいピンク色をしていて、こうしてお茶をしていると、お元気そう。
どこがお悪いのかしら。
母は触れなかったが、言い出したのはハーヴィルだった。
「レディ・モイラがいないところならどこでもいいところだよ」
つんけんとした、どこか固いボーイソプラノが響いた。
「ハーヴィル」
お母さまが息子をそっと諫めた。
「意地悪ババアがいないだけでせいせいする」
「モイラ様には、私が至らないからご指導をいただいているのよ」
「でも意地悪だよ。キャンベリックだからって偉そうだし…」
最後のほうはもにょもにょっとなってしまっていたが、ゲームの知識のある私はなんとなく理解した。
キャンベリック。それは、この国で一番有名な魔術師の一族だ。
今の魔術師団長もキャンベリック侯爵家の御当主様で、その息子は御曹司としてゲームホシミチの攻略対象になるほどに。
ハーヴィルとは当代随一の魔術師の座を争うライバルでもある。
しかし。大きい派閥になればなるほど勢力争いがあるもので、攻略対象のキャンベリック先生は親戚付き合いにとても悩まされていた。
キャンベリックの名前を使って傍若無人な振る舞いをする人たちもいて、本家の先生が後始末をしていたこともあった。
そこまで知っていると、何があったか想像がつく。
前世の私は病弱な世間知らずではあったが、小説や漫画を楽しみ、ドラマもよく見ていた。
外に遊びに行けないので、どうしてもインドア派になってしまう。
18禁の作品はさすがに見ていないが、内容が大人向けの作品も見ていた。
それこそ、社宅でいじめが起きるようなやつ。
ハーヴィルのお母さまは身体が悪いわけではなく、魔術師団内での人間関係が悪かったのだろう。
社宅ドラマも最後には主人公たち一家が自分の家を建てて社宅から引っ越していった。
距離を取るのが一番なのだ。
あの主人公もくだらない理由でいじめられていたっけ。
「若くて美人だから妬まれたのね」
つい、うっかり口に出してしまった。
ハーヴィルが我が意を得たりとばかりに頷く。
「そう。絶対そう」
リアーナ夫人は困ったように眉を寄せた。そういうことではないのだと言うが、うちの母が眉毛をあげたので、多分そういうことで合ってるのだろう。
そうして出会って。ハーヴィル親子は時折うちに来るようになった。
ハーヴィルのお母さまはまだ若く、子育てにも不安を持たれていたようで、うちの母に相談をしたいようだった。
誰かの母親だというだけで、もうすごく大人みたいに思えてしまうけれど、よく考えたら、嫁に行った一番上の姉より少し年上なだけだ。
うちの母も娘のように思えたのだろう。いろいろと教えてあげるようになった。
5人兄弟でにぎやかな家だったのに末っ子の私しかいなくなって、ちょっと寂しかったのかもしれない。
母は来客をもてなすのも好きなのだ。
そうこうしてる間に、私もハーヴィルのおうちに呼ばれるようになった。
ハーヴィルは男の子だったが、兄たちのように乱暴ではなく、静かにお母さまに付き従っていた。
そして、都会っ子なので、馬に乗れなかった。
「乗れないのね」
「王都では必要なかった」
「そうね」
ここはちょっと考えどころだ。
ゲームのハーヴィルが馬に乗れたかどうかを示す描写はなかった。
でも、ヒロインや王子や騎士は馬に乗っていたので、ハーヴィルに乗れないという選択肢はないのではないかしら。
それに、しばらくここに住むなら、絶対に乗れたほうがいい。
なにより。私が見たい。颯爽と馬に乗る攻略対象ハーヴィルを。
「このへんは乗れないと不便なのよね」
「そうかな。馬車があるじゃないか」
このおぼっちゃまめ。
「自分で乗れないと、どこに行くのも御者がついてくるのよ。内緒のおでかけ、できないよねえ」
実際には厩舎の人に馬を出してもらわないといけないので、完全に秘密でというのは無理なのだが、途中で寄り道をできるかできないかを考えたら、ものすごく差が出るものである。
「それに、ハーヴィルのおうちって、いい馬がいなかった?」
ハーヴィルのお父様の前のご領主さまが馬好きだったと聞いている。
昔からいる管理人さんは、ハーヴィルの一家がいつ来てもいいように領地を運営し館を整えているらしい。その中には前からいる名馬の世話も含まれる。
「乗らないなんて、もったいないよねえ」
ちらりと横目で見ると、気を引かれてはいるらしい。
「そういえば。今、すごく綺麗な仔馬がいるんだってね。見てみたいなあ」
「いいよ」
ちょっと考えた後、ハーヴィルが言った。
「ジェシカが見たいなら見せてあげる」
連れだって厩舎に出かける。
ちょっと前に生まれたという仔馬は葦毛だった。
「わあ。可愛い」
私がおやつをあげたいとねだると、馬丁がりんごの切れ端をくれた。
仔馬がりんごを食べるのをハーヴィルは後ろから見守っていた。
もしかして、怖いのかしら。
私も最初に馬を見た時は怖かったから。でも、慣れたら平気だ。
ハーヴィルも私がりんごをあげて、仔馬がおとなしく食べているのを見ているうちに、気が変わってきたようだ。
「僕もあげる」
自分も前に進み出た。
それはそうだろうなと思う。私は平均的な同年齢の子よりも背が低くて幼く見える。
その私がやってるのだから、自分にもできそうと思うのも当たり前。
仔馬がハーヴィルのりんごを食べた。
ハーヴィルが嬉しそうに笑う。
可愛いな。
ハーヴィルはそもそも気難しいキャラだったし、子供時代の回想シーンはお母さまを失くした悲劇的な瞬間だった。
こうしてニコニコしている子供のハーヴィルはびっくりするほど幼くて可愛い。
「この子に乗れるのはいつ頃?」
「来年ですかねえ。せめて1歳半にはならないと」
馬丁が答えるとハーヴィルはちょっと残念そうだった。
「じゃあ、今から練習したらちょうど良くない?」
人間が練習する時は年寄りのおとなしい馬から始める。馬だけじゃなく人間にも準備が必要なのだ。
「お嬢様の言う通りです」
「ねえ。一緒に練習しようよ」
たたみかけるとハーヴィルもその気になったようだった。やはり実物の馬を見るのは強い。
上達の暁には二人で遠乗りに出かけることを約束した。
2人で練習すればきっととても楽しい。
それに、私には個人的な思惑もあった。
貴族令嬢である私は気軽に出かけることができない。
馬丁はいるが、仕事も多いのでつきっきりというわけにはいかない。いかないが、貴族のお嬢様をひとりにしておくわけにはもっといかない。前は兄がいたので兄が付いていればOKだったのだが、最近の私はいろんなものを調整してから出ないと外出できないのだ。
つまり、私は早急に兄に回る人材を求めていた。
私は普段は家で勉強をして過ごしているが、村の子供で同じくらいの年齢だと、既に仕事をしていることも多くて、あんまり一緒に遊んでくれない。
ハーヴィルならちょうどいい。
話し相手が欲しかったお母さまだけでなく、私も遊び相手を欲していたのだ。