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牙を隠し持つ狼1

 翌日の体力づくりでは、積極的に若い衆と体術の手合わせをした。

 そして、顔が間近にくるとすかさず、


「次に私を姐さんと呼べば、きさまの何かを再起不能にする」


 と耳打ちしてやった。

 若い衆というと、私がまるでおばさんのように思えるだろうが、私とてこの体力づくりの中では、平均年齢より年下だ。


 若い衆の何を再起不能にするのか。私の口からはとても言えない。ご想像にお任せしよう。


 怯える若い衆を尻目に朝食を堪能すると、午前中はいつも通り聖母マノンと屋敷の用事をこなした。

 マノンは私が本格的に書生として働き始めることを伯爵から聞いたのか、私の姿を認めると開口一番、


「エリーさま、今日から本格的に書生のお仕事をなさるんですってね、おめでとうございます!」


 と喜んでくれたが、同調して浮かれる気にはなれなかった。なぜなら、いまだに「よいもの」の正体がわからないからだ。


 今日のお屋敷仕事は、屋内にある物の雑巾がけ。

 私は藁にもすがる思いで、マノンにも「よいもの」について聞いてみることにした。

 だが、ネルドリ人が漂着したことは極秘事項。ネルドリ人のネの字も出すわけにはいかない。結果、


「ねえマノン、男の人が『よいもの』に会わせてくれると言ったら、それって何だと思う?」


 肝心なところをすっ飛ばし過ぎた問いかけになってしまった。

 会話の組み立て方も、言葉の選び方も、まだかなりの機能回復訓練が必要だ。道のりは遠く険しい。


 しかし、私の色々足りない質問にも、マノンは聖母の微笑みで応じてくれた。


「お館さまがそうおっしゃったんですか?」

「ええ、午後から会いに行くそうなんだけどね。これが何かを当てられたら、ご褒美に甘味処に連れて行ってくれるとおっしゃっていたから、ぜひとも当てたくって」

「お館さまともあろうお方が、真っ昼間からエリーさまに見せたい『いいモノ』ですか……」


 マノンも微妙に解釈がおかしいが、ここでつっこむと、詳しく説明しないといけなくなりそうで怖い。ひとまず気にしないでおこう。


 聖母は形のよい眉根を寄せてしばらく考え込んでいたが、やがて、ひらめいた! というようにぱっと顔を上げると、


「エリーさま、それは、当たったらよっぽどすごいんことなんじゃないですか?」

「そう?」

「だって、ご褒美に甘味処でしょう? 甘味処って、男性が入るにはハードル高いですもん」

「え、甘味処が、どうして?」


 なぜ、たかだか甘いものを食べる場所が、男にとって難関なのか。

 首を傾げる私に、マノンは教えてくれた。


「甘味処といえば、基本女子のたまり場でしょう?」

「そうなの?」

「そうなんですよ。エリーさま、王女さまだからご存じないかもしれませんけど」


 それは知らなかった。

 そういえば、女子学院生だった頃、甘味処に行った記憶がない。私も一応女子なのに。

 友人たちとの茶飲み話は河川敷で、と暗黙の了解で決まっていたのだ。


 ひょっとして、友人たちも女子力が低かったのか?

 なるほど、だから誰も「甘味処へ行こう!」と言わなかったのだ!(当時から、自分の女子力は低かった自信がある)

 少し考えただけでも、思い当たる節はたくさんあるから、きっとそういうことに違いない。

 友よ、あなたたちは、私を姐さんなどと呼んでいながら、自分たちも女子力が欠如していたとは……


 女子力低めなことが発覚した、友人たちの現在が心配になってきたが、それはさておき。


 マノンは続けて、カシルダの甘味処と男性心理について丁寧に教えてくれた。


「カシルダの甘味処は、特に女性受けするようなお店が多いんです。観光客の方々に喜んでもらうために、おしゃれにしてるんですけど、あれ、男性は入りにくいと思うんですよ。

 だから、お館さまは、すごい勇気を出して大盤振る舞いされるんだなあと思って」


 不覚だった。市街地には何度か出かけたことがあったが、甘味処は気にも留めていなかった。

 そんなに素敵なら、ますます行ってみたくなる。


「そうなのね。それなら、ますます当てにいかないといけないわね」


 自分が行ってみたいという以外に、是非ともあの伯爵に、居心地悪い気分を味ってもらいたいという欲求が、むくむくと湧いてきた。


「すみません、「いいモノ』」何なのかはさっぱりわからないですけど、頑張ってくださいね!」

「ありがとうマノン、頑張るわ」

「エリーさま、お考えになるのはいいですけど、手は動かしてくださいね。また止まってますよ」


 私を注意しながらも、きっちりと調度品を拭きあげていくマノンは、とても器用だと思う。どうも私は同時進行が苦手なようだ、気をつけよう。




 そして午後。

 屋敷を出発した伯爵と私は、市街地をずんずん歩いていた。


「ここに『よいもの』がいるのですか」

「ああ、街の外れだがな。まもなく着く」


 結局、「よいもの」が何なのか、いまだにわからない。

 大変困ったことに、どう頭をひねっても出てこないのだ。おかげで昼食をさっぱり味わえなかった。せっかく週一で登場する、大好きな「レディースパスタセット」(麺増量無料)を食べたのに。


