招かれざる者7
食堂に入ると、テーブルでは二人分の夕食が湯気をあげて私たちを待ち構えていた。伯爵を出迎えたじいが気を利かせてくれたのだろう。
いつも思うが、この屋敷に仕える人々の気配りは絶妙だ。気が利かないわけではなく、かといって押しつけがましくもない。王宮の侍女や侍従に、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
奥の厨房にいるであろう料理長に、二人揃ってお礼を言うと、
「いえ、なんもなんも! 遅うまでお疲れさんでした! たんと召し上がってください、おかわりもありますでね!」
厨房から明るく野太い声が返ってきた。
この屋敷の料理長の料理はとても美味しい。カシルダ島の政治と安全を支える人々の生命線だ。
朝の体力づくりに参加している者だけでなく、昼間もこの食堂は役人や兵士たちでごった返す。みんな彼の食事を励みに激務を乗り越えているのである。
激務というほどの仕事はしていない私も、彼が作る食事が大好きだ。
料理長に感謝しつつテーブルに着き祈りを捧げると、しばらくの間、声を発することも忘れて夕食を堪能した。伯爵も私と同じく食事に没頭していた。
日中さほど動かなかったので、熱量消費が少なかったせいだろう。思ったより早く胃袋が落ち着いたせいか、食事以外のことで先に口を開いたのは私だった。
「尋問はいかがでしたか」
口にしてから、やはり触れない方がよかったかと思ったが手遅れだ。
それに、伯爵にとって特に因縁のある国の民とはいえ、尋問していることをこちらが知っているのに、触れないでいるのもおかしいだろう。
「知りたいか?」
伯爵の声が心なしか弾んでいるように聞こえたので、もちろんです、と答えた。
尋問の首尾は悪くなかったように思えるのだが、万が一怒られたらその時はその時、と開き直ることにして、伯爵の次の言葉を待っていると、
「なんと……」
「なんと?」
「とんでもなく……」
「とんでもなく?」
「甚だ……」
「はなはだ?」
ものすごく楽しそうにおっしゃるのはいいのだが、この人は一体何を考えているのだろう。
そちらの意図がわからないので、あなたの台詞をおうむ返しすることしかできない、私の身にもなってほしいのだが……といささかうんざりしていたら、
「なんと、かなりうまくいった!」
伯爵は大きな両手を広げて、食堂中にこだまする大音声でのたまった。
「それは……」
成功してよかったという安堵の思いと、それならさっさと言わんか! という複数の感情がよぎったせいで、一瞬口が止まってしまったが、続けるべき言葉はわかっていた。
「おめでとうございます」
「なんだ、相変わらず冷たい反応だな」
せっかく祝福して差し上げたのに、伯爵は残念そうに眉をひそめた。このご感想には反論したい。
「どこが冷たいのですか、お祝い申し上げているではありませんか。
私の反応が冷たいとお感じになるのでしたら、それは私がまだかなりうまくいったという、尋問の中身を存じ上げないからです。
詳細もわかりませんのに、閣下と同じ高揚感で喜べとおっしゃられましても、それは無理です」
「そうかそうか、それは悪かったな」
いっこうに悪いと思っていない人の口調だが、これほど浮かれるだけの成果があったのなら、許して差し上げようではないか。
そう考えたのもつかの間、
「まあ落ち着け、順を追って話してやるから、よく聞けよ?」
ご自分の浮かれぶりを忘れたご発言に、
「落ち着くのはあなたの方です、レイスタット伯爵閣下」
私がこう応じたのは当然だろう。
伯爵が今日の尋問について話し始めたのは、数分後だったが、それまで何を語っていたのかと言えば、いかに私が血も涙もない冷徹な輩かという、理不尽な糾弾だった。
もっとも、それですら面白そうに罵詈雑言を並べ立てていたから、今日の尋問では、余程素晴らしい成果があったのだ。
脱線の多い、私たちの会話をつらつらと並べていたら、要点が見えづらくなること確実だ。ところどころ会話を省きつつ紹介する。
軍の本部に連れていかれ、取調室にぶちこまれてから数時間、ネルドリ人たちは断固として黙秘を貫いていたが、伯爵たちはいくつかの作戦を考えていた。
最初の作戦を発動したのは夕食どきだった。その作戦とは。
尋問班がネルドリ人たちの前で食事を始めたのである。
尋問班の食する夕食は、ネルドリ人たちには相当魅力的な献立であったようだ。空腹で目をぎらつかせ、手足を柱に繋いでいなければ、今にも襲い掛かってきそうな形相をしていたという。
