勇気
「おはな、いりぁせかー!」
今日もイルムの元気な声が響く。
「あら、可愛らしい店員さんだねぇ」
「おはな、おとくです!」
イルムは本当に良く働いてくれている。
まだまだ未熟な部分が多いけど、確かな将来性が感じられる。
イルムを雇ってから10日。当初危惧した他の子どもが押し寄せるという事態は、まだ起きていない。杞憂に終われば嬉しい。
さて、イルムの成長を見守るのも楽しいけれど、お店についても考える必要がある。これはフィル様に対する恩返し。たくさんの利益を出さなければならない。
売上を伸ばすには、どうするべきか。
──そんなことを考えている時だった。
「あらあら~? 何かしら、このお店!」
反射的に息を止める。
とても、とても、聞き覚えのある声だった。
「まあ子供!? この店では子供を働かせているの!?」
あえて周囲に聞かせようとする下品な声。
「おはな、いりゃすか?」
その女性はイルムを無視して、私に詰め寄った。
「お久し振りです。お姉さま」
「……アルル」
久々に再会した妹は、楽しそうな声で言った。
私には分かる。これはアルルが悪巧みをしている時の表情だ。
「お姉さま、生きていたのですね。嬉しいです」
「……あの、どうしてここに」
「どうして? そんなの、決まっているじゃないですか」
アルルは私の耳に口を寄せ、嬉しそうに声を震わせながら言った。
「ストレスを発散するためです。お姉さまを使って」
思わず飛び退いた。
彼女は私を見て、恍惚とした表情で肩を揺らす。
そして大声で言った。
「私はアルル! ハルベール家の一人娘です! 子供を無理矢理働かせている店があるとの報告を受け参りました!」
彼女はイルムの脇に手を入れ抱き上げる。
「こんなに小さな子が働かされて! なんて可哀想なの!」
「なんだおまえ!?」
「もう大丈夫よ! 私があなたを救ってあげるからね!」
「うっさいおろせ!」
アルルは暴れるイルムに笑みを向ける。
そして降ろすことなく、逆に抱き寄せて口を塞いだ。
「ハルベール家の名において、営業停止を言い渡します!」
「アルル、やめて」
震えが止まらない。
彼女から嫌がらせを受け続けた日々が脳裏に蘇る。
しかし私が怯える程に、彼女は恍惚とした表情になる。
「こんな小さなことを無理矢理働かせるなんて許せない! 皆様もそう思うでしょう!?」
「アルル!」
私は悲鳴をあげた。
しかし、それを掻き消すようにして、周囲から声が飛び交う。
「なんてことだ!」「ありえない!」「出て行け!」「お前は、スピカに相応しくない!」「子供を働かせるなんて!」「許せない!」「断罪するべきだ!」
頭が真っ白だった。
多分、少し考えれば分かる。こんなに都合よく人が集まるわけがない。全て、アルルが用意した人達だ。
……ああ、ダメ。すべて、失ってしまう。
目に涙が浮かぶ。
私は、何もかも諦めて俯いた。
その直後だった。
「痛っ、このっ、噛まないでくださいまし!」
アルルの声を聞いて顔を上げる。
彼女は腕を振り回して、やがてイルムが投げ飛ばされた。
「イルム!」
私は咄嗟に手を伸ばす。
どうにかイルムの下に滑り込むことができた。しかし、勢いを付け過ぎたことで転倒して、地面に腕を擦り付けてしまった。
鋭い痛みが腕に広がる。
私は歯を食い縛って、アルルを睨む。
彼女は視線に気が付かない。
嚙まれた腕を見て、服でこすっていた。
「汚い! なんてこと!? 病気にでもなったらどうしてくれるの!?」
信じられないモノを見た。
子供を投げておいて、自分の心配。
……こんな、ひとに。
感情が昂る。
今にでも頬を叩きたい衝動によって全身に力がこもる。
「……イルム、ごめんね。ちょっとだけ、待っててね」
私はその力を勇気に変えて、立ち上がった。
妹を睨み付ける。
そして、その名を呼ぶ。
「アルル!」
「っ!? な、なによ急に大声を出して!」
こちらの台詞だ。
