第7話 孤独な影
『出て行ってくれ、ソリターリオ。そして二度と戻って来るな』
親が子にかける言葉だろうか。
独り立ちする頃であっても信じ難い発言だが、そう言われ追い出されたのは、彼が生まれて間もない時分。精霊でなければ彼は今頃生きてはいなかっただろう。
どうしても共にいられないのなら、せめてもう少し違う言い様があっただろうに。
(言われなくても、戻る気なんて無かったけどね)
強すぎる力は彼自身には何ら問題ないものの、弱い存在には劇物のような影響を与えた。生まれたばかりの幼子にとっては言うまでもない。
同じ肚から生まれた兄弟でさえ例外ではなかった。
寧ろ胎児の段階で命が尽きなかったのが奇跡とすら言える。最強の精霊と言えども胎児の時には自我が芽生えておらず、力が抑えられていたのが幸いしたようだ。
流石に胎児だった当時の記憶は無い。
最も古い記憶は、危険な状態の小さな仲間たちを何とか助けたいと強く願っていたもの。その時に癒やしの力に目覚めたのは僥倖だった。
普通の影狐に癒やしの力は無いものだから。
ただ、そもそも自分が傍にいなければ癒やしなど不要。おまけにどんなに力を行使しても、すぐに具合が悪くなるのを間近で見ていては、呑気に居座る気になれなかった。
幸い、自分以外の兄弟には未だ自我は目覚めていない。ならば今すぐに立ち去れば、もう彼らを苦しめることも無いのではないか。
何度もそう考えたのに、実行に移せないまま日にちだけが過ぎて行く。
彼自身はそれを己の弱さ故だと思い自己嫌悪に陥っていたが、精霊だろうと生まれて数日で親元を離れるのは難しいだろう。
生きて行くのに飲食は不要。だが生きる為の知識は親から学ぶもの。二の足を踏むのも致し方ない。
それを追い出したのだ。生まれて十日程の我が子を。
おまけに餞別とばかりに孤独な、又は世捨て人を意味する名前を付けて。
(踏ん切りが付かなかったから、良いきっかけになったとは思うけどね)
特にやりたいことも無い。適当にやり過ごしていれば何とかなりそうだと、親だった者たちに背を向け、遠くへ向かう。
兄弟たちはともかく、あの二人には二度と会いたくなかった。
「──って、ねえ、ちょっと!」
「なあに?」
不思議そうに尋ねる彼女に、わざとではないのかと呆れてしまう。
「何、じゃないよ。凄い力なんだけど。これ本物の動物にやったら危険だよ、色んな意味で」
力の限りに抱き締め、モフモフの毛並みに顔を埋める明香の顔は見えない。だが声をかけても拘束は緩むどころか、更に強まった。
「小動物だったら潰しちゃうかもしれないし、反撃する場合もあるでしょ?」
「本物には、こんなことしないよ。今はいないけど、猫を飼ってるんだから」
「あのねえ、じゃあボクは苦しくても良いってワケ?」
「違うけど」
ふと、彼女の声がくぐもっているのに気付く。顔を埋めているのだから多少聞き取り難いのは不思議ではない。でも、それだけではなく、声が湿っている気がするのだ。
「もしかして、その猫、えっと、悪い病気なの?」
「違うよ。何でそう思ったの?」
「悲しいことがあったのかと思って」
猫の話をしていて急にそんな声になったのだ、縁起でもない想像をしてしまったのも無理はないだろう。
「違う。私は何でもないよ」
「じゃあ何で」
急に様子がおかしくなったのに、何も無いなんて。
情緒が安定せず、頻繁に感情が乱れる人もいるのは知っているけれど、明香がそういうタイプだとは思わない。寧ろ安定している方だろう。
辛い記憶に刺激されたのかと思ったのだが、違ったのか。
「フラッフィーが」
「ボクのせい?」
自分の何が彼女を傷付けてしまったのか。大切にしたいと思ったのに。
「違うよ。何か、急にフラッフィーをギュッとしたくなって、そうしたら悲しい気持ちになったの。良く分からないけど」
「……そっか、うん、分かった。教えてくれてありがとう」
今更悲しくも何ともない記憶だけれど、当時は少しばかり寂しかった気もする。自分では、それがどういう感情か分かっていなかったけれど、多分そうだろう。
それが明香に影響したのか。彼女がこちらの心を覗ける訳ではないけれど、パートナーだから同調してしまったのだろう。
彼女に負の感情を与えたい訳ではないのに、良くない作用を及ぼしたのは反省点だ。とは言え、謝るのもおかしなこと。
以後、気を付ければ良い。
今は気分転換をさせるべきだろう。
「ねえ、今更なんだけどさ」
「何?」
「あの魔法陣、ボクが本来いる世界から無理矢理繋げたんだよね」
かなりの無茶をしたのは間違いない。
「それでね、けっこう不安定だと思うんだ」
「つまり?」
不思議そうだった声に若干の不安が交じる。
「うん、そのね、大体想像付いてるみたいだけど、ボク以外の誰かが来る危険性が」
「やっぱり!!ちょっと、どうするの?危ない人が来たら」
当然の心配だろう。
「ああ、ボクと似た波長の人しか来れないから、キミに危害を加える恐れは無いよ」
「そんなの、どうして分かるの?」
「ボクがキミを傷付けるワケないから。極端な話、キミと世界、どっちかしか救えないなら、ボクは迷わず明香を選ぶよ」
一瞬たりとも迷わず即決するだろう。
今までも弱い存在を守ってはいたけれど、それは眼の前で蹂躙されているのを見殺しにするのは寝覚めが悪いからだった。積極的にやっていたのではない。
でも彼女は違う。
何も無かった彼に初めて出来たかけがえのない存在。何より大切だと思うのも無理はない。のかもしれない。
但し、それを聞いた相手どう感じるかを想像するべきだろう。
「それは流石に、ちょっと、何と言うか、考え直して欲しいかな」
完全に引いてしまった明香の気持ちをフラッフィーが理解する日が来るのか、誰にも分からない。