彼らの乗っていた船には備蓄の食糧がなく、水も残りわずかだったというから、空腹も極限近くに達していたのだろう。
そんなネルドリ人たちに、伯爵(こちらは尋問班と異なり空腹)はこう言った。
「わが国に全面的に協力してくれるなら、これよりもっといい食事を出してやるぞ」
尋問班にデザートが運ばれてくると、ネルドリ人たちはますます動揺した。
デザートは苺のショートケーキだった。
甘いクリームとスポンジの匂い、おまけに宝石のごとくケーキの中央で輝く苺の存在は、空腹を抱えるネルドリ人たちの鼻孔とまぶたに染みたようで、彼らの顔にはいよいよ動揺の色が濃くなったという。
ネルドリ人の食生活は、伯爵たちが想像していたよりもずっと深刻な状況のように見受けられた。
そしてとうとう、尋問班は行動を起こした。
彼らはケーキにフォークを入れると、ネルドリ人たちの口にその甘い誘惑を投入したのである。
哀れな漂着者たちは、疲れ切っていた目を見開き、涙を流す者もいた。
「こんな美味しいものは、生まれてこの方食べたことがない!」
と感動の念を口々に述べたネルドリ人たちは、ついに食の本能に屈し、自らの知っていることを洗いざらい語り始めた。つまり、ネルドリ人たちは作戦その一であえなく陥落したわけだ。
彼らには申し訳ないが、はっきり言ってお笑い草である。
しかし、拷問のようなことをせずに済んだのは、双方にとって幸運だっただろう。
「あいつらが言うには」
奇しくも、私たちの前にもデザートが運ばれていた。こちらは季節の果実を柔らかなゼラチンで固めたジュレだ。
メイン料理が食の進むこってりした味つけの料理で、しかも二人ともおかわりをしたこともあり、さっぱりしたものはとてもありがたかった。
「今回あいつらが出航したのは、わが国の海域で漁をしてこいと、村長から言われたからだそうでな……まあ、村長にそんな権限はないから、村長も大総統閣下に命じられたんだろうな。
自分たちはただの漁民だと語っていたが、嘘ではないだろう。本当のスパイなら、たったデザート一口で落ちはしないだろうからな」
伯爵は見た目が武人なので粗雑な印象も受けるのだが、さすがは貴族、器用にジュレと果実を同じ割合でスプーンに収めると、洗練された仕草で口に運んだ。
私も同時にジュレを口にしたが、先に口の中が空になったのは伯爵だった。
「だが、船の燃料をろくに配給してもらえなかったらしい。そのせいで燃料が足りなくなり、国に帰ることができなくなった。
あげく、わが国に漂着するしか道がなくなって、カシルダに流れ着いたというわけだ」
「それは」
ネルドリは食糧から衣服、生活雑貨など、至るものが配給制になっているという。従って、船の燃料も国から支給されるのはわかるが、
「どういうつもりで出航させたのでしょう? 燃料が足りなければ、そもそもネルドリに魚を持ち帰ることができないではないですか。いや、わが国の資源を勝手に持って帰られては困りますが。
おまけに、国民に領海侵犯せよとは、どういう料簡ですか」
当たり前だが、他国の領土……今回の場合は領「海」だが、勝手に他国が支配する海に入ることは、国際的にも許されていない。
以前、伯爵が某国にしたように、砲撃を食らっても文句は言えないことだ。
それを自国の国民に、しかも武装もしていないただの漁民にさせるのは、「奴らに見つからないように魚を獲ってこい。だが、もし見つかったら砲弾浴びて死んでこい」と言っているのも同じだった。
「ネルドリには、燃料全般が枯渇しているそうだ。それに、あの国の領海は汚染が酷くて、ほとんど漁ができないらしい」
伯爵の返答は私が予想していたものと違っていた。
「だからといって、他国の領海に許可なく侵入し、わが国の財産である魚を獲ろうとしていたなど、許されることではありません。それを」
そのせいもあって、先ほどと同じ主張を繰り返した私に、伯爵は表情を厳しくした。それ以上言うな、という思いを感じて口をつぐんだ。伯爵の言いたいことがわかったからだ。
私たちにはもちろん、ネルドリ人たちにもどうすることもできないのだ。
全てはネルドリを統べる、『頭脳』たる大総統閣下の思し召しで決められたことだから。
「ここに漂着するしか、あいつらが生き延びる選択肢はなかったんだ」
伯爵の声は沈痛だった。
私も返す言葉がなく、しばらく黙ってジュレを口に運んでいたが、三口ほど食べたところで、伯爵は明るい声を出した。