だけど私が口にするべき言葉は、そうじゃない。
「帰って!」
「……は、はぁ~!?」
「帰りなさい!!」
「っ~!?」
初めて、姉として妹を叱り付けるような言葉を口にした。
彼女は驚きと怒りを混ぜたような顔をして、取り巻きに向かって金切り声をあげる。
「聞きましたか!? あの野蛮な言葉! 逆ギレ!」
「聞いた!」「ああ聞いた!」「断罪するべきだ!」「出て行け!」「消えろ!」「この街からいなくなれ!」
私を取り囲む人達の声が鳴り止まない。
ふと脚に熱を感じる。
イルムが怯えた様子でしがみ付いていた。
アルルが勝ち誇ったような顔をする。
私は恐怖の感情が強くなって、今にもその場にへたりこんでしまいそうだった。
──大丈夫。君は間違ってない。
飛び交う罵声の中、ハッキリと聞こえた。
咄嗟に周囲を見るけれど、ヒトの姿は無い。
「あら~? 何をキョロキョロしているのかしら~?」
妹の煽るような声。
だけど……なぜだろう。全く怖くない。
あの声を聞いた瞬間から、噓みたいに震えが止まった。
私は息を吸う。
それからお腹に力を込めて、叫んだ。
「帰りなさい!!」
自分でも信じられないくらい大きな声が出た。
それは周囲の取り巻きも口を閉じる程の大声だった。
噓みたいな静寂が生まれる。
妹がわなわなと口元を震わせて、
「よく言った!」
しかし、彼女が何か言うよりも早く、他の声がした。
「……お隣さん」
「おぅおぅ、お貴族様よぉ! 急に現れてなんだテメェは!」
彼は低い声を出してアルルに詰め寄る。
彼女は筋骨隆々な大男に凄まれ、怯えた様子で一歩引いた。
しかし、言い返す。
「な、なにかしら! 私が誰だか分かって言っているの!?」
「知らねぇなぁ!!」
アルルの細い声なんか比にならない程の迫力。
「そこのガキはよぉ! この辺りじゃあ有名な悪ガキだった! 皆どうにかしてやりてぇと思ってた! だけど誰もできなかったんだ……この花屋の店主以外にはなぁ!」
気が付けば、いつもは騒がしい大通りから音が消えていた。
アルルの取り巻きの向こう側、十や二十では足りない目が私達を見ている。
「子供を働かせてる!? 知るかそんなこと!! ガキが働かなくていい国を作ってから言いやがれ!!」
彼は、アルルから視線を外す。
「テメェらはどうだ!? 俺の意見に文句ある奴いるかぁ!?」
周囲に問いかける。
「いるわけねぇだろ!!」
その声を皮切りに、先程の罵声なんか比にならない声が生まれた。
……これは、どういうこと?
その光景に最も驚いたのは、きっと私の方だった。
「なんだぃ、不思議そうな顔をして」
ふと振り返った隣の店主が、私を見て言う。
「あんたは認められた。なら、この商店街じゃあ家族みてぇなもんだ。守るのはあたりめぇだろ」
「……認められた?」
「おぅよ。おぉっと、泣くのは早いぜ? ほら最後は、あんたが決めな」
彼は顎をクイっと動かした。
多分、アルルに何か言えという意味だ。
「……ありがとうございます」
私はアルルの前に立つ。
それから彼女の目をしっかりと見て言った。
「アルル、聞きなさい」
「……っ、調子に乗らないで! 人形女のくせに!」
「私はもう我慢しません」
「はぁ~? だから調子に乗るなって言ってるでしょ!?」
アルルが声を張り上げる。
これは、虚勢だ。自分が不利なことを悟って、喚き散らしているだけだ。
昔のまま。子供のまま。
彼女と比べたら、イルムの方が立派かもしれない。
「帰りなさい。二度と私の前に顔を出さないで」
「だ~か~ら! 誰に向かって言っているのよ!?」
「アルル、これが最後です。帰りなさい」
アルルが憤怒の表情を見せる。
きっと納得しない。だから私は周囲にも聞こえるように、大声を出した。
「帰りなさい!」
途端に始まる。
帰れという大合唱。
アルルは何か喚き散らしたけれど、やがて顔を真っ赤にして私に言った。
「覚えてなさい!」
そして、どこかへ走り去った。