 まずい。もうすぐ目的地に着くというのであれば、そろそろ何でもいいから答えを出さなくてはいけない。いや、何でもはよくない、当たる答えでなくては。


 甘味処は真剣に行きたい。カシルダ島に来てから、ほとんど菓子類を食べていなかったことに、先ほど気がついて愕然としたところだ。

 隠してきた覚えはないが、何を隠そう私は甘いものが大好きだ。

 どうしても、なんとしても、是が非でも甘味処に行きたい。


 いや、甘味処には一人でも行ける。大した働きはしていないが、カシルダ島に来てから、書生としての給金も貰っている。

 だから、休暇にでも市街地に出て、勝手に一人で行けばよいのだが、そういうことではないのだ。


 あの、首から下は格闘家の森のくまさんのくせに、表向きは、闊達さと気品を兼ね備えた好青年の仮面を被り、その外面の良さに隠れて、私に暴言の拳を浴びせるお館さま。

 そんな彼が、女性受けするかわいらしい甘味処の店内で、おろおろまごまごする姿を見たいのだ!


 というわけで、私は今も往生際悪く「よいもの」の正体を考えている。


 ……そういえば、昨日はどのような話の流れで、「よいもの」のことが出てきたのだったか。思い出してみよう。

 確か、伯爵がネルドリ人たちを助けたいとおっしゃったから、気持ちはわかるが難しいだろうと申し上げたのだ。


 もしカシルダ島に、ネルドリ人の手先、または貴族や王宮の間者がいて、漂着したネルドリ人たちの存在が知られてしまったら。

 どこの間者に知られても、ネルドリ人たちのことは王宮に届いてしまう。

 王宮にネルドリ人たちを引き渡せと言われたら、従うしかない。従わなければ、伯爵が悪者にされてしまう……


 暗黙のうちに、そういう意味が含まれていた会話の後だ、「よいもの」が出てきたのは。


 てっきり、漂着したネルドリ人たちに会わせてくれるのかと思ったら、そうではないという。

 では何に会わせてくれるのか。

 まさか、珍しい魚とか獣とか? そういう系統ならお手上げだ。


 あのとき、伯爵は嬉しそうに「よいもの」を話題に出してきたが、冗談抜きにして、間者のことは心配ではないのだろうか。

 ということは、もしかしたら。


 私の脳裏に、ある可能性がひらめいたが、自分で思いついたことながら、にわかには信じられなかった。いくらなんでも、一地方の離島にそんな人物がいるだろうか?

 しかし、もしそうでないなら、間者の可能性を指摘してもなお、余裕綽々だったあの伯爵の態度は、どう説明する?


