思ったことを
王国で三番目に大きな都市、スピカ!
花屋の無いこの土地に開かれた新しい店!
店内には花壇が有り、色とりどりの花が植えられている。
さらに、花壇を見守る壁が棚になっている。そこには切り花や押し花の見本、そして今店に出ている花の説明書が置いてある。
私が何度も夢見た光景。
それが目の前で、現実に!
しかし、はしゃいでばかりもいられません。
私は命を救われました。その恩を返すために働くのです。
さあ、頑張りますよ!
私はドキドキしながら会計処に立ち、お客さんを待つ。
ひたすら待ち続ける。
待って、待って、待ち続けて……あれ?
「来ないですね」
随分と時間が経った後、エリカさんが言った。
彼女にも家事など仕事があるけれど、今日は特別に店を手伝ってくれている。
「……なぜでしょうか?」
「なぜでしょうね」
二人で首を傾ける。
大通りには数え切れない程の人々が歩いているのに、誰も花屋の前で足を止めない。
「エリカさん、外から店を見て頂けませんか?」
「分かりました」
彼女は素直に頷いて店を出た。
それから色々な角度で中を見て、再び戻る。
「原因が分かりました」
「本当ですか!?」
彼女はコホンと咳払いをして、
「アイシャ様が、とても怖いです」
「……怖い、とは?」
「目が血走ってました。光の加減も絶妙で、まるで魔物でした」
「……そう、でしたか」
全く遠慮の無い言葉に胸が痛む。
「外に出ましょう」
「そうですね」
「それから呼び込みをしましょう」
「呼び込みですか?」
「はい。スピカには他の花屋がありません。しかし外では視線を感じました。気になるけれど、入り辛い。という状態なのかと」
「なるほど! 流石エリカさんです!」
早速、外に出る。
私は青空の下に立ち、スッと新鮮な空気を吸い込んだ。
「早速、呼び込みを……呼び込み?」
言葉の意味は分かる。
だけど経験したことも見たことも無い。
なんとなく、空を見上げる。
ああ、とても良い天気だ。こんな日には花に水をあげて──
「アイシャ様? どうされました?」
「……失礼、少しばかり現実逃避を」
私は恥を捨て、エリカさんに質問する。
──と、ちょうど彼女に目を向けた直後。
「おや、こちらは花屋さんですか?」
「はい! お買い物ですか!?」
反射的に返事をしながら振り向いた。
ご高齢の男性が立っていた。
服装を見るに平民の方で、足が悪いのか杖を持っている。
彼は私を見上げると、世間話をするように言った。
「初めて見ます。最近できた店ですか?」
「今日できました!」
「ほぉ、今日ですか。それは、それは……」
それは……なんだろう?
「お花は、いくらですか?」
彼は別の話題を口にした。
私は疑問に目を瞑り、質問に答える。
「そのままであれば、どれも一本あたり銅貨10枚です」
「そのまま?」
「切り花と押し花があります」
「何が違うのですか?」
「少し待ってくださいね」
私は店に入り、棚から見本を手に取って外に戻った。
「切り花は、このように花を陶器に飾ったものです」
「ほぉ、綺麗ですね」
「ありがとうございます。ただこちら、綺麗に飾るにはたくさん花が必要です。これだと、銀貨2枚ですね」
「……そうですか」
彼は少し残念そうに言った。
平民の日当は銀貨2枚が相場。手が出ないのかもしれない。
「お花、お好きなのですか?」
「……妻が」
「まぁ、それでは今日はプレゼントに?」
「ええ。そんなところです。喜んでくれるでしょうか?」
「素敵です! きっと喜んでくれますよ!」
私が言うと、彼は微かに笑みを浮かべた。
「そちらは……」
「押し花ですね! 赤系統の魔道具で花を封じ込めたものです。他の形だと、いつかは枯れてしまうものですが、こちらは決して枯れることの無い一品です! 香りが無い点は少し残念ですが、本の栞に使ったりできますよ」
「ほぉ、本ですか」
彼は顎に手を当てる。
「妻は、本が好きです」
「素敵です! それでは、こちら、如何でしょうか?」
「いくらですか?」
「半銀貨1枚です」
半銀貨は、銀貨に穴が空いた物。
価値は銀貨の半分。銅貨で50枚ということになる。
「ほぉ……では、これでひとつください」
彼は握り締めていた手を開く。
そこには、ちょうど半銀貨が1枚握られていた。
「ありがとうございます!」
私は心から感謝を述べた。
花屋を開き、初めて花が売れた瞬間。きっと一生忘れない。
「さて、どの花にしましょうか?」
「どの花でも、一緒ですか?」
「お値段のことでしたら、はい、一緒ですよ」
私が頷くと、彼は軽く会釈をしてから、花に目を向けた。
「どれが、良いですかね?」
「んー、プレゼントならアイリーンの花でしょうか」
私は花壇の前にある小さな鉢植えを手に取る。そこには、今のような状況を想定して用意した見本用の花が植えてある。
「遠い昔、東の国の聖女アイリーン様が好まれた花です。彼女の清らかな心を体現するような純白の花で、相手の健康を願って送られることが多いです。花言葉は、いつまでも美しい君へ」
「ほぉ、それは素敵ですね」
思わず早口で説明すると、その言葉とは裏腹に、どこか上の空な返事が得られた。
……何か、見ている?