「もっとも、あいつらの本音を代弁するなら、カシルダよりもドナーク島に漂着したかっただろうがな。
だが、今となっては私たちに感謝しているはずだ。あれだけ美味いものを食わせてやったのだから」
カシルダ島の北にあるドナーク島は、位置的にネルドリに近いだけではなく、領主のデナリー侯爵がネルドリに好意的なのだそうだ。
だが、他国からの情報が入りづらいネルドリにまで、デナリー侯爵は知られているのだろうか。
私も意識を切り替えてそのことを問うてみると、伯爵は無論だと言って鼻息を荒くした。
デナリー侯爵は、ネルドリ民衆共同体の国土に足を踏み入れた、数少ない外国人の一人だという。
よくもまあ、あのネルドリに入国できたものだと思うが、ネルドリの……大総統のおめがねに適うことをしたのだろう。例えば多額の賄賂を贈ったとか。
伯爵いわく、ネルドリを訪れた際デナリー侯爵は、大総統とネルドリ人たちをこれでもかというくらい褒め称えたそうだ。
そして、わが国に帰国してからは『世界最後の楽園 ネルドリ』という本を出版したらしく、これがまた意外に売れたという。
本の内容は推して知るべし。
この本に記された「世界最後の楽園」を信じてネルドリに旅立ったなら、現地に着いた途端後悔すること間違いなし、なのだそうだ。
つまり、嘘偽りばかり書かれているということだ。
明日、伯爵からこの本を借り受けることになったのは、私にとって本日一番の災厄と言ってよかった。デナリー侯爵のことはよく知らなかったが、本を読めば確実に嫌いになれそうな気がする。
私にデナリー侯爵の名著(?)を押しつけて気をよくしたのか、伯爵はますます上機嫌になってきた。
話はネルドリの漂着者たちのことに戻った。
「あいつらと同じ日に、他の船もネルドリから出航したそうだ。
その者たちが無事であれば、本当にドナーク島に流れ着いているかもしれないな。
潮の流れ的にも、漂着するならカシルダかドナーク島、あとは近辺の無人島くらいだろうからな」
「その者たちはどうなっているでしょう。命だけでも無事だとよいのですが」
「どうだろうな。仮にドナーク島に漂着した者がいればの話だが、デナリーは即刻王宮へご注進するだろう。あの阿呆のことだ、それしか思いつくまい。
国家間をまたぐ事案が、あいつの手に負えるわけがないからな」
デナリー侯爵の分類が私の中で確定した。ネルドリに甘い顔をする、親ネルドリ派とでもいったところか。しかも爵位の高い侯爵であれば、彼はその中でも親玉的な存在かもしれない。
「あいつらは非戦闘員とはいえ、わが国の資源を無断で奪おうとした。
デナリーも、彼らが自ら命を落とす前に、できる限りの情報を聴収する必要があるし、船の調査も綿密にしなくてはならない。万が一、爆発物でも仕掛けられていたら一大事だからな。
その上で王宮に報告し、国際裁判にかけてもらうべき事案だ。あくまで正論を言えば、だが……」
いつの間にかジュレの器を空にしていた伯爵は、紅茶を一口飲まれてから後を続けた。
「王宮も事なかれ主義の集まりだ。きっと国際裁判にもかけず、何事もなかったように済ませるだろうな」
なんなら、手土産の一つや二つ持たせたうえで、あいつらを故郷ネルドリに送還してやるのではないか? と伯爵は乾いた笑いを吐き出した。
「どうしてそんなことを」
そう言いながらも、理由は判っていた。
王宮も貴族も、ネルドリの工作にしてやられているからだ。
だから、どう考えてもネルドリに有罪が下る国際裁判になんて、かけるはずがない、ということ。
ネルドリの機嫌さえ取っておけば、自分たちはこれからも貢ぎ物をもらって、よりよい暮らしができる。ネルドリの国民がどのような困窮を味わっていようと、わが国の王宮も貴族も知ったことではないということだ。
カシルダ島に来て半年。
王宮でも大学でも触れたことのない、現地で今まさに起きている事件と、その事件を取り巻く不快な暗雲が、目の前に立ちはだかっていた。
夜も更け、屋敷の中は涼しいにも係わらず、服の内側は不快な汗に濡れていた。
「心配するな、私たちはデナリーとは違う。そのような愚かなことはしないし、王宮にもさせはしない」
この返答は私の動揺を汲んでくれたものだった。心持ち柔らかくなった口調が、それを気づかせてくれた。しかし、次に続いた台詞には苦悩があふれていた。
「あいつらには、聞きたいことがまだ山のようにある。むざむざ王宮に渡してたまるか」