 私の推測が正解なら、カシルダ島は軍事の実戦だけでなく、諜報戦にも強いことになる。

 諜報戦にも長けているのは、この国を憂う者としてはとても頼もしいが、王宮や貴族がこのカシルダの「強さ」を知ったら、どう思うだろう。


 確かに、虫が良すぎる答えかもしれない。だが、正答率は悪くない気がする。


 そろそろ、市街地の外れに差し掛かろうとしている。

 私は覚悟を決めると、伯爵に声をかけた。


「閣下」

「どうした、さっきまでずっと黙っていたのに」


 街にはいつもと変わらぬ喧噪が広がっているが、私の心の中は静まり返っていた。


「わかりました、『よいもの』が」

「そうか、最後まで諦めない姿勢は大切だ。では言ってみろ」


 いつもに増して低く、そして音量を絞った私の声を、伯爵はまるで気にしていない様子だったが、


 「二重間者ダブルスパイではありませんか」


 この解答を聞いた途端、伯爵は足を止めた。




「おや、お館さまじゃありませんか! お久しぶりです!」


 伯爵が「エイミス商店」という看板のかかった店の扉を開けると、店主と思われる男性が、にこにこして出迎えてくれた。


「元気そうだな、ハック」


 相手にはそう声をかけたものの、わが主の元気はない。なぜなら、


「紹介する。これが既におまえの正体を見破っている、書生でわが国の第七王女、エリー・ブラント殿下だ」


 私がまさにぎりぎりのところで、甘味処行きを獲得したからだ。


 あと数十歩、私がひらめくのが遅かったら試合終了、この店に着いてしまっていたところであった。思いついて本当によかった。


 つまり、このハックというおじさんは、表向きどこかの界隈(ネルドリか貴族か王宮かは不明)の間者として活動しているが、実は伯爵の配下にあるという、二重間者なのだ。


 にしても、さらっと嫌な単語群を使って人の紹介をしたな。

 だが、私もいい年した淑女、こんなところで主の挑発に乗りはしない。


 私が淑女らしくハックさんにご挨拶すると、人のよいおじさんといった以外、別段特徴のある風体ではないハックさんは、私と不憫な主を奥へ案内してくれた。お店の裏側を見せてくれるとは、興味深い。


 そういえば、店内をよく見なかったが、ここはどのようなものを扱う店なのだろう。


「ところで王女殿下、よく私の正体がわかりましたね」

「エリーで結構ですエリーで是非ともエリーと呼んでください」


 ハックさんの敗北宣言に(正確には敗北したのは伯爵だが)被せ気味で答えると、ハックさんは面白いものを目にしたという顔で私を見た。


「そうですか、かしこまりました。ではエリーさま、私がなぜあれだとお思いになったので?」

「閣下があなたの正体を当てたら、甘味処に連れて行ってくださるというので、張り切ったんです」


 当てられたのはつい先程だったことと、


「と言いますか、そもそも閣下が、答えの手がかりを多くくださっていたように思います」


 今にして思えば、冷静に考えればすぐに分かったことではないか、という思いが湧いてきて、あまり得意げに語れなくなっていた。


「お館さま、女性には甘いですな」


 店内よりやや暗い廊下は、なぜか声がよく響く。ハックさんの笑い声が高らかにこだましたが、


「そんなことはない」


 それほど私を甘味処に連れて行くのが嫌なのか、設問の出し方がまずかったことを恥じているのかはわからないが、伯爵は珍しく不機嫌そうな声を出した。

 だが、約束は約束、しかも自ら言い出したことだ。何としても守っていただかねば。


 廊下の突き当たりには、重厚な鉄の扉があった。ハックさんが押すと、金属の擦れる音と共にゆっくりと扉が開いた。


「ここはうちの倉庫です。エリーさまは初めてですし、お館さまにもご覧いただきたいものもここで保管しといたので、今日はまずこちらにお越しいただきました。さあどうぞ」


 なるほど、倉庫か。ここを見れば、この『エイミス商店』がどのような商品を扱っているか一目瞭然だ。


 天井にまで届く棚には、びっしりと樽や箱が積まれていた。その中に入っているのは、


「当商店は、主に飲料水や果汁、酒類を取り扱っておりますが、他にも調味料や茶葉、洗剤に肥料に除草剤、果ては内服薬に点滴などなど、水にまつわるものが得意でして。どうぞご自由にご覧ください」


 ハックさんが言ってくれた通り、ワインが入っていそうな樽や瓶の詰められた箱、『国産高級菜種油』と張り紙のされた箱などが、整然と並んでいる。


 上の方の棚には、『特用紅茶』『家庭用便所紙』と書かれた箱もある。高級なものから安価なものまで、幅広い顧客層がいることが伺える。


 世の中には、これほどの商品が流通しているのか。


 頭ではわかっているものの、実際に目の当たりにすると改めて実感する。

 これだけの商品を世に出すため、多くの人々が関わっていることも。


 私が倉庫の物量に圧倒されていると、


「これですこれ! お館さまにお見せしなくてはと思って、大事に取っておいたんですよ」


 奥の方に行っていたハックさんが、何かを手にして小走りで戻ってきた。


「これを、これをご覧ください、お館さま」

「ん、どうした?」


 いささか呼吸の荒くなったハックさんから手渡されたものを、伯爵はやや機嫌の回復した表情で受け取った。


 それは両手を広げたほどの大きさの、一枚の紙だった。

 どうやら広告のようだが、それにしては白黒の一色刷りで、明るさや華やかさは一切ない。


「なんだこれは」


 伯爵の声は先ほどとは違い、低く震えていた。


 私が横から覗こうとしても止める様子がなかったので、伯爵が手にしている広告をありがたく拝見して、


「なんですか、これは」


 まさか私まで主と同じ台詞を口にするとは、思ってもみなかった。


 だが、そこに書かれていたのは、そうとしか言いようのないことだった。




『急募! 健康的肉体!


 小人 五百万

 大人 二百万


 状態により増額


 早急に下記へ連絡を!

 連絡先 (以下、安全保障の都合上省略)』

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