彼の視線を追いかける。
その先には、別の花があった。
……あの花壇にある花が気になるのかな?
頭には「あちらにしますか?」という言葉が浮かんだけれど、私は何も言わないことにした。
だって、彼は何も言っていない。
こちらから余計な提案をしては、相手を不快にさせるかもしれない。
その後、彼はしばらく悩み続けた。
途中、私の提案した花と、奥にある花を交互に見た。
明らかに悩んでいる様子だ。
しかし、何も言わない。だから私も待ち続けることにした。
「失礼、奥の花が気になりますか?」
声を出したのは、エリカさんだった。
男性はハッとした様子で顔を上げて、エリカさんを見る。
「……妻は、緑の花が好きでして」
「それではあちらにしましょうか」
「……しかし、アイリーンの花も素敵で」
「アイシャ様、あちらの花について説明を」
「……あ、はい、あちらですね!」
私は慌てて見本用の鉢植えを持ち、説明をした。
その話を聞いた男性は満足そうに首を縦に振って、緑色の花の方を購入した。そして、深々と頭を下げてから花屋を後にした。
……あんなに、あっさりと。
悩んでいた時間が噓のような即決。
とても驚いた気持ちで居ると、エリカさんが私の隣で言った。
「どうして提案しなかったのですか?」
「……それは、何も言われなかったので」
「はぁ? 明らかに見ていたじゃないですか」
「……そう、ですけど」
私は煮え切らない返事をすると、彼女は足音を立てて私の前に立った。
「前々から思ってましたが、アイシャ様、自分の気持ちを隠すのがお好きですね」
厳しい言葉。
しかし、少しも否定できない。
「聞いてますか?」
彼女はグッと私に顔を近付けて言った。
思わず一歩下がって、私はごまかすような笑みを浮かべる。
彼女はムッとした様子で一歩近寄って、私に言った。
「思ったことは、口に出すべきです」
べつに難しいことは言っていない。
だけど私は、まるで首を摑まれたような息苦しさを感じた。
「……エリカさんは、かっこいいですね」
「なんですか急に! ごまかされませんよ!」
彼女はプイッと顔を背け、腕を組む。
「まぁ、かっこいいですけどね!」
その少し子供っぽい姿を見て、私はまた笑みを浮かべた。
思ったことを口に出す。
当たり前のことで、きっと普通の人にとっては簡単なこと。
私にとっては、難しい。
相手を不快にさせないこと。余計なことを言わないこと。それが私の中にある常識。貴族の娘として教えられたこと。
エリカさん以外にも言われたことがある。
特に男性の方や、平民の方は私を見て口を揃えた。
自分の意志が無い。
まるで人形のような、貴族らしい人間だ。
「こほん」
わざとらしい咳払い。
私はハッとして、エリカさんに笑みを見せる。
彼女は、どこか呆れた様子で言った。
「アイシャ様も、かっこよかったですよ」
「……え?」
呆けた声が出た。
かっこいいなんて、初めて言われた。
「お花、本当に好きなんですね」
エリカさんは柔らかい声で言う。
「今度、お時間が有る時、私にも教えてください」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
それは土に水を落としたように、じわじわと心に広がる。
だからたっぷり間を開けた後で、私は返事をした。
「はい! もちろんです!」
やっぱり彼女は良い人だ。
きっと私に気を遣ってくれたのだろう。
……思ったことは、口に出すべき。
その後、お客さんは来なかった。
私の胸には、エリカさんの言葉が、ずっと残っていた。